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第二章 実行
四
しおりを挟む校内は、放置されていた割には小綺麗なものだった。
とは言っても、蜘蛛の巣は張っているし、名も知らぬ羽虫は目の前を何度も掠める。廃屋的な建物の中では、という枕詞がつく形で、綺麗に思えた。
校舎に入って一階、端の部屋に私達はたどり着いた。
奥行きのある部屋だった。ガスの栓が備わった、幅一メートル、長さ二メートル程度の黒色をした平机が、川の字のように三列、複数台教室の奥まで配置されている。周囲を取り囲む棚の中には、フラスコやビーカー等、何かしらの実験に使われるような道具が数個置かれていた。部屋の様子から、ここは昔理科室として使われていたのだろう。
ここが、私達が自殺をする場所だった。
この場所で、何人もの人が死んできたのだろうか——。
今日の私達みたく。そう考えると身震いがする。地面、床。ここで死んだ彼らの痕跡が、目には見えずとも残っているように思える。彼らの魂までも、この場所に残っている可能性もある。
私はこれから、そんな彼らの仲間入りをするのだ。
廃校ということもあり、電気は通っていないようである。
マサキは懐中電灯を頼りに、持っていたリュックから沢山の蝋燭型のライトを取り出す。光は弱いが、室内にて互いの姿を認識できる程度の明るさになった。
そうしたところで、私は思わず「えっ」と小さな声を上げてしまった。部屋の天井には、目に留まるほどの、大きな五つのフックのようなものが付いていた。それも等間隔に、直径二メートル程の大きな円を描くように。
なんだろう、あれは。
「ここが、そうなの。漸く到着した訳ね」
きょろきょろと室内を見回していたミナが、机の下から四角い木の椅子を取り出し、座った。私も同様にして座る。
「どうしたんですか」思い切って訊いてみると、彼女は浮かない顔をして足を組んだ。
「あたし。本当に、やるんだなって」
「やるって…自殺を?」
「うん。なんだか、ね」
「はは、何を今更」ジュンが小馬鹿にしたように鼻で笑う。「俺達、それが目的で集まったんだぜ。廃校探検ツアーとでも考えてたんかよ」
「そんなこと、分かってるし。でも首吊りで死ぬなんて私、初めてのことなんだもの」
「…皆、初めてだろうがな」
眉を寄せる彼を一瞥すると、ミナは溜息をついた。
「なんか、ここに来てやっと、というのかな。『死ぬ』ってことが、何だかその、リアルに感じてきちゃって」
「あんたらしくないじゃない。さっきの車の中での態度は何よ」
スミエに茶々を入れられるが、ミナは「ほっといてよ」と一言。
「もちろん、ここに来るまではきちんと分かってたし、簡単なことだと思ってた。自殺なんて、言葉にすればいくらでも口に出せたんだけどな…」
「事実、それを行動に移すというのは、誰だって難しいものよ」
特に、あんたみたいな若い子はねと彼女に言いつつ、スミエは私にもちらりと目を向ける。カヨちゃんもよ。そう言われたように感じ、思わず目を伏せる。
スミエの話を聞いていたミナが、顔を上げる。
「おばさん。実はあたし、さっきから色々と考えちゃってさ」
「…色々って、例えば?」スミエが聞き返すと、ミナは軽く、もじもじと両の手の指を遊ばせる。
「なんていうのかな。死んだ後の世界ってどうなるのかな、とか。あたしのことを知ってる人たちって、あたしが死んだニュースを聞いて、どんな表情をするのかな、とか」
死んだ後の世界、か。
死んで楽になりたい。その想いは変わらないが、私という存在がいなくなった世界。誰しも自分のいない世界は未知の領域である。それは、私も興味があった。
「もしかすると、何か変わるんじゃないかなって。その変わった様が知りたいのに、知ることができないのかって。ねえ、カヨさんもそう思うよね」
「へ。わ、私ですか」
「そう思わない?」
「まあ…確かにそうかもしれないですが」
「そういうことが気になるなら、今日の自殺はおすすめしませんよ。…おっ、あった」
そこで、理科準備室と思われる扉の先に入っていったマサキが、そう声を出す。どうやら今の会話を聞いていたようだ。数秒後、両手に沢山のロープを持って、やってきた。
ただのロープではなかった。一端に両腕が入る程の大きな輪が作られており、もう一端にもまた指二、三本程度の大きさで、同じような輪が作られている。小さな輪はともかく、大きな輪は、首にかける用だろう。そしてそのまま吊られる。そんな未来を想像して、私は思わず息を飲む。
また、二つの輪を繋ぐ導線部分のロープは、数本が絡み合っていた。鋸でようやくと言って良いくらいには太い造りだが、それと比べれば、輪の部分は細い一本でできていた。しかしそれでも、ロープはロープ。いくら引っ張ろうとも暴れようとも、千切れることは無さそうに見えた。
マサキは、手に持ったロープを四人に見えるように、軽く掲げた。
「これ、私達の自重に耐えられるものなんだとか。管理人の方が調整して、用意しておいてくれたそうですよ」
淡々と述べる彼のもとに、ミナは近寄った。
「あの。今の、どういうことですか」
「今の?」
「自殺が、おすすめできないってやつです」
彼女は声が震えていた。そんな彼女を、マサキはじっと見つめた。
「ミナさんは、これからご自身がやることを分かってますか」
「わ、分かってます。死ぬんでしょ」
「そうですっ」突然大声を上げたマサキに、ミナは全身縮こまって彼を見た。「死ぬんですよ。それなのに、あなたは、その心構えが成っていない」
「…え、えっと」
「死んだ後の世界なんて、どうして気になるんです。今の私達にとっては、死ぬことそれ自体が至高なんです。分かりますか?意味のある死なんですよ。それなのに、まるで現世に未練があるような言い方…そんな考えをお持ちのようなら、帰ってこれまでどおり、親に縛られて生きるのが良いと思いますよ」
「なんです、その言い方。そんなのって、無いでしょ」
震える声で小さく反論する。が、マサキは毅然たる態度を変えなかった。
「死ぬなら死ぬ。心に決めて臨まないと、後悔しますよ。前にそう言ったでしょう」
萎縮する彼女に、マサキは更に畳み掛ける。
「あなたはここに死ぬつもりで来たはずでしたよね。それならもう、しのごの言わずに、今あなたがやるべきことをやれば良い。なにか、間違っていますか」
ミナは何か言いたげな表情を浮かべていたが、俯きながら部屋の壁側にぺたりと背をつけ、座った。結局のところ何も言い返す気になれなかったようだ。くっきりとした二重瞼の瞳で、彼を鋭く睨むことしか。
「マサキさん。あなた、少し言い過ぎ」
スミエがマサキを嗜める。マサキは申し訳ないと、大きく息を吐いた。「死を前にして、少し気が立っていたかもしれません」
ぺこりと頭を下げる彼だが、ミナは体育座りの姿勢で、足の間に顔をうずめた。何となく、五人の中に重苦しい空気が流れた。
スミエがうんざりしたように肩をすくめる。
「あのね。今、ここにいるのが、自分の最期を見てくれる相手なのよ。互いを憎み合いながら死ぬなんて、それこそ惨めよ」
「ああ、そのとおり。スミエさんの言うとおり」
ジュンもそれに同調する。
「ほら、ミナも機嫌直せよ。カヨちゃんだってびっくりしてるじゃないか」
「私ですか。え、ええ。まあ」
それでもミナは何も言わなかったが、微かに頷いたように見えた。マサキは「それでは」と、親指で天井のフックを指した。
「これから、ロープを天井のあれにひっかけていきます。リーダーの仕事ですので、皆さんは少々お暇をしていてください」
そうか。あれは管理人が自殺用に取り付けたもの。ロープの小さな輪は、フックにかけるためのもの。謎が解けた。
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