扇屋あやかし活劇

桜こう

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 楽しい夏祭りになりそうな予感に胸を高鳴らせていたすずめであったが、それに冷や水を浴びせるように、からたちが帰って程なくして雨が降りはじめた。
 それは最初は柔らかい小糠雨こぬかあめであったが、しだいにその雨足は強まり、居間の明り取りの窓から外を眺めるすずめ、ましろ、はちみつの三人の表情も見上げる空と同じくらいに曇っていった。
「はあ~」
 三人の深いため息が雨音に打たれていく。
「すずめ~」
 はちみつが拗ねるように、甘えるように、すずめに体を預けてくる。
「花火大会、中止になるのか?」
 すずめははちみつのおかっぱ頭をぽん、ぽんと撫でるように叩いた。
「ううん、まだわからないよ。花火は夜だもの。それまでにやんでくれたら、花火はできると思う。みんなで夏祭り、行けるわ」
 そんな発言も、いちだんと暗さを増す空の四面と、やかましいほどに屋根を打ち叩く雨音を前にしてはそらぞらしく聞こえてしまう。
 恨めしげに灰色の空を見上げながら、三人はもう一度ため息をついた。
「ああ、もう、なんだよ、おめえら辛気臭えなあ。そんな調子でいられたんじゃあ、こっちまで気が滅入っちまう」
 居間の真ん中でぱたぱたと扇を仰ぎながら夢一が舌打ちした。
「ただでさえじめじめして暑苦しいってのに、おめえらのため息を聞いてたら耳にかびが生えちまうぜ。そんなに暇なら旦那様の肩でも揉め」
「……」
「無視かよ。三人、総無視かよ」
 憮然と寝転がった夢一を尻目に、すずめは煙る雨模様を切なげに見つめた。
「花火、見たいな」
 すずめの呟きに、夢一が億劫そうに答える。
「花火大会なんて今年ばかりじゃねえ。来年も再来年も見ようと思えばいくらだって見れるじゃねえか」
「そうですけど……」
 すずめは悲しげに睫毛を震わせ、それからためらいがちに口を開いた。
「父様が亡くなるとき言ったんです。もう一度、すずめと夏祭りに行きたかった。あの美しい花火を見たかったって。そう言ったんです」
 はちみつがその小さな手ですずめの手を握ってきた。すずめははちみつに微笑んでから話を続ける。
「父様が家を出てから、わたし、一度も花火を見たことないんです。見に行けなかったんです。つらくなってしまうから。父様を思い出して、きっと泣いてしまうから」
 すずめが口をつぐむと、雨音が静寂を掻き消してしまう。
 誰も何も言わない。それでも自分の言葉に耳を傾け、自分の気持ちを受け止めてくれる大切な存在を身近に感じる。心強くて温かい。すずめはそれに励まされて話す。
「でも気づいたんです。それは父様との思い出を大切にしているんじゃない。父様との思い出に封をして、触れないように怯えて過ごしていただけだったんだって」
 でも父様は言ってくれた。夏が来れば思い出すと。わたしを連れて行ってくれた、あの夏祭りを、あの花火を……――わたしを忘れないでいてくれた。だから……。
「だからわたしは今度こそ父様と過ごした短い日々を大切にしたいんです。悲しいからと封をしたり、忘れようとするんじゃなくて、素敵な思い出は素敵なままに、悲しい思い出は悲しいままに。そのすべてをわたしは大切にしていきたいんです」
 すずめは大粒の雨を降らす空を見つめた。
「そのためにも今年は花火が見たかったんです。故郷で父様と一緒に見た花火とは違うけど、それでもきっとわたしは幸せな気持ちで見ることができるはずだから、心の中にいる父様と一緒に見ることができるはずだから、だから……」
 すずめはもう一度呟いた。
「花火、見たいな」
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