蜃気楼に彼女を見たか

夜暇

文字の大きさ
33 / 73
第四章 幻と嘘

しおりを挟む

 参考人は、遺体の母親だという人物だった。
 名前は 坂宮圭子さかみやけいこといったか。齢五十を過ぎているそうだが、色白で目鼻がくっきりとしていて、実年齢よりもだいぶ若く見える妖艶な顔立ちをしていた。
 中津と太田原が病院に着いた時、彼女は遺体安置室から出てきたところだった。
「あの…」
 声をかけようとしたが、中津は途中でやめた。中津達のことが目に入っていないみたいだ。ふらふらと、背を丸めながら歩いていく。そうして安置室の前に置かれていた長ベンチに座った。いや、座ったというよりも崩れ落ちたというべきだろうか。とてもじゃないが、声をかける雰囲気ではなかった。
「すみませんね、貴方がご遺族だっていう?」
 しかし太田原は、臆することなく彼女に話しかけた。
 圭子は椅子に座ったまま、顔だけゆっくりと上げた。目…いや、顔全体に覇気を感じない。
「私達はこういうもんでして」太田原は警察手帳を彼女の目の前に出す。圭子は大きな反応もなく、ぼうっと魂の抜けたような様子で、手帳をじっと見つめた。
「今回の事件について、捜査の真っ最中なんですがね。聞きたいことがあるんですが、よろしいで」
「刑事さんたちでしょうか」
 そこでまたも安置室の扉が開き、中から一人、スーツ姿の女が出てきた。彼女… 三浦真梨奈みうらまりなは検察官だ。キャリアウーマンとはこういう女をいうのだろう。背が高く、縁無し眼鏡をした彼女は、知的な雰囲気を纏った美人だった。こういった刑事事件が起こるたび、よく見る顔である。
「ちょっとすみません」
 そんな彼女は、マリオネットのように項垂れる圭子に柔く声をかけた後に、ツカツカと太田原と中津のもとに近寄ってきた。「上で」
 彼女は中津達が降りてきたエレベーターを指差す。有無を言わさずといった雰囲気に気圧され、そのまま一階まで、エレベーターで三人一緒に運ばれる。
「あの、どういうつもりですか」
 エレベーターから降りるやいなや、三浦検事は柳眉りゅうびを逆立てて中津らに尋ねてきた。太田原は頭を掻きながら、口をへの字にさせる。
「どうもこうもねえよ。ただ、俺達は捜査本部の奴らから、参考人が名乗り出たって聞いて、とんでやってきた。それだけだ」
「でもタイミングってあるでしょう」三浦検事はわざとらしく大きな溜息をつく。「あの人が本当にご遺体の親族だったらどうするんです。そうじゃなくても、一般の方がいる前で、捜査だなんだって人としてどうかと思いますよ。少しは気持ちをおもんばかっていただきたいんですけど」
「うるせえな」太田原はぼりぼりと頭を掻く。「俺達は犯人を捕まえる必要があるんだよ」
「それはわかってるけど」
「真梨奈ちゃんよ。遺体が発見されて、もう何日経った?八月に入っちまった。だがなんだ。何も尻尾を掴めてりゃしねえわけだろ」
「…でも皆、全力で頑張っているんでしょ」
「この間にも犯人はのうのうと生きてやがる。俺は、それが許せねえのよ。遺族の気持ちってのはわかる。だがな、本当に遺族のことを思うなら、下衆を見つけて罪を償わせるのが一番だろ。なのに聞くのを躊躇ためらって時間かけるのは馬鹿の極みだろ」
「叔父さん」三浦検事は腰に手を当て、眉をハの字にする。「あたしは、時と場合を考えてって言っただけよ。聞くな、なんて言ってない」
 彼らは実の親族である。普通、一介の刑事が担当検事にタメ口で話すなんてあり得ない。立場もそうだが、そもそも役割が違う存在であり、当然だが身内ではないのである。
「太田原さん」
 そこで中津が、彼の名を呼ぶ。
「ここは病院ですから、声は小さめに」
 中津の忠告に太田原は熱が少し冷めたようで、わかってるよ、と大きく溜息をついた。
「でもな、捜査本部なんて、今の何もわからん状況じゃ、あってないようなもんだ。これで野放しの犯人がまた殺したらどうする。矢面に立つのは俺達だ。真梨奈ちゃん達じゃない。そうだろ?」
 遺体が発見されてから一週間、今でさえ犯人が見つけられないことに、ネットやらマスコミやらが、水面下で自分達を非難していることを中津は知っていた。
「殺した遺体もわからない、ということは殺す理由がわからないってことだ。住民からしてみれば、次は自分じゃないかって思うわけだよ」
 彼らの不安の感情の行き先が、現場の警察官に向くのは当然といえばそうだった。
「わかってる」対する三浦検事は毅然だった。「もちろん叔父さんの言い分は痛いほどわかるわ。でも、それとこれとは話が別。わかるでしょ」
 姪にぴしゃりと言い渡され、白熱するかと思いきや、太田原は少し落ち着いたのか、「それはそうなんだが」と低いトーンで、声にならない声を出す。
「あの」
 そこで背後から、か細い声が聞こえた。三人が振り向くと、そこには坂宮圭子が立っていた。
 いつからそこにいたのだろう。まさか、今の会話を聞かれたのだろうか。中津はもちろん、他の二人も内心考えていただろうが、圭子は安置室の前にいた時と違い、意を決したような固い表情で、次のとおり告げた。
「あの遺体は私の娘です」
 息を呑む三人をそのままにして、彼女は強く肯いた。
「刑事さん達。私、なんでも話します。だから私の娘を殺した犯人を、捕まえてください」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

処理中です...