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或る半生
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ろくでなしの男にろくでもない育て方をされた女は、やがて成長し自らの父を手にかけたことで殺しの道を進むことになった。フリーの殺し屋として安い賃金で人を殺し、何より切り捨てることも容易だったために女はとても重宝された。そして大半の予想を裏切る形で彼女は5年、10年、15年と殺しの世界で生き残り続けた。特別な力があったわけではない。腹を刺され、脚を撃たれ、海に沈められ、女は数え切れないほど死の淵を彷徨った。だが運が良かったのか悪かったのか、女は生き続けた。そしてそれと同じくらいの数の人間を殺してきた。腹を刺し、首を折り、海に沈めた。いつかはこんな風に自分も死ぬのだろう、ただ漠然とそんな考えはあった。それがどのようなもので誰によるものなのかを女は想像することはなかったが。
ある日女は少女に出会った。少女は雨の日のゴミ捨て場で、痰を包んだちり紙のようになって小さく震えていた。少女は女を見ると微笑んで、ただ一言こんばんはと言った。女は何の気まぐれか少女を自分の住む寂れたアパートの一室に連れて行くことにした。食事と風呂と粗末な着替えを与えると少女はまた笑って、もう大丈夫、とだけ言った。女はそうか、と答えるとその日は少女を抱いて眠りに就いた。普段見ていたゾッとするような不快な夢をその日見ることはなかった。
それから女はより一層人を殺した。街の人間の小さな依頼も死の危険がある大きな依頼も選ばなかった。そうして仕事が終わると必ず少女に土産を買って帰った。服や花や本、そのどれもが少女を笑顔にさせるには十分なものだった。帰るたびに傷を増やしてくる女を少女は案じたが、何かを深く尋ねてくることはなかった。
やがて女の元に、一人の人間が現れた。ミヤビと名乗ったその女は私と組まないかと提案してきた。ニヤニヤとした薄ら笑いを常に浮かべた気味の悪い女だった。これまでとは比べ物にならないほどの報酬を用意する、私の仕事を手伝って欲しい、ミヤビはそう言った。同業者達は皆忠告した。ミヤビには怪しげな人体実験をどこかの研究所で行っている、という話だった。だが女はミヤビの提案を承諾した。どんな方法であれ、金が必要だったのだ。女は密かに、小さな家に少女と二人で静かに暮らすことを夢見ていた。あり得ない心境の変化だと、我ながら可笑しかった。
女は働いた。その場で殺せとミヤビに言われればそうしたし、連れて帰れと言われれば四肢をへし折ってからミヤビの元へ持ち帰った。同業の中でも、女はほとんど最強の存在になっていた。忠実に働く女とそれに見合った報酬を与えるミヤビの間には信頼関係が芽生え始めた。しかし忙しくなるに連れて、女が少女と顔を合わせる機会は少しづつ減り始めた。
寂しい、少女はある夜ぽつりとそう言った。ありがとうと大丈夫以外で少女が口を開いたのは初めてだった。女はそうか、と答えると少し強く少女を抱きしめて眠った。その夜女は悪夢を見た。言いようのない焦燥感と不安に包まれる夢だった。それは目覚めた後も女を苦しめた。
ある日真剣な表情でミヤビは女を見つめた。私を信用しているか、とミヤビは問うた。女は頷いた。本心からだった。金の上で成立している契約は女にとって絶対であり、潜り抜けた死線の数もミヤビを信頼させるに足るものだった。続けてミヤビは私の命令で死ねるか、と問うた。しばらく考えた後、今は無理だ、と女は首を横に振った。ミヤビはニタリと笑うと、何か納得したようだった。質問の意図が掴めない女にミヤビは、それでいいのよ、と言った。ミヤビは左手を女に差し出した。信用の証よ、と加えた。女はそれを握った。それは絹のように滑らかで鉄のように冷たい手だった。
その夜、帰った女は玄関の暗闇の中で何かが足に当たって、転がるのを感じた。電気をつけた女は目を見張った。それは眼球だった。熱を帯び出した鉄板でちりちりと足元を焼かれるように感じた女は早足でカビ臭い居間に向かった。少女はそこでうつ伏せになって倒れていた。小声で唸る少女に女は駆け寄り、抱き起こした。朝家を出る時には右目が収まっていた場所に、ただ黒い穴だけがあった。吟味して選んだ白いワンピースは趣味の悪い赤の斑模様に変わっていた。少女はただ、大丈夫だよ、と何度も繰り返していた。女もまた何も言わずにそうか、とだけ答えた。
数週間後、ミヤビの研究所は襲撃を受けた。駆けつけたミヤビが目にしたのは、災害の後のように壊滅状態の設備と全職員の死体。施設の最深部にある彼女のデスクの上には中指を立てたまま切り離された何者かの右手がポツンと置いてあった。そして奇妙なことに全ての死体から右目だけが消えていた。
そして女はミヤビの前から姿を消した。
ある日女は少女に出会った。少女は雨の日のゴミ捨て場で、痰を包んだちり紙のようになって小さく震えていた。少女は女を見ると微笑んで、ただ一言こんばんはと言った。女は何の気まぐれか少女を自分の住む寂れたアパートの一室に連れて行くことにした。食事と風呂と粗末な着替えを与えると少女はまた笑って、もう大丈夫、とだけ言った。女はそうか、と答えるとその日は少女を抱いて眠りに就いた。普段見ていたゾッとするような不快な夢をその日見ることはなかった。
それから女はより一層人を殺した。街の人間の小さな依頼も死の危険がある大きな依頼も選ばなかった。そうして仕事が終わると必ず少女に土産を買って帰った。服や花や本、そのどれもが少女を笑顔にさせるには十分なものだった。帰るたびに傷を増やしてくる女を少女は案じたが、何かを深く尋ねてくることはなかった。
やがて女の元に、一人の人間が現れた。ミヤビと名乗ったその女は私と組まないかと提案してきた。ニヤニヤとした薄ら笑いを常に浮かべた気味の悪い女だった。これまでとは比べ物にならないほどの報酬を用意する、私の仕事を手伝って欲しい、ミヤビはそう言った。同業者達は皆忠告した。ミヤビには怪しげな人体実験をどこかの研究所で行っている、という話だった。だが女はミヤビの提案を承諾した。どんな方法であれ、金が必要だったのだ。女は密かに、小さな家に少女と二人で静かに暮らすことを夢見ていた。あり得ない心境の変化だと、我ながら可笑しかった。
女は働いた。その場で殺せとミヤビに言われればそうしたし、連れて帰れと言われれば四肢をへし折ってからミヤビの元へ持ち帰った。同業の中でも、女はほとんど最強の存在になっていた。忠実に働く女とそれに見合った報酬を与えるミヤビの間には信頼関係が芽生え始めた。しかし忙しくなるに連れて、女が少女と顔を合わせる機会は少しづつ減り始めた。
寂しい、少女はある夜ぽつりとそう言った。ありがとうと大丈夫以外で少女が口を開いたのは初めてだった。女はそうか、と答えると少し強く少女を抱きしめて眠った。その夜女は悪夢を見た。言いようのない焦燥感と不安に包まれる夢だった。それは目覚めた後も女を苦しめた。
ある日真剣な表情でミヤビは女を見つめた。私を信用しているか、とミヤビは問うた。女は頷いた。本心からだった。金の上で成立している契約は女にとって絶対であり、潜り抜けた死線の数もミヤビを信頼させるに足るものだった。続けてミヤビは私の命令で死ねるか、と問うた。しばらく考えた後、今は無理だ、と女は首を横に振った。ミヤビはニタリと笑うと、何か納得したようだった。質問の意図が掴めない女にミヤビは、それでいいのよ、と言った。ミヤビは左手を女に差し出した。信用の証よ、と加えた。女はそれを握った。それは絹のように滑らかで鉄のように冷たい手だった。
その夜、帰った女は玄関の暗闇の中で何かが足に当たって、転がるのを感じた。電気をつけた女は目を見張った。それは眼球だった。熱を帯び出した鉄板でちりちりと足元を焼かれるように感じた女は早足でカビ臭い居間に向かった。少女はそこでうつ伏せになって倒れていた。小声で唸る少女に女は駆け寄り、抱き起こした。朝家を出る時には右目が収まっていた場所に、ただ黒い穴だけがあった。吟味して選んだ白いワンピースは趣味の悪い赤の斑模様に変わっていた。少女はただ、大丈夫だよ、と何度も繰り返していた。女もまた何も言わずにそうか、とだけ答えた。
数週間後、ミヤビの研究所は襲撃を受けた。駆けつけたミヤビが目にしたのは、災害の後のように壊滅状態の設備と全職員の死体。施設の最深部にある彼女のデスクの上には中指を立てたまま切り離された何者かの右手がポツンと置いてあった。そして奇妙なことに全ての死体から右目だけが消えていた。
そして女はミヤビの前から姿を消した。
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