殺人計画者

夜暇

文字の大きさ
62 / 76
第六章 ————の場合

三 ◯ ————【 12月30日 午後9時00分 】

しおりを挟む

「ええと、ごめん。何だって?」
 十二月三十日。もう年の瀬も年の瀬だが、俺は目の前で生ビールを豪快に飲む男…柳瀬川和彦から、昨日相談があると飲みに誘われた。
 柳瀬川と俺は同郷出身、中学校まで同じ学校で過ごした旧知の仲である。まあ、実際この歳になるとそう頻繁に会いはしない。最後に会ったのはもう何年前だろうか、それすらも覚えていない程である。
 このたび彼に呼び出された俺は開口一番、にわかには信じ難いことを伝えられたのだった。
「だ、だから。俺、人を殺せって脅迫されているんだよ」
 柳瀬川は空になったグラスをテーブルに置いた。既に顔が真っ赤である。俺の仕事が終わったのがついさっき、午後九時過ぎだ。先に西街の居酒屋で待っている、と連絡が入ったのが午後七時。二時間もあって、酒につまみもあればさぞかし酔いが回っていることだろう。
 俺も店員に生ビールを頼み、煙草に火を点けた。
「なあ。俺、どうすれば良いのかな」
 顔色を伺うように、柳瀬川が聞いてくる。俺は煙草の煙を燻らし、肘をテーブルの上についた。
「どうするも何も。一体誰に、どんな理由で脅迫されているのか。それを話してくれないと良く分からんよ。経緯を話せ、経緯を」
「あ、ああ。そうだった。ごめん」
 柳瀬川は頭を下げ、気を取り直して続ける。
「脅迫してきたのは、この街にあるキャバクラの愛彩って店で働く、アンナって名前の女。お前、知っている?」
 その女は知らなかったが、キャバクラのことは、訳あって知っていた。
「アンナねえ。偽名?本名?」
「さ、さあ、知らないよ。源氏名だし、偽名でしょ」
「偽名、か」
「しかも、脅迫の際はその偽名とはさらに違う…なんだったかな、Aだったかな。そうそう、英語の頭、エイだよエイ。それで呼べって言うんだ。別の偽名で呼べ、なんて言うから余計混乱するよ」
 柳瀬川はふん、と鼻を鳴らす。
「…まあそれはもう良いよ。それで?脅迫されている理由。それって何だよ」
 そう続けて聞くと、柳瀬川は急にもじもじと落ち着き無く震えだした。
「早く言えって」催促すると、そのまま上目遣いで俺を見てくる。
「…誰にも、言わないで欲しくて」
「ああ。ここだけの話だ、もとより」
 それを聞いて覚悟を決めたのか、続けて話し出した。
「俺、クリスマスに不倫相手と一緒にいたところを、その、アンナって女に見られちゃってさ。それを昨日、嫁に…春子にばらすって脅されて」
 俺は溜息をついて、頭を垂れる。柳瀬川はテーブルに両手をつき、俺を見た。
「な、何だよ」
「自業自得じゃないか」
「まあ、そ、そうなんだけど」
「…それで?そのことを漏らさない代わりに、殺せってことか」
「そうそう。まあ正確には殺せって訳じゃないんだけどさ。消せって言われてる」
「消せ?一体…」
「生ビールご注文のお客さまー、お待たせしました」
 その時、気の抜けた声色で女性従業員が生ビールの入ったグラスを持ってきた。話を一旦中断し、酒を呷る。
「どういうことなんだ、それ」
 半分程に量の減ったグラスをテーブルに置き、聞く。
「知らないって。殺さずとも、その鷺沼って男の存在を消してくれればそれで良いんだってさ。でも、存在を消せってつまり殺せって意味だよなあ。金井、お前はどう思う?」
「…まあな」
 俺が軽く同意したことに、柳瀬川は笑みを浮かべる。そのまま、自分のバッグに手を入れる。
「この、ええと、これだ。この写真に写っている、鷺沼崇って男を消してほしいって」
 そこで、柳瀬川は男の写真をテーブルの上に置いた。写真を手に取る。この人相の悪さ、どこかで見たような。そんな既視感を覚える。
 …そうだ。あの時の。
「俺、こいつ知っているぞ。確か一年前、パトロール中に俺が取り押さえた奴だ」
「え、ほ、本当?」
「ああ、思い出した。確か交際相手のキャバクラ嬢に別れ話を持ちかけられて、逆上して切りつけた奴だったかな」
 ん?交際相手のキャバクラ嬢?
「柳瀬川、これはひょっとすると…」
 彼の目を見ると、どうやら同意見のようだ。緊張の色が混ざった、固い表情で頷く。
「あ、ああ。そのキャバクラ嬢が、アンナなのかな?」
「…すると。鷺沼を消せっていうのは、痴情の縺れによるものって訳だ」
「な、なるほど。だけど、そんな二人の問題に、俺を巻き込んでくれるなよ…全く」
 ぶつぶつと文句を垂れる柳瀬川。しかし、それはお前自身疚しい行為をしていたことに付け込まれた結果だろうと、心の中で蔑む。
「まあそれはともかくさ。結局お前はどうしたいの?」
「だから、それが分からなくて。俺、どうすれば良いのかな。た、助けてくれよ。これって脅迫なんだよな、多分。お前の仕事ってそういうの得意だろ」
「まあ、そうなんだが」
 そう懇願する柳瀬川を見て、俺は複雑な心境だった。彼の言うとおり脅迫として扱っても良いのだが、そうなると原因となった彼の不貞行為も公の下に晒されることになる。それを、この男は理解しているのだろうか。
 再度、ビールを呷る。しゅわしゅわとした炭酸と、ホップの苦味が口の中で弾ける。
「ちなみに、お前の不倫相手って一体誰なんだよ。もちろん誰にも言わないから」
 ふと、好奇心からか、ついでに俺は聞いてみた。途端に柳瀬川は、更に小声になった。
「だ、誰かに、話したりしない?」
「ああ」
「ほ、本当に?」
「くどいな、言わないって」
 何度も確認し、柳瀬川はやっと口を開いた。
「そのアンナと同じ店で働く、カオルって女。本名は本多瑞季って言うんだけどさ…」
「えっ?」
 自分の耳を疑う。今、この男はなんて言った?
「お前、今なんて?」
 しどろもどろに、そう聞き返す。柳瀬川は珍妙な眼差しで俺を見る。
「だから、キャバクラの女。そ、そんな驚いた?」
「そこじゃなくて、その女の名前。もう一度言ってみろ」
 焦りからか少々語気が荒くなりつつも、柳瀬川に言う。
「え、ああ、カオルね。本名は本多瑞季」
 本多瑞季。聞き間違いではない。そんな、馬鹿な。雷が落ちたかのように頭の中が真っ白に。また、火山が噴火したかのように心臓がどくんと脈打った。手が震える。
「ど、どうした?」
「い、いや。何でもない。どうしてその女と?」
「実はね。前々からあの店でお気に入りの子だったんだよ。ただ結構ガードが固くて。ずっと断られていたんだ」そこで、柳瀬川もビールを口に運ぶ。「それでも、好みの女だったら落としてやりたいじゃないか。なあ、分かるだろ?」
 酒臭い息を俺に吹きかけながら、柳瀬川は一人うんうんと頷く。そして、彼は人差し指と中指を立てて、俺の眼前に示した。
「だから金を渡したんだ、二十万」
「二十万円だって?」
「うん。後で聞いた話だと彼女、よく分からないけど、変な男に金をよこすよう脅されていたようでさ。それこそ彼女自身、借金もする程だったんだって」
(しゃ、借金?)
「そんな、借金なんて。聞いていないぞ」
「え?」
「あ、いや何でも無い。そ、それで?」
「つまりね、あの子は金が入用だったってことだよ。そんな時に金を渡せば、そりゃもうまさに俺は救世主。目の色を変えて、俺の言うことを聞いてくれたよ」
 それを聞いた瞬間、いても立ってもいられなくなった俺は、両手で机を叩き、思い切り立ち上がった。その突然の態度に、柳瀬川は目をまんまるにして俺を見る。
「ど、どうしたのさ?」
 柳瀬川の心配する言葉など、もはや聞こえなかった。無言で席を立ち、トイレへと向かう。俺の雰囲気の変わり様に違和感というか、恐怖を感じたのか、声をかけてくることは無かった。察しのとおり。俺は、激しく動揺していた。トイレに入り、洗面台の鏡を見る。
 柳瀬川が不倫相手として挙げた名前の女である本多瑞季は、俺が交際している相手だったからだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

睿国怪奇伝〜オカルトマニアの皇妃様は怪異がお好き〜

猫とろ
キャラ文芸
大国。睿(えい)国。 先帝が急逝したため、二十五歳の若さで皇帝の玉座に座ることになった俊朗(ジュンラン)。 その妻も政略結婚で選ばれた幽麗(ユウリー)十八歳。 そんな二人は皇帝はリアリスト。皇妃はオカルトマニアだった。 まるで正反対の二人だが、お互いに政略結婚と割り切っている。 そんなとき、街にキョンシーが出たと言う噂が広がる。 「陛下キョンシーを捕まえたいです」 「幽麗。キョンシーの存在は俺は認めはしない」 幽麗の言葉を真っ向否定する俊朗帝。 だが、キョンシーだけではなく、街全体に何か怪しい怪異の噂が──。 俊朗帝と幽麗妃。二人は怪異を払う為に協力するが果たして……。 皇帝夫婦×中華ミステリーです!

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...