侵入者 誰が彼らを殺したのか?

夜暇

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第六章 空き部屋

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 今度、兄貴に寝てもらいたい女は、藍田勝治の妻だよ」
 もう何回目だろうか、貴明の仕事の手伝いをするのは。既に貴明と尚人両名は、四十後半の齢に達していた。振り返ると、両手で数え切れない程に、彼の仕事の手伝いをしていることになる。よくも長い間、嫌いな弟とうまくやれていたものだと、自分に感心した。
 息子の尚哉は、数年前に家を出てしまった。前の依頼がちょうどその頃だったか。久方ぶりに彼に呼ばれ、会いに行ったところで、開口一番貴明は尚人に告げた。
「藍田勝治?」久方ぶりに耳にした名前。尚人は驚いた。「俺達の親を殺した、あの?」
 貴明は肯いた。
「『死んでる奴より、早く俺を助けてくれ』」
「は?」
「藍田勝治が事故を起こしたその時、あいつに俺が言われたことさ。あの時俺は、参考書を買いに家を出ていた。戻ったら自宅があんな状況で、夢かと思ったくらいだよ。…そういえば、兄貴はどこにいたんだ?」
「…別にどこでも良いだろ」
 ふんっと鼻を鳴らして、貴明は続ける。「親は殺された。殺したのはあいつだ。たとえ運転ミスだとしても、それは間違いない。だろ?」
「それは、そうだけど」
「聞けば、駆けつけた俺を消防隊と勘違いしたらしい。別の日に、謝りを入れてきたけど。殺してやろうかって、会うたび思ったね。ただ、衝動的にやっても逮捕されて終わりだよ。だから俺は、俺のやり方で、奴に復讐しようと考えた」
「へえ。それで、業務提携の話ねえ」
「なんだ、知っているのか」貴明は肯いた。「俺と俺を支えてくれた皆のおかげで、ここまで会社を大きくすることができた。下地は完璧。あとは奴の会社を潰すだけ」
 資産、地位、名誉。勝治が持つ全てを奪う。いわゆるパーフェクトゲーム。そんな彼の主張を聞いて、ようやく尚人は、彼の思惑に気がついた。
「まさか。お前が会社を大きくしたのって」
 貴明はにこりと笑った。「そのまさかだよ」と言わんばかりの、大きな笑みだった。
「両親が亡くなったせいで、俺は舐めなくてもいい苦渋を舐めることになった。だから…」
 貴明の話を聞いていて、尚人は堪えられずに笑いが溢れた。
「何か、おかしなことを言ったか?」
「すまん、気にしないでくれ」尚人は口の端に少し垂れた涎を手の甲で拭いた。「しかし復讐のために、仇の女と寝る必要があるのかね」
「これまでの努力もあって、勝治と同じ立場に立つことができた。ただな。業務提携を進める上で、二つの壁があることがわかった」
「壁?」
「一つ目は、奴自身業務提携のことを快く思っていないこと。二つ目は、勝治が後継者にしたいと願う息子が、奴の後継者にならないと明言していること」
「それはまた、大きな壁なことで」
「こればかりはいくらおだてようが、暖簾に腕押しなんだよ」
 貴明はわざとらしく息を漏らす。その後、「ただ」と付け足した。
「一つ目はともかく。二つ目の壁を破るための当ては、ある。俺の娘さ」
 聞くと、貴明には志織という一人娘がいるらしい。今は芳川薬品の子会社で、事務職員として勤めている。
「親の俺が言うのもなんだが、なかなかの器量良しだよ。性格はともかく、あれを奴の息子にあてがえば、大抵の男はいちころだろうよ」
「ひどいな、自分の娘だろうに」
 貴明は無表情で首を傾げる。そうして、もともと跡継ぎを残すために産んだだけだと彼は宣った。酷く冷たい言い方に尚人が何も言えずにいると、「そもそも」と貴明は続けた。
「これは、あの子も望んでいることなんだよ。あいつは俺から産まれたとは思えない程に、世間を甘く考えている。藍田製薬の息子と結婚すれば、社長夫人として優雅に過ごせると思っているに違いない。本当にそうかはともかく、互いの利害は一致している」
「へえ。でも、そんな簡単にいくかな」
「なあに、一つ目の壁がなんとかなれば、うまくいかせてみせるさ」
 その一つ目の壁の方が、厚く強固なようにも思えた尚人だったが、尚人の中で合点がいったところもあった。
「そのために、俺は藍田勝治の妻を寝取るんだな」
 貴明は肯いた。彼が言うには、数年前に再婚した雛子に、勝治はいわゆる「お熱」なのだという。そんな彼女を操れれば、勝治を思い通りにできる。そういうことだった。

 両親の復讐。そのためだけに、貴明は苦労して会社の経営に臨んでいた。両親からあれだけの寵愛を受けていれば、そんな感情も抱けるのかもしれない。
 しかし真逆の態度で接せられていた尚人の心には、両親の死に何も思うことは無かった。生きているうちはあれだけ死を願った両親という存在。いなくなった時のあの、無の感情。まるで自分が自分と思えないような感覚。
自分は感情が欠落しているのだろう。対して、両親の死に追いやった相手に憎しみ、悲しみの感情を、この歳までそれらを持ち続けられる貴明。思わず失笑してしまったが、その後弟に劣等感を抱いていたあの日々のことを思い出し、尚人は吐き気を催した。
 尚人の、貴明への殺意が明確になったのは、その頃だ。
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