侵入者 誰が彼らを殺したのか?

夜暇

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第一章 勝治と雛子の寝室

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 若月は印刷機器の生産を手がける、中小メーカーの保守作業員である。彼が何故、藍田家に侵入しているのか。それを語る上で欠かせないのが、彼の恋人、ありさの存在だった。
 若月が彼女と出会ったのは、今年の一月のことである。ありさは若月の会社の得意先の、藍田製薬の子会社に勤める事務職員だった。プリンターの故障連絡を受け、若月はその会社を訪れた。その時対応したのが、彼女だった。
 色白で大きな瞳、背が低く小柄な体型。前に柔くカールしたショートの髪。彼女の笑顔は、若月の心を即座に掴んだ。
 恋人の関係になったのは、それから三ヶ月後の四月。若月が二十八、ありさが二十六と歳も近く、波長も合った二人が懇意な仲となるのに、そこまで時間はかからなかった。

 彼女は、不思議な女性だった。
「たまに思うの。この世界から、私という存在が消えてしまったら、私を取り巻くこの日常はどうなるんだろうって。私のいない世界で生きる他の人達は、どう生きていくんだろうな、ってさ」
 彼女は時々、若月も理解できないような話を切り出すことがあった。
「もしも、だけど。孝司君がいきなり、この世から消えちゃったとするよね。あくまで仮定の話だけどさ。その時は悲しむだろうし、泣くと思う。でも時間が経てば、それまでと同じ生活を続けようとすると思うの」
「え、つまり?」
「つまりね、意識的に孝司君を忘れようとするんじゃないかってこと」
「なんだよそれ。結構酷いこと言ってんの、分かってる?」
「ふふ、ごめんね」
「でも、どうしてそう思うんだよ」
 ありさは、儚げに微笑んだ。
「孝司君がいなくなった後に、私がいつまでも孝司君を思い出して悲しんでいたらさ。孝司君、あの世で私の悲しみに囚われちゃうんじゃないかって、思うから」
「ありさの悲しみ?囚われる?」
「うん。…私ね、この世界から消えちゃった人、いなくなった人…例えば、亡くなった人とか。そんな人達にも、未来があるって思うの」
「未来って、死んだのに?」
「私達がよく言う未来、とはちょっと違ったかな。ほら、輪廻転生ってやつ」
 輪廻転生。仏教等の宗教用語で、あの世に行った魂が巡り巡ってまたこの世に生を受けることを言う。俗に言う「生まれ変わり」である。
「そういった人達は皆、あの世で次にスタートする人生を選択しているんだと思う。たとえ、どんなに悪いことをした人も、そうじゃ無い人も、等しくね。その時選んだ人生が、来世ってことになるのかな。そうしてまた、今の私達と同じように、平然と暮らしていくんじゃないかなって。私、無神教徒だし、そこまで詳しくないけどね。強ちその教えだけは、間違ってない気がするんだ」
「なるほどね。でも、それと俺のことを想わないことには、どんなつながりがあるんだ」
「私が孝司君を想って悲しむ限り、亡くなった孝司君と、この世のつながりが切れることはないと思うの。そうなると、孝司君はあの世で新しい人生を選択できない。来世へと、進めなくなっちゃうんじゃないかなって」
「いやあ、そんなことは…」
「無いって言い切れる?」
「い、言い切れやしないけど」
 くすりと笑いつつ、ありさは憂いを帯びた表情を浮かべた。
「だから、孝司君も良いの。もし私が突然消えたり、たとえ死んでしまっても、決して立ち止まらないで。孝司君と私という二人の時間が、未来が。そこで止まって欲しくないの」

 死を迎えた者の未来。それについて、彼女はよく話をした。しかし若月としては、彼女の言う死後の世界なるものを、強く共感はできなかった。人は死んだ後、無になるのだ。リアリズム的思考を持つ若月もまた、無神教徒であった。
 ただ、彼女の考えを否定するものでも無かった。彼女はあくまで、己の持つ考えを話しただけだ。考え方など千差万別ある訳であって、何よりそんな、不思議なところも含めて、若月は彼女を好きになったのだ。
 そうたかを括っていた若月だったが、まさか「その時」が早々に訪れるなど、少しも思っていなかった。
 九月下旬に差し掛かったところで、ありさが失踪した。
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