蜃気楼に彼女を見たか

夜暇

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第六章 さよならと笑顔

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 覚悟なんて、大体が口ばかりだ。

 いつ頃だったか、同僚の田上がそう言っていただろうか。
「そもそも覚悟を決めるような場面が人生でいくつあるのか」
「え?よくありそうな気がするけどな」
 進学、就職、結婚、子育て。数あるライフステージで、それは求められるものかと俺は思っていた。
「まあな。でも、この世界の大多数がのらりくらり…流されて生きてるようなやつばっかりだろ」
「そうかなぁ」
「そうだよ。進学も就職もさ、周りの皆がやっているからやる。結婚はそろそろしといた方がいいと言われるからする。結婚したら子どもを作る連中ばかりだから作る。そんな感じでさ。
 俺が言っているのは、それらをどれだけ、自分で決めたのか。決心したかどうかってことなんだ」
「すべて経験したお前が言うのか、それ」
「おう。だって俺、全然覚悟決めてなかったから。嫁も子どもも、なんとなくそうなった。そんな感じだしな」
 あまり彼のようなケースが多くないと思うのだが、俺は何も言わないでいた。
「でも、口では覚悟がある。なんてほざいたこと、何度もあるぜ。この職場でもさ」
「本音と建前は違うってことか」
「そういうこと。そしてそれは、本当に覚悟を決めるような場面に遭遇したら、わかるはずだよ」
「わかる?何がだ」
 そう聞くと、田上は笑みを浮かべた。
「自分の心が、それをするべきかどうかってことだよ」


「いずれ、わかると思います」
「え?」
 車内に入ったところで、深青が俺を見ながらそう告げた。彼女の顔は、太陽光で遮られてまともに見れそうにない。
「その人が何を思って、龍介さんに会いに来るのか」
 自分の心を見透かされているかと思えば、彼女は当然に今の話に返事をしたのだ。俺は逸る心臓の鼓動を脳の指令で必死に抑える。何とか肯き返す。
「私、知りたいです。その人が、お姉ちゃんを殺した理由」
「それは…」
「ええ、わかってます。でもきちんと、はっきりこの耳で聞いておきたいんです」そこで深青は俺の目を見た。「あなたが、その人を殺してしまうのであれば」

 その時だった。

 俺と深青の車が通ってきた砂利道に入ってきた人物がいた。遠目でわかるほどに背が高い。黒の半袖に紺のハーフパンツを着た男だ。いつものパリッとした、買ったばかりのようなスーツ姿では無い。
 俺は唾を飲み込んだ。
 あいつが来た。
 ゆっくりと、こちらにやってくる。はるか下方から、崖の波打ち音がかすかに聞こえてくる。遠くからはどこからか、砂嵐のような蝉の鳴き声。クラクラするような日差しの下、俺は深青の座る助手席側の窓を少しだけ開けて、自分は外に出た。
「こっちだ」
 手を振って合図する。しかし、あいつは手を振り返すことはしなかった。ただ、ゆっくりと近寄ってくる。探っているのだ。俺の態度から、仕草から。俺が何を求めて、何を考えてここにやってきたのか。
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