侵入者 誰が彼らを殺したのか?

夜暇

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第五章 リビング

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 冬子。その名前を、尚哉は聞き覚えがあった。
 あれはそうだ。志織が真琴の結婚式場で、招待客達の会話を小耳に挟んだのだ。

 ——若社長もやり手だよなあ。就任早々、あんな美人と再婚なんてさ。
 ——でも、奥さんいたらしいぞ。少し地味目な。えーっと…
 ——冬子さんじゃ無かった?名前。
 ——確か少し前に亡くなったんだっけ。
 ——はあ。移り身の早い人というか、何というか。
 ——つまりあれだろ、結局男は欲求に逆らえないってことだよ。
 ——あんな美人からアプローチされりゃ、どんな男もなびくさ。
 
 藍田冬子。志織と違い華やかさは無いけれども、お淑やかな薄顔の麗人だった。芳美の話では、彼女は三年半前に亡くなっているという。事故らしいが、なんの事故かは不明だ。
 ——でも、今考えてもおかしいんです。冬子様の死後は誰もが淡々としていて。真琴様も真琴様で、その半年後にはもう、志織様と再婚ですよ。
「それ程相手のことを想っていなかったとか?」
 とんでもない、と芳美。
 ——知らないんですか。真琴様と冬子様、藍田本家を出ているんですよ。
「それは、その。駆け落ち的な?」
 そうなんでしょうねと芳美は肯定する。
 尚哉は彼らと直接的な関わりは無い。調書にも、そこまで私的な記載は無かった。それだけに、尚哉は興味が湧いた。
 ——冬子様は志織様や真琴様とは違う、ごく普通のご家庭のご出身でした。
「普通の、家…」昔、貴明も同じ言い方をしていたことを思い出した。
 ——私がお家に仕える前の話だったんですけど。真琴様、冬子様との結婚を旦那様に猛反対されたらしくて。家との縁か冬子様との縁、二択を迫られたそうです。その結果、真琴様は冬子様を選んだ。それからずっと、遠方で暮らされていたそうですよ。生前冬子様に聞きましたが、それこそ慎まやかに暮らされていたとか。
「話の聞こえは良いですけど。その感じ、勝治さんは黙ってなかったんじゃないですかね」
 ——ええ、はい。清河さんの話だと、旦那様は真琴様を勘当したらしいです。真琴様にとって、それでも構わないって思える相手だったんですよ、冬子様は。
 それを聞くと、確かにおかしな話だった。家を捨ててまで選んだ冬子の死後、一年も経たずに別の女性と再婚。どういう心境の変化なのだろう。
「…確か、真琴さんが今のポストに就いたのは、お父さんの意向が強いと聞きましたが」
 ——そうみたいですね。
「自ら勘当した息子を改めて己のもとに引き戻すなんて、何かご事情があったり?」
 ——さあ…多分ですが、いざ退陣するとなって、藍田家の血筋の方を後継にしたかったんじゃないですか。
 自信無さそうに答える芳美。彼女はあまり知らないのだろう。
 とにかく現実問題、真琴と冬子…そして彼らの間に産まれた瑛子もそうだが、勝治のいる藍田家に戻ってきたのである。その事実は間違いようがなかった。
 ——私、思うんです。それには何かしらの…いや、誰かしらの思惑が働いたんじゃないかって。
「誰かしら、の」
 そう口にしてから、尚哉はハッとした。そんな彼の様子に勘付いたのか、芳美は続ける。
 ——真琴様と冬子様が戻られた四年前。同じ頃、彼女が真琴様に関わり始めたんです。
「彼女?」
 ——志織様ですよ。真琴様に、熱心にアプローチし始めて。この家にも何度もやってきて。冬子様の立つ瀬がありませんでしたよ。
 志織が。先日会ったばかりの、彼女の姿と態度を思い浮かべる。そういえば彼女の結婚式でも、司会が「お二人の出会い」で、そう述べていた気もした。
 ——おかしくないですか。だって、当時、芳川薬品は藍田家にとって商売敵ですよ。そんなところの社長の娘が、真琴様にご執心だなんて。
 確かにおかしかった。もとから二人が懇意の仲で、会社同士の垣根を超えた大恋愛というのであればまだ納得できた。しかし真琴と志織はそれまで面識は無いし、第一彼には冬子という妻がいた。
「…なるほど」
 突然真琴を後継者として求めた勝治。真琴に近づき始めた志織。同時期にあった冬子の事故死。そして…貴明と雛子の不倫関係。これだけ情報があれば、芳美の言う「誰かしら」と「思惑」が、先程尚哉が頭の中で考えた内容と一致するのは、至極当然だった。
 しかし。
「たとえ、そうだったとしてもですよ。結局今お聞きした話が、今回の事件とどう関係してくるのか、見えてこないんですよね」
 ——ええと。たとえば、ですけど。冬子様の死を悼む誰かの犯行だったりとか。芳川家、藍田家に復讐するために、まずは関係する人達から抹殺に入った、とか。
 それは刑事ドラマの見過ぎだと、尚哉は思った。
「それなら本人達に復讐するのが筋ですよ。どうして…しかも二人目の被害者の棚橋さんは、その冬子さんのお母様なんですよね。実の母親を殺すのは、いささか違うと思うのですが」
 ——いや…それには心当たりがあります。冬子様はご実家で、えっと、お母様の再婚相手から、性的虐待を受けていたんだって。
 性的虐待。重い言葉に、思わず唾を飲み込む。
 ——犯人は、復讐の意味もあって、再婚相手を連れてきたお母様を殺害したんじゃないでしょうか。
 興奮しているのか、芳美の声量はもはや小声ではなくなっていた。
 ——食事でも、あるじゃないですか。ほら、メインディッシュは後で食べるためにあえて残す方って。もしかすると犯人は、今にも藍田家と芳川家の方々を狙っているのかも…
「し、塩原さん。少し落ち着いてください」
 尚哉の声で我に返ったのか、芳美は弱々しくすみませんと謝りを入れる。尚哉は、芳美の様子とは反対に、はじめに聞いた時よりも若干冷めてきていた。
 仮に芳美のいうとおり、犯人が冬子の復讐の肩代わりをしているとしよう。最終的な目的は、彼女の死の原因となった人間を殺すつもりなのだとする。
 しかしそうなると二つ、疑問が生じる。まず「何故今になって」というもの。綾子でいえば、冬子が継父から虐待を受けていたのが、彼女が幼い頃の話であれば、少なくとも数十年は前の話である。また、冬子の事故死に両家の人間が関わっているとしても、冬子が亡くなって三年と半年も経過している。どちらにしても、今行う理由が無い。
 二つ目は「佐伯と柏原の殺害」である。冬子の死に、彼らは関わりが無いのだ。「済」のついていた、今まさに話している芳美もそうだが。
「まあ、無くはない話かもしれませんね」
 しかし尚哉は否定せず、わざとぼかした言い方をした。理由があった。佐伯三郎、棚橋綾子、柏宮雄介。冬子のことは抜きにして、殺害された三人全員、芳川家と藍田家と関わりがある。捜査本部で話したとおり、犯人の思惑が両家に関係している可能性は高い。数日前までは無差別殺人の可能性が高かったこの事件、今ではその可能性の方が低く思えた。
 そうなると、長年両家の動きを見てきただろう芳美の存在は貴重だった。変に彼女の考えを否定して、彼女の自分に対する印象を悪くしても、得にはならないだろう。
「お話、ありがとうございました。大変参考になりました」
 ひとまず礼を言う。「とんでもないです」と、受話器の向こう側で芳美がへりくだる。電話をかけてきた数分前より、だいぶ声の調子に堅苦しさが抜けていた。話しているうちに緊張もまた、緩和されたのだろう。
 とにかく、芳美から尚哉ら警察も掴んでいなかった情報をもらえたことは、事実である。貴明と雛子の不倫関係はともかく、棚橋綾子が真琴の前妻の母親だとは。これを本部で共有すれば、滞っていた捜査の進展を促す潤滑油になり得るかもしれなかった。
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