侵入者 誰が彼らを殺したのか?

夜暇

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第五章 リビング

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 病院の駐車場に入ると、端に見覚えのある車が停まっていることに気付いた。クラウンのセダン。尚哉たち所轄が管理する、捜査用覆面車両である。橋本が今夜、張り込むために借りたのだろう。
 電話のとおり、彼は芳美のいる病棟に向かってしまったのだろうか。近くに車を寄せるために橋本の車へ寄っていく。
 ヘッドライトでフロントガラスが見える程度に近づいたところで、車内…助手席に橋本がいることに気がついた。頭を垂れ、顔は見えない。尚哉の車には気がついていない。
 あれだけ息巻いていたというのに。電話を切った後で冷静になり、やはり待機することにしたのだろうか。安心反面、彼の発言に踊らされ、急いでやってきた尚哉にとって、橋本の態度は気に入らなかった。車をその場で停め、尚哉は彼の車に早足で向かう。
 助手席のドアガラスを、人差し指の甲でコンコンと叩く。反応しない。振り向きもしない。寝ているのだろうか。頭にきた尚哉は、ドアハンドルを掴む。引くと容易にドアは開いた。そうして彼を見たところで、尚哉は言葉を失った。
 橋本は、尚哉を待っていた訳ではなかった。垂れ下がった顔は青白く、生気を感じられない。首元からは血が流れ、彼が身につけている白いワイシャツを真っ赤に染めている。
 死んでいる。
 理解すると共に、尚哉はコンクリートの地面に尻餅をついていた。痛みは感じない。感じない程に、目の前の事実が信じられなかった。
 何故、橋本が?狼狽えるも、彼の骸の全身を見据える。口を開けて目を見開くその表情は、自分が死んでいること自体に驚き慄いているようにも思えた。
 車内は血の臭いが充満していた。橋本は首元を一閃、鋭利な刃物か何かで切られたらしい。今際の際に暴れたのか、ドアガラスには血が所々に飛び散っていた。
 つい十数分前、彼と尚哉は会話をしたばかりである。血が固まっていないことからも、あの電話の直後に殺害された。そう考えて良いだろう。
 誰に?
 尚哉は病院に目を向ける。この夜更けだ。病室はどこも真っ暗だ。芳美がいるだろう病室の窓も同様に。
 橋本は電話で彼女の病室に向かうと言っていた。今も、病院には犯人がいるのだろうか。
 安易な考えを、尚哉はかき消した。尚哉がここに到着するまでの数十分、遺体がここにあることを考えると、橋本は病院には向かっていないのだ。つまり彼は、ここで殺害された。そう考えて良いだろう。
 尚哉は車の外、周辺に視線を飛ばす。三百六十度、誰もいない。念のため、車の下も覗く。橋本と尚哉の車以外、駐車場には何も無い。耳につく虫の声。ぼうっと灯る街灯。ぞわりと、鳥肌が立つ。
 尚哉はスマートフォンを出した。このことを、本部にいる野本に伝えておいた方が良い。応援を呼ばなければ。
 がたんっ。
 尚哉は反射的に、背筋を伸ばした。車の後方から何やら、大きい物音が聞こえた。物が動いた時に発する音のような。運転席のドアを閉める。出したばかりのスマートフォンをしまい、尚哉はゆっくりと車の後方へと歩み寄る。音は車の後方から聞こえた気がする。誰もいない。
 と思ったら、ごとごとと、またも音がした。トランクか。恐る恐る、尚哉はトランクを開けた。
 そこにはLLサイズで、黒色のスーツケースが一つあった。まさに人一人、入ることができそうなほどのもの。思うが早く、スーツケースのジッパーを掴み、勢いよく開けた。
「…塩原さん」
「―っ!」
 芳美は尚哉の顔を見るや否や、目を見開いた。足や手にギプスをはめ込んだ、痛々しい姿。体育座りの状態で、口にはガムテープが貼られ、手足は黒い布で縛られていた。
「しっかりしてください。大丈夫ですか」
 内心動揺しつつ話しかけるも、芳美は何かを恐れているようにぶるぶると震えている。
 彼女をこのようにしたのは、橋本を殺害した犯人だろうか。改めて尚哉はきょろきょろと周囲に目を配る。
「大丈夫です、誰もいません。安心してください」
 優しく伝えるも、彼女の怯えた表情は変わらない。余程怖かったに違いない。誰にやられたのかは知らないが、これほどの扱いは、通常受けるものではないだろう。
 芳美の口を覆っていたガムテープを剥がす。途端、彼女はばああと大きく深呼吸をした。
「何があったんです」
 尚哉が尋ねると、芳美は首を横に振った。目はしきりに泳いでいる。
「わ、わからないんです。芳川さんと電話で話していたら、足音が聞こえてきて。看護師の巡回と思ったら、どうやら違くて。私、慌てちゃって」
 ここにこうしていたことについては、彼女自身「分からない」の一点張りだった。
 橋本が見た人影と、芳美の聞いたという足音の主は、同一人物なのかもしれない。その何者かは、芳美を拉致しようと病院に忍び込んだ。彼女を連れ去る途中で、橋本がこの駐車場にいることに気付き、邪魔な彼を殺害した。自分がここに来るまでにあったことは、そんなところだろう。
 橋本の予感が当たっていたなんて。犯人が顔剥ぎかどうかは分からないし、当の本人は殺されているのだが、まさに不幸中の幸いだった。
「でも、間に合って良かった。実は私の仲間も襲われまして」
「え、そんな…」
「塩原さんのご心配には及びません」
 実際に橋本は殺されているが、彼女を不安にさせぬよう、そのことは伏せておくべきだと思った。
 とにかく彼女をこのままの姿でいさせるのは忍びない。ただ、手足を縛る布を解こうとするも、なかなかどうして固く結ばれている。簡単に解けそうにない。
「すぐ、戻ります」
 尚哉は芳美をそのままに、覆面パトカーの真横に停めていた自分の車の扉を開ける。中に何か、紐を切ることができる物が無いだろうか。そうして車内に入り探そうとしたところで、後方からばたんっ、と車の扉を閉めるような音が聞こえた。
 芳美が自分で解いたのか。あれ程の固結びを?振り返ろうとしたところで、尚哉の全身に激痛が走った。直後、己の両の黒目が、自らの意思とは無関係に縦横無尽に動く。
 その後、尚哉は冷たい駐車場のコンクリートに頬をぺたりとつけていた。
 何が起きた?訳も分からぬまま、瞳が滲む。視界がぼやける。混乱する間に、腰辺りに重い衝撃。喉の奥から、縄が千切れそうな異音を出る。
「——様!」
 芳美の叫ぶ声が聞こえる。
 霞む視界の中、目の前に脚が見えた。ギプスはつけていない。まさか、橋本を殺した犯人?しかし一体、どこにいた?周囲には誰もいなかった。この駐車場には、自分の車と橋本が乗ってきた車しか。
 …橋本の車。彼の遺体が運転席ではなく、助手席に座っていたこと。芳美がトランクに入れられていたこと。犯人は車内にいたのだ。尚哉の車が駐車場に入ってきたことに気付いて、後部座席の間にでも、身を潜めていたのだろう。
「——様、やめて!」
 反響する芳美の声が遠くなる。次第に頭の中が真っ白になったかと思えば、尚哉はそのまま意識を失った。
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