侵入者 誰が彼らを殺したのか?

夜暇

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第四章 書斎

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 結論から言えば、塩原芳美は存命だった。「まだ」と頭に付けるべきなのか。とにもかくにも、他の被害者みたく、顔を剥がされてはいなかった。
 しかし話を聞くと、健康体というわけでも無さそうだ。芳美はS区内、彼女の自宅近辺の病院に入院していた。
「全身を骨折されたと?」
「いえいえ」芳美は慌てて首を振った。「そんな大袈裟なものじゃありませんよ。所々という感じで。足首に鎖骨、手首。全て右だけ」
「でも、大怪我には変わらないですね。いったいどうしてそこまで?」
 尚哉が尋ねると、ベッドの上、上半身を起こしたまま、芳美は目線を下方に向ける。
「あの。階段から落ちまして」
「ご自宅の?」
「それが、人様のお家で。恥ずかしながら」
「人様の…塩原さんは藍田製薬の代表さんのお家でお勤めと聞いておりますが。もしや、そちらで?」
 芳美はぎこちなく肯く。尚哉らの推測どおり、柏宮の自宅のホワイトボードに書かれた人名のうち、藍田姓ではない者は、そこで働く使用人のようだった。
「本当に情けないです。はは。お仕えしている家で、その。足を踏み外してしまうなんて」
 口調は照れの混じったようなものではあったが、全身を震わせ、目線を伏せている。言動と挙動が合っていない。客観的にも、不自然な様子だった。
 野本と橋本の両名は、特段何も感じていないようだった。橋本においては「それは、災難でしたねえ」と呑気そうにうんうん頷いている。
「骨折で済んで、良かったんですよ。体から落ちたこともあって、頭を強く打ち付けなかったことが幸いだったようで。手首の骨の経過が良ければ、数日で退院できるらしいです」
「それは何よりですな」野本が元来のごつごつした顔貌のまま、優しげに微笑みかける。「仕事もすぐに復帰できますでしょう。でも病み上がりは無理されないよう…」
「ああ、仕事」彼の言葉を遮り、芳美は苦笑いを浮かべた。「実は、退院したら辞めようと思っているんです」
「辞める?それはまたどうして」
「これだけ長く休んでしまって、藍田家の皆様方にも、清河さんにも迷惑をかけてしまいましたし」
「清河さん?」
「ごめんなさい、うちの使用人頭のことです。これがまた、厳しい人で」
 清河。その名前もホワイトボードに書かれていた。写真に写っていた人物像は、白髪に眼鏡の初老の男性で、固い表情から、芳美の言葉どおり厳格さを読み取ることができた。
「でも、お仕事長いんですよね」
「えっ?」
 橋本の言葉に、芳美はきょとんとした表情をする。
「もう十年近くに、なるんでしたっけ。それだけ働かれていれば、怪我で休んだくらい、多めに見てくれそうじゃないですか。せっかくのお仕事なのに、もったいな」
 そこで野本が橋本を「馬鹿」と言って頭を軽く叩いた。「お前の主観で話すんじゃない。人には人の事情があるんだよ」
 二人の様子を黙って見ていた芳美だったが、「まあ、確かに」と表情に陰を落とした。
「そうかもしれませんけど、復帰するにもできないというか、したくないというか…」
 できない。したくない。その口ぶりには、自分の意思以外の要因があるようにも思えた。彼女自身言い過ぎたとでも思ったのか、慌てて顔の前で手を振る。
「それで、刑事さん達のご用はなんでしょう」
 芳美が聞いてくる。そう、尚哉達は世間話をするために、彼女に会いに来た訳では無い。前置きはそろそろ終えて、本題に入る頃合いだと思えた。
 野本が代表して話し出す。この辺りを騒がせている顔剥ぎの存在。第三の被害者の自宅にあった、一連の事件と藍田家、芳川家の人間の名前。これまでの被害者達の写真に書かれていた「済」という文字。その「済」が、芳美の写真の下にも書かれていたことから、彼女が発見されていない四人目の被害者ではないかと考え、ここに来たということ。
 話を聞き終えた彼女は、複雑な表情をしていた。
「…変な気分ですね。つまり私、人殺しに狙われているということでしょうか」
「本当にあなたが狙われているのか、本当のところは分かりません、明確な根拠は無いし、裏付けもしていないんでね。ただ、用心するに越したことはない。そういうことです。何せ、相手は人の顔を切断するイカれたサイコキラーですから」
 顔剥ぎが被害者の顔を切断することは、佐伯が殺害された当初、メディアでよく報道されていた。しかし報道局、新聞社にクレームが多数寄せられ、各局伏せるようになっていた。今ではフィクション多めの大衆誌で、ネタとして時々取り上げられるくらいだ。
 故に話し過ぎとも言えたが、相手の危機意識を上げるために、彼があえて言ったともみてとれた。芳美は唇をきゅっと結んだ後、「でも」と三人に目を配る。
「もう安心ですよね。だって、皆さんはそれを防ぐために、ここにいらしていただいたのでしょうから。まさか、顔を切断なんて怖い人の紹介をされて、気をつけろ!で終わり…なんてことはないですよね」
 芳美の発言の後半は牽制だ。実際に標的にされているのかいないのか、微妙な立ち位置である彼女を、常時警官が見張ることは通常あり得ない。素人ながらも、それを薄々感じているからこその言葉だった。
 そこで野本は、橋本と尚哉の両肩を叩いた。
「ええ、安心してください。昼間はいられませんが、人の目が無くなる夜間は定期的にこいつらが交代で、ここを見張るんで」
「ちょっと、野本さん?」いの一番に異議を唱えたのは橋本だった。「俺、本部でやることが…」
「お前が今やるべきことは、俺達と共に捜査すること。叔父さんの命令だろ。それなら、塩原さんの警護もそうだ。いいな」
「お、叔父さんの許可、取っていないでしょ」
「この後無理やりにでも取るわ、そんなもん。それにお前もここで話を聞いている以上、共犯なんだよ。嫌だってんなら、柏宮の自宅を出たところで断るべきだったな」
「うぐ」
 有無を言わせぬ言い方に、橋本は渋々頷いた。野本は尚哉にも目配せをする。仕方ない。今の状況で誰かがやらなければならないなら、ここにいる三人でやるしかないだろう。
 ただ、尚哉は野本の態度が気になっていた。尚哉達通り魔「顔剥ぎ」の捜査員を、新たな被害者が出たその日に、交代とはいえ見張りに充てる約束をするなんて。彼の中で何か、思うことがあるに違いない。野本の刑事としての勘が働いたのかもしれない。
「ただ、病院の外で…となりますが。私達にずっと居られると気が滅入るとは思いますし、私達のせいで、あなたに興味本位で近づいてくる輩もいるかもしれませんから」
「はあ。まあ、それは、そうですね」
 妥協点ではあるが、警官に守ってもらえる時間があると思うだけでも、気持ちは違うだろう。芳美は首を縦に振った。
「我々の連絡先をお渡しします。何が起きた時は、すぐに連絡をください。外にいるこいつらが飛んで行きます」
 野本はポケットから取り出したメモ帳にさらさらと電話番号を書いた。名前と電話番号。橋本と尚哉も同様に書いていく。
 三人分の連絡先を芳美に渡す。彼女はじろりと黒目を動かしてそれを見る。それから顔を上げ、尚哉を見た。
「芳川さんって。もしかして、芳川薬品と何かご関係がある方ですか」
 思わず面食らったが、芳川という苗字自体そこまで多くは無いのだ。尚哉は肯いた。
「はい、親戚です。会社のことは詳しくないですけどね」
 尚哉の発言に、芳美は目を大きく開く。あからさまに動揺していた。
「塩原さん?」
「あ、え。い、いや。なんでもないです」
「なんでもないようには…」
「なんでも、ないんです。ただ、ただ聞いただけですからっ」
 芳美は若干声を張り上げる。彼女のおかしな態度を怪訝に思いつつも、このまま詳しく聞けるような雰囲気では無いことは、尚哉も分かった。
 ともかくそんなことよりも今は。野本の言うとおりに動くことを優先するとして、尚哉は芳美の病室を出た。
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