βなんか好きにならない

切羽未依

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イワシの頭とヒイラギ

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 でも、笙悧は、名刺を見て、朝ごはんを食べた後、ぽぽんたに行っても、まだ開店していないことに気が付いた。
 仕方なく、朝ごはんを食べた後、抑制剤を飲むと、開店時間に合わせて、家を出るまでの時間を、テレビを見て、つぶした。スマホを手にしてしまうと、ぽぽんたの悪いクチコミをスクロールして、心配がもっと大きくなってしまう。


 笙悧は、マスクを着け、リュックを背負い、マンションを出た。
 駅のペデストリアン・デッキ歩行者専用高架橋を渡って、線路沿いの道ではなく、商店街のアーケードを歩く。
 平日の午前中の商店街は、おばあちゃんばかりが、買い物をしていた。


 笙悧は、ケーキ屋さん『ぽぽんた』の前に立った。自動ドアが開く。
 甘い、いい匂いがした。


「いらっしゃいませ」
 白いキャップにスモック、首に黄色のスカーフを花のように結んだ希更きさらは、入って来たのが笙悧だとわかると、ショーケースの向こうから、ぶんぶん、両手を振った。
「あ~ら~、いらっしゃ~い」

「こんにちは。昨日は、ありがとうございました」
 笙悧は頭を下げた。
「いいえ。今日は、お礼代わりに買わなくていいからね!」
 希更は、笙悧に向かって、両手を突き出す。
「普通に買うのは、止めないけど。」
「ケーキ、とても美味しかったです。家族も、とても美味しいと申していました」
「ありがと~」
 笑顔になって希更は、突き出していた両手を、ひらひら振る。

 笙悧は、マスクで半分の笑顔を返して、歩いて行きながら、左側の方を見る。
 壁際の椅子に座り、ギターを抱えたいわおが軽く手を上げて、あいさつをする。
「こんにちは」

「こんにちは」
 巌にあいさつを返した笙悧は、マスクを着けていなければ、引きつった笑顔を見せてしまっていたかもしれない。

 笙悧はショーケースの前まで行くと、3段の1段目・2段目に並んだケーキ、3段目の箱詰めのクッキーやパイを見渡す。


 奥のイートインスペースを見る。
 おしゃべりしながら、編み物をしているおばあちゃんのグループに、小学生らしき男の子が一人、習っていた。
 窓際の席には、スーツの女性が一人、窓の外を眺めている。


「今日は、宇宙そら、いないんだ」
 希更は、笙悧の視線が宇宙を探していると誤解して、言った。
「そうなんですか」
 口では、そうこたえて、心の中では「ここに来たのは、そうじゃないんです!」と、笙悧は叫んでいた。


 悪いクチコミの原因を、笙悧は自分の目で確認していた。
 開店したばかりの時間だからだが、ケーキは、いろんな種類が、ぎっしり並んでいる。
 イートインスペースで、おしゃべりはしているが、「うるさい」というより、「にぎやか」という感じだ。
 ギターとピアノは、


「あの…ええと……」
 アップライトピアノから目を逸らし、笙悧はマスクの中、もごもご、言い出したが、「ネットに悪口、書かれてますよ」とは、言いづらかった。
「妹が、こちらのケーキを気に入って、お店を探すのに、ネットを見たら、そのぉ……」
 結局、言葉に詰まってしまった。


「ああ、あれね」
 希更は、うんざりした顔で、ショーケースに両肘をつき、両手で頬杖をした。
「今年の3月に、ちょっとテレビに出てね。その後、すんごいお客さんが来たわけよ」

 巌が悲し気なギターを弾き始めて、思わず笙悧は振り返った。

 ぶんっ!とくうを切る音がしそうな勢いで振り返った笙悧の気持ちも知らず、巌は「え?何?」と、メガネの奥から、きょとんと見返した。

「それですよ!それ!」と、笙悧は言いたかったが、言えなくて、希更の方に向き直った。

 両手で頬杖をついている希更は「あれよね、あれ、あれ」と、笙悧の気持ちをわかってくれている目をして、話を続けた。
「こ~んな、ちっちゃ~なお店に、た~くさん、押し寄せられちゃったらね。ケーキは、すぐに売り切れちゃうし、イートインスペースなんか、入れないわけよ。元々、夕方は、女子高生ちゃんたちと、近所の子ども専用スペースだし。あっとゆー間に、ネットに悪評が積み上がって、しゅわわわわ~と、お客さん、いなくなっちゃった」

「そんな……ひどい……」
「イワシの頭とヒイラギ。」
「はははははは」
 希更の言葉に、巌はギターのボディをリズミカルに叩いて、ウケる。

「若い子は、知らないかな?節分の。」
「すみません」
 両手で頬杖をついたまま、小首を傾げる希更に、笙悧は謝った。

「わたしだって、知ってるだけで、やったことはないんだけど。――家の前に、イワシの頭にヒイラギ刺して、吊るしておくと、鬼は、イワシが臭くて、ヒイラギのトゲトゲが嫌で、入って来られないんだって。そんな感じ。」
 希更は両腕を大きく広げてみせた。
「悪評のおかげで、このお店に、ヘンな人たちが群がることがないんだから、逆に守られてるとも言える」

 楽し気なギターを巌が奏で始めると、また希更は、うんざりした顔で、ショーケースに肘をつき、両手で頬杖をした。
「そこにいる人のギターやピアノや歌が、うるさい。ってのは、本当だけど。」
「巌くんの下手なギターと歌、聞かないと、編み物も、進まないわよ」
「そうそう」
 イートインスペースのおばあちゃんたちから声がかかる。

 巌は椅子を立ち、手を上げて、こたえる。
「ありがとう。ありがとう~」
 返って来たのは、拍手ではなく、笑い声だった。
 笙悧も、いっしょに笑ってしまった。


 ぼくなんかが心配することもなかったな…と、笙悧は思った。
 ネットに書き込まれた、誰が書いたのかもわからない「本当のこと」を信じるんじゃなく、ちゃんと「本当のこと」を知ってる人たちが、ここにはいる。


「ありがとね。心配して、来てくれた?」
 希更に感謝されてしまって、笙悧は、マスクの中、もごもご、答えた。
「ええ、まあ…」
「いや~ん。泣いちゃう~。好きなだけ買って行って!!」
 希更は、また両腕を大きく広げてみせた。


 昨夜、売り切れていて、なかったケーキを笙悧は買って帰った。
――ショートケーキは、買わなかった。

 セックスした次の日は、体に残った記憶が生々しくて、お兄ちゃんに会うのは、恥ずかしかった。



「宇宙は、ここには、来たり来なかったりだから、そのうち、会えると思う」
 希更は、おつりとレシートを渡して、笙悧に言った。

「ここで、働いていらっしゃるんじゃないんですね」
「そうね。いれば、コキ使う。――お買い上げ、ありがとうございます」
「そうなんですか」
 笙悧は、希更から、ケーキの箱を受け取った。

「昨日も、喫茶店で、彼氏が、彼女のお誕生日、すっかり忘れてて、ケンカになっちゃってるのを、店長さんが止めようと、バースデーケーキの注文が来て、速攻、お誕生日仕様にデコレーションして、宇宙に、裏口から持って行ってもらったんだよねぅぶぶ」
 希更の思い出し笑いは、笙悧が宇宙に、おんぶされて登場したことにちがいなかった。

 笙悧は恥ずかしさに、頬が熱くなって、うつむくように頭を下げた。
「本当に、いろいろとありがとうございました」
 顔は上げたけれど、希更と真っすぐに目を合わせられなかった。

「いいえ。そのうち、宇宙には会えると思うよ」
「はい。では、今日は、これで失礼します」
「こちらこそ、心配してくれて、ほんとに、ありがとね」
「いいえ。そんな…」
 笙悧は、マスクの中、もごもご、言って、後退りして、回れ右をした。
 自動ドアの右側、ギターを抱えて椅子に座るいわおにも、笙悧は、お礼を言って、店を出た。 




「考えてみたら、予備校が終わる時間には、お店、閉まってるんだよ~。コンビニの秋限定スイーツも、相変わらず、売り切れてるし~。受験勉強で疲れてる私の脳細胞に、癒しを!!」
 夜。家に帰って、騒々しく、両手を上げてリビングルームに入って来た妹の琴音ことねに、笙悧は言った。
「ぽぽんたのケーキ、冷蔵庫にあるよ」
「お兄さまぁぁぁぁぁ」
 琴音は、ひざまずき、上げた両手を下げて上げて下げて、笙悧あがたてまつった。

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