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第四章 幻と嘘
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しおりを挟む参考人は、遺体の母親だという人物だった。
名前は 坂宮圭子といったか。齢五十を過ぎているそうだが、色白で目鼻がくっきりとしていて、実年齢よりもだいぶ若く見える妖艶な顔立ちをしていた。
中津と太田原が病院に着いた時、彼女は遺体安置室から出てきたところだった。
「あの…」
声をかけようとしたが、中津は途中でやめた。中津達のことが目に入っていないみたいだ。ふらふらと、背を丸めながら歩いていく。そうして安置室の前に置かれていた長ベンチに座った。いや、座ったというよりも崩れ落ちたというべきだろうか。とてもじゃないが、声をかける雰囲気ではなかった。
「すみませんね、貴方がご遺族だっていう?」
しかし太田原は、臆することなく彼女に話しかけた。
圭子は椅子に座ったまま、顔だけゆっくりと上げた。目…いや、顔全体に覇気を感じない。
「私達はこういうもんでして」太田原は警察手帳を彼女の目の前に出す。圭子は大きな反応もなく、ぼうっと魂の抜けたような様子で、手帳をじっと見つめた。
「今回の事件について、捜査の真っ最中なんですがね。聞きたいことがあるんですが、よろしいで」
「刑事さんたちでしょうか」
そこでまたも安置室の扉が開き、中から一人、スーツ姿の女が出てきた。彼女… 三浦真梨奈は検察官だ。キャリアウーマンとはこういう女をいうのだろう。背が高く、縁無し眼鏡をした彼女は、知的な雰囲気を纏った美人だった。こういった刑事事件が起こるたび、よく見る顔である。
「ちょっとすみません」
そんな彼女は、マリオネットのように項垂れる圭子に柔く声をかけた後に、ツカツカと太田原と中津のもとに近寄ってきた。「上で」
彼女は中津達が降りてきたエレベーターを指差す。有無を言わさずといった雰囲気に気圧され、そのまま一階まで、エレベーターで三人一緒に運ばれる。
「あの、どういうつもりですか」
エレベーターから降りるやいなや、三浦検事は柳眉を逆立てて中津らに尋ねてきた。太田原は頭を掻きながら、口をへの字にさせる。
「どうもこうもねえよ。ただ、俺達は捜査本部の奴らから、参考人が名乗り出たって聞いて、とんでやってきた。それだけだ」
「でもタイミングってあるでしょう」三浦検事はわざとらしく大きな溜息をつく。「あの人が本当にご遺体の親族だったらどうするんです。そうじゃなくても、一般の方がいる前で、捜査だなんだって人としてどうかと思いますよ。少しは気持ちを慮っていただきたいんですけど」
「うるせえな」太田原はぼりぼりと頭を掻く。「俺達は犯人を捕まえる必要があるんだよ」
「それはわかってるけど」
「真梨奈ちゃんよ。遺体が発見されて、もう何日経った?八月に入っちまった。だがなんだ。何も尻尾を掴めてりゃしねえわけだろ」
「…でも皆、全力で頑張っているんでしょ」
「この間にも犯人はのうのうと生きてやがる。俺は、それが許せねえのよ。遺族の気持ちってのはわかる。だがな、本当に遺族のことを思うなら、下衆を見つけて罪を償わせるのが一番だろ。なのに聞くのを躊躇って時間かけるのは馬鹿の極みだろ」
「叔父さん」三浦検事は腰に手を当て、眉をハの字にする。「あたしは、時と場合を考えてって言っただけよ。聞くな、なんて言ってない」
彼らは実の親族である。普通、一介の刑事が担当検事にタメ口で話すなんてあり得ない。立場もそうだが、そもそも役割が違う存在であり、当然だが身内ではないのである。
「太田原さん」
そこで中津が、彼の名を呼ぶ。
「ここは病院ですから、声は小さめに」
中津の忠告に太田原は熱が少し冷めたようで、わかってるよ、と大きく溜息をついた。
「でもな、捜査本部なんて、今の何もわからん状況じゃ、あってないようなもんだ。これで野放しの犯人がまた殺したらどうする。矢面に立つのは俺達だ。真梨奈ちゃん達じゃない。そうだろ?」
遺体が発見されてから一週間、今でさえ犯人が見つけられないことに、ネットやらマスコミやらが、水面下で自分達を非難していることを中津は知っていた。
「殺した遺体もわからない、ということは殺す理由がわからないってことだ。住民からしてみれば、次は自分じゃないかって思うわけだよ」
彼らの不安の感情の行き先が、現場の警察官に向くのは当然といえばそうだった。
「わかってる」対する三浦検事は毅然だった。「もちろん叔父さんの言い分は痛いほどわかるわ。でも、それとこれとは話が別。わかるでしょ」
姪にぴしゃりと言い渡され、白熱するかと思いきや、太田原は少し落ち着いたのか、「それはそうなんだが」と低いトーンで、声にならない声を出す。
「あの」
そこで背後から、か細い声が聞こえた。三人が振り向くと、そこには坂宮圭子が立っていた。
いつからそこにいたのだろう。まさか、今の会話を聞かれたのだろうか。中津はもちろん、他の二人も内心考えていただろうが、圭子は安置室の前にいた時と違い、意を決したような固い表情で、次のとおり告げた。
「あの遺体は私の娘です」
息を呑む三人をそのままにして、彼女は強く肯いた。
「刑事さん達。私、なんでも話します。だから私の娘を殺した犯人を、捕まえてください」
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