蜃気楼に彼女を見たか

夜暇

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第六章 さよならと笑顔

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 円城理乃を殺したあの日のことを、俺は思い返す。
 仕事終わりに俺は彼女を尾行した。途中で気付かれ、自宅に逃げ込まれたが、玄関扉が閉まる刹那に無理やり体を滑り込ませることができた。
「ストーカーはあなただったんですね」
 目の前の彼女は、キッと強く俺を睨んだ。しかし俺にはわかった、彼女は怯えている。俺を見下していた女が、恐怖心を抱いている。思わず勃起してしまう程の高揚。俺は思わず高らかと笑い声を上げた。
「何をやっているのか、わかっているんですか」
 わかっているさ。俺は笑顔で頷いて、彼女をあっさりとベッドに押し倒した。真っ暗な部屋の中で揉み合いながらも、俺は彼女の柔く細い首に両手を絡ませる。
 そのまま力の限り、彼女の首を絞め上げた。
 ゲェ。ゴォ。普段の彼女の容姿からは想像できないような、低く野太い、汚い声。排水溝に大量の水が流れた音のような。思わず顔をしかめた程に、それは不快な音だった。
 数分後には動かなくなった彼女の肢体を見て、ようやく俺は自分がやったことを振り返っていた。
 自分の痕跡を消せるだけ消して、彼女の部屋からそそくさと退散した。雨は、俺に味方をした。傘は顔を隠し、雨音は俺の逃げる足音をかき消した。
 こうするのが正しかったかのように思えた程だった。
 
 その晩、仕事だと妻に嘘をつき、俺はビジネスホテルに泊まった。一人でいたかった。自分のしたこと。それをした結果どうなっていくのか。時間をかけて、じっくりと、体に、脳に、心に染み込ませるかのように、考えた。考えて考えて、結論としてはやはり、こうするべき運命だった。その結論にようやく、達することができたのだった。


「怖かったんだ」
 田上は呟くように言った。俺は目の前の同僚を見据えて、自分の考えに誤りがなかったこと…この男が語った、緋乃の命を奪った経緯について、改めて衝撃を受けた。
「だからといって」
 思わず足がふらつく。
「人の命を奪っていい理由にはならない」
「確かにな。だが会社もそうだが、俺にはお前と違って家庭があるんだ。千帆のことが明るみになれば、俺は終わる。公私ともども」
「自分がいた種だろっ」
 俺は叫んでいた。あまりにも自己中心的な考えの田上に、我慢ならなかった。
「それをした時のリスクを考えていなかった。種から芽が出て花が咲くのは、当然じゃないか。それをこっそりと摘むなんて、できるわけがない」
「それでも、ぼーっとそれが育つ様を見ているだけなんて、できるわけがない。わかるだろう」
「わかるわけが…」
 俺は言葉を切った。この男は、本気でそう思っているのだ。自分のしたことへの過ちはもとより、千帆への懺悔ざんげ、後悔の念。そういった人間的な感情が、欠落している。
 それが生来的なものなのか…いや、おそらく今回のことで壊れてしまったのだ。この男とは入社してからの付き合いだが、性格的にここまで難はなかった。
 壊れてしまってもしょうがない、そんな状態の人間に一般論なんて通じるわけがない。
「理乃は」
 訥々と言葉が口から漏れた。
「理乃は優しくて、それでいて真面目だった」
 田上が聞いている、聞いていないなんてどうでもよかった。
「彼女がいたから俺は頑張っていこう。そう、思えたんだ。お前はそんな彼女を殺した。自分の保身のために」
「悪いとは思ってるよ」
「どうかな。本当にそう思えたのなら、そもそも殺そうだなんて考えるわけがない」
「まあ、一理あるが」
「だから俺はここに来たんだ」
 なるほどな、と田上は腰に手を当てる。それから「一つ聞いて良いか」と人差し指を立てた。
「なんだ」
「円城を殺したのが俺だって、わかった理由さ」
「理由?」
「俺が彼女を殺したのは七月二十五日だ。でも、今は八月中旬、日が経ってるわけだ。つまりは、その間俺がやったとは知らなかった。そうだろう」
 しかし俺は、首を横に振った。田上は目を丸くする。
「俺が殺したって、知ってたのか」
「確信はとれなかったよ。でも理乃の口ぶりから、俺の職場にいる奴なのは間違いない。それだけは、確かだった」
 そのために犯人を見つけることにした。警察に任せるのではなく、自分自身で。
「そのために、理乃の遺体を公園に運んだんだ。自分が殺した理乃の遺体が別の場所で発見されたとなれば、犯人であれば動揺するんじゃないかと思った」
 生憎あいにくの雨だった。目立つが故に傘はさせなかった。そのため一旦俺は家に帰り、ボロ車を持ってきた。合羽を買うなんて目立つわけにもいかず、仕方なくフードを被り、顔だけ隠してそれをした。
「でも、結果的にあまり意味がなかった。だからもう一つの証拠を見ることにした」
「もう一つ?」
「それ」俺は、田上の手…大きな絆創膏のついた両手の甲を指差す。「理乃がつけたんだろ」
  田上は黙って肯首する。
 死の間際、彼女は田上の両手を掻きむしった。それこそ、死に物狂いに。見た目以上に両手の甲の肉を深く抉られたようで、一ヶ月は経過する今になってもなお、傷は完治していないようだ。
「俺は彼女の家で、理乃を見つけた。その時、彼女の両手の指先に血がついていることに気づいた。これは犯人の血だ。そう思うと、彼女から俺へのメッセージのようにも思えた」
 それから俺は、自分の両手を目の前に上げた。
「殺される間際にそんな傷をつけられるなんて、恐らく犯人は両手で彼女を絞殺した。そうとしか考えられなかった。つまりは、が犯人ということになる。
 そこで、次の日両手に包帯を巻いてやってきたのがお前だよ。まさかと思った。田上…お前じゃない。そう思った。いや、思いたかった。だから、調べたんだ」
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