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第二章 檜山武臣の場合
十一 ◯檜山 武臣【 1月10日 午後10時20分 】
しおりを挟むちづるとはホテルの前で別れた。というより、これ以上この女との付き合う程の余裕も時間も、俺には無かった。
「え、行っちゃうの?」
「これから用事があるんだ。大事な、用事が」
それでも彼女は何か言いたげな様子ではあったが、想像以上に俺が真剣な表情をしていたこと、また今後俺と会う機会を得たことに満足だったのだろう。しつこく引き止められることは無かった。
喫茶店に行くのを取りやめ、ホテルの裏手に回る。とは言いつつも、今どこに向かえば良いか、指針のようなものは無い。しかしちづるがホテル入口から俺を残していなくなる訳がないし、俺自らその場所から離れるしか無かった。
裏手の人通りは少ない。好都合だ。俺のような大柄の男が、こんな夜遅い時間にいつまでも同じ場所にいたら、不審に思う者も出てくるだろう。そう自虐的に思った、その時、携帯電話が震えだした。素早く画面を見る。思ったとおり非通知。Aからの着信であった。
「もしもし」
『やあ、檜山さん。遅くなってごめんね』
これまでよりも声量が小さい。元々機械を通して聞こえ辛いというのに、更に小声でぼぞぼそと不明瞭である。機器を耳に押し付け、やっと内容が理解できる程だ。
「…それで、鷺沼の居場所は教えてくれるのか」
『うん、教えるよ』
一文字、一文字はっきり尋ねると、Aから半ば食い気味に答えが返ってきた。
「…よし。それなら早いところ教えてくれ。こちとらこの時間まで西街内を探していて、疲れているんだ」
少し苛立ちながら催促する。すると、Aは電話先で高らかに笑い出した。
『あはは、実は、そんなところに彼はいないよ。というか、かなり的外れだ。ごめんね、さっきは訳あって嘘をつかせてもらったよ。無駄骨だったね』
その小馬鹿にしたような笑いと、嘘をつかれたということに、堪忍袋の尾が切れた。鷺沼に出し抜かれ、ちづるなんぞに脅迫され、挙げ句の果てにどこの誰かもわからない者にも笑われ、虚仮にされる。今日は散々だ。いくら気の長い俺であっても、流石に我慢の限界だった。
「良いから教えろ!鷺沼はどこにいるんだ!」
感情の高ぶりに任せ、力強く大声でそう恫喝する。しかし相手は意にも介さず、けろっとしている。
『ごめんごめん。ちゃんと教えるから』
「謝罪などいらん、早く教えろ。さもないと…」
そこで俺は、Aが次に放った言葉で二の句を告ぐのを止めた。
『檜山さん、西街から歩いてすぐの所に交番があるでしょ。あの交番から先に進んだ道の上だね。今、そこに鷺沼はいるよ』
西街から歩いてすぐの交番というと、瑞季の交際相手である警察官が常駐している派出所を過ぎたところだ。あの先を進むと住宅街となっており、脇道はあるが細く、ほぼ一本道である。
「また、嘘をついているんじゃ無いだろうな」
『本当も本当。二度も嘘をつくなんて、そんな冷めたこと、する訳ないじゃん。良いからさあ、早く行ってみて。面白いものが見られるかもしれないよ』
それだけ言って、Aは電話を切った。面白いものだと。既に俺の現状は、側からみれば面白いものだ。それなのに、これ以上どんな面白いものがあるというのか。
しかしそこに鷺沼がその場所にいるというのであれば、長いこと探し続けている身としては行かざるを得ない。何かしら目的があり、Aに誘導されていることが明らかであったとしても。他に何も手がかりが無い分、それは仕方の無いことだった。俺は手に持っている携帯電話を、強く握りしめた。
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