自称悪逆非道な令嬢はバッドエンド回避のために今日も手紙を出す

ツカノ

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婚約破棄、もしくはコゼット・ゴーメンガーストの手紙

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私の婚約者は、どうかしている。

ここは、歌にもなっている悪名高きゴーメンガースト邸。悪夢を思わせる要塞のように大きな屋敷は、ゴーメンガースト家の関係者の殆どはこの中で生まれ死んでいくとも噂されるだけに相応しい。数々の部屋には、ゴーメンガースト家の先祖の誰かが集めた大量のガラクタが無秩序に並べられていて、見る者によっては悪趣味と感じられるかもしれない。その中で比較的目に優しく過ごしやすいと思われる『涼しの間』では、一族の後継者である令嬢とその婚約者がお茶を飲んでいた。

「婚約破棄の季節ですわね」

と、小柄な身体を大きな安楽椅子に包まれるように座ったコゼット・ゴーメンガースト公爵令嬢はあろうことか婚約者の私に向かって、ため息のように言葉を吐き出す。けぶるような金色の髪をボンネットで包み足首が見える喪服のような黒いドレスを着た年下の美少女は、美しい緑の目を猫のように細めてにこりと笑う。

「婚約破棄するの、したいの、どこで、誰と」

そんな季節があってたまるかと少々早口になりながら訊けば、彼女はこてんと不思議をそうに首を傾げる。無邪気を装っているものの大きな目が楽しそうにキラキラと光っているのを見ると、脊髄反射で彼女の話に反応したのは勇み足だったかと後悔の念が襲ってくる。

「王都の貴族学校では卒業の時期になると、毎年婚約破棄イベントが発生すると聞きましたけれど」
「いやいや、そんなことは滅多に起きないからね。起きたら面倒なことになるし、厄介だからね」
言下に否定すれば、コゼットは一瞬止まる。しかし、すぐに唇の片端を引き上げると勝ち誇ったような笑顔になった。
「あら、現にわたくしのお友達は卒業パーティーで、婚約破棄されそうだとお手紙を下さいましたのよ」
「誰が何でそんな手紙を」
「王太子様のご婚約者であるレディ・アイリスですわ。最近、文通友達になりましたの」

ほほほと笑いながら答えるコゼットに、相槌をつくように曖昧に頷く。ゴーメンガースト家の人間の多くは、社交もせず生涯ほぼ屋敷に引き籠もっているが筆まめで、どこでどう繋がったのか解らない文通相手が沢山いる。彼女曰く、のっぴきならない状況に置かれた人間は全く無関係な相手に打ち明け話をしたくなるものらしいが、何故悪名高きゴーメンガースト家の人間に打ち明け話をしたくなるのだろうか。本当に、謎である。

「王太子様が庇護欲をそそる平民上がりの男爵令嬢と恋仲になってしまわれたそうで。卒業パーティの時に、レディ・アイリスが最愛の男爵令嬢の持ち物を壊して捨てたり、男爵令嬢を噴水の中に突き落としたり、男爵令嬢を下町で破落戸に襲わせようとした罪で断罪されるそうですわ。断罪された後は修道院へ行かされてしまうか処刑されてしまうかと思うと、夜も眠れないそうです」
「あのご令嬢が、そんなことをしたのか」

以前、王家の夜会で見かけたことがある優しげでおっとりとした風貌の令嬢の顔を思い浮かべる。有力ではあるが穏健派の侯爵家は、婚姻時にすでに没落していた王妃の実家の代わりに王太子の後ろ盾になる予定だった筈と眉を顰めたのは言うまでもなく。それにしても、修道院行きも処刑も不穏すぎる。レディ・アイリスのご両親は彼女のことを溺愛しているという噂だし、こう言っては何だが侯爵令嬢がたかが男爵令嬢に少々嫌がらせしたからと修道院送りや処刑になるだろうか。だいたい、婚約者のいる王子に色目使って近づく男爵令嬢なんて反則だろうに。

「淑女の鏡たるレディ・アイリスが、そんな小さいことをなさる筈があるわけないですわ。それに、それ程にお悩みならば、ご実家の権力を使って男爵家を叩き潰してしまった方が早いではないですか」
「そ、それは過激だな」
「それに、王太子様もせっかく後ろ盾になって下さる侯爵家に対して砂を後ろ足で掛けるような真似をしたのですから、婚約破棄ではなくて男爵令嬢と心中する位の気概を持って欲しかったですわ。どうせ有力な後ろ盾はいなくなるんですから、廃嫡されるしかありませんもの」
「そ、それも何か違う」

握りこぶしを作って力説するコゼットに向かって、苦笑しながら手を左右に振ってやんわりと否定をしてみる。すると、コゼットは不思議そうに小首を傾げた。信じられないものを見るような目に、ため息をつく。権謀術数渦巻く貴族社会だから清廉潔白な人間ばかりと言うわけではないが、そんなに『権謀術数大好き』と言わんばかりの態度を取らなくてもいいと思う。

悪辣非道で悪名高きゴーメンガースト家の一員だから、仕方ないのかもしれない。

「だから、わたくし、レディ・アイリスにご助言をすることにしましたの」

と、コゼットはにこりとすると、安楽椅子の近くにあったサイドテーブルを引き寄せる。サイドテーブルの上には、何か書きかけの便箋が置いてあった。コゼットが指を鳴らすと、万年筆が便箋の上を踊り出す。社交に殆ど出ないゴーメンガースト家の人間が他家との交流を可能としている能力『文通魔』は、自動手記から瞬時に目的の相手までお届けしてくれるという便利なもので。

天は何故、ゴーメンガースト家に、『文通魔』という能力を与えたもうたのか。

そうこうしている内に万年筆の音がぴたりと止みコゼットが便箋を封筒に入れると、目に見えない手がどこからともなく現れた赤い封蝋で封をする。封がされた封筒を渡されたコゼットの指が再びパチンと鳴れば、煙のように封筒が消えてしまう。今頃、レディ・アイリスの手元には封筒が届いているだろう。

いったい、どのような助言をしたのやら。

「助言をするのは良いけれど、別の人間から裏を取らなくて良いのかい」

と、訊けば、コゼットはこちらを胡乱な者でも見つめるように目を細める。その冷たい目線から、私が虎の尾を踏んでしまったのは明白で。無作法にも口の中で舌打ちをした彼女を眺めながら、しまったなぁと思う。

「わたくしが、そのような手落ちをすると思いまして」

背筋が凍るような声に、思わず首を左右に振るとコゼットは満足そうに小さく頷く。

そして、

「よろしい。これで、きっとレディ・アイリスもバッドエンドを回避できますわね」

と、口元に手を当てると、コゼットはおーほっほっほと高笑いしたのだった。

その後、レディ・アイリスからお返事がありましたらまたお茶会をしましょうねとコゼットには言われたけれど、良く考えると私たちは婚約者なのだから『お返事』がなくてもお茶会位しても問題ないのではなかろうか、解せぬ。どこかで騙されているとしか思えない。
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