蜃気楼に彼女を見たか

夜暇

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第三章 秘密とカクテル

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「龍介さん、遅いですね」
 深青がサマーデライトのカクテルをちびちび飲みつつ、呟く。確かに少し遅かった。しかし緊急を要するかどうかといった程遅いわけでもない。腹を下しているかもしれないし、今は放っておいて良いだろう。
 それよりも。
 西尾は、目の前に座っている美少女に向き直った。
「深青ちゃん。俺、君に個人的に訊きたいことがあるんだけど」
 西尾は深青に向かって、にっこりと微笑みかける。対する彼女は、幼さの残る瞳で見返した。
「可愛さの秘訣ですか?」
「それは特に興味あるね。でも残念なことに、今回は別のことなんだ」
「ふふ。なんでしょうか」
「深青ちゃんって。あいつ…辻の、高校の時の友達の娘さんなんだよね」
「はい、そうですけど」
「その友達って。君からしたらお父さん、になるのかな。なんて名前なの?」
 途端に笑顔が消え、深青は焦りの表情を微かに浮かべる。そうして、「え、あー」と人差し指を唇に当てた。
「ええと。西尾さんに言っても知らないと思うので…」
「俺さ、辻の奴とはそれなりに長い付き合いなのよ」
 西尾は深青の言葉を遮りつつ、カクテルグラスをクロスで丁寧に拭く。「あいつ、あんな感じでしょ。大学の時から、人付き合いが下手くそでさ」
「はあ…」
「でも、俺とあいつは自然と馬があってね。なんていうんだろうな」そこで西尾は、両手をバーカウンターについた。「俺、片親でさ。生活苦しくて、俺がちっさい頃は生活保護受けてたんだ。そん時の同級生が大学にいたみたいで、いつからか友達から『セイホ』だなんて言われるようになって、避けられたんだわ。大学生だぜ?ほんと低レベルだよな。でも辻はそんなこと、気にするそぶりもなくってさ」
 多分嬉しかったんだろうな。西尾は天井を見上げる。
「まあそんなこんなで、俺。あいつとは結構仲が良いのよ」
「知ってます。龍介さんからここに来る前に聞きました」
「あ、そうなの?」
「さっきから、回りくどい言い方ですね」深青は眉根を寄せた。「結局のところ、何が言いたいんです」
「つまりはね」西尾はカクテルグラスの器部分で、深青を指した。「俺が知る限り、君みたいなかわいい子を預けておくような友達、あいつにはいないんだわ」
 深青は無言で西尾を見る。西尾は何となく、彼女から視線を外し俯く。
「あいつと君、二人で何を考えているのか、二人が何をするつもりなのか。それは、俺には分からないけどさ。優しい奴なんだよ、あいつ。もし、君が、その。言い辛いんだけどさ。あいつを騙そうと、ね。なんて、ことだったらさ。本当に、それこそ」
「知ってますよ」
 肌がぴりつくような感覚に、西尾はとらわれた。
「え」
「龍介さんが優しいってことなんて。あなたに言われなくても、知ってるって言ったんですよ。
 西尾は顔を上げる。そこにいたのは深青に違いなかった。しかしつい数秒前までの可愛げのある様子はなく、雰囲気は別人だった。こちらを見る目は、氷のような冷たさを感じた。
「だって。。一緒にいるんです」
 西尾は絶句する。深青はテーブルに肘をつき、ふふふと笑みを浮かべた。
「どういう意味なんだ」
「どういう意味って。ただ、それだけですよ。あなたは何も知らなくて良い知る必要の無いこと」
 深青は椅子から降りた。ふわり、と擬音がつきそうな。まるで空気のような軽さを思わせる彼女は、顔だけ振り返ると、真顔で西尾を見た。
「余計な詮索、しないでくれます?」
 西尾はすぐに返せなかった。餌を待つ鯉のように、ぱくぱくと口を開閉しながら、またも同じ席に座る深青を目で追うことしか。
 余計な詮索だと?
 一体、この女は何を考えている。あいつは…龍介は、この女と何をしようとしているのだ。この女は、龍介をどうするつもりなのだ。
「君は、なんなんだ」
 頭の中に浮かぶ疑問の数々。しかし口から出たのは、ざっくりとした質問。まとめて全て聞くことはできないが故に、西尾はそうとしか聞くことができなかった。
「私は、彼の友達の娘。さっき言いました」
「俺、おかしいのかな。もう、まったくそうは思えないんだけど」
「あなたに信じてもらわなくても良いんです。ただ、今日が終わって明日になったら、あなたの友達が、知り合いの子を連れてやってきたなって。その程度の記憶を持つくらいで良いんです」
 淡々とした態度の彼女に、もはや美少女といったあどけなさは残っていなかった。西尾は唾を飲み込み、細く息を吐く。
「龍介は良い奴なんだよ」
「ええ、はい」
「不器用だが、優しいところもある」
「さっきも言っていましたものね」
「もしも、君のせいであいつが不幸になるようなら、俺は君を許さない」
 もはや少女に向けた態度ではない。頭では分かっていても、西尾はそう凄むことしかできなかった。
「ふふふ」
 西尾の恫喝どうかつにも動じることなく、美緒は不気味に、そして肩を震わせて微笑んだ。
「彼は不幸にならない。それだけは約束してあげますよ」
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