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第六章 空き部屋
九
しおりを挟む文書保管室を出た野本は、署長室に早足で向かった。
「でもまさか、安西さんが。本部長もそんな」
彼の後ろを、西尾が信じられないといった表情でついていく。
野本がこうして無事でいられるのは、彼のお陰だった。
彼は今回の顔剥ぎの事件で、安西と共に動いていた。彼がこの時間に、何も言わず出て行ったことに不信感を持ち、尾行していたらしい。
そうしたら、どうだろう。文書保管室隣の事務室にいた野本に、銃を向けたではないか。
安西を止めなければ。西尾は気配を消し、静かに室内に入った。野本に目で合図し、時間稼ぎをしてもらいつつ、安西を止めるためにも、西尾は背後から思い切り彼の頭を殴った。その反動で銃口は逸れ、発砲された銃弾は野本ではなく、床にめり込んだ。
そこで、安西は気を失った。
「署長ってことはないですよね」安西の後始末を他の警官に任せた後、道中西尾が言う。
「何がだ」
「あの、その。今、俺達が追っている顔剥ぎが」
彼は野本から、安西の凶行の理由を既に聞いている。安西が彼自身の意思ではなく、大河内の手によるものであること、顔剥ぎの事件の手がかりとも言える藍田冬子の事故死について、口止めをされたこと。
「俺にもわからん。ただ一つ言えるのは、署長は事件に大きく関与していること。それも、犯人側の立場で」
西尾は顔を青ざめる。捜査本部長に、直属の上司もその可能性があるのだ。西尾の立場からしてみれば、ショックは大きいだろう。
「それはそうと、今はどこに向かっているんです」
「お前。それも分からずついてきていたのか」
無言で頷く西尾に、野本は前を向きつつ言う。
「署長室だ。この時間だしいるか分からんが、直接署長と話をする」
「え。俺達二人で大丈夫でしょうか」
「大丈夫さ。署長も、安西が俺の口封じに失敗した時点で、俺を始末するだけじゃ留まらない域に達していることは分かる。そうなりゃ、下手な行動をとったりはしないさ」
「それなら、良いんですが」
「なあに、たとえ署長が自滅覚悟で俺達に牙を剥いてきたとしよう。そんで、もしも俺達二人がやられたとしても、今安西を見ている奴らに全てを話しているし、メールで一連のことは芳川や橋本、他の連中にも送っておいた。逃げられやしないさ」
「…でも、そんな状況に持っていかないでくださいね。警察官の同士討ちで殉職なんて、嫌ですもの」
「まあ」野本は立ち止まり、苦虫を噛み潰したような表情の西尾に顔を向けた。「それは、署長の態度次第だ」
署長室を開けると、大河内の姿はなかった。
「もう帰ったんでしょうか。鞄も無さそうですし」
「いや」野本は視線を四方八方に向けた後で、かぶりを振る。「電気がついている。この時間で、点けっぱなしなことに気が付かないわけない。入り口の扉もかかっていなかった。署長は潔癖なところがあるから、忘れるわけがない」
「なるほど確かに」
「それに、安西に口止めを指示した手前、成功したか否かは、気になるだろう。恐らくついさっきまで、署長はここにいたんだ。何かしら、あいつの失敗を知って、俺達が来る前に、慌てて署を出たんだろうな」
そんなことをしても時間の問題だというのに。それだけ大河内の心に余裕が無かったのだろう。野本は主のいない室内に踏み込んでいく。西尾も入る。
野本はそうしてから、本棚を物色し始めた。
「何をされているので?」西尾が訊く。
「今回の事件に、藍田冬子の事故死が関連しているかもしれないと言っただろ」
「ええ、はい」
「その調書が、保管室に存在しなかったんだ」
「署長が隠しているかもしれないと?」
「なんだ、察しが良いじゃないか」
西尾はうーんと顔をしかめた。「でもそんな、文書を保管室から移動して隠すにも、あえて署長室なんかに隠しますか。俺なら自宅に隠しますけど」
「それは俺も考えた。でもな、署長も文書が無いことの大事さは理解しているはず。もしも『文書が無い状況』が発見されれば…それが、今回の事件と関わりがあることに勘づく者がいるとすれば、文書が無いことで逆に目立っちまう。だから、ほとぼりが冷めたところで、戻しておこうと考えたんだろうな」
「だから人の目に触れなくて、かつすぐに文書を元に戻せる、署長室にあるんじゃないか。そういうことですね」
野本は肯いた。「とにかく、お前も探すの手伝え。一人で探すのは少し骨が折れる」
そのまま二人で署長室を調べていると、ものの数十分程度で、それは見つかった。
それは大河内のデスクの一番下の引き出し、中板の下から、クリアファイルに保管されていた。調書の件名は、システムで見たとおりのもの。
野本はファイルからそれを取り出す。数枚の紙がホチキスで止められているもの。野本はホチキスを取り、大河内のデスクの上にそれらを並べた。
調書の内容をまとめると、次のとおりになる。
三年半前、藍田冬子は藍田家が所有するマンションから落ち、亡くなったとされている。
「されている」というのは、正確には彼女の血痕がマンションの駐車場で発見されただけで、彼女の骸がそこにあった訳では無かったからである。
しかし彼女は、屋上から転落した結果、亡くなった。そう判断された。それは、血痕が彼女のものと断定され、それが致死量であったこともそうだが、彼女が落ちる瞬間を、目撃した者がいたのだ。
目撃者は、そのマンションの住人。名前は。
「佐伯三郎…」
顔剥ぎ一人目の被害者。藍田家の元庭師の男。
発見時、時刻は午後十時を超えていたという。佐伯が近くのコンビニに酒を買いに自宅を出たその時、落ちていく彼女の姿を目撃した。
マンションは八階建。落ちれば助かる見込はない。急いで駐車場に向かうと、血溜まりの中、女が倒れていたという。
——ええ、はい。もう辺り一面、真っ赤で。びっくりしましたよ。
慌てて公衆電話にかけより、救急車を呼んだ後。恐る恐るその場に戻るも、彼女は忽然と姿を消していた。佐伯はそう、警察に証言したらしい。
その後も冬子は見つからなかった。しかし屋上に彼女の指紋等の痕跡があったことと、駐車場の血痕が冬子のものだったこともあり、彼女がそこにいたことは間違いなかった。故に転落による事故死として、処理されたのである。
読んでいるうちに思い出してきた。当時は遺体が見つからないまま、事故死として処理するのは如何なものか、再度捜査に当たるべきだとの意見もあった。しかし捜査本部の決定もあって、半ば強制的に打ち切る形となった。
それに対する遺族の反応も、おかしなものだった。揃いも揃って、捜査本部の方針に賛同したのである。
——彼女の死を、これ以上汚さないで欲しい。
彼女の夫である真琴は、極めて冷静だった。彼女の死を何とも思っていないような、無感情の様に、一時は彼が突き落としたのでは…等という陰謀論も、囁かれたくらいである。
とにかく、納得のいかない事件だったのだ。しかしいつまでも、一つの事件にこだわるわけにはいかないと、野本も仕方なく、S区署の方針に従った。
以上が、彼女の事故死の詳細である。それから野本は、別の事件の対応もあって、今に至るまで頭から抜け落ちてしまっていたのだった。
「佐伯三郎、棚橋綾子。つながったな」
顔剥ぎは、事故死した冬子に関係する人間を、抹殺している。彼女がビルから転落した瞬間を目撃した元庭師。彼女を後夫の慰み者に献上した母親。
塩原芳美はまだ生きており、彼女と冬子とのつながりは分からない。ただ彼女は藍田家の使用人であり、生前藍田冬子と関わりはあったはずだ。もしかすると、両名の間に、彼女を殺そうとするだけの亀裂があったと推察することはできる。
「一つ、忘れてないですか」
「忘れている?何を?」
訝しげな表情の野本に、西尾は「柏宮のことです」と告げた。「彼は、これまでの調べからしてみても、藍田冬子と関わりなんて無いと思います」
「確かにな」
「それなら、顔剥ぎと藍田冬子を紐づけるのは早計では?」
「いや。多分彼が殺された理由は、直接的なものじゃない。別件だ」
「別件?」
先日訪れた彼の自宅の様子を思い返す。また、三年前にマスコミを偽って藍田家に取材しようとしたことも、そう。柏宮は何らかの事情から、藍田勝治…ひいては、藍田家を調べていたのである。その過程で、何かを知ってしまったもしくは、何かを知ろうとした。故に殺された。
その何かが、藍田冬子の事故死のことだったとすれば、全てがつながる。
もちろん、それら推測を根拠づけるだけの物的証拠が無いことは、西尾にも、野本もまた分かっていた。しかし無関係と、容易に決めつける訳にはいかなかった。
「とにかく署長に会って話をしないとな」
その時、西尾のスマートフォンが震え出した。画面を見た西尾は「失礼」と部屋の端に寄り、電話に出る。が、話を聞いていて、徐々に彼の表情は険しくなっていく。
電話を切り、西尾は今聞いた話を野本に伝えた。
「何っ。芳川薬品本社で、人が死んでいる?」
神妙な面持ちで、西尾は肯く。
電話の相手は、芳川家及び芳川薬品に張り込みをしていた捜査員だった。聞けば、芳川薬品本社で顔が剥ぎ取られた遺体が発見されたのだという。
「顔が剥ぎ取られた…」
「発見されたのは、少し前のことらしいです。署に残っていた検証班と捜査員が向かっているみたいで」
大河内、安西。冬子。四人目の被害者。文書保管室に向かってから今まで、一時間も経過していない。あまりにも物事が起こり過ぎて、野本は情報の整理ができてきなかった。
…それは連絡の取れない尚哉、橋本の二人のことを、完全に失念する程に。
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