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第三話 フリージア、憧れ

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「そんなにオレの髪が好きか?」

 風のように姿を現したバルト教師は、ニヤニヤと笑っている。

「あ、いえ、その、髪が美しいと思ったのは本当ですが……っ」
「ふんふん……」

 彼は顔面蒼白になったケントに歩み寄り、品定めする。
 そして勝手に彼の眼鏡に手をかけると、外してしまった。

「うわっ」
「へえ、なかなか可愛い顔してんじゃねぇか」

 バルトはケントの素顔を見つめて、舌舐めずりする。
 濡れた唇が艶っぽく光った。
 ケントは蛇に睨まれた蛙のように動けない。

「明日のテストで満点取れたら、ご褒美をシてやろうか少年?」
「ご、ごほうび……?」

 ケントはただただ彼の言葉を復唱する。
 よくよく見れば彼の頬は真っ赤に染まっていた。

「じゃ、明日は期待してるぜ」

 バルトは言うだけ言うと背を向けて去っていった。
 屋内なのに風が吹いて彼のローブが靡いたと思った瞬間、彼の姿は消えていた。

「あ、あの僕、今、可愛いって言われた……?」

 ケントは眼鏡をかけ直しながら、隣のオレに尋ねる。

「お前、ヤバい目の付けられ方をしたんじゃないか?」

 オレは可笑しくなってニヤリと笑ったのだった。



 *



 蝋燭に火を灯し、机に向かう。
 たった26字だ。それくらいの名前と意味と読み方ぐらい覚えなければならない。

 ふと、ドアがそっと開く僅かな軋みに振り向く。
 アレクシスが戻ってきたところだった。

「古代エルフ語の暗記か」

 机に向かうオレに彼が声をかけられる。

「……」

 オレは無視する。
 彼と交わす言葉などないからだ。

「覚えるコツを教えてやろうか?」
「……」

 黙って首を横に振った。

「まあ、そうつれなくするな」

 彼は苦笑しながらノートを覗き込んでくる。
 なんだコイツ、図々しいな。

 彼の滑らかな黒肌が間近にある。
 彼の面長の顔が整っていることがよく見えた。
 真っ黒な石で彫られた彫像だってこの美しさは繊細過ぎて再現できないだろう。

 彼の顔に見惚れている自分にハッとする。
 クソ、コイツの何もかもが理解できない。
 理解できなさに腹が立ってくる。

QèrtクエルトゥWæveウィーヴィÈstrajエストレRïelリエル……」

 アレクシスは低い声でそれぞれの文字の名前を読み上げていく。
 旧い言葉が黒い唇から紡がれていく。
 今ではもう魔術にしか使われない、棄てられた言葉を。

「空、川、火、大地……そしてlünoルノ、月。頭の中に箱庭を思い浮かべるんだ」
「……箱庭なんか、見たことねえよ」

 思わず、口を開いてしまった。
 彼があまりにも無意識に嫌味なものだから。

 だから、住んでる世界が違い過ぎるんだ。
 合うはずがないのに、どうしてオレを選んだんだ。

「じゃあ、小さな世界を思い浮かべよう」

 彼は穏やかに答える。
 耳元で囁いてるかのような密やかな声に、背筋がゾクゾクとする。

「太陽と月が交互に空の帳の色を変え、大地を山や川が飾り、樹木は四季に応じて装いを変える」

 彼の低い声はするりと頭の中に入ってきて、想像の中で彩りが広がる。
 風の香りが鼻を擽るような気さえした。

「古代言語の文字の名一つ一つは精霊の名でもある。紡ぎたい魔術の色に照応したことばが即座に浮かんでくるように、この小さい世界を自在に歩くかのように、愛でるように、オレたちはこの言葉を覚えねばならない」

 彼の静かな言葉を聞いて感じた。

 彼がこの学校の首席なのは、ただ単にお勉強が得意だからというだけではないだろう。
 彼は古代魔術を愛してるのだ。この魔術を学ぶことの根源的意味を知っている気がする。だからこそ、一番の成績を修めることが出来るほどに勉学に打ち込めたのだろう。

 本当に、オレとは違う生き物だ。

「目を閉じれば内側にいつも世界を感じられるようにするんだ」

 彼が話を続ける。

「だから最初からイメージに紐づけて全て覚えてしまうのが有効な方法だと思うんだが……どうだろうか」

 彼はオレに穏やかに微笑みかける。
 誰にでも優しい自信に満ち溢れた優等生。そんな顔だ。

 彼を真っ直ぐに見据えると、オレは答えた。

「まったく役に立たねえ。もっと機械的な覚え方のがいい」
「そ、そうか……」

 アレクシスは残念そうに眉を下げた。

「いいか、お前のやり方を押し付けるな。オレに構うな」

 オレは彼を一睨みして釘を差すと、視線を教科書に落とした。

 彼が何故オレを選んだのか分かってきた。
 要は施しをしたいのだ。
 「平民出身の劣等生にも優しく勉強を教えてあげる自分」を実現していい気分に浸りたいだけなんだ。
 だからあえて刻印の儀で平民出身っぽそうでいかにも頭が良くなさそうな顔をしてる人間……オレを選んだのだろう。
 オレに本気で一目惚れなんかしてたはずがない。

 その手に乗ってなんかやるものか。
 こう見えても暗記なら得意なんだ。

「……すまない、邪魔をしたな。あまり根を詰め過ぎないようにな」

 背中にかけられた言葉に、オレは振り向きもしなかった。
 お前の力なんか借りなくたって、満点くらい取ってやる。

 それから暫くして彼が「おやすみ」と言ってベッドに潜り込む気配がした。
 オレは一瞥もせず、机に向かい続けている。

「クエルトゥ、ウィーヴィ……」

 頭の中に入っているか確認する為に、目を閉じて暗唱する。

「エストレ、リエル、テルム、えっと……」

 Tèroumテルムの次はなんだったか。
 思い起こそうとする。

 すると自然に低い囁きが頭の中に響く。

「……ユゥÜsteウスティÏstràイストラOsteオスティ……」

 アレクシスの声だ。
 一文字一文字読み上げてくれた彼の声を思い起こしてしまう。

「くそ……っ!」

 何故だか、頬が熱くて堪らなかった。



 *



 翌日の授業後。
 食堂でケントは返ってきたテスト用紙に目を落として固まっていた。
 彼のテスト用紙を覗き込んでみる。

 一問を除いてすべて正解していた。

「わざと一問だけ落としたのか?」

 昨日、ケントが教師に絡まれていたことを思い出して尋ねた。

 ちなみにオレは満点だった。
 アレクシスが教えてくれたおかげかどうかは分からないが、暗記したことがするすると思い出せたのだ。

「いや……満点目指してたんだけど……」

 ケントはガクリと肩を落とした。
 どうやらうっかり一問間違えてしまったようだ。
 そんなにあの教師の「ご褒美」とやらを楽しみにしていたとは、意外だった。

「よ、少年。隣いいか?」

 その時、トレーを持ったバルト教師が声をかけてきた。
 やはり神出鬼没な男だ。彼もここで昼食を摂る気だろうか。

「今日のテスト、惜しかったな。それとも、オレは誘いを断られたのか?」

 バルトはニヤニヤとケントに笑いかける。

「ち、違います! 満点取りたかったんですけど、本当にうっかり一か所間違えてしまって……!」
「そうか、良かった。フラれた訳ではなかったんだな」
「あ、あの、なら……!」

 彼らのやり取りを聞きながら飯を食っていると、不意に影が差す。

「バルト先生……うちの後輩にちょっかいを出さないでいただきたい」

 見ると白ローブの上級生がいた。
 金髪の上級生は、厳めしく眉根に皺を寄せている。

 彼の手の甲に白い花の刻印がある。
 ケントの手の甲にあるのと同じものだ。

 そうか、こいつがケントの番相手なのか――――。
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