叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼(旧Ver

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第2章 橋屋家撲殺事件

今はいつなんだ? 夢の中の今は? 時的接続性

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「起きろハル! 大丈夫? ねえ!」
 バシという音と共に頬に伝わる強い衝撃。
 うっすら目を開けると、わずかに灰色みを帯びた公理智樹の瞳が目の前で揺れている。目元が赤い。
「痛いよ。起きた」
 公理智樹を押しのければ、くらりと目眩がした。
 頭痛ぇ。二重の意味で。糞。
 この酔っ払いは力加減というものを覚えたほうがいい。その頬にはわずかに赤みがさしている。泥酔ではないとはいえ、酔っ払ってるなら何を言ったって仕方がない。
「本当に?」
 再び近づく手を振り払う。
「一体なんなんだ?」
「らってなんか、もの凄くうなされてたから。ハルが挟まってる扉が開きそうらったし」
「扉が?」
 夢を思い出して慌てて手を見る。大丈夫、ひび割れてない。まああれは夢だから当然か。いや。
 どういうことだ。あの家は何だ。
 俺は夢の中で、あの家の敷地に立ち入った。そして現実の俺に憑いたリビングの扉が開きそうになった?
「夢だぞ?」
「夢? 何のこと?」
「……夢の中で家に会ったよ。それでお前の友達を外に出してほしいって頼まれた」
 公理智樹はガタリと椅子を揺らし、慌てて俺から離れる。
「家に? 何れ?」
 何で? 家。夢の中の家。
 夢の内容は覚えてる。あれは何なんだ? 姿は見えなかったが子どもの声が聞こえた。坂の上で聞いた声や和室を背後に扉越しに聞いた声と印象は似通っている。けれども。
「ねぇハル、家ってろういうポジションなのさ? 歌菜を食べてたじゃん 俺の友達も食べようとしてんじゃないの? らのに外に出すの?」
 公理智樹の眉間にしわがより、手元のボトルに手を延ばす。周りを見ると2本ほど瓶が転がっていた。
「わからない。わからないよそんなこと。けれども夢の中じゃ、家に嫌な感じはしなかった。……助けようとしていた、気はする。それともあれは家じゃないのかな、家って何なんだ?」
「家は家……らよね?」
 俺が不運の予兆を感じたのいつだ。坂を登ったとき。和室を背後に何者かが俺の背に触れたとき。
 夢の中では崩壊の兆しが現れるまで、不運の予兆は全くなかった。とすれば、あの崩壊の後に呪いとでもいえる不吉なものが発生する、のだろうか。
 崩壊するとどうなる? 歌菜を、つまり人を食う家に引きずり込まれる可能性があるのか?
 全身を這い回る不運の予兆を思い出し、思わず身震いがした。
 それはまずい。まずいぞ。非常にまずい。公理さんが言った通り、放っとくと正気じゃないほどヤバい。それが身に染みた。何故なら夢の中の俺は、あの家がヤバいとは全く認識していなかったからだ。微塵もだ。とすれば俺はあの和室に無警戒に入るかもしれない。そうすると、食われる?
 今更ながら背中を冷や汗が伝う。まずい。
 夢を見ちゃ、駄目だ。
 壁の時計を見ればと時刻は午前2時20分。寝始めてから2時間弱。
 夢を見ないためには。夢であの家に入らないためには。
 夢とはもとより不確かなものだ。明確な対処方法は、夢を見ない、しかない。夢を見るのは寝てからしばらくたった後のレム睡眠期だ。そうすると、1時間半程度ごとに起きれば、夢はみないだろう。
 気が進まない。それは一体いつまで続く。そんな生活じゃ、次第に判断力は鈍ってくる。それに体力もいつまでももたない。俺はどこまで保つ?
 これは扉が付いている限りは付属するリスクか?
 扉が勝手に消滅することは、期待できないよな。時間が経つにつれ、悪化する要素しかない。
 それならば、それであれば。まともな判断力があるうちに、多少のリスクをとってでも早期解決しなければならない、のか。

 考えをまとめよう。
 頭の中の混乱を無理やり傍に寄せる。
 公理智樹は俺が寝ている時、『扉』が開きかけていたと言っていた。何故開く? そしてそれはいつだ。いつ開いた。
 『夢』に入った時の可能性。
 『夢』が崩壊を始めて以降の可能性。
 公理さんがうなされる俺を起こそうとしたことが切欠の可能性。
 そして俺に憑いている『扉』はその時、どこと繋がろうとしていた?
 崩壊を始めた『夢』の中に? それも妙な話だ。
「夢の中の世界はひび割れていた?」
「ひび……? よくは見ていなかったけど、そんな事はなかった、気がする?」
 冷静に考えれば、繋がる先は『リビングの扉ごしに見た家』だろうか。
 夢の中のリビングは、寝る前に扉から覗いたあの家のリビングと似通って見えた。両方ともソファに柚がいたが、髪型も肩口から見えた服も扉の中で見たものと同じだったように思う。
 そもそも『夢』の中と『扉』の中は同じ場所なのだろうか。
 『扉』は最初、俺に悪い印象をもたらすものではなかった。けれども和室の何者かが突然不運をもたらした。
 『夢』の中で不運の予兆を感じたのは崩壊するときだ。
 とすれば不運の予兆は何かの切掛とともに現れる? 
 そしてその不運は、俺のいるこの『現実』と繋がっている、のだろうか。わからないことだらけだ。

 公理さんの話を前提とすると、歌菜を食っていた和室の存在はそのまま現実の公理さんを気絶させ、俺の背中に触れて扉を越えてきた。『現実』と『扉』の中身に連続性がある。だから俺の背の扉が繋がる先は、『現実』のあの家なのだと思う。時点がずれていると考えればシームレスすぎる。つまり俺の背中の『扉』の先は、夢の中などと言うあやふやなものではなく、リアルタイムに存在する現実に接続されていると考える方が、矛盾が乏しい。
 『扉』の向こうの家と『夢』の中の家が同じものならば、和室にいた歌菜を食べていた存在も『夢』の家の中にもいるはずだ。寝ると、記憶がないまま和室の存在と対峙する可能性がある。『夢』の中の俺は目を開ければ起きられることも認識していない。夢の中で目を開けるとは、つまり起きることだよな。まず『夢』の中だと気が付かなければ逃げられない。
 あの『夢』は『扉』と同じように『現実』と繋がってるか否か。あれが夢に仮体した何かなのだろうか。俺は『夢』の中で『扉』の中と同じように、あの和室にいた存在に襲われる可能性がある。
「やらから!」
 視線を向けると公理智樹は即答した。
 酒が入ってる公理智樹なぞ、こちらこそ御免被りたいのは山々なんだがな。
「友達の状態をチラッと見るだけだ」
「とも、だち?」
 公理智樹はうろたえた。
「もともと、あんたは友達を助けたいんだろう? 俺の見た『夢』は現実なのか、『扉』の中と同じかどうか一瞬だけでいい」
「一瞬……」
 公理智樹は悩むように視線を彷徨わせる。公理さんは中途半端に人がいい。その表情にはすでに心配が浮かんでいた。
「心配なんだろ?」
「……ほんとに、一瞬?」
「ああ、それに家がいたらすぐやめる。俺だって会いたくないから」
 しぶしぶと同意した公理さんと新しいルールを決める。
 手と手を重ねる方式じゃ、どちらかが気絶した時に気づかない。だから右手同士を組む。握手だ。
「気絶すれば力の入れ具合でわかるはずだ」
 そう言い添える俺に、公理智樹は嫌そうに右手を差し出す。
 後で恨まれるだろうが仕方ない。そもそもこれは公理さんが始めたことだ。
 今の時点で、首筋の予兆に変化はない。それを確かめ、恐る恐る目を閉じてリビングを思い浮かべ、俺の視界は『現実』から『扉』の内側へシフトする。

 目の前のソファには変わらず柚が座っていた。先ほどの『夢』で庭から見た光景と合致する。寝る前に扉越しに見た寝ころんだ姿と違って座っているが、うつらうつらとしているようだ。ソファの背後の壁にかかった時計を見れば、2時25分。
「公理さん、今何時何分?」
「ん……と、2時25分だね」
 『扉』の中の時間と『現実』の時間は一致した。秒針の動きも、通常とは異ならなさそうだ。柚の背後にまわり、庭から見た様子と重ねても、違和感はなかった。先ほどの『夢』はリアルタイムのこの家をうつし、つまり『現在』に繋がっていたのだろうか。つまりこの家の中には和室にいた奴がいる。俺は安心して眠れない。目の前が暗くなる。けれども俺は、これを解決する。そう決めた。

 さて、と。
 キッチンの奥の扉に目を向け、慎重に歩き出す。
 扉をすり抜ければ正面右前方に2階へ上る階段、その右には短い廊下の先に玄関スペースが見えた。やはり一般的な一戸建ての間取りのようだ。
 通常を考えれば、左前方は洗面室で、恐らくその奥は風呂場。ということは左のドアはトイレかな。
 階段を上がる。繋いだ腕が震える。
「ハル、待って、すぐやめるって約束」
「やめるわけないだろ。単純すぎだ」
 俺の手を振りほどこうとする公理智樹の手に力を込める。
「手を放しても、俺は見るのをやめない。危険なのが和室だけとは限らない。俺は幽霊が見えない。だから、今度こそ俺が挟まってる『扉』から家が出てくるかも、な?」
 ビクっと震える公理智樹の右手。
「やだ」
 少しのためらいの後、俺の手は恐る恐る握り直される。
「嘘つき」
「きちんと状況を解説しろ。もう1回見るのは嫌だろ?」
「マジ最悪……」
 公理智樹があきらめた。ぶつぶつ文句をたれているが、構わない。このまま進めよう。
 2階に上がると電気は消えていた。まいったな、今は夜中だった。明日の明るいうちに改めたほうがいいだろうか。騒ぐ公理智樹を無視して振り返る。指が折れるかと思うほど、強く手が掴まれる。
「何か見える?」
「見えるよもう、めっちゃ見える。お化けがうようよしてる。もうハロウィンパーティだ。巫山戯ん……あれ? 降りるの?」
「残念ながら俺には真っ暗でわからないからな」
「……そう、よかった」
 ほっとした温かいため息が手にかかる。

 階段を下りて向かって左手側にある玄関に向かう。
 気になっていたこと、俺は『夢』の中で家から外に出られるのか。『扉』から覗く場合、目を開ければ現実に戻れる。けれども夢では夢と認識していないから『現実に目を開ける』感覚は掴めないだろう。だからおそらく、俺は窓や玄関から逃げようとするはずだ。
 脱出口の有無はリスクの検討に必須だ。
 ドアノブはすり抜けた。直接ドアに触れる。抵抗を感じた。ドアに触れた感触はないが、何かのっぺりとした壁がある。例えるならこの感触はシリコン。玄関に向かって左側の靴箱の上の壁も同様、のっぺりとした感触で阻まれた。確かこの先は、『夢』の中で玄関から見た時は駐車スペースだったはずだ。
 玄関に向かって右側、和室がある方の壁に手を向けると、予想通り手は壁をすり抜けた。
「ちょっ、ちょっと待って、その部屋は嫌だ、絶対」
 逃げようと狼狽える手を強く掴む。
「さすがに今は入らないよ」
「今……?」
 不審げな声をよそに再びリビングに戻る。あいかわらずうつらうつらと船をこぐ柚の隣をすり抜け、ソファの背後の庭に面した窓ガラスに触れる。やはりここも透明なのっぺりした壁に阻まれた。家の中から外には出られそうにない。一旦家に入ってしまえば、起きるしか外に出る方法はないのか。糞。
 窓の外は見える。暗くてよくわからないが、木が一本生えていて、雑草が茂っている。『夢』の中と変わらない。
 今確認できるのはこのくらいか。
 そう思った瞬間、俺の首筋は再び総毛立つ。
「ヒッ。ハル、家がいるよ! 起きて! 早く起きて! 早く」
 公理智樹が逃げ出さないよう、強く手を握る。
「ちょっ、目を開けて、ほんとに、ほんとに戻ってきて、ヤバい」
 どこから出すのかと思うような強い力で手を振り払おうとする公理智樹をよそに、振り返る。
 ソファに座る柚の後頭部と和室の間に存在する重く息苦しい空気の溜まり。黒い闇がそろそろと集まっていく。増大する不運の予兆にねじれ裏返る俺の胃の腑が胃酸を喉に押し上げる。膨れ上がっていく狂気。けれどもその闇はその場で留まったままで、すぐに襲いかかってくるような気配はない。この恐ろしい不吉の塊は、それでも俺に襲いかかってはこない。それが一番確認したかったことだ。ずきりと額の傷が痛むが、直接敵では、ない。けれども歯の根がガチガチと音を立てる。
 俺の背中に触れたのはこいつだ。やはり、現時点で俺を襲うつもりはない。穏やかに感じた『夢』の中の声と似ても似つかないこいつは、けれども同じ物なのだろうか。やはり、こいつ俺に何か用事があるのだろう。
 それならこれだけは確かめたい。
「俺は何をすればいい?」
 ミン ナ ォ シァワ セ ニ シ
「幸せ?」
 ……ノロ ィ トィ テ
 寝る前に聞いた叫び声と違い、酷いノイズの中から聞こえたその音はわずかに声として認識できた。
 『夢』であの声が言っていた『ラインがつながった』ということだろうか。目の前の不運の塊のような存在にさらに黒い禍々しい闇が集まりだし、それが飲み込まれる気配とともに俺は大きく息を吐いて目を開けた。
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