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自由への翼
ねず坊やい。
おじいちゃんが昔話を聞かせてやろう。
まだ……この家が裕福だった頃の話じゃ。
私らネズミは、ずっとこの家で暮らして
来た。それこそ何百年もじゃ。
この話は、わしらのご先祖様が自分の孫達に
語り継いで、何代にも渡って伝えられて
来たんじゃ……
ねず坊はこの話を聞いてどう思うかの……
おじいちゃんに思ったままを聞かせてくれる
かね?そうか、ええ子じゃの……では話を
始めるとしよう。
この家には昔、
一匹の年老いたミミズクが暮らしておった。
あやつの羽は抜け落ちかけ、みすぼらしく
見えたが、実は、とても大きく立派な体を
しておるミミズクじゃ。
あやつが月の光の射す中を飛ぶ姿は
実に雄大で立派じゃろう……
しかし、あやつは幼い頃ここの家の主人に
捕らえられた。成長し、雄大に宙を舞う夢も
叶わぬまま、親兄弟と引き離され、窮屈な
鳥かごの中で……ミミズクは一羽寂しく
暮らしておった。
あやつは、生きる希望も失っておったのか、
私らネズミを見ても動こうとすらしな
かった。ミミズクにとってネズミは、
格好のエサに違いないのにな。
「私は猫になりたい。」
ある朝ミミズクが、ポツリと呟いていた。
「お前さん、何をもって
そんなこと考えているんだね?」
訝しげにかごを覗き込む私を、
ミミズクの黄色く丸い瞳が捕らえた。
「なんだ……鼠か。」
ミミズクは一言呟いて、視線を戻す。
私も釣られるように、ミミズクの視線の先を
見つめた。
その先にいたのは、格子の付いた窓の縁で
丸くなる、一匹の猫の姿じゃった。
格子の間から流れ込む涼やかな風は、
猫をそっと眠りへと誘っておった。
「あの優しくそよぐ風を、
私もこの羽根で感じたいものだ。」
ミミズクは食い入るようにその猫を
見つめておる。
私はかごの側をゆっくりと離れた。
むっとした空気の立ち込め、風など通らない
居間の暗い隅に置かれた、陰気なミミズクの
かごの側を。
「私は猫になりたい。」
幾日か後の夕暮れ。老いたミミズクの
突然の呟きを、私はまた耳にした。
「お前さん、またそんな事を
言っているのか。」
私の言葉には目もくれようとせず
ミミズクが一心に見つめていたのは、
この家の若いお嬢さんに抱かれる、
一匹の猫じゃった。
お嬢さんは美しい細い指で、
猫の柔らかな毛皮をなでた。
「私もお嬢さんの、あの膝のぬくもりを
感じたいものだ。」
ミミズクはまたポツリと呟いて、篭の中を
じっくりと見回した。そして静かに、
何かを考えているようじゃった。
私は、2日前に使用人が訪れたきりの薄汚い
かごの側を、ゆっくりと離れていった。
「私は猫になりたい。」
またある日の晩。
老いたミミズクはまた呟いている。
「そんなに猫はいいもんかね?」
ミミズクは僅かな音でも拾い上げようと
するかのように耳をそばだてているにも
関わらず、私の声には反応を見せない。
彼が耳を澄ませているのは、一点から
聞こえる、ある鳴き声を聞くためじゃった。
それは、柔らかく沈むソファの上。
一匹の猫が、にやお、にやあおと鳴いた。
「あんたは可愛いわねぇ……」
お嬢さんは蕩けそうな表情で猫を見やる。
「私も、あやつのような良い声で
鳴きたいものだ。」
かごの中から、ミミズクの聞き取りにくい
しゃがれ声が聞こえた。まるで錆び付いた
ゼンマイ仕掛けの人形のようだ。私は、
猫がゴロゴロと嬉しげに喉を鳴らすのを
背中で聞きながら、かごの側を離れた。
「私は猫になりたい。」
老いたミミズクはまた呟いている。
しかしこの日はいつもと様子が違っていた。
「お前さん……?どこを見ているんだね?」
ミミズクは目を細め、
じっ……と朝日で眩しい窓を見つめている。
屋根裏から出てきたばかりの私は、
目を擦って格子窓を見つめた。
やっと目が慣れた頃見つけたのは、
1匹の見知らぬ猫の姿。
その猫はただ夢中に、跳ねる虫を追って
おった。そいつは、ミミズクがいつも見て
おる美しい飼い猫とは違う。
屋敷の暖炉の側で寛ぐことも、お嬢さんの
ひざの上にのせられることもない。
街中を根城にする、みすぼらしい猫じゃ。
しかし、その猫は生き生きとしていた。
自分の思いのまま、自由に躍動する毛皮は
輝いているように見えた。自然に鍛え上げ
られた肢体は伸び、うねり、また地を蹴る。
「私は、あやつのようになりたい。
外の世界で、また自由に生きるのだ。」
ミミズクは細い目を一層細めて、
宙を踊る猫を見つめていた。
鋭い視線が、猫の動きを完全に捉えている。
そしてそのままミミズクは、
ぽつり…ぽつりと語り始めた。
自分の、過去の物語を。
「私はな、深い森の中で生まれたんじゃ。
薄暗い巣穴の中から、初めて顔を出した
時のことを、私は今だに覚えておる。
森の木々の間から月の光が射し込んで、
それはそれは幻想的な風景じゃった……
いつか大人になったらこの森の夜を、
我が物にしたかのように
飛び回ってやるんだと決意したよ。
それがどうだろう。
私は人間に捕らえられた。
『森の哲学者』と呼ばれるミミズク一家の
末裔であるこの私が!
私は一家の恥じゃ。にも関わらず……
なぜ私は生まれてきたのだろう。
私はずっと考えておる。
しかし分からない……分からないのじゃ。
私はただ、この狭いかごの中で、
誰からも忘れ去られ、
じりじりと老いるために生まれたのか?
このかごの中で一生を過ごすのが私の
運命なら、どうして私はそんな運命を
背負っておるのか!
私は自由になりたい。
あの森の中で、まだ見ぬ未知の世界を
飛び回りたいのだ!」
ミミズクの激しい想いが私の心を貫いた。
私は、ミミズクの一生に思いを馳せる。
代わり映えのしない単調な毎日を、
生きる意味について考え続けながら過ごした
ミミズクの一生を。
どんな想いでこれまであやつは
生きてきたのか。
答えも出せないまま、
私はかごの側をゆっくりと離れた。
私にはそうするより他なかった。
ただのネズミでしかない私に、
出来ることなど何もなかったのだ。
その日の午後。突然天候に変化の兆しが
現れた。初めは、ただ涼しげな風が吹き
抜けるだけ。しかしその風は大きな雲を
引き連れてやって来た。明るく地を照らす
太陽は姿を消す。辺りはたちまち、不気味な
気配に支配された。
ごおうごおうと、山が、風が、鳴いている。
降り始めた叩きつけるような激しい雨は
屋根を打ち、宙を風がうねった。
家の中のあちこちで、迫り来る嵐に備え
ようと人々が慌ただしく動き始める。
私の根城もその例に洩れなかった。
食べ残しのパンや野菜の端、寝床を作る
紙や布。それらを集める為に皆、一斉に
奔走しておった。
私もその一匹であった。
根城と部屋とを何往復かしたのち……
私がまた食卓へ向かおうと根城の出口を
飛び出した時じゃった。
ピカッ──と激しい閃光。
そして轟音がとどろいて、
薄暗い部屋は明るく照らし出された……
その刹那、部屋の壁に写し出された
ミミズクの影ときたら……
とてもじゃないが、
いつもの干からびた老いぼれミミズクとは
比べもんにもならんかったよ。
私は圧倒されるばかりじゃった。
そのとき私は初めて気が付いたんじゃ。
ミミズクはもう、かごの中の鳥では
なかった。
激しい風が古びた窓を叩き落とし、
ミミズクのかごはその風の煽りで足元で
倒れている。咄嗟に私は身構えたよ。
前にも言ったが、
ミミズクにとってちっぽけなネズミは、
本当に格好の食糧なんじゃ。
しかしミミズクは私の方など
見向きもしなかった。テーブルの上に堂々と
止まり、風雨の吹き込む窓だけをひたすらに
睨み付けていた。
「私は自由に生きるのだ。
この忌まわしいかごが無くなった今、
私は自由なのだ!」
ミミズクは空に向かって吼えた。
雄々しい叫びじゃった。
野生に戻った、森の王者の雄叫びだ。
三メートルはあるだろうかという大きな翼が
バサッと音を立てて開く。
その刹那、ミミズクは荒れ狂う外へ
躍り出た。
黒い影は音もなく
たちまち嵐の中へ吸い込まれていく。
そして私の視界から、完全に姿を消した。
瞬くような時間じゃったと思う。
しかし私には、長い長い時間のような気が
したよ。あの瞬間のミミズクの姿に、
私はただただ圧倒されてしまったんじゃ。
あのミミズクは今、
どうしているんじゃろうか。
森の奥、ホオウホオウと声が響く度、
あのミミズクの面影が私の瞼の裏に
浮かび上がるんじゃよ。
あの嵐の夜の勇ましいミミズクの面影が……
なぁ、ねず坊や。
あのミミズクはどうなったと思う?
何年もあのかごの中に
閉じこめられておったんじゃ。
あの嵐の中、いつまでも飛び続けることが
出来たんじゃろうか……?
エサを確保する術を、
身につけていたんじゃろうか……?
ほら、ちょっと耳を澄ませてごらん。
聞こえるか?
ホオウホオウ……
私らのじいさんが聞いた声は、何百年も
過ぎた今も森の奥から聞こえてくるん
じゃよ……あれはミミズクの鳴き声なのか、
森を吹く風の音なのか。私には見当も
つかんよ……
この話には四匹の動物が出てきた。
人間、ネコ、ミミズク、そしてネズミ。
それぞれは全く違う一生を歩んだんじゃ。
人間は家を建て、動物を愛玩して生きた。
ネコは人間に取り入り、
温かな住みかを手に入れた。
ミミズクは檻の中の暮らしを放棄し、
自由を求めて外へ出た。
そして私らネズミは、
人間の家にひっそりと住み着き、
自由に暮らしている。
少なくとも私は、
自分がネズミに産まれたことを
幸福に感じているよ。
しかし本当のところは……
どう生きるのが幸せなんじゃろうか……
私はネズミとしてはずいぶん長い間生きて
いるが、私にはまだ答えが見つからんの
じゃ。
見つからんのじゃよ……
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