森のエルフと養い子

マン太

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7.授業

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「タイド、どうした。今日は薬草の学習の日だろう? 途中で抜け出してきたのか?」

 スウェルが書斎で書き物をしていれば、開け放たれた扉の向こう、廊下をタイドが通りかかったのだ。
 今日の午後は、エルフの子どもらとともに、授業を受けているはずで。
 タイドは人の年齢で十歳となった。
 襟足辺りまで伸びた赤茶の髪は、全体的にボサボサに乱れ、頬や手足には泥がついている。それだけ見れば、何があったかは一目瞭然だったが。
 エルフの子どもたちにも学校はある。
 そこで一人前のエルフとして生き抜くために必要な学習をするのだ。
 剣術に弓術、体術。書物や語りべによるエルフの歴史について学習や、呪文や薬学の学習。魔族であるオークやその他のモンスターについての知識の享受。
 歌や詩、音楽に関わる授業もある。織物や縫い物、自然にある植物を生かした料理方法もだ。
 覚えることは多岐にわたった。
 全て、エルフでなくとも人の子でも理解出来る内容で──呪文の授業だけは実践は無理だったが──スウェルはそのすべてにタイドを参加させていた。
 幾ら人であってもここで生きていく以上、必要な能力なのだ。自分が受けてきたのだから、タイドにも大丈夫だと分かる。
 ニテンスは、エルフと一緒ではタイドが肩身の狭い思いをするといい、自分がすべて教えると申し出たが、エルフにもまれる必要があると、スウェルはそれを押し切って、エルフの子らと同じ学校に通わせたのだ。
 そして、案の定、エルフの子らにいじめられた。
 それはそうだろう。普通なら人の子など受けられるものではないのだ。人との間に生まれたわけでもない。正真正銘の『人』だ。
 自分たちを秀でたものとして育てられて来たエルフの子どもらにしてみれば、気に食わない事この上ないだろう。
 だが、そのうちの殆どは優しく接してくれるか、又は丸まる無視かのどちらからしいのだが、中にはこうしていじめをしてくるものもいる。
 しかし、エルフの中で生きることとなった今。それに慣れなければならないのだ。少しの事で根を上げていては、この先、ここで生きていくことは不可能だろう。

「…違う。授業は終わったよ。課題に野草を採って来いって言われて…」

 少し話したあと、むっつりと口を閉ざす。
 タイドの膝や肘、頬は泥に覆われていた。擦り傷も見えるが、痛いとは口にしなかった。
 スウェルは手にしていた羽ペンを置くと、顎に手をあてタイドを見つめる。

「それで、転んだのか? 相変わらずドジっ子だな?」

 すると、それまで我慢していたらしいタイドは堰を切ったようにしゃべりだした。

「ルードスに突き飛ばされたんだっ! 赤毛なのをからかわれた! 肌も黒いって…。ルードスの奴、エルフでもない、俺みたいなのが、自分達の授業を受けるのは可笑しいって、スウェルの側にいるのは可笑しいって…。あいつ、もっと酷いことを言ったんだ。それで…!」

「それで?」

 そこで、またむっと口を閉ざした。スウェルはため息をつくと。

「…タイド。おいで」

 呼ばれてタイドは渋々、スウェルの傍までやってくる。
 スウェルは腕を伸ばし、着ていた服の袖で顔に着いた泥を拭った。
 それから、タイドには聞き取れないほどの小さな声で呪文を唱え、傷を負った箇所へ指先を触れさせる。あっという間に傷は消えてなくなった。
 それが終わると、改めてタイドを見下ろす。
 大きく見開かれた緑の瞳はよく澄んでいた。エルフの森の奥深く、濃い緑に覆われたその場所を思わせる。育ての親の欲目ではなく、とても魅力的で美しい。
 きっとそのせいもあって、ルードスは妬んでもいるのだろう。
 しかし、その美しさをタイドには伝えていない。必要ないことなのだ。

 彼にいま必要なのは──。

「タイド、良く聞くんだ。今もこの先も、エルフの中にいる以上、いじめは大なり小なりある。どうにかして、それを受け流す術を身に着けるんだ。見た目を揶揄されたって、それが本当だから仕方ないだろう? 怒ったら相手の思う壺だ」

「でも…」

「要はそこを気にしているから、バカにされると怒りが湧くんだ。だったら、ありのままの自分を受け入れて、言われても気にしなければいい」

「ありのまま…?」

 タイドは大きな瞳を瞠る様にして、スウェルを見つめて来る。

「タイドが赤茶の髪なのも、肌の色がエルフと違うのも、自分では変えられないだろう? それは受け入れるしかない」

「うん…」

「でも、それは決して恥ずべき事じゃない。どちらがいいなどと優劣をつけるものではないんだ」

「……」

 タイドの瞳に落ち着きの色が浮かんだ。それを見てホッとする。

「人をいじめる奴は、いじめられた人の痛みを知らない可哀そうな者でもある。それに、自分が幸せであれば人をいじめはしないだろう?」

「うん…」

「けれど、それをすると言うことは、何か不幸を抱えている…。そうやって理解を示せば、真に受けず、受け流すこともできるだろう?」

 その言葉に、タイドはカッと頬を赤くして激昂すると。

「あいつのことなんか、理解したくないっ!」

「ほら。それじゃあ、何も変わらない。暴力はいけない。相手を陥れることもな。だが、いけないと批判したって相手は変わらない。だったら、こっちが見方を変えるんだ。相手を変えることはできなくとも、自身を変える事ならできる」

「……」

 タイドは黙って見つめて来た。

「──だが、命の危険を感じたら、俺を呼べ。何処にいても駆けつける」

 スウェルは頬に手を触れさせたまま、タイドを見つめる。
 本心から言えば、この子を傷つけるものは、何人たりとも許すことなどできない。例え、それが子どもであろうと。
 言っている事と思っている事が乖離しているのだが、今はそれを表には出さなかった。
 すると、ジッと見つめられる事に気恥ずかしくなったのか、タイドは視線を床に落とし。

「そんなこと、ないよ…。あっても、蹴られたり転ばされたり、今日は崖から落とされただけだ」

 最後の言葉にスウェルは内心、なに!? となるが。

「…一メートルもない崖だもの。ルードスだって分かってやってる。ただ、あいつが俺をいじめる理由は分かってるんだ…」

「何が原因なんだ?」

 顔を覗き込めば、タイドはじっとスウェルの顔を見つめた後、ふいに視線を逸らし。

「スウェルが…好きなんだ。成長したら、俺を追い出して、スウェルと付き合うって、息巻いてる…」

「はぁっ!?」

 流石のスウェルも素っ頓狂な声を上げざるを得ない。

「あいつ、本気だ。だから、一緒に暮らす俺が羨ましくて嫉妬して。人間なんか出てけって、空気が汚れるって。いつも言うんだ…」

「そ、そうか…」

 はて、ルードスとはどんな少年だったかと記憶を辿るが、一片の欠片も記憶にない。確か両親ともに王家に連なるものだったはず。
 タイドは縋り付くようにして、

「ねぇ。スウェルはずっと俺といるよね? 前に約束、したもんね?」

 そう必死に問うて来る。

「勿論だ。ずっといる…」

 潤んだ瞳で見上げてこられると、つい、抱きしめてしまいたくなるが、それを押しとどめて、ポンと頭に手を置くだけにする。
 ずっと──とは、行かない事などとうに承知しているが、今はそう答えておいた。

「何度も言うが、相手を理解して受け流せ。相手より大人になるんだ。それがここで生きていくコツだ。分かったか?」

「…うん」

「さあ、お湯を浴びてこい。ニテンス、用意はあるか?」

「はい、こちらへ」

 ニテンスがずっと控えていたのを知っている。
 やれやれ過保護なものだと思いつつ、スウェル自身も、ルードスの身辺を探ってみるかと思った。
 早々に手を打っておくべきだろう。

 その夜、夕餉が終わり、タイドが部屋へ戻った後、スウェルは居間でグラスを掲げながらため息をついた。
 グラスには遠方で作られた、美味しいと名高い名品の白ワインが揺れている。開け放たれた窓からは月の光が差し込んできていた。

「しかし、どうして俺みたいな年寄りを、あんな子どもが好いたの惚れたのと言うんだ? おかしいだろう?」

 すると控えていたニテンスはこともなげに。

「あのオークの群れを倒した一件で、スウェル様はすっかり有名になられましたから。あなたに思慕の思いを向けるものは男女構わず多いことでしょう」

「あれは──仕方なくやったことだ…」

 グラスの中身をぐいと煽った。

✢✢✢

 タイドの住んでいた村オルビスを襲ったオークの頭目との戦いは、今でも語り継がれている。
 退治されたオークの頭目は、元々北の洞窟を棲み家とする、かなり獰猛な部類のオークだった。ただ、人を襲うためだけに各地に出没し、人々を恐怖に陥れていたのだ。
 この地方まで遠征してきたオークの頭目の指示のもと、その手下は手始めとばかり近場の村を襲った。それがオルビスだったのだ。
 スウェルによって手下は始末され、残った頭目らも、その後の討伐で全滅した。
 あれから歳月は経ったとはいえ、今でも話題に上るのは、スウェルの活躍が目覚ましかったからに他ならない。
 それまでの、スウェルの堕落ぶりを知っていたものは尚更驚いたものだった。
 その後、戦いが終わり、父王グリューエンから褒美を取らすと言われた際、望んだのは美しい姫君でも、宝石でも、新たな土地でもなく。
 ひとりの人の子をエルフの里へ迎え入れることを許して欲しいと願い出たのだ。
 皆、一様に驚き。
 だが、他は何も受け取らないというスウェルに折れた父王は、それを許可した。
 ただし、けして人と関わらせてはいけないと念を押して。
 もし、外の悪いものと通じた場合、このエルフの里が侵される危険があったからだ。人の心は弱く簡単に悪に染まると考えられていた。
 それを受け入れ、スウェルは見事タイドと共に暮らすことを許された。
 そうして、今に至る。

「本当に、見事な戦いぶりでした。私も参戦いたしましたが、あなたはまるで太古のエルフの王の如く神々しく光り輝いていて…。あれほどの力をお持ちとは、露ほども思わず。私もまだまだです」

「お前、盛りすぎだ。あれは──特別だったんだ。この剣の力だろう? 俺は少し手を貸しただけだ…」

 スウェルは咳払いし、グラスに残ったワインをあおる。部屋の壁には飾りのように、一振りの剣が掲げられていた。件の剣だ。
 ニテンスはそれをチラと見やったあと、

「いいえ。剣は力を増幅させたにすぎません。ここまでの能力があると分かっていたのは王だけでしょう」

「どうだかな…。まあ、もういい。その話しは。酒がまずくなる…」

 スウェルはそれ上、聞くに堪えず、話題を替えた。過ぎた話はもういい。今はタイドの生活だ。

「ルードスの親は確か──」

「王の従妹です。そう悪いものではないはずですが、いかんせん、子どもにはあまり関心がないようで。世話はすっかり乳母や従者に任せている様です」

「愛情不足か…。それもあって、愛情たっぷり受けているタイドに八つ当たりか」

 確かにタイドに愛情を注いでいる。これでもかというくらい。それは見ている者には分かるだろう。
 ただし、それをなるべく行動では示さないよう、細心の注意は払っている。これも、タイドの自立の為。

 でも、本当は──抱きしめたい。

 いつもその欲求に駆られ困ってはいた。

「そのようですね。しかし、親に忠告したところで、変わることは無いでしょう。他に目が向けばいいのですが──」

「それなら、適当な相手を見つけて縁組でもさせればいいんじゃないか? 頃合いのものはいないのか?」

「そんな簡単に…。それも一つの手かとは思いますが、まだルードスは子供です。相手を無理やり見つけて与えても、それで満足するとは思えませんし、すんなり受け入れるとは到底思えませんが…」

「他に気になる相手が出来れば、タイドや俺のことなど気にしなくなる。考えて置こう」

「…こじらせなければいいのですが」

「何か言ったか?」

「いいえ。それでは私はこれにて下がらせていただきます。グラスはそのままに。おやすみなさいませ」

 ニテンスはそれで下がった。
 残されたスウェルは空になったグラスを暫く見つめていたが、ふうとひとつ息を吐き出すと、グラスをテーブルに置きそこを後にした。
 タイドの部屋の少し開いたままの扉をそっと押し開く。
 あれから九年が経つ。成長はしたがまだまだ子どもだ。なんせ、ひとりで寝るのは怖いからと、一晩中、部屋のドアを開けておくのだから。

 何歳までだったかな。一緒に寝ていたのは。

 そっとベッドの傍らに歩みより、起こさないよう腰かける。僅かに軋んだのみで、タイドが目を覚ますことはなかった。
 確か、六歳まで。
 授業を受ける様になってから、止めた気がする。ひとりでも強く生きられるようにと、身を切る思いで一緒のベッドで眠るのを止めた。
 おむつが取れてからはずっと一緒に眠っていたのだ。
 本当は、ケガを負って帰ってきたタイドを抱きしめて慰めたかった。もう大丈夫だからと、そんな学校など、行かなくてもいいと言いたかった。
 けれど、そうしてしまえば、タイドは成長できない。ずっとスウェルやニテンスを頼るばかりになるだろう。
 それではいけないのだ。ひとりでも生きていけるように、強く育てなければならない。
 寿命でいえば、どうやっても先に逝くのはタイドだ。こちらに不幸な事故がない限りはそうなる。
 だが、何がどうなるかわからない。
 ずっと守ってばかりでは、その何かに対応できないだろう。そうなってから慌てても遅い。

 それならまだ幼い今の内から強く育てねば。

 本当は、そうしなくともいい方法があるのだが、それはタイドとの間には考えられない事だった。
 赤茶の髪に指を通し梳く。
 少しウェーブがかかり、癖があるのが分かる。ちゃんと乾かさないといつも跳ねてしまうのだ。日に焼けた肌はエルフにはない。頬に浮くそばかすも。
 けれど人間であるのに、やはりエルフの中で過ごすせいか、普通の人間とはどこか気配が違っていた。

 この気持ちは何なのだろうな。

 子を持ったことはない。
 けれど、タイドはきっと同じくらいの存在だ。

 失くしたくはない。

 単なる親の愛情とはくくれない、深い思いが支配している。これを人は親の愛と呼ぶのだろうか。

「おやすみ。タイド」

 日に焼けた頬にそっとキスを落とし、部屋を後にした。

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