人と人との間で思う

秋本シラキ

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1章

人と人との間で思う 1章

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午後三時十二分。靴屋の「安田」は、この中途半端な時間にも関らず人が五、六人靴を眺めていた。数週間前には信じられない光景であった。



というのも、半年くらい前に近所にできた激安シューズ店に押され、客足は日曜日でさえも二、三人いるかいないかの潰れてもおかしくない店であった。



では何故そんな店が、たった数週間でここまで客が入っているのか・・・



答えは知っている人には簡単なことである。



「あの、すみません。」

「はい。」



客の一人が、レジに立っていた星野まり子を呼ぶ。まり子は男の元へ早歩きで向かう。その様子を、周囲の客は靴を見ているふりをして注意深く横目で窺っていた。



「あの、試着したいんですけど。」

男は黒のスニーカーを指差す。



「はい、わかりました。サイズはいくつですか?」

「二、二十六です。」



男の声が少し裏返った。まり子は気にせずに、箱の中から同じサイズの靴を探した。



「これですね。はい、どうぞ。」



ラベルの貼られた靴を脱ぎ、履こうとしない。まり子は目を合わせないようにしていたが、ふと上を見上げてしまった。



男は目を細めながら、じっとまり子を見つめていた。まるできれいな花を見つめているかのように・・・



まり子は思わず視線を下にやった。



この男はそれから数分、じっくりとまり子を見つめてからやっと靴の試着をし、結局何も買わずに帰っていった。



「まりちゃん。まりちゃんは接客しなくていいよ。」



店の奥から出てきた店長の安田が話しかけた。まり子は黙って頷く。



「またまりちゃん目当ての客かあ。全く、仕方ないなあ。まりちゃんも嫌だろ?あんな客の接客。試着のときは俺を呼べ。俺が接客するから。まりちゃんはそこに立っているだけでいいよ。」



ぽんとまり子の方を叩き、また奥へと安田は消えていった。



「はぁ・・・」

まり子はひとつため息を吐く。



午後の五時。次の日が休日ということもあって、家族連れやカップルなどで大型ファーストフード店はにぎわっていた。



ほぼ席が埋まり、空き席待ちの客が店の玄関の前に十人ほどあふれている状態の中で、ぽつんと一人で窓側の四人掛けのテーブル席に座る釘宮亨がいた。



こんな混雑している中、一秒でも早く席についてアツアツの食べ物を食べたいときに、どうして亨の席に合い席どころか両側の隣のテーブル席は予約席でもないのに誰も座ろうとしないのか・・・



答えは知っている人には簡単なことである。



「おい。お前言えよ。」

「嫌だよ。あいつのそばには絶対に近寄りたくない。」



ホール係のアルバイト定員二人がオーダーの途切れた合間に小声で話す。



「確かにそうだけどさあ・・・でもあいつ、二時ごろから着てずっとドリンクバーだけで居座ってさ。しかも、あいつのおかげであいつの座っているテーブルを含めて三組はお客さんを入れられるんだぜ。何つう客だ。」



「二人ともやめないか。あのお客様に聞かれたらどうする?いくらドリンクバーだけしか頼まないお客様でもお客様には変わりないんだからな。」



二人の会話に割り込むように、黒のスーツに不似合いな緑色のエプロンをした店長が入ってきた。



「でも、はぁ・・・さすがにこんな混雑時にあの状態は困るな。よし、俺が何とかしてくる。」



店長は最初こそ勢いよく飛び出していったが、亨に近づくほどに徐々に足取りが悪くなっていった。実は、あの亨のオーダーを取りに行くときも定員が誰一人亨のオーダーをとりに行くことを拒み、結局店長が取りに行ったのだが、あれ以来社員である店長でさえもあの亨には一生近寄りたくはないと心の底から思っていた。


「あの、お客様。」



支配人は必死で笑顔を作ろうとするが、どうしても顔をしかめてしまう。



「え?」

亨が店長に顔を向ける。店長は思わず下を向いてしまった。



「あの、まことに失礼なことは承知の上なのですが、混雑時にもなっておりますし、ドリンクバーだけでここに居座ってもらわれると他のお客様に迷惑がかかってしまわれるので、お会計の方をさせてもらってもよろしいでしょうか。」



一息で店長はこの台詞を言い切った。かなりの早口だったろうと言った後で店長は反省した。



「え?僕の両側の席空いてますけど。そこに座ってもらえばいいじゃないですか。それにもしなんだったら、合い席でもかまいませんよ。」



「いや、その・・・そういうわけではなくて、ドリンクバーだけですと、当店としても・・・」



店長は言葉に詰まる。



「わかりました。他のものを頼めばいいんですね?」

亨はメニューを開いて急いで一番安い食べ物を探した。



「だから・・・そういうことではなくて・・・」

店長の声が徐々に低くなってゆく。



「え?」

亨はメニューから目をそらし、店長を見る。



「迷惑なんだよ!あんたがそこに座っていると!見てわからないのか!お前のせいで三つもテーブル席が空いているんだ!早く帰れ!迷惑なんだよ!さもないと営業妨害で警察呼ぶぞ!」



この怒鳴り声にあたりがシーンと静まる。その静まった中を「わかりました」といって立ち上がり、肩を縮こませながら亨はゆっくりとレジに向かった。



「金はいらねえよ!早く帰れ!」



レジに立っていた亨に罵声を浴びせた支配人。亨はさらに肩を縮こませて店の外へと出て行った。



「おい!誰か玄関に塩撒いとけ!」



そういい残し、興奮収まらない様子の店長は店の奥に消えていった。しばらくの間、店は異様な雰囲気が漂った。

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