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輪廻裁判
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目を開けると、深い闇に包まれていた。
いや、全てが闇ではない。目を凝らすと、恐ろしく広大な闇の中に、小さな光が無数に散らばっている。
「なんだここは・・・。宇宙か?」
男は死んだはずだった。なのに今、自分の体が宇宙空間らしきところに浮いている。男は手足をバタつかせ必死にもがくが、前にも後ろにも進めない。
いくら叫ぼうがもがこうが、自分の声も、体のこすれる音さえも聞こえなかった。音が一切聞こえないのだ。
周りを星がおおっているとはいえ、闇は深い。自分の手足さえ暗すぎて見えない。
恐怖に震えた。全身を汗が伝う。
「ふざけんじゃねえ、なんだよここは、俺を元の場所に戻せ!」
音にはならない声をあげ、暴れ続けた。その時、突如目の前に背もたれのある椅子が現れた。
光を浴びている訳ではないのに、なぜかその椅子だけがはっきりと見える。男は慌てて椅子をつかみ、腰掛けた。
荒い息を整え、手の震えを必死に抑る。落ち着きを取り戻すと、男はこの空間にくる直前の事を思い出そうとしていた。
男の名は外崎ナオヤ。四十年生きてきたなかで、あらゆる犯罪を犯してきた。十代から万引きや暴走行為、窃盗を幾度となく繰り返し、少年院にも刑務所にも入った。何度出所しても、更正することなく犯罪に手を出した。
犯罪を犯すことにより、サディスティックな性的興奮をも感じてしまうほど、異常な人間性を抱えた男だった。特に弱いものをいたぶり、いじめることに強く興奮した。
学生時代も弱そうな人間を見つけては孤立させ、教師の目につかない場所で暴行し、やがてはその生徒を自殺するまで追い込んだ。
さらには、気に入った女子生徒を呼び出し、性的暴行をする行為もしていた。しかし、外崎の心には常に微塵の罪悪感も反省もなかった。
外崎は背が高いが細身で、決して屈強な男には見えない。だが少年時代から皆が彼を恐れた。彼の異常性を持った目つきと、表情。
そして何よりも、小学4年生の頃に同級生と喧嘩し、ナイフで相手の腹を何度も刺す事件を犯した事が決定打だった。
幸いにも相手は命に別状はなかったが、皆の恐怖心をあおるには充分だった。外崎を怒らせると殺される。という危険性を感じて誰も逆らえなかった。
やがて二十代になると闇の道に入る。そこから外崎の狂暴性は更にエスカレートした。
何度か殺人を犯したが、他人に罪をなすりつけたり、自殺に見せかけたりしたが、そこに一番の強い快楽を覚えた。
更に狡猾であった為、若くして次期組織のリーダーの座を有力視されるほどの地位にまでのぼりつめていた。
「俺以外の人間は全部クズだよ。そこいらの虫みてえなもんよ。」
こう言って高笑いするのが、彼のクセだった。
暗闇の中、外崎はしばらく椅子に腰掛けうなだれていたが、今日人気のない道を歩いているとき、暴走してきた大型トラックにひかれたのを思い出した。
その瞬間の言葉にならないほどの激痛。体が引き裂かれる感覚。自分が死にゆくこと。
「ちくしょおおーっ」
外崎は内蔵を喉から吐き出すほどの勢いで、何度も何度も叫んだ。その声はこの空間では全く聞こえない。
しかし、そんなことはお構いなしに喉が枯れるまで叫んだ。
組織の連中を束ね、それを広げる事に生き甲斐を感じていた。
その間際に、自分が死んでしまった事への怒りに、我を忘れ狂気の余り涙も流れた。
やがて疲れはて、椅子に座ったままうなだれていると、突如外崎は真っ白な空間に包まれた。光におおわれた何もない無機質な白い空間だ。
その明るさで、やっと自分の体が見えた。突然の事で訳もわからず、呆然と自分の手のひらを見つめ続けていた。
すると、はるか前方に何かが見えてくる。人だろうか。複数の人間がうごめいている映像のような物が、高速でこちらに迫ってくる。外崎は目を凝らした。
「あれは俺か?そうだ、俺だ、俺のガキの頃だ。」
外崎の少年期。同級生をナイフで刺したあの状況の映像が、テープの巻き戻し画像のように何度も繰り返しながら、遥か彼方からすごい勢いで迫ってくる。
映像は近ずくにつれ、映画のスクリーンほど巨大なのがわかった。体にぶつかる瞬間、外崎は悲鳴をあげ手足をバタつかせたが、スクリーンはそのまま体をすり抜けていった。
その後、あっけにとられる彼の前を、今まで自分が犯してきた犯罪の映像が、連続して次々に迫っては通り抜けていく。
その数は一人の人間が犯す犯罪にしては膨大な数だった。最初は理解不能な現象に驚いていたが、やがて飽きたようにうなだれ、遂には自ら犯した犯罪の映像に賞賛の拍手をし、笑みを浮かべた。
そして最後の映像が通りすぎると、外崎は聞こえない叫び声で叫ぶ。
「神様なのかなんか知らねえが、何だよ今のは。今のを見て、俺に人生の反省をしろってのか。悪いがな、俺はそんな善人じゃねえんだよ、そんなことより、俺をひき殺しやがったトラックの運転手を罰しろよ、あいつも俺を殺した犯罪者だぞ、いや、俺を生き返らせて俺にあいつを殺させろ!」
そう言って椅子から立ち上がったその瞬間、突如足元から徐々に闇が広がり始め、凄まじいスピードでその闇に体が吸い込まれる。人間離れした凶悪性を持つ外崎でさえも、恐怖の余り目を閉じた。
うっすら開けた目からは、凄まじい勢いで星が横切っていくのが見えた。木星らしき星や土星らしき星。その横を我が身が通過していく。わけもわからぬまま、外崎は気を失った。
音が聞こえる。それも、滝のように大きな水の音。なにかはわからない。しかもその音の塊が、先程から頭から背中、お尻にかけて何度も何度も衝突し、衝撃が走る。当たってはそれが弾ける。
「雨か・・・?」
いや、それにしては雨の粒一つ一つが大きすぎる。衝撃も大きい。おかしい。
外崎はいまどこにいるのか確かめようとゆっくりと目を開けた。なぜかまぶたが異常に重い。体のあらゆる部分に違和感を感じる。
なぜか以前より視野が広い。呼吸する度に顎の下が大きく鼓動する。体が重い。そして異常に寒い。
何より、目の前にみえている草の一つ一つががやたらと大きい。自分の体の3倍近くはあるだろうか。
お腹と足が地面についた状態で、二本足で立ち上がろうとしても立ち上がることができない。
四つん這いのような体勢のままうまく体が動かない。必死にもがくが、手も足もうまく動かせない。
その間にも水が落ちてくる轟音と水が体に落ちてくる衝撃が続く。まるでバレーボール大の水の玉を、空から落とされ続けられているかのようだ。
外崎は予感していた。自分の体が以前とは全く違う。信じたくない。悪夢を見ているようだ。いや、しかしこれはそうとしか思えない。あり得ない。確かめたくない。しかし、確認しなければ。
ゆっくりと視線を下に向けてみる。顔はほとんど動かない。しかし、目だけは多少下に動かすことができた。
やはりそうか。茶色い腕に、ぶつぶつの皮膚。長くて細長い四本の指。
外崎の体はヒキガエルになっていた。
「クソッ!何でこの俺がこんな目にあわなきゃなんねえんだっ」
そうつぶやこうとしても声も出ない。心で叫ぶだけで、かろうじて口が一瞬開くくらいだ。
カエルの口で喋れるわけがなかった。重い手足を必死で動かしあてもなく前進した。どうやら山の中らしい。
とりあえず大きな木の下までなんとか歩いていき、雨をしのいだ。雨が顔をつたい口に入ってくるので喉の乾きは防げる。
問題は、食料だ。空腹だった。しかしこんな山のなかで、ましてやカエルの体では何を食べればいいのか。
その時、木を見ると小さな虫たちが無数にいることに気づいた。
「こいつら、俺にきづいてないのか、木の根本廻りにウジャウジャいやがる。カエルの体になっちまったが、もしかしたらカエルの体のなかでは虫の味がごちそうにかんじるのかもしれん。」
そう思った外崎は口を開け、木の根本で擬体している蛾目掛けて長い舌を伸ばしてみた。
自分でも予想だにしない早さで舌が飛び出した。しかし、舌はわずかにそれて、蛾の体の横にぶつかった。驚いた蛾は十センチほど横に飛んで逃げた。
「まてこの野郎!」
元来のサディスティックさに火をつけられた外崎は、重い体で後を追い狙いを定めて舌を伸ばす。
舌は見事に蛾に命中し、舌で蛾を丸めこみながら口にほおりこんだ。その瞬間、口のなかで蛾が暴れだし、蛾の粉が口の中をうめつくす。
地獄のような感覚だった。柔らかくグロテスクな模様で、自分の頭の大きさとほぼ変わらない大きさの蛾が、口のなかで暴れている。
堪らず吐き出した。蛾は逃げたが、口のなかには形容しがたい味の、蛾の体の粉で一杯だった。
「オエエッ、なんだこの味は、不味すぎる、食えたもんじゃねえ。」
急いで木の影から脱し、再び雨に打たれて顔をつたってくる雨で水を飲み込むも、人間の時のようにうまく口をゆすぐことなどできるはずもない。口には不味い粉が半分以上残ったままだった。
最悪だ。外崎は確信した。体はカエルだが、視覚や聴覚、味覚までもが人間の時のままなのである。
これでは、満足できる食事などできるわけがない。しかし、空腹感が激しい。
「なぜ、こんな体になった?なんでこの俺がこんな思いをしなきゃならねえんだ」
人間の時の食事が恐ろしく恋しい。闇の道で生きてきた。様々な違法な方法で弱者を踏み台にして多額の金銭を稼ぎだし、贅沢を尽くしてきた。
人の不幸など関係ない。それどころか人が不幸に陥る様を見る事がたまらなく好きだった。
常にその搾り上げた金で毎日豪華な食事をした。
「必ず手はあるはずだ。人間に戻る手が。そうすりゃまた馬鹿な奴らから金を巻き上げて贅沢してやるぜ。」
全く根拠のない自信だった。外崎は今まで人の不幸を餌にして生きてきた。まっとうな社会人として稼いだことはない。
常に他人を陥れてお金を手にいれてきた。その経験が、「人生はなんとかなる。他人は俺のために存在しているんだ。」といった歪んだプラス思考を生み出していた。
眠ることにしよう。そんで目を開ければ人間に戻っているかも知れん。
そう考えた外崎は先程の木の下に行き、積もった落ち葉のなかに身を隠した。
とにかく寒い。両生類の体は哺乳類のように体温調整がきかない。外気温がそのまま自分の体温となる。散々雨に当たったから尚更だった。
落ち葉に入るとほんの少しだけ暖かさを感じたが、人間の時の自宅のベットとは比べ物にならない。
口のなかは未だに蛾の粉の味が占領し、周囲の臭いも雑草の青臭さに包まれている。更に、人間の時には聞こえなかった、様々な虫の足音や羽ばたく音がひっきりなしに聞こえる。
今まで感じたことのない恐怖に包まれながら、外崎はいつの間にか眠りに落ちていた。
どれ程寝たのだろうか。まだ日は暮れていないようだ。その時だった。遠くから草を掻き分ける音が聞こえる。足音らしきものも。それは少しずつ近寄ってくる。その音がやたらと巨大だった。
あらゆる音が人間の時より巨大だ。さらに大きくなる音の犯人は野良犬だった。人間からしたらそのへんの雑種の犬かもしれないが、カエルにとっては恐竜のようなでかさだ。荒い鼻息も突風のような轟音だ。
やばい、近づいてくる!外崎は急いで木の根本にたどり着くも、歩く度にいちいちお腹が地面にこすれて音を立てるためすぐに気付かれた。
近づいてくるにつれ地面の振動が大きくなり、鼻息もまるで台風のようだった。
「やばい、食われるっ、だれかたすけてくれえっ」
逃げようともがく外崎を見て、野良犬は逆に興奮した。鼻先で何度も外崎をつつき、前足でも蹴られた。その爪が外崎の柔らかいお腹に少し突き刺さる。ナイフで腹を刺されたような痛みだ。
野良犬はそのまま爪を引き、腹をさく。そこから内臓がこぼれだす。更に野良犬は外崎の左足とともにその内臓に噛みつき、巨大な足で外崎の頭を押さえつけながら引きちぎった。
「ギャアアッッ!」
外崎は叫ぶが、カエルの声で一瞬「ゲコッ」となるだけだった。
激痛とともに、内臓が体から引っ張られる感覚が襲う。まるでもう1人の自分がいて、それを我が身から強引に引き剥がされるような感覚で、強烈な吐き気がくる。それが一番耐え難かった。
野良犬はクチャクチャと音を立てて外崎を食べ続けた。左足、右足、内臓、右手、左手。と、まるで先ほどまで人間だったのを知っているように、息の根がすぐ止まらないように少しずつ食べた。
最初は形容つかない激痛だったが、体の半分食べられたあたりからは痛みが消えていき、神経が失われていく恐怖におおい尽くされた。
「た、助けて・・・」
外崎は心で叫び続けたが、誰も助けるわけがない。最後は野良犬に頭を、バリバリッ。という音で噛み砕かれ絶命した。
「うわあぁっ」
最後の頭を噛み砕かれた音を聞いた瞬間、外崎はまた闇の空間の椅子の上で目を覚ました。夢ではなかった。確実に現実だった。
再び人間の自分に戻ったが、感覚や匂いや音が、剥がすのを失敗したテープ跡のように全身を包んで剥がれなかった。一気に汗をかきはじめ、体が大きく震える。
「待てよ、何だよ今のは。なぜまたここにいるんだ?」
そう呟いた瞬間。またも闇の空間から突如光の空間へと変わり、はるか遠くから映像のスクリーンが迫ってきた。
外崎が目を凝らすと、最初の映像は高校時代に気に入らない仲間をバットで殴り倒している映像のようだった。この相手は何かしら重大な後遺症が残ってしまったはずだ。
「いや待てよ、さっき流れてきた映像の最初の犯罪がいくつか減っている。まさか、全部の犯罪分を、またカエルにさせて減らすつもりかよ?ふざけんじゃねえ、さっさと俺を人間に戻せ!」
相変わらず声が音にならない空間でも、外崎は叫び続けた。映像はそんなことお構い無しに次々に現れ外崎の体をすり抜けて行く。
そして映像が終わると、また足元から闇が広がり始め外崎を吸い込みはじめた。必死で何か叫び手足をばたつかせるが、再び体は宇宙空間を凄まじい速さで飛んで行き、外崎は気を失った。
暖かい。心地よい日差しが体を包んでいる。それに風に揺れて木の葉音が聞こえる。
「ああ、こういう葉音聞きながら太陽浴びる感じとかって、気持ち良いもんなんだな。」
外崎は人生ではじめてそんな事を感じていた。しかし、目を開けるのが恐ろしい。またカエルにでも生まれ変わったのだろうか?
しかし、今度は自分の体は確実に立ち上がっている。思いきって目を開けた。
目線が高い。2メートルはあるだろうか。カエルではないし、体のヌメヌメした感じもない。むしろ異常に乾燥している。人間に戻ったのか?
歓喜して足を一歩踏み出そうとした瞬間、気がついた。足がない。それどころか、手も体も腹も胸も背中もどこにあるかわからない。ただ、目の前には木が生い茂っているだけだ。
「嘘だろ。」
外崎は木になっていた。
数日がたち、自分がどういう状態なのが少しずつわかってきた。まず周りの木に比べて、生えてから間もない細く小さな木だということ。
体の各部位が木のどの部分にあたるのかがわからないが、枝の先まで人間の時のような感覚がある事。全く動けない事。
そしてなにより耐え難かったのは、目の位置も動かせず一方向しか見れないことだった。
人間の目から見ると、外崎の目にあたる部分は小さな2つの窪みにしかみえない。彼は街の側にある小高い山の森に生まれた2メートル弱の小さく細い木だった。
「まぁ、カエルよりはましかもしれんな。」
そんなことを軽く考えていた。しかし、日が経つにつれその思いは打ち砕かれていく。
いくら動こうとしても、体のどこも動かせない苦しみは予想以上だった。ひたすら前を向き微動だにできず、雨風も、暑い日差しも寒い雪も、虫も、鳥も、追い払えない。
また、木のどの部分が手足や胴体なのかがわからない。幹の部分が手足であり胴体でもある。枝の部分が手足であり胴体でもある。そんな不思議な感覚だった。
目の位置だけが、二つの窪みとして決まっているだけであった。
体中に這う虫が外崎の身体の葉や皮を少しずつ食べ、または中に穴を開け卵を産み、やがてそれが幼虫になり外崎の身体の内部から這い出し葉や皮を少しずつ食べる。それが外崎に尋常ではない不快感と苦痛を与えた。
しかし、叫ぶこともできず、身体を動かすこともできない。涙を流すことも。
考えることしかできず、野生生物にされるがままだった。だが、木にとってはそんなことは当たり前である。
外崎は枝から吸い上げる水分さえあれば衰弱することもない。ただ成長し続けて死をひたすら待つしかなかった。
数年ほどたっただろうか。外崎の木の体はいつのまにか、6メートルを越えるほどの大きさになっていた。彼はその間ひたすら天候や苦痛に苦しんでいた。そして今までの自分の人生を幾度となく思い返した。
幼い頃に、両親は離婚した。母親に育てられたがその母親は男にだらしなく、外崎に対しての愛情もほとんどなかった。何度も新しい男を家に連れてきては、二人で外崎に冷たくあたり暴力を振るう。
また母親は突然1ヶ月近く留守にもした。食料に困り果てた外崎は盗みを働いて警察に何度も世話になっていた。
外崎は歪んでいった。ある日台所にあった小さな包丁を盗み、野良猫を殺し始めた。その度に興奮を覚えた。
そんな日々が続いて行くうちに、学校でケンカした同級生を何度も刺した。なぜかその時外崎の股関は膨らみ、歪んだ笑顔になっていた。
あの時から、外崎のなにかが覚醒した。同級生も先生も母親も外崎を恐れるようになっていき、自分は人とは違う神のような存在に思えた。
他人は自分が生きていく上で必要な、ただの道具であり、我が身の内部にあるサディスティックな欲求を満たす存在。
それが、外崎が出した答えだった。その後の外崎の凶悪性は手がつけられなかった。恐喝、強盗、強姦、殺人。
あらゆる犯罪に手を染めた上に、狡猾にそれを揉み消したり他人に罪を擦り付ける頭の良さがあった。
幼少期の辛い経験は人を歪ませる。環境と教育は人間にとってその後の人生を大きく左右する。しかし、他者を道具として扱い、欲求を満たし、罪を擦り付け相手の人生を台無しにしてしまう行為は許されるはずではなかった。
「俺は、だからこんな目にあっているのだろうか。」
そんなことを、外崎は木として送ってきた数年間で考え始めるようになった。こんな事を考えるのは生まれてから初めてのことであった。
だが、反省の念は刑を軽くすることはなく、それから更に、50年もの月日が過ぎた。
木の体は、人間の頃のように簡単には衰弱せず、水分さえ補給されていれば意識が朦朧としたり、体力が弱ったりすることもなかった。
「俺は、一体何十年生きてきたんだ。この苦しみはなんだ。なぜ生きている。そしてまだまだ生きていく体力がある。誰か殺してくれ。」
そう頭で答えても、誰にも伝わらない。10メートル以上の大きさになるその木の高い位置には、目の部分となる二つの窪みがあるだけである。
風でなびく枝葉が、まるで誰かに助けを求めているように静かに音を立てていた。
更に、10年。時が流れた。外崎がいる小高い山は、都市開発の計画により伐採されることになる。山の麓から徐々に木々が伐採されていく音が近付いてくる。
「麓から伐採されていく。ついに俺は切られるのか?」
恐怖と歓喜が同時に浮かぶ。だが、伐採が近付くにつれ、恐怖が身を包み始めた。10メートル先に立つ木を、チェーンソーで斬り倒す数人の人間がいた。
本当に久しぶりに人間を見た。実に60年ぶりに外崎は人間をみたのだ。
話たかった。何でもいい、どんな奴であろうと構わない。とにかく話かけたかった。
もし涙を流せたのならば、外崎は号泣していただろう。涙を流せないということが苦しい。今、我が身体中を這いずり回り身体を小さく食べている虫達の痛みと不快さよりも、はるかに苦しかった。
「お前ら、こっちを向け!頼むからこの俺のこの辛さを聞いてくれ!」
声も出ない。外崎の頭の中だけでむなしく響くだけである。人間というのはこれ程まで他人が愛おしくなるものなのか。外崎は初めてその事を知り、愕然とした。
カエルとして生まれてすぐに、有無をいわさず野良犬に補食され、身勝手に殺害される恐怖を知り、
木として生まれかわり初めて自身の人生を振り返り、人間として生まれる事がどれほど恵まれていたのかを知る。
そして今、初めて他人を愛おしく感じることを知った。
外崎は今まで女性は欲望だけで扱い、愛することなどなく、男性など自身にとってはのしあがる道具のようにしか思っていなかった。
しかし今、10メートル先で伐採している数人の作業者に話をしたい。ふれあいたい。そんな思いで満たされていた。
人間の頃は馬鹿にして見下していたような作業者達が愛おしい。なぜ、俺は人間の頃にこの感情を持てなかったのか。
数日後。外崎はその作業者達にチェーンソーで斬り倒された。
身体全身が引き裂かれる痛みだった。斬り倒されたあと、トラックに乗せられ、どこかの工場で更に皮を剥がされた。更に身体を三分割された上に小刻みにきられる。身を剥がされる痛みも味わい、身体を小刻みに切られる。
外崎は頭の中で叫び続けた。しかし声は出ない。小刻みに切られ続けている間も、まだ意識があった。そして、遂に意識がなくなった。
意識がもどり、ゆっくりと目を開けた。
また、宇宙空間の中で椅子に座っていた。数十年ぶりに元の外崎に戻っていた。以前の自分とは違い、暴れることも叫びまわることもなく、ただ自分の体を抱きしめて号泣した。
人間としての感覚がどれほど尊いものだったのか、外崎は震えながらかみしめた。
しかし、また容赦なく白い空間が広がる。外崎は恐怖で前が見られず、ただうずくまって震えている。その身体をいくつかのスクリーンが過ぎさっていく。
その犯罪の中には、憎んだ自分の母親を、首吊り自殺に見せかけて殺している映像もあった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
外崎は無意識に何度も口にしていた。しかし、有無をいわさず身体は再び宇宙空間に吸い込まれて行った。
外崎はその後、ゴキブリに生まれて久しぶりに人間の食事の生ゴミを漁ることができたが、すぐに殺虫剤をかけられてもがき死に、
更にセミの幼虫として生まれ、数年間闇の地中でサナギに変化して怯えながら生き、成虫になり飛び立ちるも、その体はメスであったため、オスのセミに無理やり交尾をされた。
更に卵を産む直前に、人間の子供に捕まり解剖されて死ぬ。などの転生を繰り返した。
そして今、また人間に戻り椅子の上に座っていた。ただ呆然と下を向いている。
この世のあらゆる生命体は、俺のように犯罪を積み重ねた人間達なのだろうか?人間に生まれるというのは、奇跡に近いのだ。
それを俺はわからず、とんでもなく酷いことをしていたのだな。
外崎は、そう思いゆっくりとうつむいた。
そして白い空間が広がる。うつむいた外崎は、最後の一つのスクリーンの映像を見ることなく、映像は身体をすりぬけていった。
足元から闇が広がってゆき、外崎は黙って吸い込まれて行った。
ここは、どこだ?眩しい。そしてよく見えない。ただ、二人の人間がいるのはわかる。こちらを見て何かを話かけてきている。
「ゆうき。おいで。」
女性の声が聞こえて体を優しく抱き上げられた。
「ゆうき。優しい子になるんだぞ。」
今度は男性の声が聞こえて優しく頭を撫でてくれた。
外崎はその優しい愛情に、小さな涙を流して口を小さく開け閉めした。間違いなく人間の赤ん坊の身体で生まれ変われたのがわかった。
彼はまだよく見えないが、両親であろう目の前の二人と、宇宙のなにかに必死で「ありがとう」と伝えたくて、小さな口を動かしていた。
彼は、「勇気」という人の子供として生まれ変わっていた。
外崎として生きた記憶は、喋れるようになる前に、完全に消えていた。
両親は非常に愛情深い家族だった。田舎の小さな町工場の社長をしている父と、スーパーでパートをしている母は、二人とも若くして両親を亡くした苦労人であり、とても優しかった。
贅沢さはないが、勇気は大切に大事に育てられた。いつも汚れた作業着で帰ってくる父は、どんなに疲れていても話を聞いてくれてなんでも誉めてくれる。母は怒ると怖いが、いつも優しかった。
小学生に上がってからの授業参観も運動会も、両親に来てもらえるのが無性に嬉しくて、なぜか誇らしかった。
「勇気、友達に優しくしろ。立派な男になれ。」
父の口癖だった。社員も二人しかいないような、小さな工場の社長だったが、皆に慕われていた父を勇気は尊敬していた。
その背中を見て、勇気はすくすくと育っていった。友人にも好かれて先生からの評価も高かった。その姿は、外崎の小さい頃とはあまりにも対象的だった。
夢もあった。少年野球をしていた勇気は、プロ野球選手に憧れて毎日父とキャッチボールをしていた。
勇気の人生は明るく輝いていた。そして10歳になった頃。彼の環境は激変していく。
「おい、いるんだろこら!」
毎日そんな怒鳴り声が響いた。玄関前にはいつもガラの悪い若い男がくるようになっていた。
父の工場の経営が徐々にうまくいかなくなり、更に社員の若い男が店のお金を盗んで逃げてしまい、多額の借金を抱えてしまう。そのうち取り立てが毎日くるようになってしまった。
父も母も痩せ細っていき、輝いていた日々は暗い霧に覆われていく。
「勇気ごめんな。」
父の口癖がそれに変わってしまった。それでも勇気は両親を愛した。
やがて取り立ては激しくなり、勇気は学校にも行けない状態が続いて行く。
そんな日々が続いたある日の夜。三人は夜逃げを決意した。部屋の電気も消して、音も立てずにこっそりと準備をしていた。
その時だった。突如窓が割られて男が二人侵入してきた。
「おや?なにしてんの。旅行でも行くの?お金もないのに。」
いつもとは違う男の声だった。暗くてよく見えないが、1人はいつもの若い取り立てのようだが、
その前に立つ声の主は彼より背が高く、その声にはどこか独特の冷徹さが感じられた。勇気はその迫力に気圧された。父母も怯えて硬直している。
「申し訳ありません!もう少し待ってください、必ず少しずつでも返していきますから、どうかもう少しだけ待ってください!」
「お前、何度もその台詞吐いてるみてえだな。俺の弟分のこいつから、よく聞いてるよ。俺はな、お前みたいにウジウジしてんのみると、どうにもこいつを使いたくなってきてさ。ウズウズすんだよ。」
背の高い男はそういうと、ナイフを取り出し、父の頬に当てた。暗い部屋の中、そのナイフが異様に光って見える。
そしてその声には脅しではなく本心で伝えている響きがあった。
その男の後ろに立っているいつもの若い取り立ても、怯えているのがわかる。
その瞬間。『サクッ』という音とともに、背の高い男が腕を横にふった。
父の首から、血が吹き出し、父は前のめりに倒れた。母が絶叫しようとするのを男が口をふさいだ。それを見た若い取り立ては、
「兄貴、ヤバいすよ!なにもそんなしなくても!」
と小声で叫びながら男の肩を掴む。
「うるせえっ、返さねえでウジウジしやがってるこいつらが悪いんだよ、こうなりゃ命で返してもらわねえとな!ハハハ」
男は笑っていた。こんな事を楽しみながらやっている男に、勇気は心底恐怖し、震えて小便を漏らしながら立ち尽くした。
母と男が揉み合いになっていたその時、部屋の電気のスイッチが入り、男の顔が見えた。
「あっ!」
勇気の身体中に電気のような衝撃が走った。その瞬間、生まれ変わる前に外崎として生き、その後カエルや木、虫として生きた前世の記憶が全てよみがえった。
今、父を殺し母を殺そうとしている男は、過去世の自分である、外崎ナオヤだった。
そうだ。俺が外崎として死ぬ前にやった最後の犯罪が、借金を返せない家族を殺したこの犯罪だった。
揉み合いの中、母は昔の自分に首を切られて殺されてしまった。
愛していた家族を殺された事。過去世の自分が犯した罪の両方に、勇気は涙を流した。それを見た外崎は歪んだ笑顔で語りかけた。
「よう。パパとママが殺されて悲しいか?次は僕ちゃんだから安心しろよ。」
「俺は、お前だ。」
「あ?なんだ?」
「俺は、お前なんだ。過去の。もうやめろ。罪をかさねるな。」
勇気は泣き叫びながら伝えたが、過去の自分はたじろぐ事なく喉をかききってきた。勇気は前のめりに倒れ、意識は朦朧としていく。
「けっ、ワケわからねえことぬかしやがってガキが。気味悪いやろうだ。」
外崎はそう呟くと、後ろで小さく震えている弟分の若い取り立てに血にまみれたナイフを手渡し、
「あとは頼むわ。これ、お前がやったんだ。わかるだろ?」
「い、いや、兄貴がやったんじゃないすか!お、俺はなんも」
「あ?お前。これ、誰かに言ったら、あとどうなるかわかってんだろな?お前も同じ事になりてえのか?」
歪んだ笑みを浮かべながら、外崎は血まみれの手で弟分の喉を掴んで外に消えた。
部屋に残された彼は、震えながら呟いた。
「も、もう耐えられねぇ。外崎の野郎、殺してやる。」
薄れゆく意識の中で、勇気はその声を聞いていた。その時初めて、過去の自分をトラックで引き殺したのはこの男だったのに気づいた。
しかし、怒りはなかった。外崎として生きていた時に、彼にはいつも酷い扱いをしていた。しまいには殺しの罪をなすりつけるなどと、俺はとんでもないことをしていたのだ。
そう思いながら、勇気は息を引き取った。
気がつくと、外崎として再び宇宙空間の椅子に腰かけていた。勇気として生まれ変わり、愛した父母。それを殺したのは、まさかの自分。
涙が止まらなかった。頭を抱えてひたすら嗚咽していた。そしてまた、白い空間が身体を包みはじめる。前を見ると、また遥か彼方からなにかのスクリーンが迫ってくる。
その映像は、再び小学生の時に同級生をナイフで突き刺している映像だった。
「また振り出しからか。いったい何度繰り返すんだ?」
涙を流しながら呟く。しかし、更に自分の罪をつぐなえるのだ。外崎はそう思うと笑みを浮かべた。
そこには、かつての狂気で歪んだ笑顔は消えていた。
いや、全てが闇ではない。目を凝らすと、恐ろしく広大な闇の中に、小さな光が無数に散らばっている。
「なんだここは・・・。宇宙か?」
男は死んだはずだった。なのに今、自分の体が宇宙空間らしきところに浮いている。男は手足をバタつかせ必死にもがくが、前にも後ろにも進めない。
いくら叫ぼうがもがこうが、自分の声も、体のこすれる音さえも聞こえなかった。音が一切聞こえないのだ。
周りを星がおおっているとはいえ、闇は深い。自分の手足さえ暗すぎて見えない。
恐怖に震えた。全身を汗が伝う。
「ふざけんじゃねえ、なんだよここは、俺を元の場所に戻せ!」
音にはならない声をあげ、暴れ続けた。その時、突如目の前に背もたれのある椅子が現れた。
光を浴びている訳ではないのに、なぜかその椅子だけがはっきりと見える。男は慌てて椅子をつかみ、腰掛けた。
荒い息を整え、手の震えを必死に抑る。落ち着きを取り戻すと、男はこの空間にくる直前の事を思い出そうとしていた。
男の名は外崎ナオヤ。四十年生きてきたなかで、あらゆる犯罪を犯してきた。十代から万引きや暴走行為、窃盗を幾度となく繰り返し、少年院にも刑務所にも入った。何度出所しても、更正することなく犯罪に手を出した。
犯罪を犯すことにより、サディスティックな性的興奮をも感じてしまうほど、異常な人間性を抱えた男だった。特に弱いものをいたぶり、いじめることに強く興奮した。
学生時代も弱そうな人間を見つけては孤立させ、教師の目につかない場所で暴行し、やがてはその生徒を自殺するまで追い込んだ。
さらには、気に入った女子生徒を呼び出し、性的暴行をする行為もしていた。しかし、外崎の心には常に微塵の罪悪感も反省もなかった。
外崎は背が高いが細身で、決して屈強な男には見えない。だが少年時代から皆が彼を恐れた。彼の異常性を持った目つきと、表情。
そして何よりも、小学4年生の頃に同級生と喧嘩し、ナイフで相手の腹を何度も刺す事件を犯した事が決定打だった。
幸いにも相手は命に別状はなかったが、皆の恐怖心をあおるには充分だった。外崎を怒らせると殺される。という危険性を感じて誰も逆らえなかった。
やがて二十代になると闇の道に入る。そこから外崎の狂暴性は更にエスカレートした。
何度か殺人を犯したが、他人に罪をなすりつけたり、自殺に見せかけたりしたが、そこに一番の強い快楽を覚えた。
更に狡猾であった為、若くして次期組織のリーダーの座を有力視されるほどの地位にまでのぼりつめていた。
「俺以外の人間は全部クズだよ。そこいらの虫みてえなもんよ。」
こう言って高笑いするのが、彼のクセだった。
暗闇の中、外崎はしばらく椅子に腰掛けうなだれていたが、今日人気のない道を歩いているとき、暴走してきた大型トラックにひかれたのを思い出した。
その瞬間の言葉にならないほどの激痛。体が引き裂かれる感覚。自分が死にゆくこと。
「ちくしょおおーっ」
外崎は内蔵を喉から吐き出すほどの勢いで、何度も何度も叫んだ。その声はこの空間では全く聞こえない。
しかし、そんなことはお構いなしに喉が枯れるまで叫んだ。
組織の連中を束ね、それを広げる事に生き甲斐を感じていた。
その間際に、自分が死んでしまった事への怒りに、我を忘れ狂気の余り涙も流れた。
やがて疲れはて、椅子に座ったままうなだれていると、突如外崎は真っ白な空間に包まれた。光におおわれた何もない無機質な白い空間だ。
その明るさで、やっと自分の体が見えた。突然の事で訳もわからず、呆然と自分の手のひらを見つめ続けていた。
すると、はるか前方に何かが見えてくる。人だろうか。複数の人間がうごめいている映像のような物が、高速でこちらに迫ってくる。外崎は目を凝らした。
「あれは俺か?そうだ、俺だ、俺のガキの頃だ。」
外崎の少年期。同級生をナイフで刺したあの状況の映像が、テープの巻き戻し画像のように何度も繰り返しながら、遥か彼方からすごい勢いで迫ってくる。
映像は近ずくにつれ、映画のスクリーンほど巨大なのがわかった。体にぶつかる瞬間、外崎は悲鳴をあげ手足をバタつかせたが、スクリーンはそのまま体をすり抜けていった。
その後、あっけにとられる彼の前を、今まで自分が犯してきた犯罪の映像が、連続して次々に迫っては通り抜けていく。
その数は一人の人間が犯す犯罪にしては膨大な数だった。最初は理解不能な現象に驚いていたが、やがて飽きたようにうなだれ、遂には自ら犯した犯罪の映像に賞賛の拍手をし、笑みを浮かべた。
そして最後の映像が通りすぎると、外崎は聞こえない叫び声で叫ぶ。
「神様なのかなんか知らねえが、何だよ今のは。今のを見て、俺に人生の反省をしろってのか。悪いがな、俺はそんな善人じゃねえんだよ、そんなことより、俺をひき殺しやがったトラックの運転手を罰しろよ、あいつも俺を殺した犯罪者だぞ、いや、俺を生き返らせて俺にあいつを殺させろ!」
そう言って椅子から立ち上がったその瞬間、突如足元から徐々に闇が広がり始め、凄まじいスピードでその闇に体が吸い込まれる。人間離れした凶悪性を持つ外崎でさえも、恐怖の余り目を閉じた。
うっすら開けた目からは、凄まじい勢いで星が横切っていくのが見えた。木星らしき星や土星らしき星。その横を我が身が通過していく。わけもわからぬまま、外崎は気を失った。
音が聞こえる。それも、滝のように大きな水の音。なにかはわからない。しかもその音の塊が、先程から頭から背中、お尻にかけて何度も何度も衝突し、衝撃が走る。当たってはそれが弾ける。
「雨か・・・?」
いや、それにしては雨の粒一つ一つが大きすぎる。衝撃も大きい。おかしい。
外崎はいまどこにいるのか確かめようとゆっくりと目を開けた。なぜかまぶたが異常に重い。体のあらゆる部分に違和感を感じる。
なぜか以前より視野が広い。呼吸する度に顎の下が大きく鼓動する。体が重い。そして異常に寒い。
何より、目の前にみえている草の一つ一つががやたらと大きい。自分の体の3倍近くはあるだろうか。
お腹と足が地面についた状態で、二本足で立ち上がろうとしても立ち上がることができない。
四つん這いのような体勢のままうまく体が動かない。必死にもがくが、手も足もうまく動かせない。
その間にも水が落ちてくる轟音と水が体に落ちてくる衝撃が続く。まるでバレーボール大の水の玉を、空から落とされ続けられているかのようだ。
外崎は予感していた。自分の体が以前とは全く違う。信じたくない。悪夢を見ているようだ。いや、しかしこれはそうとしか思えない。あり得ない。確かめたくない。しかし、確認しなければ。
ゆっくりと視線を下に向けてみる。顔はほとんど動かない。しかし、目だけは多少下に動かすことができた。
やはりそうか。茶色い腕に、ぶつぶつの皮膚。長くて細長い四本の指。
外崎の体はヒキガエルになっていた。
「クソッ!何でこの俺がこんな目にあわなきゃなんねえんだっ」
そうつぶやこうとしても声も出ない。心で叫ぶだけで、かろうじて口が一瞬開くくらいだ。
カエルの口で喋れるわけがなかった。重い手足を必死で動かしあてもなく前進した。どうやら山の中らしい。
とりあえず大きな木の下までなんとか歩いていき、雨をしのいだ。雨が顔をつたい口に入ってくるので喉の乾きは防げる。
問題は、食料だ。空腹だった。しかしこんな山のなかで、ましてやカエルの体では何を食べればいいのか。
その時、木を見ると小さな虫たちが無数にいることに気づいた。
「こいつら、俺にきづいてないのか、木の根本廻りにウジャウジャいやがる。カエルの体になっちまったが、もしかしたらカエルの体のなかでは虫の味がごちそうにかんじるのかもしれん。」
そう思った外崎は口を開け、木の根本で擬体している蛾目掛けて長い舌を伸ばしてみた。
自分でも予想だにしない早さで舌が飛び出した。しかし、舌はわずかにそれて、蛾の体の横にぶつかった。驚いた蛾は十センチほど横に飛んで逃げた。
「まてこの野郎!」
元来のサディスティックさに火をつけられた外崎は、重い体で後を追い狙いを定めて舌を伸ばす。
舌は見事に蛾に命中し、舌で蛾を丸めこみながら口にほおりこんだ。その瞬間、口のなかで蛾が暴れだし、蛾の粉が口の中をうめつくす。
地獄のような感覚だった。柔らかくグロテスクな模様で、自分の頭の大きさとほぼ変わらない大きさの蛾が、口のなかで暴れている。
堪らず吐き出した。蛾は逃げたが、口のなかには形容しがたい味の、蛾の体の粉で一杯だった。
「オエエッ、なんだこの味は、不味すぎる、食えたもんじゃねえ。」
急いで木の影から脱し、再び雨に打たれて顔をつたってくる雨で水を飲み込むも、人間の時のようにうまく口をゆすぐことなどできるはずもない。口には不味い粉が半分以上残ったままだった。
最悪だ。外崎は確信した。体はカエルだが、視覚や聴覚、味覚までもが人間の時のままなのである。
これでは、満足できる食事などできるわけがない。しかし、空腹感が激しい。
「なぜ、こんな体になった?なんでこの俺がこんな思いをしなきゃならねえんだ」
人間の時の食事が恐ろしく恋しい。闇の道で生きてきた。様々な違法な方法で弱者を踏み台にして多額の金銭を稼ぎだし、贅沢を尽くしてきた。
人の不幸など関係ない。それどころか人が不幸に陥る様を見る事がたまらなく好きだった。
常にその搾り上げた金で毎日豪華な食事をした。
「必ず手はあるはずだ。人間に戻る手が。そうすりゃまた馬鹿な奴らから金を巻き上げて贅沢してやるぜ。」
全く根拠のない自信だった。外崎は今まで人の不幸を餌にして生きてきた。まっとうな社会人として稼いだことはない。
常に他人を陥れてお金を手にいれてきた。その経験が、「人生はなんとかなる。他人は俺のために存在しているんだ。」といった歪んだプラス思考を生み出していた。
眠ることにしよう。そんで目を開ければ人間に戻っているかも知れん。
そう考えた外崎は先程の木の下に行き、積もった落ち葉のなかに身を隠した。
とにかく寒い。両生類の体は哺乳類のように体温調整がきかない。外気温がそのまま自分の体温となる。散々雨に当たったから尚更だった。
落ち葉に入るとほんの少しだけ暖かさを感じたが、人間の時の自宅のベットとは比べ物にならない。
口のなかは未だに蛾の粉の味が占領し、周囲の臭いも雑草の青臭さに包まれている。更に、人間の時には聞こえなかった、様々な虫の足音や羽ばたく音がひっきりなしに聞こえる。
今まで感じたことのない恐怖に包まれながら、外崎はいつの間にか眠りに落ちていた。
どれ程寝たのだろうか。まだ日は暮れていないようだ。その時だった。遠くから草を掻き分ける音が聞こえる。足音らしきものも。それは少しずつ近寄ってくる。その音がやたらと巨大だった。
あらゆる音が人間の時より巨大だ。さらに大きくなる音の犯人は野良犬だった。人間からしたらそのへんの雑種の犬かもしれないが、カエルにとっては恐竜のようなでかさだ。荒い鼻息も突風のような轟音だ。
やばい、近づいてくる!外崎は急いで木の根本にたどり着くも、歩く度にいちいちお腹が地面にこすれて音を立てるためすぐに気付かれた。
近づいてくるにつれ地面の振動が大きくなり、鼻息もまるで台風のようだった。
「やばい、食われるっ、だれかたすけてくれえっ」
逃げようともがく外崎を見て、野良犬は逆に興奮した。鼻先で何度も外崎をつつき、前足でも蹴られた。その爪が外崎の柔らかいお腹に少し突き刺さる。ナイフで腹を刺されたような痛みだ。
野良犬はそのまま爪を引き、腹をさく。そこから内臓がこぼれだす。更に野良犬は外崎の左足とともにその内臓に噛みつき、巨大な足で外崎の頭を押さえつけながら引きちぎった。
「ギャアアッッ!」
外崎は叫ぶが、カエルの声で一瞬「ゲコッ」となるだけだった。
激痛とともに、内臓が体から引っ張られる感覚が襲う。まるでもう1人の自分がいて、それを我が身から強引に引き剥がされるような感覚で、強烈な吐き気がくる。それが一番耐え難かった。
野良犬はクチャクチャと音を立てて外崎を食べ続けた。左足、右足、内臓、右手、左手。と、まるで先ほどまで人間だったのを知っているように、息の根がすぐ止まらないように少しずつ食べた。
最初は形容つかない激痛だったが、体の半分食べられたあたりからは痛みが消えていき、神経が失われていく恐怖におおい尽くされた。
「た、助けて・・・」
外崎は心で叫び続けたが、誰も助けるわけがない。最後は野良犬に頭を、バリバリッ。という音で噛み砕かれ絶命した。
「うわあぁっ」
最後の頭を噛み砕かれた音を聞いた瞬間、外崎はまた闇の空間の椅子の上で目を覚ました。夢ではなかった。確実に現実だった。
再び人間の自分に戻ったが、感覚や匂いや音が、剥がすのを失敗したテープ跡のように全身を包んで剥がれなかった。一気に汗をかきはじめ、体が大きく震える。
「待てよ、何だよ今のは。なぜまたここにいるんだ?」
そう呟いた瞬間。またも闇の空間から突如光の空間へと変わり、はるか遠くから映像のスクリーンが迫ってきた。
外崎が目を凝らすと、最初の映像は高校時代に気に入らない仲間をバットで殴り倒している映像のようだった。この相手は何かしら重大な後遺症が残ってしまったはずだ。
「いや待てよ、さっき流れてきた映像の最初の犯罪がいくつか減っている。まさか、全部の犯罪分を、またカエルにさせて減らすつもりかよ?ふざけんじゃねえ、さっさと俺を人間に戻せ!」
相変わらず声が音にならない空間でも、外崎は叫び続けた。映像はそんなことお構い無しに次々に現れ外崎の体をすり抜けて行く。
そして映像が終わると、また足元から闇が広がり始め外崎を吸い込みはじめた。必死で何か叫び手足をばたつかせるが、再び体は宇宙空間を凄まじい速さで飛んで行き、外崎は気を失った。
暖かい。心地よい日差しが体を包んでいる。それに風に揺れて木の葉音が聞こえる。
「ああ、こういう葉音聞きながら太陽浴びる感じとかって、気持ち良いもんなんだな。」
外崎は人生ではじめてそんな事を感じていた。しかし、目を開けるのが恐ろしい。またカエルにでも生まれ変わったのだろうか?
しかし、今度は自分の体は確実に立ち上がっている。思いきって目を開けた。
目線が高い。2メートルはあるだろうか。カエルではないし、体のヌメヌメした感じもない。むしろ異常に乾燥している。人間に戻ったのか?
歓喜して足を一歩踏み出そうとした瞬間、気がついた。足がない。それどころか、手も体も腹も胸も背中もどこにあるかわからない。ただ、目の前には木が生い茂っているだけだ。
「嘘だろ。」
外崎は木になっていた。
数日がたち、自分がどういう状態なのが少しずつわかってきた。まず周りの木に比べて、生えてから間もない細く小さな木だということ。
体の各部位が木のどの部分にあたるのかがわからないが、枝の先まで人間の時のような感覚がある事。全く動けない事。
そしてなにより耐え難かったのは、目の位置も動かせず一方向しか見れないことだった。
人間の目から見ると、外崎の目にあたる部分は小さな2つの窪みにしかみえない。彼は街の側にある小高い山の森に生まれた2メートル弱の小さく細い木だった。
「まぁ、カエルよりはましかもしれんな。」
そんなことを軽く考えていた。しかし、日が経つにつれその思いは打ち砕かれていく。
いくら動こうとしても、体のどこも動かせない苦しみは予想以上だった。ひたすら前を向き微動だにできず、雨風も、暑い日差しも寒い雪も、虫も、鳥も、追い払えない。
また、木のどの部分が手足や胴体なのかがわからない。幹の部分が手足であり胴体でもある。枝の部分が手足であり胴体でもある。そんな不思議な感覚だった。
目の位置だけが、二つの窪みとして決まっているだけであった。
体中に這う虫が外崎の身体の葉や皮を少しずつ食べ、または中に穴を開け卵を産み、やがてそれが幼虫になり外崎の身体の内部から這い出し葉や皮を少しずつ食べる。それが外崎に尋常ではない不快感と苦痛を与えた。
しかし、叫ぶこともできず、身体を動かすこともできない。涙を流すことも。
考えることしかできず、野生生物にされるがままだった。だが、木にとってはそんなことは当たり前である。
外崎は枝から吸い上げる水分さえあれば衰弱することもない。ただ成長し続けて死をひたすら待つしかなかった。
数年ほどたっただろうか。外崎の木の体はいつのまにか、6メートルを越えるほどの大きさになっていた。彼はその間ひたすら天候や苦痛に苦しんでいた。そして今までの自分の人生を幾度となく思い返した。
幼い頃に、両親は離婚した。母親に育てられたがその母親は男にだらしなく、外崎に対しての愛情もほとんどなかった。何度も新しい男を家に連れてきては、二人で外崎に冷たくあたり暴力を振るう。
また母親は突然1ヶ月近く留守にもした。食料に困り果てた外崎は盗みを働いて警察に何度も世話になっていた。
外崎は歪んでいった。ある日台所にあった小さな包丁を盗み、野良猫を殺し始めた。その度に興奮を覚えた。
そんな日々が続いて行くうちに、学校でケンカした同級生を何度も刺した。なぜかその時外崎の股関は膨らみ、歪んだ笑顔になっていた。
あの時から、外崎のなにかが覚醒した。同級生も先生も母親も外崎を恐れるようになっていき、自分は人とは違う神のような存在に思えた。
他人は自分が生きていく上で必要な、ただの道具であり、我が身の内部にあるサディスティックな欲求を満たす存在。
それが、外崎が出した答えだった。その後の外崎の凶悪性は手がつけられなかった。恐喝、強盗、強姦、殺人。
あらゆる犯罪に手を染めた上に、狡猾にそれを揉み消したり他人に罪を擦り付ける頭の良さがあった。
幼少期の辛い経験は人を歪ませる。環境と教育は人間にとってその後の人生を大きく左右する。しかし、他者を道具として扱い、欲求を満たし、罪を擦り付け相手の人生を台無しにしてしまう行為は許されるはずではなかった。
「俺は、だからこんな目にあっているのだろうか。」
そんなことを、外崎は木として送ってきた数年間で考え始めるようになった。こんな事を考えるのは生まれてから初めてのことであった。
だが、反省の念は刑を軽くすることはなく、それから更に、50年もの月日が過ぎた。
木の体は、人間の頃のように簡単には衰弱せず、水分さえ補給されていれば意識が朦朧としたり、体力が弱ったりすることもなかった。
「俺は、一体何十年生きてきたんだ。この苦しみはなんだ。なぜ生きている。そしてまだまだ生きていく体力がある。誰か殺してくれ。」
そう頭で答えても、誰にも伝わらない。10メートル以上の大きさになるその木の高い位置には、目の部分となる二つの窪みがあるだけである。
風でなびく枝葉が、まるで誰かに助けを求めているように静かに音を立てていた。
更に、10年。時が流れた。外崎がいる小高い山は、都市開発の計画により伐採されることになる。山の麓から徐々に木々が伐採されていく音が近付いてくる。
「麓から伐採されていく。ついに俺は切られるのか?」
恐怖と歓喜が同時に浮かぶ。だが、伐採が近付くにつれ、恐怖が身を包み始めた。10メートル先に立つ木を、チェーンソーで斬り倒す数人の人間がいた。
本当に久しぶりに人間を見た。実に60年ぶりに外崎は人間をみたのだ。
話たかった。何でもいい、どんな奴であろうと構わない。とにかく話かけたかった。
もし涙を流せたのならば、外崎は号泣していただろう。涙を流せないということが苦しい。今、我が身体中を這いずり回り身体を小さく食べている虫達の痛みと不快さよりも、はるかに苦しかった。
「お前ら、こっちを向け!頼むからこの俺のこの辛さを聞いてくれ!」
声も出ない。外崎の頭の中だけでむなしく響くだけである。人間というのはこれ程まで他人が愛おしくなるものなのか。外崎は初めてその事を知り、愕然とした。
カエルとして生まれてすぐに、有無をいわさず野良犬に補食され、身勝手に殺害される恐怖を知り、
木として生まれかわり初めて自身の人生を振り返り、人間として生まれる事がどれほど恵まれていたのかを知る。
そして今、初めて他人を愛おしく感じることを知った。
外崎は今まで女性は欲望だけで扱い、愛することなどなく、男性など自身にとってはのしあがる道具のようにしか思っていなかった。
しかし今、10メートル先で伐採している数人の作業者に話をしたい。ふれあいたい。そんな思いで満たされていた。
人間の頃は馬鹿にして見下していたような作業者達が愛おしい。なぜ、俺は人間の頃にこの感情を持てなかったのか。
数日後。外崎はその作業者達にチェーンソーで斬り倒された。
身体全身が引き裂かれる痛みだった。斬り倒されたあと、トラックに乗せられ、どこかの工場で更に皮を剥がされた。更に身体を三分割された上に小刻みにきられる。身を剥がされる痛みも味わい、身体を小刻みに切られる。
外崎は頭の中で叫び続けた。しかし声は出ない。小刻みに切られ続けている間も、まだ意識があった。そして、遂に意識がなくなった。
意識がもどり、ゆっくりと目を開けた。
また、宇宙空間の中で椅子に座っていた。数十年ぶりに元の外崎に戻っていた。以前の自分とは違い、暴れることも叫びまわることもなく、ただ自分の体を抱きしめて号泣した。
人間としての感覚がどれほど尊いものだったのか、外崎は震えながらかみしめた。
しかし、また容赦なく白い空間が広がる。外崎は恐怖で前が見られず、ただうずくまって震えている。その身体をいくつかのスクリーンが過ぎさっていく。
その犯罪の中には、憎んだ自分の母親を、首吊り自殺に見せかけて殺している映像もあった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
外崎は無意識に何度も口にしていた。しかし、有無をいわさず身体は再び宇宙空間に吸い込まれて行った。
外崎はその後、ゴキブリに生まれて久しぶりに人間の食事の生ゴミを漁ることができたが、すぐに殺虫剤をかけられてもがき死に、
更にセミの幼虫として生まれ、数年間闇の地中でサナギに変化して怯えながら生き、成虫になり飛び立ちるも、その体はメスであったため、オスのセミに無理やり交尾をされた。
更に卵を産む直前に、人間の子供に捕まり解剖されて死ぬ。などの転生を繰り返した。
そして今、また人間に戻り椅子の上に座っていた。ただ呆然と下を向いている。
この世のあらゆる生命体は、俺のように犯罪を積み重ねた人間達なのだろうか?人間に生まれるというのは、奇跡に近いのだ。
それを俺はわからず、とんでもなく酷いことをしていたのだな。
外崎は、そう思いゆっくりとうつむいた。
そして白い空間が広がる。うつむいた外崎は、最後の一つのスクリーンの映像を見ることなく、映像は身体をすりぬけていった。
足元から闇が広がってゆき、外崎は黙って吸い込まれて行った。
ここは、どこだ?眩しい。そしてよく見えない。ただ、二人の人間がいるのはわかる。こちらを見て何かを話かけてきている。
「ゆうき。おいで。」
女性の声が聞こえて体を優しく抱き上げられた。
「ゆうき。優しい子になるんだぞ。」
今度は男性の声が聞こえて優しく頭を撫でてくれた。
外崎はその優しい愛情に、小さな涙を流して口を小さく開け閉めした。間違いなく人間の赤ん坊の身体で生まれ変われたのがわかった。
彼はまだよく見えないが、両親であろう目の前の二人と、宇宙のなにかに必死で「ありがとう」と伝えたくて、小さな口を動かしていた。
彼は、「勇気」という人の子供として生まれ変わっていた。
外崎として生きた記憶は、喋れるようになる前に、完全に消えていた。
両親は非常に愛情深い家族だった。田舎の小さな町工場の社長をしている父と、スーパーでパートをしている母は、二人とも若くして両親を亡くした苦労人であり、とても優しかった。
贅沢さはないが、勇気は大切に大事に育てられた。いつも汚れた作業着で帰ってくる父は、どんなに疲れていても話を聞いてくれてなんでも誉めてくれる。母は怒ると怖いが、いつも優しかった。
小学生に上がってからの授業参観も運動会も、両親に来てもらえるのが無性に嬉しくて、なぜか誇らしかった。
「勇気、友達に優しくしろ。立派な男になれ。」
父の口癖だった。社員も二人しかいないような、小さな工場の社長だったが、皆に慕われていた父を勇気は尊敬していた。
その背中を見て、勇気はすくすくと育っていった。友人にも好かれて先生からの評価も高かった。その姿は、外崎の小さい頃とはあまりにも対象的だった。
夢もあった。少年野球をしていた勇気は、プロ野球選手に憧れて毎日父とキャッチボールをしていた。
勇気の人生は明るく輝いていた。そして10歳になった頃。彼の環境は激変していく。
「おい、いるんだろこら!」
毎日そんな怒鳴り声が響いた。玄関前にはいつもガラの悪い若い男がくるようになっていた。
父の工場の経営が徐々にうまくいかなくなり、更に社員の若い男が店のお金を盗んで逃げてしまい、多額の借金を抱えてしまう。そのうち取り立てが毎日くるようになってしまった。
父も母も痩せ細っていき、輝いていた日々は暗い霧に覆われていく。
「勇気ごめんな。」
父の口癖がそれに変わってしまった。それでも勇気は両親を愛した。
やがて取り立ては激しくなり、勇気は学校にも行けない状態が続いて行く。
そんな日々が続いたある日の夜。三人は夜逃げを決意した。部屋の電気も消して、音も立てずにこっそりと準備をしていた。
その時だった。突如窓が割られて男が二人侵入してきた。
「おや?なにしてんの。旅行でも行くの?お金もないのに。」
いつもとは違う男の声だった。暗くてよく見えないが、1人はいつもの若い取り立てのようだが、
その前に立つ声の主は彼より背が高く、その声にはどこか独特の冷徹さが感じられた。勇気はその迫力に気圧された。父母も怯えて硬直している。
「申し訳ありません!もう少し待ってください、必ず少しずつでも返していきますから、どうかもう少しだけ待ってください!」
「お前、何度もその台詞吐いてるみてえだな。俺の弟分のこいつから、よく聞いてるよ。俺はな、お前みたいにウジウジしてんのみると、どうにもこいつを使いたくなってきてさ。ウズウズすんだよ。」
背の高い男はそういうと、ナイフを取り出し、父の頬に当てた。暗い部屋の中、そのナイフが異様に光って見える。
そしてその声には脅しではなく本心で伝えている響きがあった。
その男の後ろに立っているいつもの若い取り立ても、怯えているのがわかる。
その瞬間。『サクッ』という音とともに、背の高い男が腕を横にふった。
父の首から、血が吹き出し、父は前のめりに倒れた。母が絶叫しようとするのを男が口をふさいだ。それを見た若い取り立ては、
「兄貴、ヤバいすよ!なにもそんなしなくても!」
と小声で叫びながら男の肩を掴む。
「うるせえっ、返さねえでウジウジしやがってるこいつらが悪いんだよ、こうなりゃ命で返してもらわねえとな!ハハハ」
男は笑っていた。こんな事を楽しみながらやっている男に、勇気は心底恐怖し、震えて小便を漏らしながら立ち尽くした。
母と男が揉み合いになっていたその時、部屋の電気のスイッチが入り、男の顔が見えた。
「あっ!」
勇気の身体中に電気のような衝撃が走った。その瞬間、生まれ変わる前に外崎として生き、その後カエルや木、虫として生きた前世の記憶が全てよみがえった。
今、父を殺し母を殺そうとしている男は、過去世の自分である、外崎ナオヤだった。
そうだ。俺が外崎として死ぬ前にやった最後の犯罪が、借金を返せない家族を殺したこの犯罪だった。
揉み合いの中、母は昔の自分に首を切られて殺されてしまった。
愛していた家族を殺された事。過去世の自分が犯した罪の両方に、勇気は涙を流した。それを見た外崎は歪んだ笑顔で語りかけた。
「よう。パパとママが殺されて悲しいか?次は僕ちゃんだから安心しろよ。」
「俺は、お前だ。」
「あ?なんだ?」
「俺は、お前なんだ。過去の。もうやめろ。罪をかさねるな。」
勇気は泣き叫びながら伝えたが、過去の自分はたじろぐ事なく喉をかききってきた。勇気は前のめりに倒れ、意識は朦朧としていく。
「けっ、ワケわからねえことぬかしやがってガキが。気味悪いやろうだ。」
外崎はそう呟くと、後ろで小さく震えている弟分の若い取り立てに血にまみれたナイフを手渡し、
「あとは頼むわ。これ、お前がやったんだ。わかるだろ?」
「い、いや、兄貴がやったんじゃないすか!お、俺はなんも」
「あ?お前。これ、誰かに言ったら、あとどうなるかわかってんだろな?お前も同じ事になりてえのか?」
歪んだ笑みを浮かべながら、外崎は血まみれの手で弟分の喉を掴んで外に消えた。
部屋に残された彼は、震えながら呟いた。
「も、もう耐えられねぇ。外崎の野郎、殺してやる。」
薄れゆく意識の中で、勇気はその声を聞いていた。その時初めて、過去の自分をトラックで引き殺したのはこの男だったのに気づいた。
しかし、怒りはなかった。外崎として生きていた時に、彼にはいつも酷い扱いをしていた。しまいには殺しの罪をなすりつけるなどと、俺はとんでもないことをしていたのだ。
そう思いながら、勇気は息を引き取った。
気がつくと、外崎として再び宇宙空間の椅子に腰かけていた。勇気として生まれ変わり、愛した父母。それを殺したのは、まさかの自分。
涙が止まらなかった。頭を抱えてひたすら嗚咽していた。そしてまた、白い空間が身体を包みはじめる。前を見ると、また遥か彼方からなにかのスクリーンが迫ってくる。
その映像は、再び小学生の時に同級生をナイフで突き刺している映像だった。
「また振り出しからか。いったい何度繰り返すんだ?」
涙を流しながら呟く。しかし、更に自分の罪をつぐなえるのだ。外崎はそう思うと笑みを浮かべた。
そこには、かつての狂気で歪んだ笑顔は消えていた。
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実話も混ざっております
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(小説家になろう様にも投稿しています)
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