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■終/空見尚理、生きていく
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夏休みが終わって、秋になった。
横浜市立定道高校野球部四番バッターの刹樹竜哉が、他校との練習試合で打ったホームランボールは、僕が拾いに行くことになった。
三年生が引退して、キャプテンになった彼はますますそのバッティングに磨きをかけている。監督も、もしかしたら次は勝てるかもしれないなんて浮かれていた。
——にしたって、部外者の僕が拾いに行くのはどうなんだ。
いい加減働けよ、マネージャー。
そういえば、夢子さんを見つけたのも丁度こんな時だったっけ。そんなことを思い出して、つい僕はボール拾いのついでに周囲に人影を探してしまう。
「……」
いるはずない、か。というより、そもそも見えるはずがない。
あの人とお別れしてから、僕の目は幽霊を見ることができなくなった。だから、いくら探しても夢子さんはおろか、他の幽霊だって見つけることはできないだろう。
そのことに少しばかりの寂しさを感じつつも、僕は首を横に振る。いけないいけない、これじゃ夢子さんに怒られてしまう。彼女の言うとおり、前を向かなきゃ。
「あ」
顔を上げると、三メートルほど離れた生け垣の中にボールを見つけた。あれだ。
それを拾い上げて、一息つく。さぁ戻ろう。振り返って、裏山からグラウンドへ戻ろうとしたその時だった。
「見つかったんすか、ボール」
方邊くんが帽子を脱いで、そんな風に話しかけてきた。
「え? あ、ああ。うん、あったよ」
「……んだよ、やっぱり俺が来る必要なかったじゃねーのよ……」
大方、監督か刹樹に言われて来たのだろう。不機嫌そうに吐き捨てて、僕を見る。
それにしたって試合中に出てきて良かったのか。いくらまだ打順が先だとは言え、攻守交代したらどうするつもりなんだ、監督は。
「でも良かった。意外と元気そうじゃないすか」
「は」
「まぁばっちり見ててくださいよ。試合、勝ってきますから」
方邊くんは僕からボールを奪い取って、さっさと一人でグラウンドに戻ってしまう。
勝手に来て、勝手に喋って、勝手に戻るなんて。
「……なんなんだよ」
でも、不思議といままでのような棘を彼からは感じない。もしかしたら、勝手に壁を作っていたのは僕の方だったのかも知れなかった。
●
「また野球部に顔出してたでしょ」
「……ばれてた?」
練習試合の観戦もそこそこに、僕は校舎に戻った。すると、下駄箱で般若の如く怒りに顔を歪めた女子生徒が僕を待ち受けていた。
「んなもん、窓からグラウンド見れば一発でばれるわよ!」
十方院清花さんだ。
隣にいるご先祖様と顔そっくりなんだけど。そんなこと口が裂けても言えない。
……あれ? そういえば、幽霊は見えなくなったはずなのに、どうして彼女のご先祖様はまだ見えるんだろうか。たしか一族にしか見えないはずなんじゃ。まさか僕が一族になるわけでもなし……そんな疑問を察するはずもなく、十方院さんは立て続けに僕を叱った。
「文化祭まで時間がないんだからこっちに集中してって何度も私言ったわよね!?」
「め、面目ない」
怪我を理由に野球部を退部した僕は、十方院さんに誘われるがまま漫研に所属を移していた。三年生が受験を理由にいなくなって、部員枠に空きが出たらしい。
彼女が怒っているのは他でもないその漫研で、文化祭に出す部誌の原稿のことだ。
漫画研究部といいつつ、提出するのはイラスト一点でも構わないらしい。だけど、つい最近絵を描き始めた僕が他人に見せるためのイラストなんて描けるはずがない。
「僕なんかが描いても部誌の品質低下を招くだけじゃ」
だから正直にそれを言う。だって、まだ地震が来たような線しか引けないし。
「空見くん」
すると十方院さんは菩薩のように穏やかな笑みを浮かべる。よかった、分かって貰えて、
「——座禅組ませてぶっ飛ばすわよ」
なかった。
一度マジに座禅を組まされたことがある。あれは、人がやることじゃない。ましてや怒り心頭の十方院さんの目の前で精神集中なんて出来るはずもない。ありゃ鬼だ。
「はい、すみませんでした」
素直に謝って、一緒に部室に向かうことにした。
「それで、描く物は決まったの?」
十方院さんの問いに、僕は歩みを止めた。左手の三角巾は、もう取れている。だから絵ももう不自由なく描ける。だけど、なにを描くべきかずっと悩んでいた。
「なに笑ってるのよ」
「ああ、ごめん。なんでもないよ」
でも、もう悩まなくて良いかな。
僕は自分が初めて描いた絵を、もう一度最初から描き直すことに決めた。
●
「おかえり」
「あ、ただいま」
部活を終えて家に戻ると、叔父さんが先に帰ってきていた。コンビニ弁当が食卓に並んでいる。からあげ弁当だった。
「すまん、今日もこれで我慢してくれるか」
叔父さんが所在なさげにうろうろとキッチンをうろつきながら、そんな風に言った。
「いいよ。コンビニ弁当、好きだから」
「……もう少し、料理とか覚えられればな」
冷蔵庫から麦茶を取り出した彼が自分の手を見てうなだれている。いつもの愚痴だ。
「叔父さんも忙しいでしょ。無理しないで」
「だけどな」
「いいっていいって」
これ以上迷惑はかけられないし、料理なら僕がいま勉強中だ。
「……すまん」
叔父さんは、ことあるごとにこんな風に僕に頭を下げる。
あの夏、僕がこの家に戻ってからずっとこんな調子だ。ちゃんと家族になろう、と開口一番言われたときは驚いた。複雑だったけれど、僕はそれに頷きで返した。とりあえず敬語をやめるところからスタートしたけど、まだまだぎこちない。
でも、あの窮屈な同居生活からは随分と気が楽になった。いいことだと思う。
「尚理。文化祭って、父兄も行けるのか」
「え……」
そんなぎこちなさにくすぐられながら僕が席に着くと、いきなりそんなことを聞いてくる。
「だ、大丈夫だけど……来るの?」
「漫研に入ったんだろ。見たくてな」
「や、やめてよ。まだ下手くそだって」
見知らぬ他人にすら抵抗があるのに、家族になんてとてもじゃないけど見せられない。なんて申し出だ。身の危険すら感じる。
しかし、
「兄さんの代わりに、家族として見ておきたい」
父を盾にされると僕も弱い。最近叔父さんが使うようになった殺し文句だ。だけど今日は負けるわけにはいかなかった。絶対に来て欲しくない。視線と視線がぶつかる。
「…………」
「…………」
だけど、先に視線を逸らしたのは、僕だった。
「……わかった、僕の負け。頑張るよ」
「ああ、頑張れ。それと、明日は定期検診だ。部活も良いが早く帰ってこいよ」
「うん、わかった」
満足そうに彼が頷く。僕は肩を竦めた。こりゃ気合いを入れなきゃだ。
「——なぁ、尚理」
「うん?」
「頑張るよ」
「……」
「兄さんが、言ってたんだ。俺にもしもの事があったら、義姉さんや尚理のことを、よろしくって」
「…………そう、だったの」
初めて聞いた事実に、僕は一瞬目の前が白くなった。
そうか。
「いままで、兄さんが死んだことを信じたくなかったのかも知れない。だから、お前のことをないがしろにしてしまった……だけど今は違う。俺はお前と、本物になりたい」
「……大丈夫、だよ」
そうだったんだ。
父さんも、母さんも。
僕のことを叔父さんに任せていたから、安心して逝ったんだね。
「大丈夫だよ、叔父さん」
「なんだ尚理、泣いてるのか」
「ううん、泣いてない。泣いてなんかないよ」
なら、うん、大丈夫だ。
きっと、僕らはいまよりずっと強く、繋がれる。
「——それじゃ、食おう。いただきます」
「うん、いただきます」
叔父さんと一緒に食べるお弁当は、おいしかった。
まだ叔父さんとただの同居人でしかなかった頃じゃ考えられなかったけど、いまはなんだか彼と一緒に食事をとるのが酷く懐かしく感じた。
これも、僕らが家族として近づけている証拠なのかもしれない。
そんな風に、僕は思った。
●
あの時、先輩が僕に遺した白いシュシュは、どういうわけかまだ手元にある。そしてそれを見る度に、やはり僕は彼女のことを思い出すのだ。
……まだ、先輩のことを思うと、ときどき胸が痛む。彼女がいなくなったことを受け入れつつも、その苦しさだけはどうしても誤魔化せなかった。
でももう、きっと大丈夫。
僕には友達が出来た。家族もいる。
だから、安心して見ていてください、夢子さん。
僕は絶対にあなたのことを忘れないけど。
でも、いつかあなたは思い出になってしまうけど。
あなたがくれた大切な時間を胸に、前を向いて生きていこうって、決めましたから。
ゆめこさん、みえてる——了
横浜市立定道高校野球部四番バッターの刹樹竜哉が、他校との練習試合で打ったホームランボールは、僕が拾いに行くことになった。
三年生が引退して、キャプテンになった彼はますますそのバッティングに磨きをかけている。監督も、もしかしたら次は勝てるかもしれないなんて浮かれていた。
——にしたって、部外者の僕が拾いに行くのはどうなんだ。
いい加減働けよ、マネージャー。
そういえば、夢子さんを見つけたのも丁度こんな時だったっけ。そんなことを思い出して、つい僕はボール拾いのついでに周囲に人影を探してしまう。
「……」
いるはずない、か。というより、そもそも見えるはずがない。
あの人とお別れしてから、僕の目は幽霊を見ることができなくなった。だから、いくら探しても夢子さんはおろか、他の幽霊だって見つけることはできないだろう。
そのことに少しばかりの寂しさを感じつつも、僕は首を横に振る。いけないいけない、これじゃ夢子さんに怒られてしまう。彼女の言うとおり、前を向かなきゃ。
「あ」
顔を上げると、三メートルほど離れた生け垣の中にボールを見つけた。あれだ。
それを拾い上げて、一息つく。さぁ戻ろう。振り返って、裏山からグラウンドへ戻ろうとしたその時だった。
「見つかったんすか、ボール」
方邊くんが帽子を脱いで、そんな風に話しかけてきた。
「え? あ、ああ。うん、あったよ」
「……んだよ、やっぱり俺が来る必要なかったじゃねーのよ……」
大方、監督か刹樹に言われて来たのだろう。不機嫌そうに吐き捨てて、僕を見る。
それにしたって試合中に出てきて良かったのか。いくらまだ打順が先だとは言え、攻守交代したらどうするつもりなんだ、監督は。
「でも良かった。意外と元気そうじゃないすか」
「は」
「まぁばっちり見ててくださいよ。試合、勝ってきますから」
方邊くんは僕からボールを奪い取って、さっさと一人でグラウンドに戻ってしまう。
勝手に来て、勝手に喋って、勝手に戻るなんて。
「……なんなんだよ」
でも、不思議といままでのような棘を彼からは感じない。もしかしたら、勝手に壁を作っていたのは僕の方だったのかも知れなかった。
●
「また野球部に顔出してたでしょ」
「……ばれてた?」
練習試合の観戦もそこそこに、僕は校舎に戻った。すると、下駄箱で般若の如く怒りに顔を歪めた女子生徒が僕を待ち受けていた。
「んなもん、窓からグラウンド見れば一発でばれるわよ!」
十方院清花さんだ。
隣にいるご先祖様と顔そっくりなんだけど。そんなこと口が裂けても言えない。
……あれ? そういえば、幽霊は見えなくなったはずなのに、どうして彼女のご先祖様はまだ見えるんだろうか。たしか一族にしか見えないはずなんじゃ。まさか僕が一族になるわけでもなし……そんな疑問を察するはずもなく、十方院さんは立て続けに僕を叱った。
「文化祭まで時間がないんだからこっちに集中してって何度も私言ったわよね!?」
「め、面目ない」
怪我を理由に野球部を退部した僕は、十方院さんに誘われるがまま漫研に所属を移していた。三年生が受験を理由にいなくなって、部員枠に空きが出たらしい。
彼女が怒っているのは他でもないその漫研で、文化祭に出す部誌の原稿のことだ。
漫画研究部といいつつ、提出するのはイラスト一点でも構わないらしい。だけど、つい最近絵を描き始めた僕が他人に見せるためのイラストなんて描けるはずがない。
「僕なんかが描いても部誌の品質低下を招くだけじゃ」
だから正直にそれを言う。だって、まだ地震が来たような線しか引けないし。
「空見くん」
すると十方院さんは菩薩のように穏やかな笑みを浮かべる。よかった、分かって貰えて、
「——座禅組ませてぶっ飛ばすわよ」
なかった。
一度マジに座禅を組まされたことがある。あれは、人がやることじゃない。ましてや怒り心頭の十方院さんの目の前で精神集中なんて出来るはずもない。ありゃ鬼だ。
「はい、すみませんでした」
素直に謝って、一緒に部室に向かうことにした。
「それで、描く物は決まったの?」
十方院さんの問いに、僕は歩みを止めた。左手の三角巾は、もう取れている。だから絵ももう不自由なく描ける。だけど、なにを描くべきかずっと悩んでいた。
「なに笑ってるのよ」
「ああ、ごめん。なんでもないよ」
でも、もう悩まなくて良いかな。
僕は自分が初めて描いた絵を、もう一度最初から描き直すことに決めた。
●
「おかえり」
「あ、ただいま」
部活を終えて家に戻ると、叔父さんが先に帰ってきていた。コンビニ弁当が食卓に並んでいる。からあげ弁当だった。
「すまん、今日もこれで我慢してくれるか」
叔父さんが所在なさげにうろうろとキッチンをうろつきながら、そんな風に言った。
「いいよ。コンビニ弁当、好きだから」
「……もう少し、料理とか覚えられればな」
冷蔵庫から麦茶を取り出した彼が自分の手を見てうなだれている。いつもの愚痴だ。
「叔父さんも忙しいでしょ。無理しないで」
「だけどな」
「いいっていいって」
これ以上迷惑はかけられないし、料理なら僕がいま勉強中だ。
「……すまん」
叔父さんは、ことあるごとにこんな風に僕に頭を下げる。
あの夏、僕がこの家に戻ってからずっとこんな調子だ。ちゃんと家族になろう、と開口一番言われたときは驚いた。複雑だったけれど、僕はそれに頷きで返した。とりあえず敬語をやめるところからスタートしたけど、まだまだぎこちない。
でも、あの窮屈な同居生活からは随分と気が楽になった。いいことだと思う。
「尚理。文化祭って、父兄も行けるのか」
「え……」
そんなぎこちなさにくすぐられながら僕が席に着くと、いきなりそんなことを聞いてくる。
「だ、大丈夫だけど……来るの?」
「漫研に入ったんだろ。見たくてな」
「や、やめてよ。まだ下手くそだって」
見知らぬ他人にすら抵抗があるのに、家族になんてとてもじゃないけど見せられない。なんて申し出だ。身の危険すら感じる。
しかし、
「兄さんの代わりに、家族として見ておきたい」
父を盾にされると僕も弱い。最近叔父さんが使うようになった殺し文句だ。だけど今日は負けるわけにはいかなかった。絶対に来て欲しくない。視線と視線がぶつかる。
「…………」
「…………」
だけど、先に視線を逸らしたのは、僕だった。
「……わかった、僕の負け。頑張るよ」
「ああ、頑張れ。それと、明日は定期検診だ。部活も良いが早く帰ってこいよ」
「うん、わかった」
満足そうに彼が頷く。僕は肩を竦めた。こりゃ気合いを入れなきゃだ。
「——なぁ、尚理」
「うん?」
「頑張るよ」
「……」
「兄さんが、言ってたんだ。俺にもしもの事があったら、義姉さんや尚理のことを、よろしくって」
「…………そう、だったの」
初めて聞いた事実に、僕は一瞬目の前が白くなった。
そうか。
「いままで、兄さんが死んだことを信じたくなかったのかも知れない。だから、お前のことをないがしろにしてしまった……だけど今は違う。俺はお前と、本物になりたい」
「……大丈夫、だよ」
そうだったんだ。
父さんも、母さんも。
僕のことを叔父さんに任せていたから、安心して逝ったんだね。
「大丈夫だよ、叔父さん」
「なんだ尚理、泣いてるのか」
「ううん、泣いてない。泣いてなんかないよ」
なら、うん、大丈夫だ。
きっと、僕らはいまよりずっと強く、繋がれる。
「——それじゃ、食おう。いただきます」
「うん、いただきます」
叔父さんと一緒に食べるお弁当は、おいしかった。
まだ叔父さんとただの同居人でしかなかった頃じゃ考えられなかったけど、いまはなんだか彼と一緒に食事をとるのが酷く懐かしく感じた。
これも、僕らが家族として近づけている証拠なのかもしれない。
そんな風に、僕は思った。
●
あの時、先輩が僕に遺した白いシュシュは、どういうわけかまだ手元にある。そしてそれを見る度に、やはり僕は彼女のことを思い出すのだ。
……まだ、先輩のことを思うと、ときどき胸が痛む。彼女がいなくなったことを受け入れつつも、その苦しさだけはどうしても誤魔化せなかった。
でももう、きっと大丈夫。
僕には友達が出来た。家族もいる。
だから、安心して見ていてください、夢子さん。
僕は絶対にあなたのことを忘れないけど。
でも、いつかあなたは思い出になってしまうけど。
あなたがくれた大切な時間を胸に、前を向いて生きていこうって、決めましたから。
ゆめこさん、みえてる——了
応援ありがとうございます!
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