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36.もう一度
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十四時前、裏口に向かうと既に岳がいた。こちらに背を向けしゃがんでいる。
雲海の向こうに蒼く烟る山並みが見えた。目の前に広がる景色を見るともなしに眺めている。
岳──。
その広い背中を見ただけで、心が震える。
思わず駆け出して、抱きつきたい衝動に駆られたが、そこは理性で抑えた。
てか。そんな事していいのかも分からないのに。
まだ会いに来た理由が分からないうちから、そんな事は出来ない。
「大和。取り敢えず俺に合わせろ」
祐二は身体を屈めると俺にしか聞こえない声でそう囁いた。気配に気づいた岳が振り返って立ち上がる。
「済まないな。貴重な休憩時間に。…大和、いいか?」
気遣う優しい眼差しにドキリとする。
岳が、いる。
河原で別れたあの時に時間が巻き戻されるようだった。思わずそちらへ一歩踏み出そうとすれば。
「大和は俺と付き合ってるんです」
は?
俺はギョッとして傍らの祐二を見上げる。
祐二はあろう事か、俺の左手を取り握り締めると、指先を絡めた恋人繋ぎをした。
祐二はじっと正面の岳を見据えている。
「もし、大和を取り返しに来たんなら、残念ですけどお渡しすることはできません」
俺は、違う! と叫び出したい気持を抑えて、先程の祐二の言葉を思い起こし押し黙る。
「…本当か? 大和」
「……」
違う違う違う。
そう心の中で連呼しながらも、ギュッと目を瞑り首を縦に振って俯いた。岳はため息をつくと。
「祐二の言う通り、俺は大和を迎えに来た。大和が好きなんだ」
その言葉に顔をあげる。
好き。でも──。
「さっき、大和から聞きました。先輩、付き合っている奴がいるって。それなのにどうして迎えに来たんですか?」
「祐二も知ってると思うが、大和が見たのは紗月だ。イギリスから日本に帰ってきて今こっちでモデルの仕事をしてる。大和が来たときは丁度、撮影してた。…キスはされたが、それだけだ。その後もあっていないし、付き合ってもいない。大和が思うような関係じゃない」
「…!」
じゃあ、俺は…勘違い、してたのか? でも。
「大和に会いに行かなかったのは事実だ。一度、会いに行こうとはしたが、結局勇気が出なくてな…。花だけ置いて帰って来た。これは、真琴も知らない」
ああ。じゃあ、いつか病室前に置かれていた花は──。
会いに来てくれた事実に、心の内が明るくなる。岳は一度、深くため息をつくと。
「俺は自分に自信がなくなってた。大切に思う相手を守れなかった自分に嫌気がさして、大和を思う資格がないと思った。また、お前を同じ目に遭わすんじゃないかってな…。けど、どんなに自分を卑下しても、大和を忘れられる事なんて出来なかったんだ」
岳──。
動悸が激しくなる。
「亜貴や真琴にもせっつかれてな。でも、真琴が最後に言った、大和がずっと好きだって言ったその言葉が、俺をもう一度、奮い立たせたんだ」
そこで岳は俺をまっすぐ見つめると。
「もう、二度とこんな目には遭わせない。間に合うなら、大和とやり直したいんだ。そう思ってここへ来た。大和はどう思ってる? …もう、間に合わないのか?」
そこで視線が傍らに立つ祐二に向けられた。
「お前が祐二を好きなら、俺はもう今後一切、お前には関わらない。それがお前の幸せになるなら、俺は諦める…」
違う。俺、祐二とは…。
口を開くが、声にならない。
空気が入って来なかったのだ。ひゅっと喉が乾いた音を立てる。
なんでだ? 息が、出来ない──。
「大和?」
俺の異変に岳の表情が変わる。
「っ!? おま、過呼吸か?!」
祐二の声。
ぐらりと身体が背後に倒れかけ、それに驚いた祐二が手を伸ばすが、それより先に岳が支えた。
ハッハッと自分の呼吸音だけが耳に響く。
ちっとも空気が入ってこない。苦しくて冷や汗が頬や全身を伝う。
「大和、大丈夫だ。いいからゆっくり吐け。無理に吸おうとするな。ほら、大丈夫だ。そうだ。ゆっくり吐くんだ」
背中を大きな掌が撫でおろす。それだけで、ずいぶんと落ち着く気がした。
その胸元のシャツを必死に掴む。
どこにも、行かないでくれ。頼む。
声に出来ない代わりに、くっとそこを握り締めた。岳の表情が緩む。
「…大丈夫だ。ここに、大和の側にいる。ずっとだ」
「っ…!」
思わず、ぽろりと涙がこぼれた。それを見ていた祐二が口元に笑みを浮かべ。
「とりあえず、中で休ませましょう。大和、落ち着くまでゆっくりしてろ。夕飯の準備は残った奴でできるからさ。先輩、大和についててもらえますか?」
「ああ。まかせとけ」
そのまま岳に抱きかかえられ、俺は小屋の職員用の部屋へと連れていかれた。
+++
開け放たれた窓からは真っ青な空と白い雲だけが見える。
寝転がるとそれしか見えないのだ。
俺は岳の膝を枕にそこに横になっていた。見上げれば、岳がそこにいる。夢かと思った。
「落ち着いたか?」
「…がと…。だいぶ、良くなった」
「今まで過呼吸になったことは?」
問われて首を横に振って見せる。すると、ぽすりと大きな掌が額に乗せられた。
「…相当、ストレスあったんだな? 俺がした仕打ちを思えばそれも頷けるが。本当に、すまなかった。お前の気持ちを思えば、謝ったくらいじゃ許されないだろうが…」
俺は額に乗せられた岳の手を握り返す。
「俺は岳が会いに来てくれただけで、もういい…」
なにもかも、辛い思いをした日々も、全てそれで帳消しだ。その言葉に岳は笑う。
「お前は…。もっとなじったって、文句言って殴ったっていいんだぜ?」
「そんなの、したって仕方ねぇだろ? 俺だって、岳だってひとりの人間だ。間違うことだってたくさんある…。迷うことだって。それをいちいち、責めたって…。それより、俺は今とこれからがあれば、充分なんだ…」
過ぎた過去などもういい。
反省の材料になればこそ、いつまでもぐじぐじとほじくり返す必要はないのだ。
でなければ、せっかく与えられたこの時がもったいない。時間は無限にある訳ではないのだから。
「な、でも一つ言っておくことがある。俺、祐二とは付き合ってない。あれは──」
「分かってる。祐二が言い出したんだろ? 演技だってわかってたよ。でも、あえて乗った。その方が言いやすかったしな。お前の気持ちも確認できたし。あれは俺より、むしろ、祐二が大和の気持ちを確認したかっただけだろ」
「俺の…?」
岳は俺の握る手をそのままに、上半身をかがめると。
「俺が今も好きだって、気持ちだ…」
不意をついて、唇にキスが落ちてきた。
岳の香りと熱が伝わって、思わず目の端に涙が滲みそうになる。それに気付いた岳は。
「…っまえ、やっぱ泣き虫だ」
「っ…!」
言い返そうとした俺の唇を、今度は確実な意図をもって塞いできた。
熱い唇。吐息。今までの分を取り返すようにそれは続いた。
岳とキスをしたのは、あの亜貴が新居を真琴と見に行った日以来。
「っ…、たけ…っ」
岳と以外にこんなキスはしたことがないが、岳は上手いのだろう。俺は簡単に翻弄され、意図も簡単に意識を奪われる。
反射的にその胸元を強く掴んでいた。
「…めん…。お前、過呼吸だったってのに。抑えられなかった…」
唇を僅かに離すと、岳が済まなそうに見下ろしてくる。
濡れて艶のある唇に再度胸を高鳴らせながら。俺はその頬に手を伸ばし、両の頬を包み込むようにして。
「好きだ…。岳。好きなんだ…」
そう告げると、岳の顔が泣き出す一歩手前の様に歪んだ後。
「愛してる…。大和」
「……っ」
囁かれた言葉は熱く、温かく、俺の心を包んでいった。
雲海の向こうに蒼く烟る山並みが見えた。目の前に広がる景色を見るともなしに眺めている。
岳──。
その広い背中を見ただけで、心が震える。
思わず駆け出して、抱きつきたい衝動に駆られたが、そこは理性で抑えた。
てか。そんな事していいのかも分からないのに。
まだ会いに来た理由が分からないうちから、そんな事は出来ない。
「大和。取り敢えず俺に合わせろ」
祐二は身体を屈めると俺にしか聞こえない声でそう囁いた。気配に気づいた岳が振り返って立ち上がる。
「済まないな。貴重な休憩時間に。…大和、いいか?」
気遣う優しい眼差しにドキリとする。
岳が、いる。
河原で別れたあの時に時間が巻き戻されるようだった。思わずそちらへ一歩踏み出そうとすれば。
「大和は俺と付き合ってるんです」
は?
俺はギョッとして傍らの祐二を見上げる。
祐二はあろう事か、俺の左手を取り握り締めると、指先を絡めた恋人繋ぎをした。
祐二はじっと正面の岳を見据えている。
「もし、大和を取り返しに来たんなら、残念ですけどお渡しすることはできません」
俺は、違う! と叫び出したい気持を抑えて、先程の祐二の言葉を思い起こし押し黙る。
「…本当か? 大和」
「……」
違う違う違う。
そう心の中で連呼しながらも、ギュッと目を瞑り首を縦に振って俯いた。岳はため息をつくと。
「祐二の言う通り、俺は大和を迎えに来た。大和が好きなんだ」
その言葉に顔をあげる。
好き。でも──。
「さっき、大和から聞きました。先輩、付き合っている奴がいるって。それなのにどうして迎えに来たんですか?」
「祐二も知ってると思うが、大和が見たのは紗月だ。イギリスから日本に帰ってきて今こっちでモデルの仕事をしてる。大和が来たときは丁度、撮影してた。…キスはされたが、それだけだ。その後もあっていないし、付き合ってもいない。大和が思うような関係じゃない」
「…!」
じゃあ、俺は…勘違い、してたのか? でも。
「大和に会いに行かなかったのは事実だ。一度、会いに行こうとはしたが、結局勇気が出なくてな…。花だけ置いて帰って来た。これは、真琴も知らない」
ああ。じゃあ、いつか病室前に置かれていた花は──。
会いに来てくれた事実に、心の内が明るくなる。岳は一度、深くため息をつくと。
「俺は自分に自信がなくなってた。大切に思う相手を守れなかった自分に嫌気がさして、大和を思う資格がないと思った。また、お前を同じ目に遭わすんじゃないかってな…。けど、どんなに自分を卑下しても、大和を忘れられる事なんて出来なかったんだ」
岳──。
動悸が激しくなる。
「亜貴や真琴にもせっつかれてな。でも、真琴が最後に言った、大和がずっと好きだって言ったその言葉が、俺をもう一度、奮い立たせたんだ」
そこで岳は俺をまっすぐ見つめると。
「もう、二度とこんな目には遭わせない。間に合うなら、大和とやり直したいんだ。そう思ってここへ来た。大和はどう思ってる? …もう、間に合わないのか?」
そこで視線が傍らに立つ祐二に向けられた。
「お前が祐二を好きなら、俺はもう今後一切、お前には関わらない。それがお前の幸せになるなら、俺は諦める…」
違う。俺、祐二とは…。
口を開くが、声にならない。
空気が入って来なかったのだ。ひゅっと喉が乾いた音を立てる。
なんでだ? 息が、出来ない──。
「大和?」
俺の異変に岳の表情が変わる。
「っ!? おま、過呼吸か?!」
祐二の声。
ぐらりと身体が背後に倒れかけ、それに驚いた祐二が手を伸ばすが、それより先に岳が支えた。
ハッハッと自分の呼吸音だけが耳に響く。
ちっとも空気が入ってこない。苦しくて冷や汗が頬や全身を伝う。
「大和、大丈夫だ。いいからゆっくり吐け。無理に吸おうとするな。ほら、大丈夫だ。そうだ。ゆっくり吐くんだ」
背中を大きな掌が撫でおろす。それだけで、ずいぶんと落ち着く気がした。
その胸元のシャツを必死に掴む。
どこにも、行かないでくれ。頼む。
声に出来ない代わりに、くっとそこを握り締めた。岳の表情が緩む。
「…大丈夫だ。ここに、大和の側にいる。ずっとだ」
「っ…!」
思わず、ぽろりと涙がこぼれた。それを見ていた祐二が口元に笑みを浮かべ。
「とりあえず、中で休ませましょう。大和、落ち着くまでゆっくりしてろ。夕飯の準備は残った奴でできるからさ。先輩、大和についててもらえますか?」
「ああ。まかせとけ」
そのまま岳に抱きかかえられ、俺は小屋の職員用の部屋へと連れていかれた。
+++
開け放たれた窓からは真っ青な空と白い雲だけが見える。
寝転がるとそれしか見えないのだ。
俺は岳の膝を枕にそこに横になっていた。見上げれば、岳がそこにいる。夢かと思った。
「落ち着いたか?」
「…がと…。だいぶ、良くなった」
「今まで過呼吸になったことは?」
問われて首を横に振って見せる。すると、ぽすりと大きな掌が額に乗せられた。
「…相当、ストレスあったんだな? 俺がした仕打ちを思えばそれも頷けるが。本当に、すまなかった。お前の気持ちを思えば、謝ったくらいじゃ許されないだろうが…」
俺は額に乗せられた岳の手を握り返す。
「俺は岳が会いに来てくれただけで、もういい…」
なにもかも、辛い思いをした日々も、全てそれで帳消しだ。その言葉に岳は笑う。
「お前は…。もっとなじったって、文句言って殴ったっていいんだぜ?」
「そんなの、したって仕方ねぇだろ? 俺だって、岳だってひとりの人間だ。間違うことだってたくさんある…。迷うことだって。それをいちいち、責めたって…。それより、俺は今とこれからがあれば、充分なんだ…」
過ぎた過去などもういい。
反省の材料になればこそ、いつまでもぐじぐじとほじくり返す必要はないのだ。
でなければ、せっかく与えられたこの時がもったいない。時間は無限にある訳ではないのだから。
「な、でも一つ言っておくことがある。俺、祐二とは付き合ってない。あれは──」
「分かってる。祐二が言い出したんだろ? 演技だってわかってたよ。でも、あえて乗った。その方が言いやすかったしな。お前の気持ちも確認できたし。あれは俺より、むしろ、祐二が大和の気持ちを確認したかっただけだろ」
「俺の…?」
岳は俺の握る手をそのままに、上半身をかがめると。
「俺が今も好きだって、気持ちだ…」
不意をついて、唇にキスが落ちてきた。
岳の香りと熱が伝わって、思わず目の端に涙が滲みそうになる。それに気付いた岳は。
「…っまえ、やっぱ泣き虫だ」
「っ…!」
言い返そうとした俺の唇を、今度は確実な意図をもって塞いできた。
熱い唇。吐息。今までの分を取り返すようにそれは続いた。
岳とキスをしたのは、あの亜貴が新居を真琴と見に行った日以来。
「っ…、たけ…っ」
岳と以外にこんなキスはしたことがないが、岳は上手いのだろう。俺は簡単に翻弄され、意図も簡単に意識を奪われる。
反射的にその胸元を強く掴んでいた。
「…めん…。お前、過呼吸だったってのに。抑えられなかった…」
唇を僅かに離すと、岳が済まなそうに見下ろしてくる。
濡れて艶のある唇に再度胸を高鳴らせながら。俺はその頬に手を伸ばし、両の頬を包み込むようにして。
「好きだ…。岳。好きなんだ…」
そう告げると、岳の顔が泣き出す一歩手前の様に歪んだ後。
「愛してる…。大和」
「……っ」
囁かれた言葉は熱く、温かく、俺の心を包んでいった。
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