27 / 68
第四章 書斎
六
しおりを挟むがこんっ。
その音は、若月がリビングに繋がるだろう扉に向かおうとした時に聞こえた。
全身に鳥肌が立つ。若月自らが降りてきた、隠し通路につながる扉のあった場所に、目を向けた。今の音。真琴の寝室のクローゼットで、隠し扉が開いた時に鳴ったものと、同じ音である。
何者かが、隠し扉を開けた?
振り返る。こちら側の扉は開いていない。二階側の扉が、開いたのだろうか。
もしもその何者かが住人で、ここにやってくるとしたら。自分は逮捕され、有紗の行方も分からないままで終わることになる。
しかもそれだけではない。隠し部屋。若月はあそこに、様々な痕跡を残しているのである。吐瀉物に指紋…最悪の場合、あそこにあった女の遺体、剥ぎ取られた顔についても、自分のせいにされる可能性もある。
ただ、施錠された窓を開けて逃げることは、監視システムの都合上できそうにない。かといって、リビング側の扉は、逃げ道としてはリスクが高い。
それなら、この部屋の中で隠れられる場所を探す?来客スペースのソファか、机の陰?パソコンデスクの下?カーテンの裏?どこもかしこも、すぐに見つかってしまうだろう。
と、なれば。若月は大きく息を吸い込むと、今立っている部屋の中央で、力の限り飛び上がった。そのまま、床に着地する直前で、足先に力を入れる。どすん。想像以上に大きな音が床に響く。振動で足が軽く痺れた。
静寂。心臓は揺れ動く。果たして。隠し扉の向こう側に、聞こえただろうか。緊張で湧き出た顔の脂汗を、手の甲で拭く。
もしかしたら、という賭けだった。住人であれば、わざわざ中央階段ではなく、隠し通路を通る必要は無い。また、たとえ住人だったとしても、中央階段を使わないのは、誰かには見られたくはないという理由があるのかもしれない。つまりこうして、出口先の部屋で物音がすれば、出ようにも出られないのでは無いか、と踏んだ訳である。
さて、どう出る。ごくりと生唾を呑み込んだ。
「旦那様」
軽いノック音と嗄れた声が、若月の緊張感を全て吹っ飛ばした。すぐさまパソコンデスクの上、テーブルランプの灯りを消し、足下へと身を隠す。
声は、リビング側の扉から聞こえた。しくじった。大きな音を出したは良いが、こうして他の部屋から人がくる可能性はあった。すっかり失念していた。
間違いない。今のは清河の声だ。まだ居たのか。
「旦那様。何か、ありましたか」
またも、彼の声が響く。ここに来た当初、勝治の部屋でも同じようなやりとりがあった。既視感を覚えつつも、若月はパソコンデスクの下で、両手を膝で抱え込むように丸くなる。
席側に回らない限り、見つかることは無い。とはいえども、時間の問題かもしれない。しかしもし、奇跡が起こるならば、先程の物音を気のせいとして、清河にはこのまま去ってもらいたい。そう願うばかりだった。
「失礼します」
そんな願いも虚しく、ギイイと扉の開閉音が聞こえた。彼の足音が鼓膜に響き始めた。カーペットの上、若干くぐもった音。しかしそれは、若月の心臓を刺す針のようだった。
清河は何も喋らない。若月は、物音を一切立てぬよう息を殺す。最悪、見つかった時は。若月は、両の拳を強く握りしめた。
それからどれ程の時が経ったのだろう。またも、重苦しい軋み音が響いた。数秒後には部屋の電気が消え、室内を、闇と静寂が支配する。
まだ一分も経過していない。驚くべきことに、清河は、ものの数秒で部屋を出て行ったようだった。
ただ、すぐに安心はできなかった。出て行ったふりをして、この暗闇に潜んでいるかもしれない。念のため、その後数分の間、若月はその場で身をひそめていた。
しかしその後も人気は感じない。音もしない。自分の押し殺した呼吸音が、室内で反響しているのではないか、そう錯覚してしまう程に、無音の空間に、彼はいた。
さらに数分が経った。我慢できず、若月は思い切って、スマートフォンのライトを点けてみた。白色の光が若月の周辺で広がる。立ち上がり、室内全域を照らす。やはり、誰もいなかった。そこまでわかったところで、若月は大きく息を吐いた。全身の力が抜ける。
どうやら、見つからずに済んだようである。
何と運が良いのだろう。勝治の部屋、廊下、ここ。今日、この藍田家に侵入してからというもの、何度も危機に見舞われた。しかしこうして何とかなっている。ここまで幸運が続くと、後に不運が待っているかのようで、不安になってくるものだった。
若月は大きく伸びをした。見つからなかったのなら、早く行動に移さなければ。
そこで、ようやくそれに気付いた。この部屋で見つけた勝治の日記が、手元に無い。急いで部屋の電気をつける。隠れていたパソコンデスクの下、元々あった来客スペースの机周り。どこにもそれは無かった。
焦ってそのまま机に置いたか、床に落としたのか。見当たらない以上、清河が持っていってしまった可能性が高かった。
もしもそうだとすれば、非常にまずい状況だ。彼が若月と同じように「何も知らない」のであれば良いが、彼はここの使用人で、古参なのだ。有紗の監禁なんて大それたことを、知らない訳が無いはずである。
若月の発した物音から、書斎に人がいたことは分かっている。若月が清河だったら、拾った勝治の日記は、何者かに読まれたと考えるだろう。
こめかみから汗が一筋流れてくる。それが事実なら、彼は二階奥の部屋に向かったのではないか。目的は一つ。彼は日記にあった「彼女」を別の場所に連れていくこと。主人の日記を読んだ何者かに見つけられてしまう前に。
若月は、清河が出入りした、リビング側の扉へと歩を進めた。焦燥感に促されるまま、ノブを掴む。金色、そして錆一つないそれは、ひんやりと冷たい感触がした。
ノブを下げる。もはや、押せば開く。
先程の隠し通路側の扉を開ける方法は分からないし、それを探す時間は無い。かといって、外から二階のベランダに行くこともできない。この先に行くしか、道は示されていなかった。
なるようになれと、若月は自分の頬をぱちんとはたいた。迷っている暇も無いのだ。扉を数センチ程度開ける。向こう側は暗い。電気は点いていないし、人気もない。清河は既に、二階に向かったのかもしれない。
安堵すべきか、焦るべきか。若月は更に少しだけ扉を開け、向こう側へと進み出した。
0
あなたにおすすめの小説
彼の巨大な体に覆われ、満たされ、貪られた——一晩中
桜井ベアトリクス
恋愛
妹を救出するため、一ヶ月かけて死の山脈を越え、影の沼地を泳ぎ、マンティコアとポーカー勝負までした私、ローズ。
やっと辿り着いた先で見たのは——フェイ王の膝の上で甘える妹の姿。
「助けなんていらないわよ?」
は?
しかも運命の光が私と巨漢戦士マキシマスの間で光って、「お前は俺のものだ」宣言。
「片手だけなら……」そう妥協したのに、ワイン一杯で理性が飛んだ。
彼の心臓の音を聞いた瞬間、私から飛びついて、その夜、彼のベッドで戦士のものになった。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
タダで済むと思うな
美凪ましろ
ライト文芸
フルタイムで働きながらワンオペで子育てをし、夫のケアもしていた井口虹子は、結婚十六年目のある夜、限界を迎える。
――よし、決めた。
我慢するのは止めだ止め。
家族のために粉骨砕身頑張っていた自分。これからは自分のために生きる!
そう決めた虹子が企てた夫への復讐とは。
■十八歳以下の男女の性行為があります。
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇
☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる