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第六章 空き部屋
四
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目覚めると、目の前が真っ暗だった。尚哉は一瞬混乱するも、数秒後には、布か何かを被せられていることに気付いた。勢いよく首を振ると、いとも容易く、それは床に落ちた。
見知らぬ場所だった。尚哉の住む六畳ワンルームとは大違い、圧倒される程に広々とした部屋だ。左右の壁には、等間隔に三つ、暖色系の眩しい光を放つランプが備わっていた。よく見ると本物のランプではなく、中に蛍光灯が入った疑似ランプのようである。
目の前には鉄格子。黒色のそれは、天井から床まで、余すことなく張られている。室内は、鉄格子を境にして区分されている。格子を超えたその先には、見えにくいがベッドや本棚、ドレッサー等の多様な家具と、生活感があった。
正面奥には、扉がある。全開だった。ほのかにその先が見えるが、そこもまた壁になっている。
位置関係的に、尚哉は部屋の奥側にいるらしい。格子の向こう側にも、開いた扉の先にも、誰もいない。
尚哉は椅子に座り、両手を背もたれの後ろ手に縛られた状態で、そこにいた。両足も、椅子の脚と一緒に縛られているらしい。完全に拘束されている。
尚哉は冷静に、今自分の置かれている現状と、ここに至るまでの経緯を脳内で整理する。確か、塩原芳美の入院する病院の駐車場で何者かに襲われ、目が覚めたらここにいた。その何者かが、自分をここに連れてきたのか。
おかしな状況に思えた。何故、自分は生きて、ここにいるのか。橋本は殺されていた。しかし自分のことはそうせずに、生かしてここまで連れてくるというのは、一体どういう了見なのだろうか。
考えあぐねる尚哉の横で、呻き声が聞こえた。尚哉が声のした方向を見ると、そこには等間隔に椅子が二つ。その上…黒い布が被さってはいるも、その独特の形状から、どちらにも人が座っていることが分かった。
声は、尚哉の隣の椅子から聞こえた。
尚哉はひとまず、声をかけてみた。「お二人とも、大丈夫ですか」
「う、あ」
隣の椅子に座っている人物は、尚哉の声に反応するように、布ごと首を動かす。声色から、女性だろう。もう一人は動かない。眠っているのだろうか。
待てよ。この声は。心当たりがあった尚哉は、一拍遅れて、もう一度声をかけた。
「芳美さん?」
ぴたりと動きが止まった拍子に、隣の椅子を覆っていた布がはらりと床に落ちる。後ろで一つ結びにした、取り留めのない顔つきの女。一重の細い瞼は見開かれ、尚哉を見る。尚哉の予想どおり、隣に座っていたのは芳美だった。意識を失う前まで電話で話していただけに、彼女の声を耳が覚えていたようだ。
芳美も尚哉同様、椅子の後ろ手に縛られており、身動きは取れなそうだった。彼女は尚哉と目が合うと、すぐに目を逸らし、若干俯く。ふっ、ふっ。音は小さいが呼吸は荒い。明らかに動揺している。
「何があったんです」
芳美は震えていた唇をきゅっと結んだ。それまでの荒い呼吸は、無理に押さえつけているのだろうが、そこで治まった。しかし変わらず尚哉を見ない。話したくない。そこには、拒絶の意思を示していた。
「芳美さん」尚哉は、彼女に淡々とした口調で告げる。「私は、これが誰の仕業か、知っています」
芳美は、ぎこちない動作で尚哉に顔を向けた。口は半開きだ。
「病院の駐車場」
「え…」
「あなたは、その人の名前を呼ばれていましたね」
実際には、尚哉は掠れゆく意識の中、彼女が叫んでいた名前は聞こえなかった。しかし彼女が「人の名前」を叫んでいたという事実は、はっきりと覚えていた。
尚哉は、彼女に呼ばれていた誰かの名前を、あえて知っている風で話を進めた。
「あなたはお仲間ですか。私をここに連れてくることを、事前に知っていて…」
「そんなっ」芳美は大きな声で否定した。「違うんです。私も、あの、その、知らなくて」
かぶりを振るも、彼女は「いや」と息を吐いた。
「そう、思われてもおかしくないです、よね。でも信じてください。私は刑事さんを騙すつもりなんてなかった。知らなかったんです。電話で話した内容も、嘘はありません」
尚哉が黙っていると、芳美は訥々と話し出した。
「刑事さんとの電話が終わった後、あの人が病室にやってきたんです。私、驚いちゃって」
あの人。自然と唾を飲み込む。
「それで?」
「それで…刑事さんに話した内容を問い詰められました。あの、すごい剣幕で。思わず、少し喋っちゃいました。そうしたらその、酷く叱られて。普段そんなことが無いから怖くてもう、私、逆らえなくて。そんな、刑事さんを拉致するなんて、普通じゃないのに」
「私を、拉致ですか」
己の身に価値があったのか。こんな、三十路過ぎの男を?否。尚哉は心内で否定する。芳美が自分に話した内容を聞いた「あの人」は、話が広まる前にこうして自分を拉致したのでは無いか。いわゆる口封じのために。
「でも私、やっぱりこんなこと、やりたくなかった。ああ、だからこんなことに?ごめんなさい、ごめんなさい」
芳美は嗚咽を漏らす。そんな彼女の態度を、尚哉は不審に感じた。話の様子から、彼女自身本意でここにいる訳では無い。それでもなお、懺悔の言葉を発する、その理由は。
「藍田家の人間か」
尚哉の発言に、今度は芳美が訝しげな表情を浮かべる。そうして彼の思惑を察したのか、大きく目を見開いた。
「まさか刑事さん、嘘をついたんですか?」
「仮にそうだとすると、ここはあの家の中ですか」
「だ、騙したのね!」
信じられないといったふうの愕然とした表情の芳美を、尚哉は睨んだ。その気迫に圧倒されたのか、芳美は口をつぐむ。
「あなたを助けようとした結果、これです。しかも、あなたはそれに一枚噛んでいた。先に騙したのはあなたでしょう。被害者面をする資格は無いと思いますがね」
「うっ」
「脅されていたとはいえ、あなたは犯罪の手助けをしたんです。立派な罪ですよ」
尚哉の言葉に罪悪感を持ったのか、彼の凄みに恐れをなしたのか、芳美は萎れた花のように俯いた。しかし尚哉にとって、そんなことはどうでも良かった。彼女にそうさせた人物を知る方が優先だ。
彼女の態度と、芳美が敬称をつけていたことから、藍田家の人間であることは間違いない。また、意識を失う前に見た脚は、子どものものではない。故に勝治、雛子、志織、真琴。この四人に限られる。誰だ。誰が、こんなことを。
「あの」
場の、張り詰めた空気が一瞬弛んだように思えた。尚哉は視線を、芳美の向こう側へと移した。
もう一つの椅子、黒い布を被ったままになっていた人物が、もぞもぞと動いていた。今まで尚哉や芳美同様に、眠っていたのだろう。声色から、こちらも女性だった。
「お、お話中すみません。これはなんなんでしょう。前が見えなくて」
「布が被さっているんですよ。左右とか、頭を振ってみてください。布が落ちます」
「あ、なるほど。すみません、やってみます」
芳美が言ったとおりに、ぶんぶんと頭を振るその人物の姿が滑稽で、思わず気が緩む。
しかしそれにしても。聞き覚えのある声だと、尚哉は思った。
「あっ」
二つ隣の人物を覆っていた黒い布が払われたのは、その声と同時だった。尚哉と芳美は自然と、その人物の顔へと目を向けた。ショートボブ、艶のある唇。白い肌。その人物は、尚哉にとって、あまりにも意外だった。声を上げそうになったところを、すんでのところで飲み込む。尚哉は吃りつつも、彼女に声をかけた。
「ユサ、ちゃん?」
見知らぬ場所だった。尚哉の住む六畳ワンルームとは大違い、圧倒される程に広々とした部屋だ。左右の壁には、等間隔に三つ、暖色系の眩しい光を放つランプが備わっていた。よく見ると本物のランプではなく、中に蛍光灯が入った疑似ランプのようである。
目の前には鉄格子。黒色のそれは、天井から床まで、余すことなく張られている。室内は、鉄格子を境にして区分されている。格子を超えたその先には、見えにくいがベッドや本棚、ドレッサー等の多様な家具と、生活感があった。
正面奥には、扉がある。全開だった。ほのかにその先が見えるが、そこもまた壁になっている。
位置関係的に、尚哉は部屋の奥側にいるらしい。格子の向こう側にも、開いた扉の先にも、誰もいない。
尚哉は椅子に座り、両手を背もたれの後ろ手に縛られた状態で、そこにいた。両足も、椅子の脚と一緒に縛られているらしい。完全に拘束されている。
尚哉は冷静に、今自分の置かれている現状と、ここに至るまでの経緯を脳内で整理する。確か、塩原芳美の入院する病院の駐車場で何者かに襲われ、目が覚めたらここにいた。その何者かが、自分をここに連れてきたのか。
おかしな状況に思えた。何故、自分は生きて、ここにいるのか。橋本は殺されていた。しかし自分のことはそうせずに、生かしてここまで連れてくるというのは、一体どういう了見なのだろうか。
考えあぐねる尚哉の横で、呻き声が聞こえた。尚哉が声のした方向を見ると、そこには等間隔に椅子が二つ。その上…黒い布が被さってはいるも、その独特の形状から、どちらにも人が座っていることが分かった。
声は、尚哉の隣の椅子から聞こえた。
尚哉はひとまず、声をかけてみた。「お二人とも、大丈夫ですか」
「う、あ」
隣の椅子に座っている人物は、尚哉の声に反応するように、布ごと首を動かす。声色から、女性だろう。もう一人は動かない。眠っているのだろうか。
待てよ。この声は。心当たりがあった尚哉は、一拍遅れて、もう一度声をかけた。
「芳美さん?」
ぴたりと動きが止まった拍子に、隣の椅子を覆っていた布がはらりと床に落ちる。後ろで一つ結びにした、取り留めのない顔つきの女。一重の細い瞼は見開かれ、尚哉を見る。尚哉の予想どおり、隣に座っていたのは芳美だった。意識を失う前まで電話で話していただけに、彼女の声を耳が覚えていたようだ。
芳美も尚哉同様、椅子の後ろ手に縛られており、身動きは取れなそうだった。彼女は尚哉と目が合うと、すぐに目を逸らし、若干俯く。ふっ、ふっ。音は小さいが呼吸は荒い。明らかに動揺している。
「何があったんです」
芳美は震えていた唇をきゅっと結んだ。それまでの荒い呼吸は、無理に押さえつけているのだろうが、そこで治まった。しかし変わらず尚哉を見ない。話したくない。そこには、拒絶の意思を示していた。
「芳美さん」尚哉は、彼女に淡々とした口調で告げる。「私は、これが誰の仕業か、知っています」
芳美は、ぎこちない動作で尚哉に顔を向けた。口は半開きだ。
「病院の駐車場」
「え…」
「あなたは、その人の名前を呼ばれていましたね」
実際には、尚哉は掠れゆく意識の中、彼女が叫んでいた名前は聞こえなかった。しかし彼女が「人の名前」を叫んでいたという事実は、はっきりと覚えていた。
尚哉は、彼女に呼ばれていた誰かの名前を、あえて知っている風で話を進めた。
「あなたはお仲間ですか。私をここに連れてくることを、事前に知っていて…」
「そんなっ」芳美は大きな声で否定した。「違うんです。私も、あの、その、知らなくて」
かぶりを振るも、彼女は「いや」と息を吐いた。
「そう、思われてもおかしくないです、よね。でも信じてください。私は刑事さんを騙すつもりなんてなかった。知らなかったんです。電話で話した内容も、嘘はありません」
尚哉が黙っていると、芳美は訥々と話し出した。
「刑事さんとの電話が終わった後、あの人が病室にやってきたんです。私、驚いちゃって」
あの人。自然と唾を飲み込む。
「それで?」
「それで…刑事さんに話した内容を問い詰められました。あの、すごい剣幕で。思わず、少し喋っちゃいました。そうしたらその、酷く叱られて。普段そんなことが無いから怖くてもう、私、逆らえなくて。そんな、刑事さんを拉致するなんて、普通じゃないのに」
「私を、拉致ですか」
己の身に価値があったのか。こんな、三十路過ぎの男を?否。尚哉は心内で否定する。芳美が自分に話した内容を聞いた「あの人」は、話が広まる前にこうして自分を拉致したのでは無いか。いわゆる口封じのために。
「でも私、やっぱりこんなこと、やりたくなかった。ああ、だからこんなことに?ごめんなさい、ごめんなさい」
芳美は嗚咽を漏らす。そんな彼女の態度を、尚哉は不審に感じた。話の様子から、彼女自身本意でここにいる訳では無い。それでもなお、懺悔の言葉を発する、その理由は。
「藍田家の人間か」
尚哉の発言に、今度は芳美が訝しげな表情を浮かべる。そうして彼の思惑を察したのか、大きく目を見開いた。
「まさか刑事さん、嘘をついたんですか?」
「仮にそうだとすると、ここはあの家の中ですか」
「だ、騙したのね!」
信じられないといったふうの愕然とした表情の芳美を、尚哉は睨んだ。その気迫に圧倒されたのか、芳美は口をつぐむ。
「あなたを助けようとした結果、これです。しかも、あなたはそれに一枚噛んでいた。先に騙したのはあなたでしょう。被害者面をする資格は無いと思いますがね」
「うっ」
「脅されていたとはいえ、あなたは犯罪の手助けをしたんです。立派な罪ですよ」
尚哉の言葉に罪悪感を持ったのか、彼の凄みに恐れをなしたのか、芳美は萎れた花のように俯いた。しかし尚哉にとって、そんなことはどうでも良かった。彼女にそうさせた人物を知る方が優先だ。
彼女の態度と、芳美が敬称をつけていたことから、藍田家の人間であることは間違いない。また、意識を失う前に見た脚は、子どものものではない。故に勝治、雛子、志織、真琴。この四人に限られる。誰だ。誰が、こんなことを。
「あの」
場の、張り詰めた空気が一瞬弛んだように思えた。尚哉は視線を、芳美の向こう側へと移した。
もう一つの椅子、黒い布を被ったままになっていた人物が、もぞもぞと動いていた。今まで尚哉や芳美同様に、眠っていたのだろう。声色から、こちらも女性だった。
「お、お話中すみません。これはなんなんでしょう。前が見えなくて」
「布が被さっているんですよ。左右とか、頭を振ってみてください。布が落ちます」
「あ、なるほど。すみません、やってみます」
芳美が言ったとおりに、ぶんぶんと頭を振るその人物の姿が滑稽で、思わず気が緩む。
しかしそれにしても。聞き覚えのある声だと、尚哉は思った。
「あっ」
二つ隣の人物を覆っていた黒い布が払われたのは、その声と同時だった。尚哉と芳美は自然と、その人物の顔へと目を向けた。ショートボブ、艶のある唇。白い肌。その人物は、尚哉にとって、あまりにも意外だった。声を上げそうになったところを、すんでのところで飲み込む。尚哉は吃りつつも、彼女に声をかけた。
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