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草原の月
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俺は旅芸人一座に生まれた。幼少のころから芸、特に歌舞を厳しく仕込まれた。
歌を教える父は俺の声は不思議な響きと張りがあり、稀代の歌い手になれるという。舞を教える母は俺の体躯は滑らかで張りがあって、関節が柔らかく稀代の舞い手になれるという。父親譲りの美声と母親譲りの美貌は行く先々で誰よりも蠱惑的だと評された。蠱惑的、か。美しく生まれたから何だというんだ。俺は美しくなりたかったわけではなかった。特に、最近では強くそう思う。
いっぱしに舞えるようになったころから新しい仕事が増えた。母が体を壊してその仕事が難しくなったから。そして何より、その頃には母より俺の方が美しかったから。
きらきらしい衣装に袖を通すたびにため息が出る。優雅に天を舞って拍手喝采。その後は地を這って詩を吐いた。そちらのほうが実入りが良い。着飾った外面に反する塵芥のような暮らし。
旅から旅に生きる芸人の身分は低い。
旅芸人なんてものは結局のところ金を積めばどうとでもなる。積まなくても結局のところどうということもない。どちらも同じなら金を得る方がまだいい。それでも報酬が払われないことも多かった。無体を振るわれることも多かった。
結局のところ殺しても埋めてしまえば探す者もなく、後は誰もわからない。旅の空の下で野垂れ死ぬ。旅芸人というのはそんな存在だったから。
俺にとって頼れるのも信じられるのも、同じ旅を続ける一座の家族だけだった。
旅の暮らしは厳しく、最初に父が俺たちを守ろうと野党に襲われて倒れ、追うように母も病が悪化して倒れた。そうすると俺が家長だ。途方に暮れた。もう全てを放り出してしまいたい。既に疲れ果てていた。けれども俺にはまだ幼い弟妹がいた。俺の唯一の大切なもの、家族。俺がいなくなれば金を稼ぐこともできず野垂れ死ぬ。せめて一人前になるまでは面倒を見なければ。一人前か。一人前ってなんだろうな。
「もっと肩を大きく動かすように」
「兄さん、私も兄さんみたいに素敵に踊れるかな」
「よく練習することだ」
まだ幼い妹の質問に何と答えていいのかわからなかった。他に生きる方法なんて知らない。摩耗する毎日の中で、両親と同じように弟妹に歌舞を教えながら、どこかにこんな暮らしをしなくていいところはないかとぼんやりと思うようになった。父母の寝物語で聞いた桃源郷のようなところ。
今は弟の広利が琴を弾き、それに合わせて俺が舞い、妹は今は俺の前座で可愛く芸を披露するだけだ。今のところはそれでなんとかなっている。
けれどもそのうちそれだけじゃ賄えなくなる。弟妹が育てば食べる量が増える。今はまだ幼いから俺の身入りだけで済んでいるが、いずれは弟妹も俺と同じことをしなければならなくなる。小さな妹をにこにことあやす広利を見ながら、次は妹の番だろうなと思う。妹は俺とよく似て美しかった。
そのうち心は冬の朝の川のように冷たく煙るようになった。毎日をなんとか切り抜ける。家族以外何も見たくない。他は全て薄汚れている。俺自身も。
他人を目に写さないためには全てを諦めて地を這い地を見続けるか、歯を食いしばって空だけを見つめ続けるしかない。この呪われた一族の定めが身震いするほど嫌だった。これをもたらす俺の体を掻きむしって引きちぎりたい。だが傷をつくると高く売れない。だから拳を握り込むことすらできない。俺は売り物だから。
だからせめて弟妹の頭を撫でながら歯を食いしばって月を見上げた。もう地に伏せようかと思うと大切な弟妹が思い浮かぶ。そしてこの糞みたいな運命の中でいずれ弟妹が自分と同じように薄汚れて朽ちて行くと考えると胃が逆流した。せめて弟妹だけでもこの呪いから何とか救い出してやりたかった。
そして少しの時が経ち、今や妹も既にそれを覚悟している。俺が覚悟させてしまった。家長の俺が他の道を用意できなかったからだ。そのうち妹は体を売るようになり、そして妹はそのうち誰の子とも知れぬ子を産み、その子や孫も同じように掃き溜めで生まれて薄暗く死んでいくんだ。それが両親や、見たこともない祖父母や先祖がたどってきた一座の暮らしだった。
俺の一族はそれ以外の生きる道を誰も知らなかった。妹のどこか諦めたような瞳が揺れていた。
俺は妹に俺と同じことをさせたくない。この糞みたいな暮らしを。妹の瞳を見るに連れ、そんな想いがこみ上げる。俺たちは町から町へ流れるばかりで、どこかひとところに落ち着くこともできない。根無草。いつ不幸が訪れるかもわからない。俺が、俺たちが何をしたというんだ。
だから歯を食いしばって、毎日天を見上げた。天に届くように高く舞った。けれどもやはり地に押さえつけられた。嫌だ、助けて、だれも助けてくれない、だから、だから俺が弟妹を助けるんだ。俺は助からないとしても弟妹だけはなんとしても。
表面ではにこやかに笑いながら、血を吐くような思いで方法を模索した。天を見上げて、ただ空虚に美しく夜空を彩る月を眺めて、いつか両親から聞いた桃源郷というものがこの世界のどこかにあって、俺たちはそこにたどり着けると心に刻みこむこと。そんなふうに思うくらいしか俺に自由になることはなかったけど、この深いぬかるみの中でもがくような生活ではなく、ここじゃないどこかで穏やかに暮らすことを願ってその風景を心の端っこに必死で書き留めた。きっとあの遠くに見える月に桃源郷がある、と、いいな。
思うだけではたどり着けない。それにもしそんな場所があってもたどり着くには金がいるだろう。
俺は高く売れる。だから俺を高く売る。高く売れる今のうちに。足りないならその金で、妹がせめて幸福に最も高く売れるところを見つける。
俺を売って、それでも駄目なら妹を売って、それでも俺の家族かその子どもの誰かがこの肥溜めのような暮らしからか抜け出せるなら、少しは救われる、気がする。
なるべく弟妹を売らなくていいように、既に売られた自分が一番高く売れるところはどこか考えるようになった。
歌を教える父は俺の声は不思議な響きと張りがあり、稀代の歌い手になれるという。舞を教える母は俺の体躯は滑らかで張りがあって、関節が柔らかく稀代の舞い手になれるという。父親譲りの美声と母親譲りの美貌は行く先々で誰よりも蠱惑的だと評された。蠱惑的、か。美しく生まれたから何だというんだ。俺は美しくなりたかったわけではなかった。特に、最近では強くそう思う。
いっぱしに舞えるようになったころから新しい仕事が増えた。母が体を壊してその仕事が難しくなったから。そして何より、その頃には母より俺の方が美しかったから。
きらきらしい衣装に袖を通すたびにため息が出る。優雅に天を舞って拍手喝采。その後は地を這って詩を吐いた。そちらのほうが実入りが良い。着飾った外面に反する塵芥のような暮らし。
旅から旅に生きる芸人の身分は低い。
旅芸人なんてものは結局のところ金を積めばどうとでもなる。積まなくても結局のところどうということもない。どちらも同じなら金を得る方がまだいい。それでも報酬が払われないことも多かった。無体を振るわれることも多かった。
結局のところ殺しても埋めてしまえば探す者もなく、後は誰もわからない。旅の空の下で野垂れ死ぬ。旅芸人というのはそんな存在だったから。
俺にとって頼れるのも信じられるのも、同じ旅を続ける一座の家族だけだった。
旅の暮らしは厳しく、最初に父が俺たちを守ろうと野党に襲われて倒れ、追うように母も病が悪化して倒れた。そうすると俺が家長だ。途方に暮れた。もう全てを放り出してしまいたい。既に疲れ果てていた。けれども俺にはまだ幼い弟妹がいた。俺の唯一の大切なもの、家族。俺がいなくなれば金を稼ぐこともできず野垂れ死ぬ。せめて一人前になるまでは面倒を見なければ。一人前か。一人前ってなんだろうな。
「もっと肩を大きく動かすように」
「兄さん、私も兄さんみたいに素敵に踊れるかな」
「よく練習することだ」
まだ幼い妹の質問に何と答えていいのかわからなかった。他に生きる方法なんて知らない。摩耗する毎日の中で、両親と同じように弟妹に歌舞を教えながら、どこかにこんな暮らしをしなくていいところはないかとぼんやりと思うようになった。父母の寝物語で聞いた桃源郷のようなところ。
今は弟の広利が琴を弾き、それに合わせて俺が舞い、妹は今は俺の前座で可愛く芸を披露するだけだ。今のところはそれでなんとかなっている。
けれどもそのうちそれだけじゃ賄えなくなる。弟妹が育てば食べる量が増える。今はまだ幼いから俺の身入りだけで済んでいるが、いずれは弟妹も俺と同じことをしなければならなくなる。小さな妹をにこにことあやす広利を見ながら、次は妹の番だろうなと思う。妹は俺とよく似て美しかった。
そのうち心は冬の朝の川のように冷たく煙るようになった。毎日をなんとか切り抜ける。家族以外何も見たくない。他は全て薄汚れている。俺自身も。
他人を目に写さないためには全てを諦めて地を這い地を見続けるか、歯を食いしばって空だけを見つめ続けるしかない。この呪われた一族の定めが身震いするほど嫌だった。これをもたらす俺の体を掻きむしって引きちぎりたい。だが傷をつくると高く売れない。だから拳を握り込むことすらできない。俺は売り物だから。
だからせめて弟妹の頭を撫でながら歯を食いしばって月を見上げた。もう地に伏せようかと思うと大切な弟妹が思い浮かぶ。そしてこの糞みたいな運命の中でいずれ弟妹が自分と同じように薄汚れて朽ちて行くと考えると胃が逆流した。せめて弟妹だけでもこの呪いから何とか救い出してやりたかった。
そして少しの時が経ち、今や妹も既にそれを覚悟している。俺が覚悟させてしまった。家長の俺が他の道を用意できなかったからだ。そのうち妹は体を売るようになり、そして妹はそのうち誰の子とも知れぬ子を産み、その子や孫も同じように掃き溜めで生まれて薄暗く死んでいくんだ。それが両親や、見たこともない祖父母や先祖がたどってきた一座の暮らしだった。
俺の一族はそれ以外の生きる道を誰も知らなかった。妹のどこか諦めたような瞳が揺れていた。
俺は妹に俺と同じことをさせたくない。この糞みたいな暮らしを。妹の瞳を見るに連れ、そんな想いがこみ上げる。俺たちは町から町へ流れるばかりで、どこかひとところに落ち着くこともできない。根無草。いつ不幸が訪れるかもわからない。俺が、俺たちが何をしたというんだ。
だから歯を食いしばって、毎日天を見上げた。天に届くように高く舞った。けれどもやはり地に押さえつけられた。嫌だ、助けて、だれも助けてくれない、だから、だから俺が弟妹を助けるんだ。俺は助からないとしても弟妹だけはなんとしても。
表面ではにこやかに笑いながら、血を吐くような思いで方法を模索した。天を見上げて、ただ空虚に美しく夜空を彩る月を眺めて、いつか両親から聞いた桃源郷というものがこの世界のどこかにあって、俺たちはそこにたどり着けると心に刻みこむこと。そんなふうに思うくらいしか俺に自由になることはなかったけど、この深いぬかるみの中でもがくような生活ではなく、ここじゃないどこかで穏やかに暮らすことを願ってその風景を心の端っこに必死で書き留めた。きっとあの遠くに見える月に桃源郷がある、と、いいな。
思うだけではたどり着けない。それにもしそんな場所があってもたどり着くには金がいるだろう。
俺は高く売れる。だから俺を高く売る。高く売れる今のうちに。足りないならその金で、妹がせめて幸福に最も高く売れるところを見つける。
俺を売って、それでも駄目なら妹を売って、それでも俺の家族かその子どもの誰かがこの肥溜めのような暮らしからか抜け出せるなら、少しは救われる、気がする。
なるべく弟妹を売らなくていいように、既に売られた自分が一番高く売れるところはどこか考えるようになった。
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