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第六章 空き部屋
三
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若月のこめかみから、冷や汗が流れた。
二階に上がり顔を左右に向けると、勝治の部屋の扉が大きく開いていた。薄暗い廊下、一際目立つ室内の灯り。部屋の中に、誰かがいることは間違いなかった。
あの部屋には、勝治の遺体があったはず。
見つけられてしまった。しかし、誰に?清河、だろうか。何故勝治の部屋にという疑問は後回し、ともかく、あの遺体を見つけたのなら、彼は警察に通報したに違いない。やってきた警官に自分が見つかれば、真っ先に疑われるのは、至極当然だった。
このまま、この家から逃げるべきか。―否、若月にその考えはなかった。ここで逃げたら、この先この家に侵入できる日が来ると思うか。勝治の遺体は、素人の若月が見ても事件性があった。となると、警察の調査は、数日間に及ぶのではないか。
警察の監視下で侵入などできやしない。しかし、有紗の行方はここでしか分からない。逃げることは、彼女と会えなくなることと同義だった。
それならやるしかないと、若月は勝治の部屋へと向かう。開け放し、電気もそのまま。中にいる者に不意打ちでもして、拘束して…少しでも時間を稼ぐことができないだろうか。
確率としては低い賭け、既に通報されていたら意味はない。しかし、可能性はある。若月はリュックサックから、忍び込む際に使用したロープの余りを取り出した。
これだけあれば、人一人の手足を縛ることができるだろう程度の長さはある。いける。自分を焚きつけ、開いた扉の裏側から、中の様子をそうっと伺った。
若月は呆然とした。室内には二人。一人は床にうつ伏せで、もう一人はベッドに仰向けで横たわっている。床に這いつくばる初老の男は、執事のような服装から、使用人の清河に違いない。頭から大量の血を流している。
そして、ベッドの上——。
数時間前ここに侵入した時からそこには、勝治の遺体があった。それに変わりはない。しかし、遺体の顔が無い。見る影もない。思わず目を背ける。
誰がこれを?清河が…いや、それなら、瀕死の状態で彼が倒れているのはおかしい。
勝治の遺体と、隠し部屋の切断された顔、それぞれを思い浮かべて、若月は気分が悪くなった。ただ、その不快感もすぐに治まった。ここに侵入してから数時間、この間にいくつもの遺体や人体の一部を見てきた。良くも悪くも、少しは慣れてきたのかもしれない。
それにしても、これは。疑惑から確信に変わった。やはりこの屋敷には今、まさにいるのだ。連続殺人犯の「顔剥ぎ」が。
若月が当初ここに忍び込んだ時、勝治の遺体には顔がついていた。その時…もしくはその直前、まさに顔剥ぎは、勝治を殺害したのかもしれない。更に言えば、若月の侵入で、遺体の顔を剥ぐ行為を一旦取りやめたのではないか。つまりあの時、自分の近くに顔剥ぎがいた?その可能性に、背筋が凍った。
「うあ…」
そこで、眼下に倒れる清河から、呻き声が上がった。若月は膝をつき、恐る恐る彼の腕を触る。弱々しいが、脈動はしている。生きている。しかし彼の後頭部は陥没し、えぐれて出血している。鈍器のようなもので殴られたのだろう。
「ま、真琴様…」
息も絶え絶え、清河は主の名を口にした。うつ伏せのまま。顔は見られていない。雰囲気から男であることと、時間から考えて、若月のことを真琴であると誤認したのだろう。
若月が答えずにいると、清河は荒い呼吸のまま、掠れた声を発した。
「よ、芳川、貴明です。彼に、やられて…」
若月は目を丸くさせた。清河が口にした名前。それは、芳川薬品社長の名前だったはず。
おかしく思えた。こんな夜遅く、他人の家にいるだなんて。自分じゃあるまいしなどと自虐風に思いはしつつも、本心では容易に一蹴できないとも考えていた。
例えば仮に、本当に。貴明が、ここにいるとしたら。その理由もそうだが、彼はどうして、清河に致命傷を負わせたのか。それに、ベッドの上にある顔無しの遺体を見て、何も思わなかったのだろうか。
まさかそれもまた、彼の仕業の可能性もある。もしもそうだとすると、必然的に貴明は顔剥ぎということになるが―。
残念なことに、それ以上清河は口を開かなかった。揺さぶるも、反応はない。若月は立ち上がり、廊下に出た。人気はない。顔を左に向けると、勝治の部屋と真反対に位置する、右奥の部屋の扉が開いていることに気がついた。
黙々と廊下を進む。不思議と、誰かに見つかる恐怖も、家のどこかにいるだろう顔剥ぎに慄くことも無かった。慣れた訳ではないし、返り討ちにする自信がある訳でもない。
有紗が二階奥の部屋にいるかもしれない。それだけは、確認すべきことだと思った。今はそれしかできない。
自分はもう前に進むしかない。若月は緊張に体を固くさせつつも、一歩ずつ前へと進んだ。
二階に上がり顔を左右に向けると、勝治の部屋の扉が大きく開いていた。薄暗い廊下、一際目立つ室内の灯り。部屋の中に、誰かがいることは間違いなかった。
あの部屋には、勝治の遺体があったはず。
見つけられてしまった。しかし、誰に?清河、だろうか。何故勝治の部屋にという疑問は後回し、ともかく、あの遺体を見つけたのなら、彼は警察に通報したに違いない。やってきた警官に自分が見つかれば、真っ先に疑われるのは、至極当然だった。
このまま、この家から逃げるべきか。―否、若月にその考えはなかった。ここで逃げたら、この先この家に侵入できる日が来ると思うか。勝治の遺体は、素人の若月が見ても事件性があった。となると、警察の調査は、数日間に及ぶのではないか。
警察の監視下で侵入などできやしない。しかし、有紗の行方はここでしか分からない。逃げることは、彼女と会えなくなることと同義だった。
それならやるしかないと、若月は勝治の部屋へと向かう。開け放し、電気もそのまま。中にいる者に不意打ちでもして、拘束して…少しでも時間を稼ぐことができないだろうか。
確率としては低い賭け、既に通報されていたら意味はない。しかし、可能性はある。若月はリュックサックから、忍び込む際に使用したロープの余りを取り出した。
これだけあれば、人一人の手足を縛ることができるだろう程度の長さはある。いける。自分を焚きつけ、開いた扉の裏側から、中の様子をそうっと伺った。
若月は呆然とした。室内には二人。一人は床にうつ伏せで、もう一人はベッドに仰向けで横たわっている。床に這いつくばる初老の男は、執事のような服装から、使用人の清河に違いない。頭から大量の血を流している。
そして、ベッドの上——。
数時間前ここに侵入した時からそこには、勝治の遺体があった。それに変わりはない。しかし、遺体の顔が無い。見る影もない。思わず目を背ける。
誰がこれを?清河が…いや、それなら、瀕死の状態で彼が倒れているのはおかしい。
勝治の遺体と、隠し部屋の切断された顔、それぞれを思い浮かべて、若月は気分が悪くなった。ただ、その不快感もすぐに治まった。ここに侵入してから数時間、この間にいくつもの遺体や人体の一部を見てきた。良くも悪くも、少しは慣れてきたのかもしれない。
それにしても、これは。疑惑から確信に変わった。やはりこの屋敷には今、まさにいるのだ。連続殺人犯の「顔剥ぎ」が。
若月が当初ここに忍び込んだ時、勝治の遺体には顔がついていた。その時…もしくはその直前、まさに顔剥ぎは、勝治を殺害したのかもしれない。更に言えば、若月の侵入で、遺体の顔を剥ぐ行為を一旦取りやめたのではないか。つまりあの時、自分の近くに顔剥ぎがいた?その可能性に、背筋が凍った。
「うあ…」
そこで、眼下に倒れる清河から、呻き声が上がった。若月は膝をつき、恐る恐る彼の腕を触る。弱々しいが、脈動はしている。生きている。しかし彼の後頭部は陥没し、えぐれて出血している。鈍器のようなもので殴られたのだろう。
「ま、真琴様…」
息も絶え絶え、清河は主の名を口にした。うつ伏せのまま。顔は見られていない。雰囲気から男であることと、時間から考えて、若月のことを真琴であると誤認したのだろう。
若月が答えずにいると、清河は荒い呼吸のまま、掠れた声を発した。
「よ、芳川、貴明です。彼に、やられて…」
若月は目を丸くさせた。清河が口にした名前。それは、芳川薬品社長の名前だったはず。
おかしく思えた。こんな夜遅く、他人の家にいるだなんて。自分じゃあるまいしなどと自虐風に思いはしつつも、本心では容易に一蹴できないとも考えていた。
例えば仮に、本当に。貴明が、ここにいるとしたら。その理由もそうだが、彼はどうして、清河に致命傷を負わせたのか。それに、ベッドの上にある顔無しの遺体を見て、何も思わなかったのだろうか。
まさかそれもまた、彼の仕業の可能性もある。もしもそうだとすると、必然的に貴明は顔剥ぎということになるが―。
残念なことに、それ以上清河は口を開かなかった。揺さぶるも、反応はない。若月は立ち上がり、廊下に出た。人気はない。顔を左に向けると、勝治の部屋と真反対に位置する、右奥の部屋の扉が開いていることに気がついた。
黙々と廊下を進む。不思議と、誰かに見つかる恐怖も、家のどこかにいるだろう顔剥ぎに慄くことも無かった。慣れた訳ではないし、返り討ちにする自信がある訳でもない。
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