精霊の守り人

つなさんど

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血染めの契約

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ガマは、そんな若者の行動を嘲笑うかのように、大きく顎を開けた。

「グオオ!」

鈍い音と、肉が引き裂かれるおぞましい感触。若者は、ガマの鋭い牙に片腕の肘から先を食い込まれ、文字通りもぎ取られた。

「がぁッ!」

若者の苦痛の叫びと共に、大量の鮮血が噴き出した。赤黒い血飛沫は、静の顔や、彼女の足元に散乱する埃に熱く、生々しく降り注ぐ。

静は、その凄惨な光景と、血の生温かい感触に完全に理性を失い、甲高い悲鳴を上げた。

「キャアアアアアア!」

その衝撃で、静が手にしていたはずの、虹色の光を放つ短刀が、カランと音を立てて足元の床に落ちた。

静の身体から流れ落ちた血飛沫は、まるで意思を持っているかのように、床に落ちたその光の短刀にまとわりつき、瞬く間に短刀全体を赤黒く覆い尽くした。

そして、その瞬間、静と、片腕を失い地に伏した若者の耳にだけ、何処からともなく、冷たい声が響いた。

「契約ノ成立ダ」

その声は、日本語でも、西洋の言語でもなく、魂の奥底に直接響くような、原始的な力を持っていた。声が消えた後、光の短刀は一瞬、血の赤と光の虹色を混ぜ合わせながら、禍々しく、そして力強く、輝きを放った。


血飛沫を浴び、悲鳴を上げた静の足元で、血に濡れた光の短刀から発せられた禍々しくも力強い輝きが、蔵の闇を飲み込んだ。



「な……何だ、この光は!? 貴様、一体何を仕込んだ!」

源兵衛は若者に向かって叫んだが、時すでに遅し。

光の短刀は、まるで若者の血を吸い、その絶望を燃料に変えたかのように眩い虹色と血の赤を混ぜた輝きを放った。それは光の帯となり、静の足元から一瞬で地に伏した若者の元へと飛翔する。

光の速さで到達した短刀は、もぎ取られた若者の右腕の切断面にぴたりと接合し、凄まじい勢いで輝きを増した。その輝きはあまりにも強烈で、静の視界は白く焼き尽くされ、何が起こっているのか詳細が見えなくなる。

「馬鹿な! そんな理(ことわり)が……!」

源兵衛は完全に動揺し、すぐに事態を収拾しようと、ガマの化け物に叫んだ。

「ガマ! 構うな! その若造にトドメを刺せ! 早くその神具を奪え!」

ガマは源兵衛の命令に従い、巨大な口を開き、血を流し力尽きている若者に噛みつこうと身を乗り出した。

その瞬間、閃光が走った。

それはあまりにも速く、静の目には虹色の残像しか捉えられない。ガマの巨大な身体が一瞬硬直する。

次の瞬間、ゴトリと、重く湿った音が蔵の床に響いた。

ガマの化け物の、おぞましい赤黒い瞳を持つ巨大な首が、その胴体から切り離され、埃まみれの床に転がったのだ。切り口からは、血ではなく、濃い緑色の毒液が激しく噴き出した。

首を失ったガマの胴体は、数度痙攣した後、異様な音を立てて崩れ落ち、あっという間に粘液の塊となって床に広がり消滅した。

ガマの巨大な首が転がり、胴体が粘液となって消滅する様を目の当たりにした源兵衛は、その顔から一切の余裕を失っていた。

「馬鹿な……契約だと?……まさか、あの短刀が、自ら……」

彼は、光を放つ若者から一瞬目を逸らした。そのわずかな隙が命取りになると悟ったのか、源兵衛は静かに、しかし恐るべき速さで、蔵の開いた扉へと身を翻した。

「チッ!」

光を宿した若者は、即座に源兵衛を追おうと動いた。彼が腕に得た光の短刀は、若者の意思に呼応するように、再び閃光を放ち、若者の身体は文字通り光の速さで蔵の扉を飛び出した。

「待て、源兵衛! 逃がすか!」

蔵の外に響き渡る若者の怒声。しかし、源兵衛は闇夜に慣れた商人であり、悪魔との契約で得たであろう異様な逃走術を持っていた。数瞬後、若者の声は遠ざかり、すぐに諦めを滲ませた足音が蔵の前に戻ってきた。

「くそっ……見失ったか」

若者は荒い息をつきながら、再び蔵の中へ踏み入った。彼の片腕は、失われたはずの場所に、虹色の輝きを放つ短刀の柄がぴったりと接合されており、まるで光の義手のようになっていた。

彼は周囲の状況を確認する。ガマの粘液は床に広がり、刺激臭を放っている。そして、その毒液と血溜まりのそば、綾が息絶えた場所の近くで――。

静は、すべてが終わったことに気づかず、地面にへたり込んだままだった。

彼女の身体は血と埃と毒液の飛沫で汚れ、顔は恐怖と衝撃で張り付いたように硬直している。しかし、彼女の口からは、堰を切ったように嗚咽と泣き声が漏れ出し、止まらなかった。

「う、ううう……ちよ……綾さん……! わ、私が……箱を……うううっ……!」

静は、自分の身に起きた凄惨な出来事と、その原因を自分が作り出したという自責の念に押し潰されていた。元奉行の娘という矜持も、女学校で得た教養も、すべてがこの現実の闇の前では無力だった。

若者は、光を宿した腕を静かに下ろし、血と涙にまみれて泣きじゃくる静の姿を見つめた。彼は何も言わなかった。ただ、その瞳には、冷たい怒りとは違う、わずかな憐憫と、そして新しい使命が宿っているようだった。

    
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