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1章 盗賊ラビス
1 もうそろそろ盗賊という職業を作ってもいいんじゃないかと俺は思います
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風景がぐるぐる回る。平らなはずの道はぐにゃりとうねり、目の先に見えている森は緑と茶の混ざったような変な色をしている。体の節々が悲鳴を上げている。もう動きたくない! しかし、ほんのわずかに残った理性をかき集めて、無理やり足を前に動かした。
「止まれカナデ! 止まるんだ!」
聞きなれた声が名を呼ぶ。いくつもの怒号に混じって、鋭く耳をついて響く。
(止まれるわけないだろうが、あのぼんぼん坊主め!)
頭の片隅で悪態をつきながら、森の中へと飛び込んだ。
刹那、左耳に強い衝撃が走った。
衝撃は鋭い痛みとなって体中に駆け巡り、思わず躓いて転んでしまった。矢が何本か迫ってくる。恐らくこれの
一つに当たってしまったのだろう。
(ここで止まるわけにはいかないんだ、あの子に会うまでは、止まるわけには……!)
激しい痛みの中、何とか体を動かして前へ進む。
ほとんど意識はなかった。ただ意志に従うように、衝動に駆られるように、けもの道をやみくもに走っていった。
1 もうそろそろ盗賊という職業を作ってもいいんじゃないかと俺は思います。
深夜、月も傾きかけたころ。肌寒い風がサッと吹き、はねた髪を揺らして行く。盗賊ラビスはいつものようにスキトーリ湖周辺を歩く。だらだらと歩いているように見えて、その目は貿易船の品定めをしている。スキトーリ湖は、この大陸「ケイプランドス」の南西に広がる大型の湖で、周辺の川も合わせて貿易の要となっている。毎日多くの貿易船がやってきては、盗賊たるこの俺、ラビスの獲物となる。貴金属類は大当たり、装飾品や芸術品も良く売れる。反対に日用品は安価で大外れだ。多くの貿易船は盗賊対策に頑丈な錠前を使ったり用心棒を雇ったりしているが、この俺様の前には無意味ってことよ。
いくつかの貿易船からありがたく頂戴していると、森の近くに動くものを見つけた。それはどうやら人間であるようで、地べたの上でぐっすりしながら寝返りを打っている。
(呑気な奴。金目の物持ってねぇかな)
俺はその人間―多分女だと思う―に短剣を構えながら近づいた。そして物色を始める。
(あまり目ぼしい物はねぇな。……おお、こいつ、刀を持ってるじゃねぇか。売れるとしたらこれくらいか)
刀は、意外と高値で取引される。芸術品として飾っても良し、溶かして金属として売っても良し、この物騒な世の中で生き延びるために護身用として使っても良し。質が良いものは何十万から何百万の値が付く。この俺様が見立てたところ、こいつが持っている刀は良く手入れがされている。しかも、所々に装飾模様が刻み込まれている。百万は下らないだろう。この金で何を買おうか。とりあえず短剣の手入れ費用と靴の修繕、あとは少し贅沢なものでも食べようか。
そう思いながら刀に手を伸ばすと、突然女の目がパッチリと開き、がっつりと目が合った。
(こいつ……起きてやがった!)
多少は驚いたものの、俺は盗賊、こんな女に負ける気がしない。俺は短剣を鞘から引き抜くと、女の首に当てがった。
「動くなよ。下手に抵抗すると死ぬぜ」
「死ぬのはどっちだよ」
女はぼそりと呟くと、素早く刀を抜いて俺の短剣を払った。そのスピードはなかなかのもので、目で追うのが精一杯だった。女は距離を取ると、刀を構えなおした。予想外のことだったとはいえ、自分の思い通りに事が進まなかったのに苛立ちを覚えた俺は、短剣を構えると、地面を蹴って飛び出した。真っすぐに狙うは首。掻き切って刀と共に命も頂戴してやる!
女は俺の攻撃を素早く躱すと、刀で足を狙ってきた。なるほど、機動力を削ぐつもりか。だが、相手も手負いのようである。まず左腕と左足、いくつか刺し傷ができていて、軸にはできそうもない。ということは、相手は右足を軸にして左手で攻撃するしかない。そしてその左腕の損傷具合を見ると、どうやら上下に動かすのは難しそうだ。
(つまり、右側から責めるべきだ)
俺としては刀はあまり傷つけずに手に入れたい。商品価値が下がるといけない。無理に短剣と刀でしのぎを削り合うのは得策ではないだろう。
俺は短剣を逆手で持ち直すと、もう一度首を狙って地面を蹴った。女との距離がぐっと近くなる。俺の行動は相手にも予想ができていたようで、相手は一歩後ろに下がって向かい打った。短剣が刀の柄で防がれ、俺は舌打ちをした。そしてこの女、なかなかの怪力女である。体重をかけて相手のバランスを崩そうとした俺を、ひょいと払いのけやがった。いや、怪力というよりは力の使い方が上手いと言った方が適切だろう。こいつはなかなか良い技術をもっている。ここで退いても良かったのだが、こんなヒョロヒョロ女に撤退させられたと思うのは癪に障るので、ボコボコにしてやろうと心に決めた。
「どうしてお前は私に突っかかってくるんだ? 暇なのか?」
語り掛けてくる女の言葉にムカムカしながら、脅すように返す。
「そりゃ決まってるだろ。この俺様が盗賊だからだよ」
「ほう、盗賊って暇なんだな」
「だから暇じゃねぇよ!」
どうも話のかみ合わない女に対して、吠えるように叫ぶ。こいつ、本当に何なんだ? ここスキトーリ湖に来る人間で、盗賊ラビス様を知らないだなんて、どんだけ頭がくるくるぱーなんだ。
一方女は、呆れ顔でこちらを見ている。そんな顔をしたいのは俺の方だ。というかこいつ、何で襲われているのに平然としてるんだよ。普通は叫ぶか泣くか命乞いをするもんだろ。貿易船の警備隊だってビビったり泣いたりするぞ?
とここで、俺は可笑しなことに気づいた。こいつが怖がらないのは腕っぷしに自信があるからということで片付けていいだろう。だが、こいつは何故、あの怪我で動けるんだ? 何故、手負いでありながらも俺を撥ね退けられたんだ? いくら技術があるとはいえ、こいつはお可笑しすぎる。
「お前、もしかしてカルロス軍の強化人間じゃねぇか?」
「強化……人間?」
「とぼけてんじゃねぇよ。暗黒帝カルロスが生体強化魔法で作った、超人のことだよ! お前、絶対にそうだろ!」
「あんこ……カルロス……誰だそれ? 餡子なのか?」
「餡子じゃねぇよ!」
はぁはぁと肩で息をしながら、俺は叫んだ。いったいどこのどいつが暗黒帝を餡子と間違えるんだよ! 今時、名門マテリア家の箱入りお嬢ですら知ってるぞ! そう怒鳴り返そうとしたとき、女はスッと目を細めた。先ほどの呆れ顔は何処へ行ったのか、今やすっかり戦士のような顔つきである。
(おっとぉ? 俺を殺しにくるか?)
俺も短剣を握る手に力を込める。さて、どのタイミングで動こうか。そう吟味していると、突然女が叫んだ。
「伏せろ!」
言われるがまま、俺は伏せた。次の瞬間、何かが俺のすぐ上を掠めた。それは弧を描いて俺の真後ろへと飛んでいき、気配もなく俺に近づいてきた者の手に収まった。
振り返った俺は、舌打ちをした。そこには、斧を握る大男の姿があった。あれで頭をかち割られたら、ひとたまりもないだろう。そして、そんな斧を軽々しく投げてくるような奴だ、とんでもない怪力だろう。
(狙いは俺か、あいつか……)
もし俺が狙いであったら、すぐに身を引くべきだ。正直に言えば、あんなやつにかなうとは思えない。だが、こんな奴に命を狙われる覚えなどない。……いや、確かに俺は盗賊だし、散々悪いことをやってきたが……だが、そういう奴を取り締まるのは防衛軍の仕事であって、こいつみたいな訳の分からん奴の仕事じゃねぇ!
俺は奴と距離を取りつつ、女を確認した。もしかしたら、野郎の狙いはこの女かもしれない。いや、そうであってほしい。女は刀を鞘に納めると、逃げるような体勢見せた。背を向けないように、ゆっくりと後ずさる。俺もゆっくりと後ずさる。奴は斧を構えると、斧を投げた。斧は弧を描きながら、まずは女に、次は俺に向かってくる。俺はそれをよけると、女をちらりと見た。向こうも上手く躱せたようだ。
(まずいな。野郎にとっては、俺とあいつを同時に相手するのは嫌なはずだ。だが、俺かあいつのどちらかに標準を絞ってきたら、ひとたまりもない。一方がやられている間にもう一方が逃げりゃ、どちらかは生き残れるが……問題は、どちらから先に狙ってくるか……)
俺は女の方を見た。女も俺の方を見た。どうやら思っていることは同じなようだ。
(共闘するしかねぇってことか)
俺は渋々、野郎と向き合った。
俺と女、そして斧の野郎。三すくみのように一定の距離を保って対峙する。俺は右手で短剣を強く握ると、左手を開いてさりげなく女に見せる。
(1、2、3!)
俺は左手を強く握った。そして斧野郎に向かって走り出す。左手の合図を確認した女も走り出す。俺は斧野郎の足を狙って短剣を振りかざした。しかし、それは躱され、代わりに斧が首をめがけて飛んでくる。俺は身をかがめてそれをなんとか避けた。その隙に女が斧野郎の心臓をめがけて刀を突きたてた。しかし、刀はまるで鋼鉄に当たったかのように弾かれた。俺と女はいそいそと距離を取る。俺は目を見開いた。斧野郎の破けた服の間から、肌が見えている。筋肉質でがっしりとしていて、とんでもない怪力であることは容易にうかがえる。しかし問題はそこではない。肌には墨のような黒で不思議な模様が描かれていた。いくつものひし形を敷き詰めたような幾何学模様だ。これには見覚えがある。
「お前、強化人間か……」
間違いない。あの模様は暗黒帝カルロスの模様だ。確か、暗黒帝の軍旗や教化人間の肌のどこかに刻まれていると聞いたことがある。こいつが強いのも納得がいく。俺は嫌な顔をしながら唾を地に吐いた。
女は再びこちらを見る。俺と女は同時に頷き、もう一度同時に攻撃を仕掛けた。仕掛けては振り払われ、また仕掛けては振り払われる。
(くそっ……埒が明かねぇ!)
何度目だろうか、振り払われ、体が地に叩きつけられる。目の端に星がちらつき、口の中が鉄臭くなる。その時、女がつんざくように叫んだ。
「耳の後ろ! 左耳の後ろだ!」
俺は考えるよりも早く、体を動かした。俺はちょうど斧野郎の左側にいて、斧野郎は女の攻撃で手いっぱいだ。
(左耳っ!)
俺は痛む体を動かし、斧野郎の耳を短剣で強く斬りつけた!
ガチンという嫌な金属音と共に、斧野郎はばたりと地面に倒れた。俺は脈を確かめた。どうやら生きてはいるようだ。
「なんだったんだよ……」
パワーもあるし攻撃も通らないしでなかなかの強敵だと思っていたが、たったの一撃で倒せてしまった。そしてその弱点をこの女は知っていた。もっと早く教えろっつーの! ……まあいい、命は助かったわけだし、あとは斧野郎に逆恨みでもされないように、適当な町医者のもとにでも放り込んでおくか。そんなことを考えながら斧野郎の持ち物に目ぼしいものはないかとあさっていると、不意に首に刀が突き付けられた。
(……そうだった、こいつも敵だった……!)
俺は嫌な汗をかきながら女を睨みつけた。ついにここで殺されるか、それともお縄につくか。というかこいつは本当に何者なんだ? おそらく明るくないであろう未来を想像し、俺はウンザリした。
「お前、暇な盗賊とか言ったな」
「暇じゃねぇよ」
「お前、私に協力しないか? 腕のいい奴を探しているんだ」
俺は女の提案を聞きつつ、視線を刀に向けた。
「断ったらどうする?」
「……」
俺の質問に、女は無言で答えた。刀の刃がさらに俺の首に近づく。
(拒否権はねぇじゃねーの。ただの脅しかよ)
選択肢がないことに少々嫌な気分になったが、イライラしたところで選択肢が増えるわけでもない。
「まあいいけどよ、お前は何をやりたいんだ? 盗賊なんて雇っても盗みくらいしかできねぇぞ」
「カルロスを倒す」
「…………」
こうして、俺のはちゃめちゃで現実性もなく危険かつ報酬のない旅が始まるのであった。
「止まれカナデ! 止まるんだ!」
聞きなれた声が名を呼ぶ。いくつもの怒号に混じって、鋭く耳をついて響く。
(止まれるわけないだろうが、あのぼんぼん坊主め!)
頭の片隅で悪態をつきながら、森の中へと飛び込んだ。
刹那、左耳に強い衝撃が走った。
衝撃は鋭い痛みとなって体中に駆け巡り、思わず躓いて転んでしまった。矢が何本か迫ってくる。恐らくこれの
一つに当たってしまったのだろう。
(ここで止まるわけにはいかないんだ、あの子に会うまでは、止まるわけには……!)
激しい痛みの中、何とか体を動かして前へ進む。
ほとんど意識はなかった。ただ意志に従うように、衝動に駆られるように、けもの道をやみくもに走っていった。
1 もうそろそろ盗賊という職業を作ってもいいんじゃないかと俺は思います。
深夜、月も傾きかけたころ。肌寒い風がサッと吹き、はねた髪を揺らして行く。盗賊ラビスはいつものようにスキトーリ湖周辺を歩く。だらだらと歩いているように見えて、その目は貿易船の品定めをしている。スキトーリ湖は、この大陸「ケイプランドス」の南西に広がる大型の湖で、周辺の川も合わせて貿易の要となっている。毎日多くの貿易船がやってきては、盗賊たるこの俺、ラビスの獲物となる。貴金属類は大当たり、装飾品や芸術品も良く売れる。反対に日用品は安価で大外れだ。多くの貿易船は盗賊対策に頑丈な錠前を使ったり用心棒を雇ったりしているが、この俺様の前には無意味ってことよ。
いくつかの貿易船からありがたく頂戴していると、森の近くに動くものを見つけた。それはどうやら人間であるようで、地べたの上でぐっすりしながら寝返りを打っている。
(呑気な奴。金目の物持ってねぇかな)
俺はその人間―多分女だと思う―に短剣を構えながら近づいた。そして物色を始める。
(あまり目ぼしい物はねぇな。……おお、こいつ、刀を持ってるじゃねぇか。売れるとしたらこれくらいか)
刀は、意外と高値で取引される。芸術品として飾っても良し、溶かして金属として売っても良し、この物騒な世の中で生き延びるために護身用として使っても良し。質が良いものは何十万から何百万の値が付く。この俺様が見立てたところ、こいつが持っている刀は良く手入れがされている。しかも、所々に装飾模様が刻み込まれている。百万は下らないだろう。この金で何を買おうか。とりあえず短剣の手入れ費用と靴の修繕、あとは少し贅沢なものでも食べようか。
そう思いながら刀に手を伸ばすと、突然女の目がパッチリと開き、がっつりと目が合った。
(こいつ……起きてやがった!)
多少は驚いたものの、俺は盗賊、こんな女に負ける気がしない。俺は短剣を鞘から引き抜くと、女の首に当てがった。
「動くなよ。下手に抵抗すると死ぬぜ」
「死ぬのはどっちだよ」
女はぼそりと呟くと、素早く刀を抜いて俺の短剣を払った。そのスピードはなかなかのもので、目で追うのが精一杯だった。女は距離を取ると、刀を構えなおした。予想外のことだったとはいえ、自分の思い通りに事が進まなかったのに苛立ちを覚えた俺は、短剣を構えると、地面を蹴って飛び出した。真っすぐに狙うは首。掻き切って刀と共に命も頂戴してやる!
女は俺の攻撃を素早く躱すと、刀で足を狙ってきた。なるほど、機動力を削ぐつもりか。だが、相手も手負いのようである。まず左腕と左足、いくつか刺し傷ができていて、軸にはできそうもない。ということは、相手は右足を軸にして左手で攻撃するしかない。そしてその左腕の損傷具合を見ると、どうやら上下に動かすのは難しそうだ。
(つまり、右側から責めるべきだ)
俺としては刀はあまり傷つけずに手に入れたい。商品価値が下がるといけない。無理に短剣と刀でしのぎを削り合うのは得策ではないだろう。
俺は短剣を逆手で持ち直すと、もう一度首を狙って地面を蹴った。女との距離がぐっと近くなる。俺の行動は相手にも予想ができていたようで、相手は一歩後ろに下がって向かい打った。短剣が刀の柄で防がれ、俺は舌打ちをした。そしてこの女、なかなかの怪力女である。体重をかけて相手のバランスを崩そうとした俺を、ひょいと払いのけやがった。いや、怪力というよりは力の使い方が上手いと言った方が適切だろう。こいつはなかなか良い技術をもっている。ここで退いても良かったのだが、こんなヒョロヒョロ女に撤退させられたと思うのは癪に障るので、ボコボコにしてやろうと心に決めた。
「どうしてお前は私に突っかかってくるんだ? 暇なのか?」
語り掛けてくる女の言葉にムカムカしながら、脅すように返す。
「そりゃ決まってるだろ。この俺様が盗賊だからだよ」
「ほう、盗賊って暇なんだな」
「だから暇じゃねぇよ!」
どうも話のかみ合わない女に対して、吠えるように叫ぶ。こいつ、本当に何なんだ? ここスキトーリ湖に来る人間で、盗賊ラビス様を知らないだなんて、どんだけ頭がくるくるぱーなんだ。
一方女は、呆れ顔でこちらを見ている。そんな顔をしたいのは俺の方だ。というかこいつ、何で襲われているのに平然としてるんだよ。普通は叫ぶか泣くか命乞いをするもんだろ。貿易船の警備隊だってビビったり泣いたりするぞ?
とここで、俺は可笑しなことに気づいた。こいつが怖がらないのは腕っぷしに自信があるからということで片付けていいだろう。だが、こいつは何故、あの怪我で動けるんだ? 何故、手負いでありながらも俺を撥ね退けられたんだ? いくら技術があるとはいえ、こいつはお可笑しすぎる。
「お前、もしかしてカルロス軍の強化人間じゃねぇか?」
「強化……人間?」
「とぼけてんじゃねぇよ。暗黒帝カルロスが生体強化魔法で作った、超人のことだよ! お前、絶対にそうだろ!」
「あんこ……カルロス……誰だそれ? 餡子なのか?」
「餡子じゃねぇよ!」
はぁはぁと肩で息をしながら、俺は叫んだ。いったいどこのどいつが暗黒帝を餡子と間違えるんだよ! 今時、名門マテリア家の箱入りお嬢ですら知ってるぞ! そう怒鳴り返そうとしたとき、女はスッと目を細めた。先ほどの呆れ顔は何処へ行ったのか、今やすっかり戦士のような顔つきである。
(おっとぉ? 俺を殺しにくるか?)
俺も短剣を握る手に力を込める。さて、どのタイミングで動こうか。そう吟味していると、突然女が叫んだ。
「伏せろ!」
言われるがまま、俺は伏せた。次の瞬間、何かが俺のすぐ上を掠めた。それは弧を描いて俺の真後ろへと飛んでいき、気配もなく俺に近づいてきた者の手に収まった。
振り返った俺は、舌打ちをした。そこには、斧を握る大男の姿があった。あれで頭をかち割られたら、ひとたまりもないだろう。そして、そんな斧を軽々しく投げてくるような奴だ、とんでもない怪力だろう。
(狙いは俺か、あいつか……)
もし俺が狙いであったら、すぐに身を引くべきだ。正直に言えば、あんなやつにかなうとは思えない。だが、こんな奴に命を狙われる覚えなどない。……いや、確かに俺は盗賊だし、散々悪いことをやってきたが……だが、そういう奴を取り締まるのは防衛軍の仕事であって、こいつみたいな訳の分からん奴の仕事じゃねぇ!
俺は奴と距離を取りつつ、女を確認した。もしかしたら、野郎の狙いはこの女かもしれない。いや、そうであってほしい。女は刀を鞘に納めると、逃げるような体勢見せた。背を向けないように、ゆっくりと後ずさる。俺もゆっくりと後ずさる。奴は斧を構えると、斧を投げた。斧は弧を描きながら、まずは女に、次は俺に向かってくる。俺はそれをよけると、女をちらりと見た。向こうも上手く躱せたようだ。
(まずいな。野郎にとっては、俺とあいつを同時に相手するのは嫌なはずだ。だが、俺かあいつのどちらかに標準を絞ってきたら、ひとたまりもない。一方がやられている間にもう一方が逃げりゃ、どちらかは生き残れるが……問題は、どちらから先に狙ってくるか……)
俺は女の方を見た。女も俺の方を見た。どうやら思っていることは同じなようだ。
(共闘するしかねぇってことか)
俺は渋々、野郎と向き合った。
俺と女、そして斧の野郎。三すくみのように一定の距離を保って対峙する。俺は右手で短剣を強く握ると、左手を開いてさりげなく女に見せる。
(1、2、3!)
俺は左手を強く握った。そして斧野郎に向かって走り出す。左手の合図を確認した女も走り出す。俺は斧野郎の足を狙って短剣を振りかざした。しかし、それは躱され、代わりに斧が首をめがけて飛んでくる。俺は身をかがめてそれをなんとか避けた。その隙に女が斧野郎の心臓をめがけて刀を突きたてた。しかし、刀はまるで鋼鉄に当たったかのように弾かれた。俺と女はいそいそと距離を取る。俺は目を見開いた。斧野郎の破けた服の間から、肌が見えている。筋肉質でがっしりとしていて、とんでもない怪力であることは容易にうかがえる。しかし問題はそこではない。肌には墨のような黒で不思議な模様が描かれていた。いくつものひし形を敷き詰めたような幾何学模様だ。これには見覚えがある。
「お前、強化人間か……」
間違いない。あの模様は暗黒帝カルロスの模様だ。確か、暗黒帝の軍旗や教化人間の肌のどこかに刻まれていると聞いたことがある。こいつが強いのも納得がいく。俺は嫌な顔をしながら唾を地に吐いた。
女は再びこちらを見る。俺と女は同時に頷き、もう一度同時に攻撃を仕掛けた。仕掛けては振り払われ、また仕掛けては振り払われる。
(くそっ……埒が明かねぇ!)
何度目だろうか、振り払われ、体が地に叩きつけられる。目の端に星がちらつき、口の中が鉄臭くなる。その時、女がつんざくように叫んだ。
「耳の後ろ! 左耳の後ろだ!」
俺は考えるよりも早く、体を動かした。俺はちょうど斧野郎の左側にいて、斧野郎は女の攻撃で手いっぱいだ。
(左耳っ!)
俺は痛む体を動かし、斧野郎の耳を短剣で強く斬りつけた!
ガチンという嫌な金属音と共に、斧野郎はばたりと地面に倒れた。俺は脈を確かめた。どうやら生きてはいるようだ。
「なんだったんだよ……」
パワーもあるし攻撃も通らないしでなかなかの強敵だと思っていたが、たったの一撃で倒せてしまった。そしてその弱点をこの女は知っていた。もっと早く教えろっつーの! ……まあいい、命は助かったわけだし、あとは斧野郎に逆恨みでもされないように、適当な町医者のもとにでも放り込んでおくか。そんなことを考えながら斧野郎の持ち物に目ぼしいものはないかとあさっていると、不意に首に刀が突き付けられた。
(……そうだった、こいつも敵だった……!)
俺は嫌な汗をかきながら女を睨みつけた。ついにここで殺されるか、それともお縄につくか。というかこいつは本当に何者なんだ? おそらく明るくないであろう未来を想像し、俺はウンザリした。
「お前、暇な盗賊とか言ったな」
「暇じゃねぇよ」
「お前、私に協力しないか? 腕のいい奴を探しているんだ」
俺は女の提案を聞きつつ、視線を刀に向けた。
「断ったらどうする?」
「……」
俺の質問に、女は無言で答えた。刀の刃がさらに俺の首に近づく。
(拒否権はねぇじゃねーの。ただの脅しかよ)
選択肢がないことに少々嫌な気分になったが、イライラしたところで選択肢が増えるわけでもない。
「まあいいけどよ、お前は何をやりたいんだ? 盗賊なんて雇っても盗みくらいしかできねぇぞ」
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