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落月
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武帝は権謀術数渦巻く高貴な女性のふるまいに飽きている。
だから妓女を愛するのだろう。衛皇后ももともとは妓女だ。多くの貴妃が盆に郷里に帰る時、当時はまだ後宮で低い身分だった衞皇后は武帝に寂しいと泣きついて寵を得たと聞く。高貴な女性はそんな子供じみた姿を武帝に見せることはない。おそらく平陽公主の指示だろう。
だから妹には貴妃のように取り繕う必要はないと教えた。
それがよかったのか妹は武帝の寵愛を受け、翌年には男児劉髆を産んだ。妹が懐妊している間は妹の様子の報告というていで俺が武帝に侍り、妹への興を繋いだ。劉髆が産まれた時、俺と妹は抱き合って喜んだ。この子は李の一族ではなく、皇族として生まれたのだ。
そのころ広利は武官として士官していた。妹は後宮から自由に出ることはできないから、俺が宮廷の端で広利に会い、共に喜んだ。
劉髆は少し細くはあるようだが、柔らかな髪を揺らし紅い頬を膨らませてよく泣いた。李家の期待。この深い沼から抜け出すための輝かしい子ども。劉髆は武帝にとって末子であり、よく愛された。第5位の公子。武帝と妹とが語らい、その隣で劉髆を俺があやす。この子は、そしてこの子の子孫はきっと豊かな暮らしができるだろう。その笑顔を半分見えない目で思い浮かべた。
妹は子をなしたことから夫人の地位と室を賜り、李夫人と呼ばれた。皇后に次ぐ位である。給金も格段に増えた。俺は帝の外戚となった。それを笠にきる者も多いと聞くが、俺は変わらず敵を作らぬよう下手に出た。
平陽公主は俺と妹を呼び出し衛皇后と同じ皇后の位を望むかと尋ねたが、俺と妹は夫人の地位を求めた。あくまで俺と妹は平陽公主と衛皇后の下である。その返答に平陽公主は満足げに頷いた。
漢の太子は衛皇后の生んだ劉拠であり、すでに成人している。平陽公主は衛皇后の兄の衛青を夫とし、劉拠は平陽公主の甥にあたった。帝の血を継ぐ劉髆は次世を争う劉拠の潜在敵だ。けれども劉髆は劉拠に何かあった場合の保険、平陽公主の駒になる。だから平陽公主としても支配下に置きたい。庇護を得たい俺と妹と平陽公主利害が一致する。恭順を示すのがよい。
それに俺も妹も劉髆が帝になるなど望んでいない。
次は妹と劉髆を守らねばならない。今、妹と劉髆は武帝に愛されている。けれどもこれは後宮の中だけだ。それは十分に承知していた。後宮の内側では何かがあっても記憶には残らず闇に葬られるのが常だ。
武帝の最初の子を生んだ衛皇后も前皇后の陳皇后に呪術によって呪われ、弟の衛青は監禁された。俺と妹の地位はそれより更に危うい。どこの馬とも知れぬ宦官と技女に後ろ盾などないのだ。劉髆が武帝に可愛がられていることは後宮内では知れ渡っている。後ろ盾がなければあっという間に葬られてしまう。他の公子から命を狙われぬためにも帝位を望んでいないことと公主の後ろ盾があることを示さなければならない。
今は足場を固める時期だ。少なくとも劉髆が幼児の期間を過ぎて、健康に不安がなくなるまでは。
結局の所、俺と妹を守るのは平陽公主しかいない。その庇護を失うわけにはいかず、平陽公主に敵視されるわけにはいかない。跪けと言われれば跪こう。沓を舐めろというなら舐めよう。今は平陽公主にとっても俺と妹には価値がある。
武帝は足繁く妹の室に通った。なるべくこのまま、地位を固めたい。
俺はさりげなく妹を思わせるような詩を献上し、妹を思わせるような仕草で妹が来訪を喜んでいると告げ、妹の室を武帝の好みで彩った。武帝は神仙に傾倒している。楽府には道教にかかわる歌の情報も入るから、そのような話を郷里で知ったという体に仕立てて妹に仕込んだ。
俺も妹も用心はしていた。
俺は基本的に武帝の側か楽府にいて、常に人目があるから下手な真似はできない。とはいえ頻繁に毒を盛られ仕込まれる。けれども俺は何かあってもすぐに人目が届くし致命的なものは回避できている。
一方貴妃は基本的に自室で生活し、そこで客を迎える。妹には5人の下働きがついたが全てが平陽公主の手配だ。見張りも兼ねているようだが何ら問題はない。平陽公主に隠すことなど何もないのだから。それに後宮のどろどろした内情に詳しい者がついているならかえって安全だ。だから妹は常に室に閉じこもって暮らしている。籠の鳥のような暮らしだが、劉髆が小さい間は致し方がない。
けれども、足りなかった。
ああ、足りなかった。
奥歯が砕ける音がする。爪が手のひらに食い込む。涙が出ているのに気がついて目元を拭うと布が赤く染まった。あと一歩、あと一歩だったのに。
おのれ。
おのれ。
おのれ。
運命よ。
呪われた運命よ。
何故そこまで李に仇をなす。
俺たちが何をしたというのだ。
俺たちは不幸であり続けねばならないのか。
ソウイウモノだとでもいうのか。巫山戯るな。
畜生、畜生、畜生め。
いや、まだだ。
俺はそれを覆す。
何があっても、何をしても。
必ずそれを成し遂げる。
必ずだ。
見ていろ、必ずだ。
俺の楔はまだここに刺さっている。
この国の最も尊きこの場所に。
見ていろ。運命よ。
俺は必ずこの地位を守り抜く。
妹のためにも。
だから妓女を愛するのだろう。衛皇后ももともとは妓女だ。多くの貴妃が盆に郷里に帰る時、当時はまだ後宮で低い身分だった衞皇后は武帝に寂しいと泣きついて寵を得たと聞く。高貴な女性はそんな子供じみた姿を武帝に見せることはない。おそらく平陽公主の指示だろう。
だから妹には貴妃のように取り繕う必要はないと教えた。
それがよかったのか妹は武帝の寵愛を受け、翌年には男児劉髆を産んだ。妹が懐妊している間は妹の様子の報告というていで俺が武帝に侍り、妹への興を繋いだ。劉髆が産まれた時、俺と妹は抱き合って喜んだ。この子は李の一族ではなく、皇族として生まれたのだ。
そのころ広利は武官として士官していた。妹は後宮から自由に出ることはできないから、俺が宮廷の端で広利に会い、共に喜んだ。
劉髆は少し細くはあるようだが、柔らかな髪を揺らし紅い頬を膨らませてよく泣いた。李家の期待。この深い沼から抜け出すための輝かしい子ども。劉髆は武帝にとって末子であり、よく愛された。第5位の公子。武帝と妹とが語らい、その隣で劉髆を俺があやす。この子は、そしてこの子の子孫はきっと豊かな暮らしができるだろう。その笑顔を半分見えない目で思い浮かべた。
妹は子をなしたことから夫人の地位と室を賜り、李夫人と呼ばれた。皇后に次ぐ位である。給金も格段に増えた。俺は帝の外戚となった。それを笠にきる者も多いと聞くが、俺は変わらず敵を作らぬよう下手に出た。
平陽公主は俺と妹を呼び出し衛皇后と同じ皇后の位を望むかと尋ねたが、俺と妹は夫人の地位を求めた。あくまで俺と妹は平陽公主と衛皇后の下である。その返答に平陽公主は満足げに頷いた。
漢の太子は衛皇后の生んだ劉拠であり、すでに成人している。平陽公主は衛皇后の兄の衛青を夫とし、劉拠は平陽公主の甥にあたった。帝の血を継ぐ劉髆は次世を争う劉拠の潜在敵だ。けれども劉髆は劉拠に何かあった場合の保険、平陽公主の駒になる。だから平陽公主としても支配下に置きたい。庇護を得たい俺と妹と平陽公主利害が一致する。恭順を示すのがよい。
それに俺も妹も劉髆が帝になるなど望んでいない。
次は妹と劉髆を守らねばならない。今、妹と劉髆は武帝に愛されている。けれどもこれは後宮の中だけだ。それは十分に承知していた。後宮の内側では何かがあっても記憶には残らず闇に葬られるのが常だ。
武帝の最初の子を生んだ衛皇后も前皇后の陳皇后に呪術によって呪われ、弟の衛青は監禁された。俺と妹の地位はそれより更に危うい。どこの馬とも知れぬ宦官と技女に後ろ盾などないのだ。劉髆が武帝に可愛がられていることは後宮内では知れ渡っている。後ろ盾がなければあっという間に葬られてしまう。他の公子から命を狙われぬためにも帝位を望んでいないことと公主の後ろ盾があることを示さなければならない。
今は足場を固める時期だ。少なくとも劉髆が幼児の期間を過ぎて、健康に不安がなくなるまでは。
結局の所、俺と妹を守るのは平陽公主しかいない。その庇護を失うわけにはいかず、平陽公主に敵視されるわけにはいかない。跪けと言われれば跪こう。沓を舐めろというなら舐めよう。今は平陽公主にとっても俺と妹には価値がある。
武帝は足繁く妹の室に通った。なるべくこのまま、地位を固めたい。
俺はさりげなく妹を思わせるような詩を献上し、妹を思わせるような仕草で妹が来訪を喜んでいると告げ、妹の室を武帝の好みで彩った。武帝は神仙に傾倒している。楽府には道教にかかわる歌の情報も入るから、そのような話を郷里で知ったという体に仕立てて妹に仕込んだ。
俺も妹も用心はしていた。
俺は基本的に武帝の側か楽府にいて、常に人目があるから下手な真似はできない。とはいえ頻繁に毒を盛られ仕込まれる。けれども俺は何かあってもすぐに人目が届くし致命的なものは回避できている。
一方貴妃は基本的に自室で生活し、そこで客を迎える。妹には5人の下働きがついたが全てが平陽公主の手配だ。見張りも兼ねているようだが何ら問題はない。平陽公主に隠すことなど何もないのだから。それに後宮のどろどろした内情に詳しい者がついているならかえって安全だ。だから妹は常に室に閉じこもって暮らしている。籠の鳥のような暮らしだが、劉髆が小さい間は致し方がない。
けれども、足りなかった。
ああ、足りなかった。
奥歯が砕ける音がする。爪が手のひらに食い込む。涙が出ているのに気がついて目元を拭うと布が赤く染まった。あと一歩、あと一歩だったのに。
おのれ。
おのれ。
おのれ。
運命よ。
呪われた運命よ。
何故そこまで李に仇をなす。
俺たちが何をしたというのだ。
俺たちは不幸であり続けねばならないのか。
ソウイウモノだとでもいうのか。巫山戯るな。
畜生、畜生、畜生め。
いや、まだだ。
俺はそれを覆す。
何があっても、何をしても。
必ずそれを成し遂げる。
必ずだ。
見ていろ、必ずだ。
俺の楔はまだここに刺さっている。
この国の最も尊きこの場所に。
見ていろ。運命よ。
俺は必ずこの地位を守り抜く。
妹のためにも。
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