森のエルフと養い子

マン太

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6.誓い

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 それは突然だった。
 タイドと別れて数か月。スウェルはいつもの大樹の見張り台で、一人無為に過ごしていた。
 ここに来ると、タイドとの出会いを思い出す。
 胸のつまる思いではあったが、それでも、もしかしてここへあの夫婦が、タイドを連れてやってくる日があるかもしれないと、僅かな期待を抱いてそこで過ごしていたのだ。
 正直、何事もやる気が起きないのはあの日以来、変わっていない。
 遊びに出歩かなくなった分、外から見ていた者たちは、ようやく落ち着いたのだと勝手に噂していたが。実際は気力を失くしているだけの事だった。
 片膝を抱え、見るともなし森の向こう、人々の住まう土地のある方角を眺める。
 タイドの住む村には背後に高い山が聳え、後はただ田園が広がるのみ。のどかな田園地帯だった。
 タイドは今もあの夫婦の腕に抱かれ、健やかな日々を送っている事だろう。
 そこまで思うのなら、いっそその様子を覗きに行けばいいのだが、余計に悲しみが倍増するのは分かっている。行くに行けなかった。
 と、にわかに見張り台の下、大樹の根元が騒がしくなった。
 何事かと下をのぞけば、エルフの集団がそこにいる。皆、哨戒に出ていたものたちだ。
 顔をのぞかせたスウェルに気付くと、中の一人が珍しく慌てた様子で訴えてきた。

「スウェル様、この先の森でオークと魔狼の群れが現れたと。ふもとの村を襲っている様なのです!」

「ふもと…? それは何処だ?」

「オルビス村です──」

 次の瞬間、最後まで聞かずに、スウェルは矢のようにそこを飛び出していた。

 なぜ、オークが。

 彼らが棲むのはもっと北方の闇の深い場所だった。それがどうしてこんな田舎の、平凡な村へやってきたのか。
 それ以前にも、ちらほら、オークが魔狼を伴い遠征してきた話を聞いてはいた。
 だが、それはここより更に離れた場所で。
 エルフの王が住まう森にも近い村まで、のこのこと現れようとは、露ほども思っていなかった。
 途中、愛馬アンバルを呼び出し、村までの道を駆けた。この馬は薄く金に輝く褐色の体躯を持つ。普段は自由に遊ばせているのだが、呼べば必ずやってきてスウェルを乗せた。
 まさに風になって村に向かう。
 腰には一振りの剣を帯びていた。
 太古のエルフの鍛冶師が鍛えた優れもので、代々引き継がれる剣の一つだった。
 柄には星の光が埋め込まれ、ひとたび祈れば力が宿り、一振りで数百、数万の敵を倒すという言い伝えのある代物。
 父王グリューエンがそれをスウェルに与えた時、周囲にいたものは宝の持ち腐れだと陰で囁いた。
 それはスウェルも同様の思いで、そんな囁きも当然と受け止める。その場で辞退を申し出たが、王はそれを拒んだ。
 いずれ必要になると。
 それを与えるだけの器があると、父王は言外に伝えてきたのだ。

 そんな、力。俺にあるとは思えない。

 けれど、今はそれが真実であって欲しい。最近はろくに剣術の鍛錬もしていない。

 タイドに危機が迫ると分かっていたなら、無為に過ごさず、ちゃんと鍛えたというのに──。

 到着したオルビスの村はシンとしていた。
 どこかで悲鳴や怒号が上がると言う事もない。村の入り口付近の家には、既に人影がなかった。

 皆、どこに?

 しかし、馬から降り、一歩踏み出した所で歩みを止めた。
 家の入口の扉が半分開き、中から倒れた足が覗いている。その足元には血だまりが見えた。

 ああ──。

 足早に、駆けるように村の中央を抜ける道を行く。
 気が付けば、畑の中に、道の傍らに、村人の息絶えた姿があった。
 身体は原型をとどめて居ないものが殆どだ。オークや魔狼に食われたのだろう。

 なんてことを──。

 くっと唇を噛みしめる。

 ここがこの状態なら、奥の方は? タイドを預けた夫婦は?

 体温がぐんと下がった。
 夫婦の農地は村の外れ。住む場所も中心から外れた奥にある。もしかしたら、この襲撃を逃れたか、気付いていない場合もある。

「アンバル、急げ!」

 スウェルは馬を駆けさせた。

✢✢✢

 既に人の気配の消えた村を抜け、タイドを預けた夫婦の家の前までやって来た。
 朝の陽射しは昼のそれに変わりつつある。
 家の前にある庭には洗濯物がはためいていた。干している最中だったのだろう。まだ籠の中には白いシーツが山となっていた。

 夫婦は? タイドは──。

 しかし、ほどなくしてその姿を発見した。
 夫は家に入った所で倒れ、妻はその先、暖炉の側にうつ伏せに倒れている。
 妻は白い布を抱えてた。それはここへタイドを置いて行った時にくるんでやった織物だ。見間違うはずがない。
 胸の下には広がり始めた血だまりが見えた。

 タイド──。

 よろりと一歩進みでる。手を伸ばしかけ、それは途中で力なく落とされた。

 もう、生きてはいない。

 こんな目にあわせるために、ここへ託したのではない。

 エルフの加護は、彼に届かなかったのか?

 既に村人を大量に腹に収めただろうオークや魔狼は、彼らを食う事はなく、ただ遊びの為に襲ったようだった。幼いタイドなどひとたまりもなかっただろう。
 ぐるると低い魔狼の唸り声が背後に聞こえた。

『エルフだ! エルフだ! 食っちまえ! 力になるぞ!』

 ここにまで届くほどの異臭を放つオークの体臭、血の匂い。振り返らずとも、そこに魔狼含め、オークの群れが多数いることが分かる。

 こいつらが──タイドを。彼の幸せな未来を奪った。

 振り向きざま、腰に帯びていた剣を鞘から抜き放つ。
 キラリと日の光を浴びたそれは、眩しく輝き、オークたちを一瞬、怯ませた。
 しかし、抜き放たれた刀身は細身でとても自分たちを切り裂けるとは思えず。すぐに勢いを取り戻し。

『殺せ! 殺せ! 食っちまえ!』

 騒ぎ立て、輪がスウェルを取り囲む。

 タイド。済まない──。君の幸せを奪ったのは──私だ。

 そうして、スウェルはその細い刀身を掲げると、一瞬、目を閉じ祈った。途端にまばゆいばかりの光が刀身を中心にあふれ出す。

『な、なんだ!?』

 しかし、ひるまず魔狼が一斉に飛びかかる。
 大型なものは二メートルほど。大きく裂けた口は鋭い犬歯がずらりと二重に生えていた。ひとかみで命を落とすだろう。
 スウェルは光に包まれたそれを振りかざす。途端に飛びかかった魔狼は八つ裂きとなって四散した。

『!?』

『なんだ? 何が起こった?』

 しかし、それを確認する間もなく、オークたちも光に包まれた瞬間、身体が引き裂かれ霧散した。後方に控えていたオークがひるみ後ずさる。
 だが、逃がすつもりはなく。
 一歩踏み出し、ぐんともう一振りする。
 すると、光の矢は過たず、逃げ出したオークの背を切り裂き、魔狼を切り刻んだ。
 村を襲ったほとんどが、そこで撃ち取られる。残りは追いついたエルフの兵らが一匹遺らず狩りとった。
 残されたのは、殆ど形を成さないオークと魔狼の山の中心に、彼らの返り血を浴びたスウェルがひとり。
 最後にひとつ、呪文を唱え、刀身の穢れを落とすとそれを何事も無かったかのように鞘に収めた。

「スウェル様、ご無事でなによりです…!」
 
 エルフの兵が駈け寄るが、それを手で制し、スウェルは再び家の奥へと向かった。
 戸口に倒れた夫を引き起こし、仰向けにすると、無残な傷跡に顔をしかめる。そうして、まだ温かい手を組ませた。
 そして、更に奥に倒れた妻の身体も、恐る恐る抱き起した。

 その腕には、きっとタイドが抱かれているはず──。
 
 見たくはなかったが、見なくてはいけない。
 自分の力が及ばなかったばかりに、巻き込まれたのだ。自分の犯した罪を受け入れなければならない。
 しかし、妻の腕には血にまみれてくしゃくしゃになった織物があるばかりで、タイドの姿はない。

 食われたのか?

 しかし、その欠片もないとは──。

 と、庭先で小さな声を聞いた気がした。聞き覚えのある声だ。

 まさか──。

 妻を静かに横たえると、ふらふらと導かれるように立ち上がり、声のした庭先に向かう。
 そこには先ほどと変わらず、シーツがはためいていた。残りの洗濯物は籠に山のようにつまれ──。

「…あ…」

 籠には見覚えがあった。
 ここへ置いて行った籠だ。その上には不自然に積まれたシーツの山。

「──!」

 すぐにその山をかき分け、中を覗き込む。
 すると、何が起きたか分からず、深緑の目をぱちくりさせているタイドがそこにいた。

「うそだ…。どう、して──」

 すぐに腕に抱き上げる。
 確かにタイドは生きてそこにいた。
 大量の濡れた洗濯物が、赤子の匂いを薄くさせたのかもしれない。洗濯物を干す傍ら、きっと日光浴をさせていたのだろう。
 魔狼の姿を認めた妻は、咄嗟に残りの洗濯物をタイドにかぶせ、自分は逆にタイドの匂いのついた織物を手に家の中へと逃げたのだ。
 自分にひきつけようとしたのだろう。妻の機転がタイドを救った。

 ああ──。彼女に、彼らに、光の恩恵を。安らかな眠りを。

 オークや魔狼の血がついたスウェルに、タイドは泣きもせず、スウェルの腕の中で笑って見せた。迎えにきたのがスウェルと分かっているのだろう。
 スウェルはタイドの柔らかい頬に、血で汚れた頬を押し付けると。

 タイド、もう二度と手放さない。

 強く心の中で誓った。

✢✢✢

 オルビスから戻ったスウェルは、父王グリューエンの命の元、今回の騒動を引き起こしているオークの頭目を見事討ち果たし、戦いに終止符を打った。
 その際、一匹のオークだけが谷から落ち、最後を見届ける事が出来なかった。
 だが、左目は潰され、右腕は斬り落とされ、身体中、斬り刻まれたまま落ちたのだ。最後を見届けるまでもなかった。
 戦いから帰ったスウェルは、片時もタイドを離さず、二度と手放すとは言わなかった。


「ああ、また一緒に寝られたのですか」

「…ん。いいじゃないか。オムツはもなくとも、寝られるようになった」

 朝。起こしに来たニテンスが、仲良くベッドに眠るタイドとスウェルを見て、ため息をつく。タイドはニ歳となっていた。

「だから心配なんです。また粗相をされますよ?」

「別にまた取り替えればいい。ニテンスには迷惑をかけるが…」

「それに、そんな風に寝ていれば、離れがたくなりますよ? いつまでそうして寝るつもりです?」

「…適当な時に。大丈夫だ。そのうちタイドの方から嫌だと言うさ…」

「どうでしょうか」

 ニテンスはスウェルの横ですやすや眠るタイドをそっと抱き起し、子ども用のベッドに移した。それはスウェルの傍らに置かれている。
 それを顎に手をあて、じっと眺めていたスウェルは。

「今だけだ…。きっと大きくなると、親は嫌われる。そういうものなんだ。今だけだから、一緒に寝るんだ…」

「まったく。どれだけタイドを好きなのでしょうね? あまたのエルフがあなたを慕っているというのに…。オーク頭目退治の一件から、あなたはずっと注目の的です。他のご兄弟たちは皆、相手を見つけ過ごしているというのに、あなたはいまだ独り身。かと言って、以前のようにふるまうでもなく。以前のスウェル様でしたら、きっと、より取りみ取り、あちらこちらに手を出されていたことでしょうに」

「ニテンス…。酷い言い様だな?」

 スウェルも流石に頭を掻きながら、ニテンスを見やったが。

「本当の事です。…このまま、タイドだけに愛情を注ぐつもりですか?」

「そ、それは──いつかは、他に目を向けるさ…。だが、今はタイドには大人のエルフが必要だ。親の代わりに側にいる人間がいなければ。そういう時期だ」

 自分に言い聞かせるようにそう口にすれば。ニテンスは小さなため息を漏らした後。

「それなら、よろしいですが。後々、後悔なさらぬように」

「な、なんだ? 後悔とは」

「タイドのみに愛情を注げば、後戻りできないことになるかもしれないと言う事です。タイドはいずれ成長し、好いた相手をみつけるでしょう。ここを出ていくこともあるかも知れません。そうなった時、あなたは快く送り出すことができるかどうか…。タイドを失ったと時と同じ状態になるのではと心配しているのです」

「そ──れは、できるに決まってる! タイドがそうしたいのなら、俺は止めはしない。彼が幸せなら俺は…」

 言いながら、無理だなと思った。
 タイドが愛しくて仕方ない。今のままでは、ニテンスの言う通り、手放すことなど考えられないし、例えそうしたとしても、確かに以前のように抜け殻のようになってしまうだろう。

 だからと言って、他に目を向けるなど今は…。

 温もりが傍になくなったのに気付いたのか、目を覚ましたタイドがグズりだし、最終的には声を上げ泣きだした。
 戻ってきてから、タイドはひとりになると良く泣くようになっていた。
 すかさずベッドから飛び降りたスウェルはその傍らにより、タイドをベッドから抱き上げる。

「ああ、済まないな。まだ、もうちょっと側にいたいんだろう?」

 よしよしとあやしながら、声をかける。その様子にニテンスは首をふると。

「もし、このままでいたいのなら、覚悟が必要になりますよ」

「わかってる。とにかく、今はまだ、その心配は早い。…もう少しタイドが成長したら考える」

「…わかりました」


 それからタイドはすくすく成長し、物心つくようになると、スウェルは自らに制約を課した。
 タイドに必要以上に触れないこと。他の子どもと同じように、距離を持って接すること。
 タイドへの愛情はそのままに、いつか来る別れのため、スウェルは備えたのだった。

 すべてタイドのため──。

 けれど、事あるごとに、彼を抱きしめたくなるのを押しとどめるのに苦労したのだった。

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