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■15/夢子さん、信じる。(下)
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「……は?」
そこで、僕の足は止まった。先輩は僕の顔を見たが、僕はアナウンスに集中するように空を見上げた。いま、僕が呼ばれたのか?
『空見、来てるんだろ』
今度は、男性が僕の名前を呼んだ。周りの人達が不思議がって、僕と同じように視線を泳がせる。
『野球部は——俺は、お前を待ってる。家出なんてやめて、帰って来いよ』
間違いない、刹樹竜哉の声だった。
『お前が怪我で野球出来ないっていうなら、見てて欲しいんだ。ずっと一人で練習してたお前の代わりに、俺がお前の野球をする』
なんだ。なんなんだ。どうしてここで刹樹が出てくるんだ。
それで、刹樹が僕の野球をする? 意味が分からない。
『だから頼む。お前がいないと、』
僕がいないからなんだというのだ。もう僕はそっちに戻る気はない。刹樹が僕に呼びかけようと、僕にはまったく関係のないことだ。
スピーカーの音が割れる。甲高いハウリング音が周りの音を掻き消して、次に聞こえてきたのはガタガタと忙しない物音。
『空見先輩、聞いてるんすよね』
「なん——ッなんだよ!」
今度は方邊潔——あの嫌味な後輩がマイクを変わったらしい。僕はむーこ先輩以外に届かない声で虚空に叫ぶ。
『聞いてるってことで、聞いてください』
「キミの言葉なんて、僕は聞きたくない!」
どうしてそこでキミまで出てくるんだ。
『先輩、俺言いましたよね。ライバルが欲しいって。アンタがいないと、部が締まらないんだよ。どいつもこいつもやる気がなくてさ。だから試合に勝てねーんだって、これは関係ないっすね』
「……なにを今更」
本当に今更だ。部が締まらない? そんなはずないだろ。
万年球拾いだぞ、僕は。まともに練習に参加も出来ない僕がいたところで、野球部の士気なんて上がるはずがない。大体、僕はもう野球を失ったんだ。
本当に、なんて、白々しい。
『あー、あのさ』
伝わるはずのない僕の気持ちに、しかし方邊くんは解答を用意していた。
『野球部全員、アンタの自主練のこと知ってんだよ』
「——っ」
『随分前に俺が教えた。だから試合にも出られねー奴が誰より練習してること、みんな知ってる。それでやる気出した部員はたくさんいるんすよ。必要なんだ、先輩が』
聞きたくない、聞きたくない、聞きたくない!
「もうたくさんだ! 僕は手に入れるんだ、ずっと先輩と一緒にいるんだ! 大体キミは僕が嫌いなんだろ! いまさら僕が必要だなんてどの口が言ってんだよ! 僕から自由を奪おうとするな! 放っておいてくれ!」
『なぁ、先輩。覚えてるか』
なにをだ。キミとの付き合いで覚えるに値する出来事があるわけないだろ。
『バッティングセンターで、勝負したっすよね、俺たち』
「……!」
『それで、俺が勝った。俺が勝ったら……なんて言ったか、忘れたとは言わせない』
僕がなんでも、方邊くんの言うことを聞く。
『…………俺、もっとアンタと野球がしたい。戻ってきてください』
最後に、方邊くんはいつも僕につっかかってくるような時とは全く違う、真っ直ぐな声色で、そう言った。放送は、そこで終わった。BGMの音量が元の大きさに戻る。
「やめろよ! もう僕なんて潔く忘れてろよ!」
「……た、尚理くん」
先輩の怯えた声に、はっと我に返る。
「す、すみません」
慌てて彼女の顔を見る。でも、先輩は僕の眼を見ていなかった。
「違うの。う、後ろ……」
「は」
後ろ?
嫌な予感にじわりと胸が締め付けられて、先輩が見ている方向に僕も振り向く。
「——目は覚めたかしら、バカ」
振り向き終わると同時に、タイミング良く十方院清花が言った。
「そん、な……」
僕の姿は見えていないはずなのに、彼女の瞳は痛いくらいに僕を睨んでいる。隣には、彼女のご先祖様である般若面の幽霊が仁王立ちしていた。
「確かに私にはキミの姿が見えない。だけど、初代住職がここにいるって教えてくれたわ。監視させておいて正解だったようね。昼頃に帰ってきて、キミがここに来るって教えて貰わなければ手の打ちようがなかったもの」
「……っ」
そうか。僕の姿は他人には見えない。だけど、相手が幽霊なら話は別だ。
盲点だった。誰の目も気にせずにいられると思ったのに。
「一体、いつから」
疑問を察したように十方院さんは答える。
「キミが最後に私に姿を見せたときからよ。なんだか空見くんから危うい感じがしたから、お願いしたの」
「ずっと一緒だったっていうのか」
僕と先輩が二人で過ごしている間、ずっと。まったく気が付かなかった。般若面に黒装束なんて目立つ格好をしているにもかかわらずだ。
「まったく。こんなことになるまで幽霊に近付くなんて、本物のバカだったようね」
本気であきれかえった声で、彼女は続ける。
「刹樹くんと方邊くんは私が呼んだ。私はともかく、彼らなら説得できると思って」
「出来るはずないだろ」
「出来るはずない、どうでもいいなんて思っていそうね。そうじゃなければ、幽霊になることを自ら選ぶわけがないもの」
「……」
どうして、彼女はここまで僕のことを見抜いているんだ。互いに平行線で、向こうは僕の声が聞こえるわけもないのに。会話なんて、成り立つはずがないのに。
「それじゃあ、私からも一言いいかしら」
良くない。
「——大バカ者とはいえ、折角新しく出来た友達だもの」
それ以上続けるな。言うな。
「これからも仲良くして欲しいと思うのは、私のわがままかしら?」
僕に、手を差し伸べるな。
「尚理くん!!」
むーこ先輩が呼ぶのも構わず、気が付けば僕の足は駆け出していた。
逃げ出すように、階段を駆け下りる。
『——尚理。帰ってこい』
スピーカーを通して、終わったはずの迷子のアナウンスから聞こえてきたのは、誰の声だったのか。もう、分からない。
分かりたくもなかった。
○
幽霊になったら、なにをしよう。
むーこ先輩と一緒にいると決めてから、頭の片隅ではそんなことばかり考えていた。
毎日彼女と一緒なら、なにも怖くない。それは間違いない。
だけど、一つだけ不安がある。考えても仕方のないような、些細なこと。
両親のことだ。
僕は三年前のあの事故で、一人だけ生き残ってしまった。父さんも母さんも、僕の目の前から一瞬でいなくなってしまった。
——そこに、彼らは悔いを遺していなかったのだろうか。
どうしてそんなことを考えてしまうのか、理由は分かっている。
幽霊が見えるようになっても、僕の目の前に二人は現れてくれなかったからだ。
成仏、している。
それは、両親が僕を見捨てたというようにも取れる。僕という子供から解放されて、思い残すことなく逝ったのでは、と。
そんな風に、考えるだけで吐き気がする残酷な想像をせずにはいられない。
……でも。もしも。
このまま幽霊になって、時間も距離も束縛されない自由を手に入れたなら。
僕はもしかしたら、もう一度二人に出逢えるのではないか。あの頃のように話すことが出来るのではないか。
結局、僕は信じたくなかったのだ。いや、信じたかった。
両親が僕のことを愛していたと、確認したかった。
だから探すんだ。
むーこ先輩と一緒に、どこか別の場所にいるかもしれない二人を、見つけたい。
方邊毅さんの時と同じように、徒労に終わろうとも。
両親が本当に成仏していたとしても。
僕は彼らが何を考えて生きて、何を考えて死んだのか、知りたいのだ。
そのためならなんだってする。
幽霊になるのだって怖くない。
なのに、どうして。
みんなは僕に生きろと、言うのだろうか。
○
どれくらい、歩いただろう。
「見つけた」
電車にも乗らずに戻ってきた地元のグラウンドで、僕に話しかけたのはむーこ先輩だった。先輩の姿を見る気になれず、僕はベンチに座ってじっと地面に視線を落とす。
「——花火、見られなかったね」
「……ごめんなさい」
「いいよ。あんなんじゃ、花火見ても楽しくなかっただろうし」
先輩の言うとおりだ。折角、これからもっと楽しくなると思ったのに。どうしてみんな、僕なんかに構うのだろうか。僕に未練なんか、微塵もない。引き留めるだけ無駄だというのに、十方院さんは交流がほとんどないはずの刹樹や方邊くんにも声をかけて。
僕と十方院さんが友達? 笑わせるなよ。僕はクラスの人気者に相談しただけの根暗だぞ。
そんな僕が、キミと釣り合うはずがない。本当に、放っておいて欲しかった。
「私さ、尚理くんが羨ましくなっちゃった」
「……なにがですか」
「だって、あんな風に声をかけてくれる人、中々いないよ」
「先輩までそんなことを……」
「ううん——私だから、だよ。私だから、こんなこと言うの」
「……」
もう、どうでもいい。先輩が羨ましがったところで、僕にとっては取るに足らない出来事だ。これまでも、これからも。僕にはむーこ先輩だけでいい。
「疲れましたよ、僕は」
「……なにに?」
「人のことを気にして生きてきたとは言いませんけど。僕が何かをする度に誰かが僕を気にすることが、疲れました」
僕と同居して変に気を遣ってくる叔父にも。
一人で練習していることを知って声をかけてくる刹樹にも。
一緒に野球がしたいなんて今更言ってくる方邊くんにも。
幽霊になりかけだからといって自分勝手に止めようとしてくる十方院さんにも。
「——もう、耐えられそうにないんです」
「でも、私が尚理くんのこと気にするのは、いいんでしょ?」
「だって、それは……」
それは、むーこ先輩のことが好きだから。口に出せない想いを言ってしまいそうになって、思いとどまって、彼女の姿を見たくて視線を上げた。
「……っ」
刹那、唇に柔らかい何かが触れる。目の前に先輩の顔があった。
どれくらいの間、そのままでいただろうか。頭の中が真っ白になって、とろけそうになる感覚に身をゆだねるうちに、キスをされたのだとようやく理解した。
名残惜しそうに、先輩が唇を離す。
「せんぱ……ど、うして……」
どうして。なぜ。なんで。疑問詞だらけで混乱する僕を見て、先輩が笑った。
「あはは。手を繋ぐより恥ずかしいと思ってたけど、そんなことないね」
「どうして、どうして」
どうして、こんなことをしたんですか。
「——なんか、幸せ」
先輩の笑顔を見たら、最後までは言えなかった。
「好きだよ、尚理くん」
「僕も好きだ! ずっと一緒にいたいんです!」
……ああ。
ついに、言ってしまった。絶対に言っちゃいけないはずだったのに。想いが通じていることを認めちゃいけなかったのに。
「なのに!」
「これでいいんだよ」
「良くない! なにも良くない! 僕にはあなたしかいないんですよ! 先輩と一緒じゃなきゃダメなんだ!」
先輩の姿が、文字通り薄くなった。
「この先ずっとこんな苦しい思いをして生きていくなんて出来ないよ!」
久しく見ていなかった、半透明のむーこ先輩。彼女の手が、ポニーテールを留めていた白いシュシュを外して、代わりに僕の手首に付けた。
「いやだ、いやだ! 約束したばかりじゃないですか!」
むーこ先輩が、いなくなってしまう。
「僕は先輩を裏切りませんよ! 周りの人達になびいたりしません!」
先輩はなにもいわず、僕の言葉を聞いている。ほどけた彼女の髪の毛が、風もないのに揺れていた。
「僕ならずっと一緒にいられるんです!」
そして、笑っていた。
「孤独なんて、感じさせたりやしない!」
でも、泣いてもいた。
「なのに、先輩は僕を信じてくれなかったんですか!?」
どんどん、彼女の姿が薄まっていく。ほとんど向こう側の景色が透けていた。
「——信じてるよ、尚理くん。会ってからずっと一緒だった……ううん、それより前から好きだったんだもん……キミなら、私とずっと一緒にいてくれるって、信じてるよ」
「なら、どうして! 二人でもっと色んなところに行きましょう! そうだ、今日行った展望台なんて目じゃないくらい大きなタワーがあるんですよ! 先輩も行ったことがあるかもしれないけど、でも、きっと二人ならもっと楽しいはずです!」
僕の声はほとんど聞き取れないくらいに割れていた。
「ありがとう——」
だけど、彼女はちゃんと聞き取ってくれていて、静かに首を縦に振る。
「——でも、やっぱりダメだったよ。止められなかった。好きな人が隣にいるのに、本物の繋がりを手に入れられないのは、つらいよ」
「でも!」
繋がってしまったら、消えてしまう。こうしている間にも、彼女の存在が感じ取れなくなっていた。目の前にいるのに、そこにいないかのような。
「大丈夫だよ。尚理くんなら、きっと生きていける。私には尚理くんしかいないけど、尚理くんには支えてくれる友達が、たくさんいるから」
「待って……待ってください、行かないで……」
「でも、これだけは約束して?」
「待って、待って待って!」
ダメだ。目の前が霞んでいく。涙で見えなくなっているのか、彼女が消えようとしているのか。多分、その両方だ。
「消えないでください……お願いですから……」
「約束。尚理くん、ずっと野球を好きでいて」
「野球なんて、もういらない……先輩がいればそれでいいんです……」
「お願いだよ。前にも言ったけど、私が好きなのは、野球が好きな尚理くんだから」
「いやだ……先輩……いやだよ……」
もう彼女の姿は見えなかった。見ることが出来ない。
——私たち、恋人になれたんだよね。あはは、幸せ者だね、私。
頭に直接響いてくるような、先輩の声だけがここに確かにある。
音が見えるようになるなら、お願いだ。
仏様でも神様でも、なんなら悪魔でも幽霊でもなんだっていい。
もう一度、先輩の顔を僕に見せて。
——好きだよ。だからこれから精一杯、前を向いて生きて。私はキミの心の中で、ずっと見てるから。
「僕も好きだ! 何度でも言います!」
好きだ。だから、僕を一人にしないでください。
————大丈夫、もう、ひとりじゃないよ。
「行かないでよ!」
ありがとう。
「夢子さん————ッ!」
尚理くん、大好きだよ。
○
思えば。夢子さんの名前を呼んだのは、これが最初で最後だった。
●
そして。
そこで、僕の足は止まった。先輩は僕の顔を見たが、僕はアナウンスに集中するように空を見上げた。いま、僕が呼ばれたのか?
『空見、来てるんだろ』
今度は、男性が僕の名前を呼んだ。周りの人達が不思議がって、僕と同じように視線を泳がせる。
『野球部は——俺は、お前を待ってる。家出なんてやめて、帰って来いよ』
間違いない、刹樹竜哉の声だった。
『お前が怪我で野球出来ないっていうなら、見てて欲しいんだ。ずっと一人で練習してたお前の代わりに、俺がお前の野球をする』
なんだ。なんなんだ。どうしてここで刹樹が出てくるんだ。
それで、刹樹が僕の野球をする? 意味が分からない。
『だから頼む。お前がいないと、』
僕がいないからなんだというのだ。もう僕はそっちに戻る気はない。刹樹が僕に呼びかけようと、僕にはまったく関係のないことだ。
スピーカーの音が割れる。甲高いハウリング音が周りの音を掻き消して、次に聞こえてきたのはガタガタと忙しない物音。
『空見先輩、聞いてるんすよね』
「なん——ッなんだよ!」
今度は方邊潔——あの嫌味な後輩がマイクを変わったらしい。僕はむーこ先輩以外に届かない声で虚空に叫ぶ。
『聞いてるってことで、聞いてください』
「キミの言葉なんて、僕は聞きたくない!」
どうしてそこでキミまで出てくるんだ。
『先輩、俺言いましたよね。ライバルが欲しいって。アンタがいないと、部が締まらないんだよ。どいつもこいつもやる気がなくてさ。だから試合に勝てねーんだって、これは関係ないっすね』
「……なにを今更」
本当に今更だ。部が締まらない? そんなはずないだろ。
万年球拾いだぞ、僕は。まともに練習に参加も出来ない僕がいたところで、野球部の士気なんて上がるはずがない。大体、僕はもう野球を失ったんだ。
本当に、なんて、白々しい。
『あー、あのさ』
伝わるはずのない僕の気持ちに、しかし方邊くんは解答を用意していた。
『野球部全員、アンタの自主練のこと知ってんだよ』
「——っ」
『随分前に俺が教えた。だから試合にも出られねー奴が誰より練習してること、みんな知ってる。それでやる気出した部員はたくさんいるんすよ。必要なんだ、先輩が』
聞きたくない、聞きたくない、聞きたくない!
「もうたくさんだ! 僕は手に入れるんだ、ずっと先輩と一緒にいるんだ! 大体キミは僕が嫌いなんだろ! いまさら僕が必要だなんてどの口が言ってんだよ! 僕から自由を奪おうとするな! 放っておいてくれ!」
『なぁ、先輩。覚えてるか』
なにをだ。キミとの付き合いで覚えるに値する出来事があるわけないだろ。
『バッティングセンターで、勝負したっすよね、俺たち』
「……!」
『それで、俺が勝った。俺が勝ったら……なんて言ったか、忘れたとは言わせない』
僕がなんでも、方邊くんの言うことを聞く。
『…………俺、もっとアンタと野球がしたい。戻ってきてください』
最後に、方邊くんはいつも僕につっかかってくるような時とは全く違う、真っ直ぐな声色で、そう言った。放送は、そこで終わった。BGMの音量が元の大きさに戻る。
「やめろよ! もう僕なんて潔く忘れてろよ!」
「……た、尚理くん」
先輩の怯えた声に、はっと我に返る。
「す、すみません」
慌てて彼女の顔を見る。でも、先輩は僕の眼を見ていなかった。
「違うの。う、後ろ……」
「は」
後ろ?
嫌な予感にじわりと胸が締め付けられて、先輩が見ている方向に僕も振り向く。
「——目は覚めたかしら、バカ」
振り向き終わると同時に、タイミング良く十方院清花が言った。
「そん、な……」
僕の姿は見えていないはずなのに、彼女の瞳は痛いくらいに僕を睨んでいる。隣には、彼女のご先祖様である般若面の幽霊が仁王立ちしていた。
「確かに私にはキミの姿が見えない。だけど、初代住職がここにいるって教えてくれたわ。監視させておいて正解だったようね。昼頃に帰ってきて、キミがここに来るって教えて貰わなければ手の打ちようがなかったもの」
「……っ」
そうか。僕の姿は他人には見えない。だけど、相手が幽霊なら話は別だ。
盲点だった。誰の目も気にせずにいられると思ったのに。
「一体、いつから」
疑問を察したように十方院さんは答える。
「キミが最後に私に姿を見せたときからよ。なんだか空見くんから危うい感じがしたから、お願いしたの」
「ずっと一緒だったっていうのか」
僕と先輩が二人で過ごしている間、ずっと。まったく気が付かなかった。般若面に黒装束なんて目立つ格好をしているにもかかわらずだ。
「まったく。こんなことになるまで幽霊に近付くなんて、本物のバカだったようね」
本気であきれかえった声で、彼女は続ける。
「刹樹くんと方邊くんは私が呼んだ。私はともかく、彼らなら説得できると思って」
「出来るはずないだろ」
「出来るはずない、どうでもいいなんて思っていそうね。そうじゃなければ、幽霊になることを自ら選ぶわけがないもの」
「……」
どうして、彼女はここまで僕のことを見抜いているんだ。互いに平行線で、向こうは僕の声が聞こえるわけもないのに。会話なんて、成り立つはずがないのに。
「それじゃあ、私からも一言いいかしら」
良くない。
「——大バカ者とはいえ、折角新しく出来た友達だもの」
それ以上続けるな。言うな。
「これからも仲良くして欲しいと思うのは、私のわがままかしら?」
僕に、手を差し伸べるな。
「尚理くん!!」
むーこ先輩が呼ぶのも構わず、気が付けば僕の足は駆け出していた。
逃げ出すように、階段を駆け下りる。
『——尚理。帰ってこい』
スピーカーを通して、終わったはずの迷子のアナウンスから聞こえてきたのは、誰の声だったのか。もう、分からない。
分かりたくもなかった。
○
幽霊になったら、なにをしよう。
むーこ先輩と一緒にいると決めてから、頭の片隅ではそんなことばかり考えていた。
毎日彼女と一緒なら、なにも怖くない。それは間違いない。
だけど、一つだけ不安がある。考えても仕方のないような、些細なこと。
両親のことだ。
僕は三年前のあの事故で、一人だけ生き残ってしまった。父さんも母さんも、僕の目の前から一瞬でいなくなってしまった。
——そこに、彼らは悔いを遺していなかったのだろうか。
どうしてそんなことを考えてしまうのか、理由は分かっている。
幽霊が見えるようになっても、僕の目の前に二人は現れてくれなかったからだ。
成仏、している。
それは、両親が僕を見捨てたというようにも取れる。僕という子供から解放されて、思い残すことなく逝ったのでは、と。
そんな風に、考えるだけで吐き気がする残酷な想像をせずにはいられない。
……でも。もしも。
このまま幽霊になって、時間も距離も束縛されない自由を手に入れたなら。
僕はもしかしたら、もう一度二人に出逢えるのではないか。あの頃のように話すことが出来るのではないか。
結局、僕は信じたくなかったのだ。いや、信じたかった。
両親が僕のことを愛していたと、確認したかった。
だから探すんだ。
むーこ先輩と一緒に、どこか別の場所にいるかもしれない二人を、見つけたい。
方邊毅さんの時と同じように、徒労に終わろうとも。
両親が本当に成仏していたとしても。
僕は彼らが何を考えて生きて、何を考えて死んだのか、知りたいのだ。
そのためならなんだってする。
幽霊になるのだって怖くない。
なのに、どうして。
みんなは僕に生きろと、言うのだろうか。
○
どれくらい、歩いただろう。
「見つけた」
電車にも乗らずに戻ってきた地元のグラウンドで、僕に話しかけたのはむーこ先輩だった。先輩の姿を見る気になれず、僕はベンチに座ってじっと地面に視線を落とす。
「——花火、見られなかったね」
「……ごめんなさい」
「いいよ。あんなんじゃ、花火見ても楽しくなかっただろうし」
先輩の言うとおりだ。折角、これからもっと楽しくなると思ったのに。どうしてみんな、僕なんかに構うのだろうか。僕に未練なんか、微塵もない。引き留めるだけ無駄だというのに、十方院さんは交流がほとんどないはずの刹樹や方邊くんにも声をかけて。
僕と十方院さんが友達? 笑わせるなよ。僕はクラスの人気者に相談しただけの根暗だぞ。
そんな僕が、キミと釣り合うはずがない。本当に、放っておいて欲しかった。
「私さ、尚理くんが羨ましくなっちゃった」
「……なにがですか」
「だって、あんな風に声をかけてくれる人、中々いないよ」
「先輩までそんなことを……」
「ううん——私だから、だよ。私だから、こんなこと言うの」
「……」
もう、どうでもいい。先輩が羨ましがったところで、僕にとっては取るに足らない出来事だ。これまでも、これからも。僕にはむーこ先輩だけでいい。
「疲れましたよ、僕は」
「……なにに?」
「人のことを気にして生きてきたとは言いませんけど。僕が何かをする度に誰かが僕を気にすることが、疲れました」
僕と同居して変に気を遣ってくる叔父にも。
一人で練習していることを知って声をかけてくる刹樹にも。
一緒に野球がしたいなんて今更言ってくる方邊くんにも。
幽霊になりかけだからといって自分勝手に止めようとしてくる十方院さんにも。
「——もう、耐えられそうにないんです」
「でも、私が尚理くんのこと気にするのは、いいんでしょ?」
「だって、それは……」
それは、むーこ先輩のことが好きだから。口に出せない想いを言ってしまいそうになって、思いとどまって、彼女の姿を見たくて視線を上げた。
「……っ」
刹那、唇に柔らかい何かが触れる。目の前に先輩の顔があった。
どれくらいの間、そのままでいただろうか。頭の中が真っ白になって、とろけそうになる感覚に身をゆだねるうちに、キスをされたのだとようやく理解した。
名残惜しそうに、先輩が唇を離す。
「せんぱ……ど、うして……」
どうして。なぜ。なんで。疑問詞だらけで混乱する僕を見て、先輩が笑った。
「あはは。手を繋ぐより恥ずかしいと思ってたけど、そんなことないね」
「どうして、どうして」
どうして、こんなことをしたんですか。
「——なんか、幸せ」
先輩の笑顔を見たら、最後までは言えなかった。
「好きだよ、尚理くん」
「僕も好きだ! ずっと一緒にいたいんです!」
……ああ。
ついに、言ってしまった。絶対に言っちゃいけないはずだったのに。想いが通じていることを認めちゃいけなかったのに。
「なのに!」
「これでいいんだよ」
「良くない! なにも良くない! 僕にはあなたしかいないんですよ! 先輩と一緒じゃなきゃダメなんだ!」
先輩の姿が、文字通り薄くなった。
「この先ずっとこんな苦しい思いをして生きていくなんて出来ないよ!」
久しく見ていなかった、半透明のむーこ先輩。彼女の手が、ポニーテールを留めていた白いシュシュを外して、代わりに僕の手首に付けた。
「いやだ、いやだ! 約束したばかりじゃないですか!」
むーこ先輩が、いなくなってしまう。
「僕は先輩を裏切りませんよ! 周りの人達になびいたりしません!」
先輩はなにもいわず、僕の言葉を聞いている。ほどけた彼女の髪の毛が、風もないのに揺れていた。
「僕ならずっと一緒にいられるんです!」
そして、笑っていた。
「孤独なんて、感じさせたりやしない!」
でも、泣いてもいた。
「なのに、先輩は僕を信じてくれなかったんですか!?」
どんどん、彼女の姿が薄まっていく。ほとんど向こう側の景色が透けていた。
「——信じてるよ、尚理くん。会ってからずっと一緒だった……ううん、それより前から好きだったんだもん……キミなら、私とずっと一緒にいてくれるって、信じてるよ」
「なら、どうして! 二人でもっと色んなところに行きましょう! そうだ、今日行った展望台なんて目じゃないくらい大きなタワーがあるんですよ! 先輩も行ったことがあるかもしれないけど、でも、きっと二人ならもっと楽しいはずです!」
僕の声はほとんど聞き取れないくらいに割れていた。
「ありがとう——」
だけど、彼女はちゃんと聞き取ってくれていて、静かに首を縦に振る。
「——でも、やっぱりダメだったよ。止められなかった。好きな人が隣にいるのに、本物の繋がりを手に入れられないのは、つらいよ」
「でも!」
繋がってしまったら、消えてしまう。こうしている間にも、彼女の存在が感じ取れなくなっていた。目の前にいるのに、そこにいないかのような。
「大丈夫だよ。尚理くんなら、きっと生きていける。私には尚理くんしかいないけど、尚理くんには支えてくれる友達が、たくさんいるから」
「待って……待ってください、行かないで……」
「でも、これだけは約束して?」
「待って、待って待って!」
ダメだ。目の前が霞んでいく。涙で見えなくなっているのか、彼女が消えようとしているのか。多分、その両方だ。
「消えないでください……お願いですから……」
「約束。尚理くん、ずっと野球を好きでいて」
「野球なんて、もういらない……先輩がいればそれでいいんです……」
「お願いだよ。前にも言ったけど、私が好きなのは、野球が好きな尚理くんだから」
「いやだ……先輩……いやだよ……」
もう彼女の姿は見えなかった。見ることが出来ない。
——私たち、恋人になれたんだよね。あはは、幸せ者だね、私。
頭に直接響いてくるような、先輩の声だけがここに確かにある。
音が見えるようになるなら、お願いだ。
仏様でも神様でも、なんなら悪魔でも幽霊でもなんだっていい。
もう一度、先輩の顔を僕に見せて。
——好きだよ。だからこれから精一杯、前を向いて生きて。私はキミの心の中で、ずっと見てるから。
「僕も好きだ! 何度でも言います!」
好きだ。だから、僕を一人にしないでください。
————大丈夫、もう、ひとりじゃないよ。
「行かないでよ!」
ありがとう。
「夢子さん————ッ!」
尚理くん、大好きだよ。
○
思えば。夢子さんの名前を呼んだのは、これが最初で最後だった。
●
そして。
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