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源兵衛再び
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その張り詰めた静寂を破るかのように、蔵の扉がギィィィと重い音を立てて開いた。
夜闇を背負って現れたのは、質屋の大旦那、源兵衛だった。
彼は、先ほどまでの冷酷な商人の顔ではなく、まるで獲物を狩る喜びに満ちたかのような、粘りつくような笑みを浮かべている。その背後には、闇に溶け込むかのような異形の気配が微かに感じられた。
「ご機嫌よう、お嬢様」
源兵衛は、蔵に充満する埃やカビの匂いなど気にも留めず、優雅に頭を下げた。その丁寧すぎる仕草が、かえって彼の邪悪な本性を際立たせる。
「中々戻ってこないので、こちらから出向かしてもらいましたよ。やはり、呪いの器がある場所は、私の足が勝手に向くようで」
源兵衛は、静と若者の間に浮かぶ虹色の光の短刀を一瞥した。その目は、金銭への欲望ではなく、根源的な執着と歓喜で爛々と輝いていた。
「ほう。やはり、自らの意志で封印を引き抜いたか。しかも、そちらの不逞の輩とご一緒とは、随分と夜遊びがお好きですな、お嬢様とあろうお方が隅に置けない」
源兵衛は、梁から降りてきた若者に対し、侮蔑の視線を向けた。
「貴様、何者だ。お前のような古い時代の遺物が、この都会(まち)の片隅にまだ残っていたとはな。あの箱の余計な番犬か」
若者は静の前に立ち、警戒を露わにした。
「源兵衛。お前が悪魔(アクマ)と交わした契約は、この国を滅ぼす。手を引け」
「悪魔? 文明と呼んでいただきたいものですな」源兵衛は皮肉たっぷりに笑う。「お嬢様。これでよくお分かりでしょう。私が、あなたが抱える貧困と災い、その両方から解放して差し上げようと、慈悲深く提案しているのだ。今すぐ、その光る短刀と箱を、私に渡していただきましょうか」
蔵の闇の中に、守るべきものを持つ若者、静、そしてすべてを奪おうとする源兵衛の、三者の視線が激しく交錯した。静の目の前には、友と使用人の死の報いと、国を揺るがすほどの巨大な悪意が、今、具現化しようとしていた。
源兵衛は、鼻で笑うと、蔵の入り口の闇に向かって冷ややかに命じた。
「ガマよ。あの若造を可愛がってやれ。たっぷりとな」
声が響くと同時に、蔵の奥、静たちが開けた扉の向こうの闇が歪んだ。中庭にいたはずの巨大なガマの化け物が、体を縮めたかのように、あるいはその巨体が空間を押し広げたかのように、ぬらりと蔵の中に侵入してきた。その油を塗ったようなぬめりのある体表と、腐臭が蔵の空気を一気に変えた。
若者は即座に静の前に躍り出た。
「下がっていろ!」
彼は懐から柄の短い古い刀を引き抜くと、ガマの巨大な爪めがけて斬りかかった。若者は軽快な身のこなしで、はじめこそ優勢に応戦していた。古流の剣術だろうか、その動きは素早く、一撃一撃がガマの硬い皮膚に傷をつけていく。
しかし、ガマの身体は再生が早い。数度斬りつけたところで、ガマは巨大な口を開き、恐ろしい粘着性の舌を鞭のように打ち付けた。
バシィン!
若者はそれを辛うじて避けたものの、動きが一瞬鈍る。そして、源兵衛が静かに、しかし強力な呪文を唱え始めた瞬間、戦況は一気に劣勢へと傾いた。ガマの動きが数倍に跳ね上がり、その圧力はもはや若者の技量で受け止められるレベルではなくなる。
「くそっ、これほどの力だと……!」
若者は焦燥を滲ませ、数歩後退した。その様子は、静が想像していたような守り人の圧倒的な強さとはかけ離れた、意外なほど弱いものだった。
追い詰められた若者は、冷静さを失ったのか、往生際の悪い行動に出た。彼は持っていた短い刀を投げ捨てると、両手を広げて、ガマの本体である巨大な口に向かって、無防備に突っ込んでいったのだ。それは、捨て身の特攻というよりも、最後の抵抗に見えた。
夜闇を背負って現れたのは、質屋の大旦那、源兵衛だった。
彼は、先ほどまでの冷酷な商人の顔ではなく、まるで獲物を狩る喜びに満ちたかのような、粘りつくような笑みを浮かべている。その背後には、闇に溶け込むかのような異形の気配が微かに感じられた。
「ご機嫌よう、お嬢様」
源兵衛は、蔵に充満する埃やカビの匂いなど気にも留めず、優雅に頭を下げた。その丁寧すぎる仕草が、かえって彼の邪悪な本性を際立たせる。
「中々戻ってこないので、こちらから出向かしてもらいましたよ。やはり、呪いの器がある場所は、私の足が勝手に向くようで」
源兵衛は、静と若者の間に浮かぶ虹色の光の短刀を一瞥した。その目は、金銭への欲望ではなく、根源的な執着と歓喜で爛々と輝いていた。
「ほう。やはり、自らの意志で封印を引き抜いたか。しかも、そちらの不逞の輩とご一緒とは、随分と夜遊びがお好きですな、お嬢様とあろうお方が隅に置けない」
源兵衛は、梁から降りてきた若者に対し、侮蔑の視線を向けた。
「貴様、何者だ。お前のような古い時代の遺物が、この都会(まち)の片隅にまだ残っていたとはな。あの箱の余計な番犬か」
若者は静の前に立ち、警戒を露わにした。
「源兵衛。お前が悪魔(アクマ)と交わした契約は、この国を滅ぼす。手を引け」
「悪魔? 文明と呼んでいただきたいものですな」源兵衛は皮肉たっぷりに笑う。「お嬢様。これでよくお分かりでしょう。私が、あなたが抱える貧困と災い、その両方から解放して差し上げようと、慈悲深く提案しているのだ。今すぐ、その光る短刀と箱を、私に渡していただきましょうか」
蔵の闇の中に、守るべきものを持つ若者、静、そしてすべてを奪おうとする源兵衛の、三者の視線が激しく交錯した。静の目の前には、友と使用人の死の報いと、国を揺るがすほどの巨大な悪意が、今、具現化しようとしていた。
源兵衛は、鼻で笑うと、蔵の入り口の闇に向かって冷ややかに命じた。
「ガマよ。あの若造を可愛がってやれ。たっぷりとな」
声が響くと同時に、蔵の奥、静たちが開けた扉の向こうの闇が歪んだ。中庭にいたはずの巨大なガマの化け物が、体を縮めたかのように、あるいはその巨体が空間を押し広げたかのように、ぬらりと蔵の中に侵入してきた。その油を塗ったようなぬめりのある体表と、腐臭が蔵の空気を一気に変えた。
若者は即座に静の前に躍り出た。
「下がっていろ!」
彼は懐から柄の短い古い刀を引き抜くと、ガマの巨大な爪めがけて斬りかかった。若者は軽快な身のこなしで、はじめこそ優勢に応戦していた。古流の剣術だろうか、その動きは素早く、一撃一撃がガマの硬い皮膚に傷をつけていく。
しかし、ガマの身体は再生が早い。数度斬りつけたところで、ガマは巨大な口を開き、恐ろしい粘着性の舌を鞭のように打ち付けた。
バシィン!
若者はそれを辛うじて避けたものの、動きが一瞬鈍る。そして、源兵衛が静かに、しかし強力な呪文を唱え始めた瞬間、戦況は一気に劣勢へと傾いた。ガマの動きが数倍に跳ね上がり、その圧力はもはや若者の技量で受け止められるレベルではなくなる。
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