侵入者 誰が彼らを殺したのか?

夜暇

文字の大きさ
41 / 68
第六章 空き部屋

しおりを挟む
 S区警察署の地下二階、関係者以外立入禁止の区画。そこには、各部の捜査書類や重要文書を保管するための、文書保管室がある。
 一般的に、それらは事件や事案が終えようとも、廃棄できる年度が来るまで、担当部署の管理下にあるとして、保管しておく必要がある。過去の事故や事件、S区の治安維持を担ってきた所轄の歴史が、その部屋には詰まっているのである。
 午後十一時過ぎ。夜も更けたその時刻、野本は駆け足気味で、保管室へと向かっていた。
 先程届いたばかりの、尚哉からのメールの内容を思い返す。本文には、塩原芳美から電話があり、彼女と会話し得た情報が載っていた。
 内容は興味深いものだった。特に、二人目の被害者である棚橋綾子が、藍田真琴の前妻で、事故死したという冬子の実母だったということ。また、冬子は若い頃、綾子の後夫から性的暴力を受けていたこと。この二点は気になった。
 藍田冬子か。覚えている。当時事件の可能性もあり、野本も初動捜査に参加した記憶がある。
 彼女の死は事故として処理された。ただ、あの事故は、不完全燃焼のまま、終わりを迎えた覚えがあった。それがどういったものだったか。野本の頭の中で、正確に思い出せない。故に保管室に眠った資料より、改めて確認しようというわけである。
 野本は保管室の扉を開けた。むわりと、紙と埃と湿気の臭いが、鼻の奥に漂ってくる。彼は手の甲で、鼻先をごしごしと擦った。
 立ち並ぶ鈍色のオープンラックには、資料が詰まった、透明なプラスチック製のコンテナボックスが並んでいる。時期、地域、部署によって、文書の保管場所が異なる。つらつらと見ていくうちに、件の事故に関する書類があるであろうボックスを、発見した。
 野本はラックからそれを引き抜き、床に置く。目に見える程に、埃が舞う。顔をしかめつつも、野本は中の書類を取り出し始めた。出てくる紙、紙、紙。文書の概要を見る。違う。これも、あれも。どれも——。
 十分後、野本はそのボックスに入っていた全ての書類を見終えていた。そうして、一人首を傾げた。
 目当てにしていた文書は、見つからなかった。見逃しや、他の文書に綴られている可能性を考え、各書類を一枚一枚めくり、念入りに確認する。やはり、見当たらない。
 おかしい。三年半前。事故が起きた時期は覚えている。このボックスに間違い無い。宙に舞う埃でもあるまいし、資料が勝手に無くなることはあり得ない。
 誰かが間違って、別のボックスに入れてしまったということも有り得る。が、尚哉から冬子のことを聞いた、このタイミングで、彼女の事故死の資料が無い。偶然とは思えない。
 誰かが持ち去った?その理由は?
 彼女の事故死は、今回の事件に関係している。それは、野本自身も分かっていなかった。しかし野本は、その二つが関連していると決め付けていた。彼自身の刑事の勘が、そう思わせるのか。それとも…そう思うだけの理由があるのか。
 S区警察署に、藍田冬子の事故死と顔剥ぎの事件を、関連付けることを良しとしない者がいる?
 そうであればと、野本は保管室と中扉で繋がる、事務室の扉を開けた。途端にもわりとした温かい空気が体にまとわりつく。保管室側の冷たい空気が、事務室内に拡がる。文書管理を担う記録課の職員は既に退勤し、誰もいない。
 電気をつける。こぢんまりとした室内の端に、目的のものはあった。旧型のデスクトップパソコン。S区警察署における公文書のデータベースである。
 電源を入れ、パソコンのキーボードに貼られた「閲覧者」のパスワードを入力すると、簡素なデスクトップの端に公文書の管理システムのアイコンがあらわれた。よかった。野本が最後に触ったのは数年前ということもあり、システムが変わっていたらどうしようかと思った。
 覚束ないキー操作で、公文書の検索をする。件名に適当な名称を入れると、割とすぐに目当ての文書が見つかった。
 ― S区A町1ー××× 事故案件の報告書 ―
 住所、公文書の作成日時。これだ。興奮しつつ、野本は文書件名をクリックした。
 しかし彼の期待に応えるだけのものは、遷移したページには表示されていなかった。該当する文書が「あった」ことは分かったが、詳細なデータが、一切見当たらないのだ。
入力ミス?それならこのような、明らかに瑕疵のある文書が、保存文書として保管されているのはおかしな話である。
 まさか。これもまた、何者かが意図的に削除したのではないか。紙の文書も無い。データ上の資料も無い。これらを行なったのは、同一人物なのではないか。
 それが事実かそうでないかはともかく、現実問題これでは、冬子の事故死について、調べようがない。どうするべきか。パソコンの前のキーボードに手を置き、一人唸る。
 そこで野本は、あることを思いついた。システムをいじり、他の文書を表示させる。
 試しに、他の報告書概要のデータを消去できるか、やってみようというのである。結果はすぐにわかった。「閲覧者」の権限では、文書の削除や変更を行うことはできないのだ。
 つまり。冬子の事故死のデータに手を加えた者は、このパソコンの「管理者」権限を持つパスワードを知っていることになる。
 野本は振り返り、事務室全体を見渡した。「管理者」権限は、各部の総務課に配属されない限り、知る由もない。顔剥ぎの事件は署内では有名だが、本部での捜査状況は、原則他部署にも非公開である。冬子の事故死はもちろん、藍田家や芳川家を捜査していることも、断片的にしか知らないだろう。
 つまり消したのは、過去に総務課に配属され、現在捜査本部にいる人間に限られる。
 ——一人。野本の中で、思い当たる人物がいた。
 それは。
「野本さん」
 その時、後ろから声が響いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】結婚式の隣の席

山田森湖
恋愛
親友の結婚式、隣の席に座ったのは——かつて同じ人を想っていた男性だった。 ふとした共感から始まった、ふたりの一夜とその先の関係。 「幸せになってやろう」 過去の想いを超えて、新たな恋に踏み出すラブストーリー。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

25年目の真実

yuzu
ミステリー
結婚して25年。娘1人、夫婦2人の3人家族で幸せ……の筈だった。 明かされた真実に戸惑いながらも、愛を取り戻す夫婦の話。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

処理中です...