46 / 68
第六章 空き部屋
七
しおりを挟む
ユサ。ガールズバー「sweet poison」のキャストの一人だ。彼女は尚哉や芳美と同様、椅子に拘束されていた。
黒い布が取り払われた当初、ユサはぼんやりと周囲を見回していたが、芳美と尚哉の姿を見て、目を大きく見開いた。
「これは…」口を半開きのまま、言葉は続かない。己の置かれている状況を、いまいち理解できていないようだった。
「ユサちゃん、どうしてここに?」
尚哉がひとまず訊いてみると、彼女は唇をぶるぶる震わせながらも話し出した。
「わ、私にもさっぱり。なんで、こんなところにいるんでしょう」
「…そうか」
「あの、えっと、一体どういう状況なんです。これ」
尚哉は首を横に振る。芳美は何も喋らない。ユサは表情を強張らせながらも、自分と同じ立場に二人がいることを察したのか、それ以上追求はしなかった。
ユサがここにいるなんて。尚哉は頭の中で、店で接客する姿の彼女を思い浮かべる。雰囲気と口調はまるで違うが、同一人物であることは間違いない。
「とにかく」尚哉は仕切り直すように、少し大きめで話す。「三人共、ここでこうしている理由は分かっていないが。それよりもユサちゃん、ここはどこなんだ」
「そ、そんなこと。私も分からないですよ」
「いや、それは嘘だ」
尚哉のきっぱりとした口ぶりに、ユサは口をつぐむ。数秒後、「なんで、そう思うんです?」と尚哉を睨んだ。
「ここに至るまでの経緯を、覚えている範囲で答えてほしい」
「えっと。ここに来る前だと、私はお店の後片付けをしていたと思います。時間は、朝方…もう太陽が昇っていた気がします。お店のごみ、裏口から進んだところにある共有のごみ捨て場にいつも捨てるんですけど。そこまでの道、少し狭くて暗いんです。多分…」
そこで彼女は言いよどんだ。
「君は、そこで自分が拉致されたと言いたい訳か」
ユサはこくりと肯き、「突然体が痺れて、立てなくなった気がするんです。そこからはいまいち記憶が曖昧で、覚えていないんですが。気付いたらここにいました」
尚哉もまた、ここに来る直前に、背後からスタンガンなのか、電気を帯びた何かに痺れさせられた記憶がある。その点は彼女も一緒ということになる。
「…ふうん」
対して、尚哉が答えたのはそれだけだった。嘘つき呼ばわりされたユサはユサで、気が気ではなかったが、尚哉がそのことに触れないことからも、徐々に腹が立ってきたようだ。
「あの、なんなんですか一体。私、嘘なんて。ここも知らないですし、どうしてこんな状況なのかも知らないですよ。それよりも、ここから脱出する術を見つけませんか。ね、使用人さんもそう思いますよね」
「え、ええ」若干刺のある話し方と急な振りに、芳美はこくこくと肯く。
「ほら。刑事さん、私達知らない誰かに拉致されたんですって。私の何を疑っているのか分かりませんが、刑事さんとしてのお仕事は、私達を助けてからやってください。優先順位が違うと思います」
ユサの言い分は、間違っていない。今この三人の状況は普通ではないのだから。尚哉も頭では分かっていた。しかし彼は、頭に浮かんだ違和感がはっきりとした不信感に変わったこともあり、それを無視することはできなかった。
「『使用人さん』」
尚哉は呟いた。ユサは眉根を寄せて「何を言って…」と口に出したところで、自らの発言の失態に気付き、思わず青ざめた。
「ユサちゃんは知っているんだな。こちら」尚哉は隣にいる芳美を一瞥した。「使用人の仕事をしている、彼女を」
「え、あ、いや」しどろもどろになるユサをそのままに、尚哉は芳美に訊いてみた。「塩原さん、あなたは『sweet poizon』というお店のことを、あなたは知っていますか」
「え。すいーと、ぽいずん?カフェか、雑貨屋の名前か何かですか?」
その反応だけで十分だった。ぽかんとする芳美を尻目に、尚哉はユサに対し、淡々と述べ始めた。
「君が目覚めて、俺が最初に聞いたことを覚えているかい」
「え…」
「『どうしてここに?』それに対して、君はなんて答えた?『なんでこんなところに』だ」
「何がおかしいんです。まどろっこしい」
「この場所がどこか。君自身、一度も俺達に聞いていないんだ。普通、それも気になるだろうに。君はここを、この場所を知っているんだよ」
ユサは唇を震わせつつも、反論しなかった。反論できるだけの材料が無い、あるいはそれをしても無駄であることを悟ったのかもしれない。
「君は、ここが藍田製薬の代表の自宅であること、知っているね」
変わらず何も喋らない。彼女の態度から考えて、それはもはやイエスととってよかった。
「ユサちゃん、君は一体何者なんだ」
そう、尚哉が尋ねた、その時だった。真正面、鉄格子の向こう側、扉の開いた部屋の入口から、ぬうっと男が入ってきた。三人共、侵入してきたその男を見る。
背丈があり、上下の衣服にリュックサックまで黒色で合わせた恰好はまるで、泥棒そのもの。歳は尚哉と同じか、少し下といったところか。
何故、彼がここに?
尚哉は開いた口が塞がらなかった。尚哉は、その男をよく知っていた。最後に関わったのはだいぶ前の話だ。しかし最近…あれはそう、柏宮の自宅、ホワイトボード。思わず消した、彼の名前。あれを見ていたが故に、その男の顔と名前が、脳内で容易に合致した。
数年前。国家試験が受からず、陰鬱とした感情が引き起こした罪。尚哉の手で陥れてしまった、青年。目の前の男は、それだった。
尚哉が言葉を発するよりも早く、男は室内にて縛られた三人の姿を見て…いや、そのうちのユサの姿を見て、大きな声で叫んだ。
「有紗!」
「若月、孝司…」
黒い布が取り払われた当初、ユサはぼんやりと周囲を見回していたが、芳美と尚哉の姿を見て、目を大きく見開いた。
「これは…」口を半開きのまま、言葉は続かない。己の置かれている状況を、いまいち理解できていないようだった。
「ユサちゃん、どうしてここに?」
尚哉がひとまず訊いてみると、彼女は唇をぶるぶる震わせながらも話し出した。
「わ、私にもさっぱり。なんで、こんなところにいるんでしょう」
「…そうか」
「あの、えっと、一体どういう状況なんです。これ」
尚哉は首を横に振る。芳美は何も喋らない。ユサは表情を強張らせながらも、自分と同じ立場に二人がいることを察したのか、それ以上追求はしなかった。
ユサがここにいるなんて。尚哉は頭の中で、店で接客する姿の彼女を思い浮かべる。雰囲気と口調はまるで違うが、同一人物であることは間違いない。
「とにかく」尚哉は仕切り直すように、少し大きめで話す。「三人共、ここでこうしている理由は分かっていないが。それよりもユサちゃん、ここはどこなんだ」
「そ、そんなこと。私も分からないですよ」
「いや、それは嘘だ」
尚哉のきっぱりとした口ぶりに、ユサは口をつぐむ。数秒後、「なんで、そう思うんです?」と尚哉を睨んだ。
「ここに至るまでの経緯を、覚えている範囲で答えてほしい」
「えっと。ここに来る前だと、私はお店の後片付けをしていたと思います。時間は、朝方…もう太陽が昇っていた気がします。お店のごみ、裏口から進んだところにある共有のごみ捨て場にいつも捨てるんですけど。そこまでの道、少し狭くて暗いんです。多分…」
そこで彼女は言いよどんだ。
「君は、そこで自分が拉致されたと言いたい訳か」
ユサはこくりと肯き、「突然体が痺れて、立てなくなった気がするんです。そこからはいまいち記憶が曖昧で、覚えていないんですが。気付いたらここにいました」
尚哉もまた、ここに来る直前に、背後からスタンガンなのか、電気を帯びた何かに痺れさせられた記憶がある。その点は彼女も一緒ということになる。
「…ふうん」
対して、尚哉が答えたのはそれだけだった。嘘つき呼ばわりされたユサはユサで、気が気ではなかったが、尚哉がそのことに触れないことからも、徐々に腹が立ってきたようだ。
「あの、なんなんですか一体。私、嘘なんて。ここも知らないですし、どうしてこんな状況なのかも知らないですよ。それよりも、ここから脱出する術を見つけませんか。ね、使用人さんもそう思いますよね」
「え、ええ」若干刺のある話し方と急な振りに、芳美はこくこくと肯く。
「ほら。刑事さん、私達知らない誰かに拉致されたんですって。私の何を疑っているのか分かりませんが、刑事さんとしてのお仕事は、私達を助けてからやってください。優先順位が違うと思います」
ユサの言い分は、間違っていない。今この三人の状況は普通ではないのだから。尚哉も頭では分かっていた。しかし彼は、頭に浮かんだ違和感がはっきりとした不信感に変わったこともあり、それを無視することはできなかった。
「『使用人さん』」
尚哉は呟いた。ユサは眉根を寄せて「何を言って…」と口に出したところで、自らの発言の失態に気付き、思わず青ざめた。
「ユサちゃんは知っているんだな。こちら」尚哉は隣にいる芳美を一瞥した。「使用人の仕事をしている、彼女を」
「え、あ、いや」しどろもどろになるユサをそのままに、尚哉は芳美に訊いてみた。「塩原さん、あなたは『sweet poizon』というお店のことを、あなたは知っていますか」
「え。すいーと、ぽいずん?カフェか、雑貨屋の名前か何かですか?」
その反応だけで十分だった。ぽかんとする芳美を尻目に、尚哉はユサに対し、淡々と述べ始めた。
「君が目覚めて、俺が最初に聞いたことを覚えているかい」
「え…」
「『どうしてここに?』それに対して、君はなんて答えた?『なんでこんなところに』だ」
「何がおかしいんです。まどろっこしい」
「この場所がどこか。君自身、一度も俺達に聞いていないんだ。普通、それも気になるだろうに。君はここを、この場所を知っているんだよ」
ユサは唇を震わせつつも、反論しなかった。反論できるだけの材料が無い、あるいはそれをしても無駄であることを悟ったのかもしれない。
「君は、ここが藍田製薬の代表の自宅であること、知っているね」
変わらず何も喋らない。彼女の態度から考えて、それはもはやイエスととってよかった。
「ユサちゃん、君は一体何者なんだ」
そう、尚哉が尋ねた、その時だった。真正面、鉄格子の向こう側、扉の開いた部屋の入口から、ぬうっと男が入ってきた。三人共、侵入してきたその男を見る。
背丈があり、上下の衣服にリュックサックまで黒色で合わせた恰好はまるで、泥棒そのもの。歳は尚哉と同じか、少し下といったところか。
何故、彼がここに?
尚哉は開いた口が塞がらなかった。尚哉は、その男をよく知っていた。最後に関わったのはだいぶ前の話だ。しかし最近…あれはそう、柏宮の自宅、ホワイトボード。思わず消した、彼の名前。あれを見ていたが故に、その男の顔と名前が、脳内で容易に合致した。
数年前。国家試験が受からず、陰鬱とした感情が引き起こした罪。尚哉の手で陥れてしまった、青年。目の前の男は、それだった。
尚哉が言葉を発するよりも早く、男は室内にて縛られた三人の姿を見て…いや、そのうちのユサの姿を見て、大きな声で叫んだ。
「有紗!」
「若月、孝司…」
0
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】結婚式の隣の席
山田森湖
恋愛
親友の結婚式、隣の席に座ったのは——かつて同じ人を想っていた男性だった。
ふとした共感から始まった、ふたりの一夜とその先の関係。
「幸せになってやろう」
過去の想いを超えて、新たな恋に踏み出すラブストーリー。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる