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ご家庭のご事情
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「お兄ちゃん?!」
笙悧は叫ぶ。
「お兄ちゃん?!」
全員が叫んだ。
自動ドアの横に立つ、前髪を七三に分け、地味な色のスーツを着て、ビジネスバッグを持った暖は、苦笑する。
「お兄ちゃん?!」と叫んだままの表情の宇宙に、暖は軽く頭を下げた。
「あ。いらっしゃいませ」
宇宙は頭を下げる。
暖は自動ドアの横から歩き出し、アップライトの前の長椅子に座る笙悧の後ろに立った。
「お兄ちゃん、どうして、ここに…」
笙悧は座ったままで、暖を見上げる。
――お兄ちゃんが、ここに突然、現れたことじゃなく、ピアノを弾いているところを見られてしまって、自分の心臓が跳ね上がっていることは、笙悧は、わかっていた。
「実の兄弟ではないのですが、」
暖が、イートインスペースに向かって説明を始めると、希更は両手を突き出し、ぶるぶる、振った。
「いいです、いいです。ご家庭のご事情は、お話しにならなくても。」
他の客たちも、うんうん、うなずく。
暖は、首を横に振った。
「そんな複雑な関係ではありません。――同じマンションに住んでいて、子どもの頃から仲がよくて、『お兄ちゃん』と呼んでくれているんです」
希更は、はぁぁぁと、ため息をつき、両腕を下ろした。
「そうなんですか。わたし、びっくりしちゃった。『実の兄弟ではない』なんて言うから。」
他の客たちも、うんうん、うなずく。
「すみません。言い方が、よくなかったですね」
暖は、イートインスペースに向かって、謝罪の微笑みを振りまいた。
「笙悧が持って来てくれた、こちらのケーキが美味しくて、買いに来たんです」
「あ~、そうだったんですね」
希更はイートインスペースの椅子を立ち、ショーケースの向こうに戻る。
ショーケースの前へ行こうとする暖に、笙悧は言った。
「ケーキなら、買った」
「ショートケーキ?」
暖に聞かれて、笙悧はうなずいた。
お兄ちゃんといっしょに、家に帰ろう。
うなずいたまま、下を向いて笙悧は、端に置いたカーディガンを取り上げ、長椅子から立ち上がりながら、羽織る。
「帰ります」
「そう?――ねえ、笙悧くん」
希更は、笙悧に話しかけた。
「ごめん。さっき、言ったこと。気、遣って、ケーキ買わなくっても、ここに来てくれていいんだよ。宇宙なんて、何にも買わないで、いっつも、そこにいるし。」
「働いてるじゃん」
「はい」
笙悧の、希更への返事は、宇宙の反論にかき消された。
笙悧は顔を上げられずに、イートインスペースへ行って、椅子に置かれたリュックを背負い、テーブルの上のケーキの箱を取り上げる。
心配顔で希更は、笙悧を目で追っている。
「失礼します」
笙悧は顔を上げないまま、希更に言って、出口の自動ドアへ向かって歩く。
暖は、自分の前を笙悧が行き過ぎると、希更に向かって言った。
「先日も、ありがとうございます」
希更は、その言い方で、笙悧が暖に話したことを悟って、小さく頭を横に振った。
暖は黒い革靴の爪先を返して、笙悧の後を歩き、自動ドアの右側にいる宇宙にも言う。
「先日は、ありがとうございます」
宇宙も、頭を横に振った。
自分の前を歩いて行く笙悧と、暖を、真っすぐに見ていた。
自動ドアが開き、笙悧は店を出た。
もう、ここには来ない。
笙悧は叫ぶ。
「お兄ちゃん?!」
全員が叫んだ。
自動ドアの横に立つ、前髪を七三に分け、地味な色のスーツを着て、ビジネスバッグを持った暖は、苦笑する。
「お兄ちゃん?!」と叫んだままの表情の宇宙に、暖は軽く頭を下げた。
「あ。いらっしゃいませ」
宇宙は頭を下げる。
暖は自動ドアの横から歩き出し、アップライトの前の長椅子に座る笙悧の後ろに立った。
「お兄ちゃん、どうして、ここに…」
笙悧は座ったままで、暖を見上げる。
――お兄ちゃんが、ここに突然、現れたことじゃなく、ピアノを弾いているところを見られてしまって、自分の心臓が跳ね上がっていることは、笙悧は、わかっていた。
「実の兄弟ではないのですが、」
暖が、イートインスペースに向かって説明を始めると、希更は両手を突き出し、ぶるぶる、振った。
「いいです、いいです。ご家庭のご事情は、お話しにならなくても。」
他の客たちも、うんうん、うなずく。
暖は、首を横に振った。
「そんな複雑な関係ではありません。――同じマンションに住んでいて、子どもの頃から仲がよくて、『お兄ちゃん』と呼んでくれているんです」
希更は、はぁぁぁと、ため息をつき、両腕を下ろした。
「そうなんですか。わたし、びっくりしちゃった。『実の兄弟ではない』なんて言うから。」
他の客たちも、うんうん、うなずく。
「すみません。言い方が、よくなかったですね」
暖は、イートインスペースに向かって、謝罪の微笑みを振りまいた。
「笙悧が持って来てくれた、こちらのケーキが美味しくて、買いに来たんです」
「あ~、そうだったんですね」
希更はイートインスペースの椅子を立ち、ショーケースの向こうに戻る。
ショーケースの前へ行こうとする暖に、笙悧は言った。
「ケーキなら、買った」
「ショートケーキ?」
暖に聞かれて、笙悧はうなずいた。
お兄ちゃんといっしょに、家に帰ろう。
うなずいたまま、下を向いて笙悧は、端に置いたカーディガンを取り上げ、長椅子から立ち上がりながら、羽織る。
「帰ります」
「そう?――ねえ、笙悧くん」
希更は、笙悧に話しかけた。
「ごめん。さっき、言ったこと。気、遣って、ケーキ買わなくっても、ここに来てくれていいんだよ。宇宙なんて、何にも買わないで、いっつも、そこにいるし。」
「働いてるじゃん」
「はい」
笙悧の、希更への返事は、宇宙の反論にかき消された。
笙悧は顔を上げられずに、イートインスペースへ行って、椅子に置かれたリュックを背負い、テーブルの上のケーキの箱を取り上げる。
心配顔で希更は、笙悧を目で追っている。
「失礼します」
笙悧は顔を上げないまま、希更に言って、出口の自動ドアへ向かって歩く。
暖は、自分の前を笙悧が行き過ぎると、希更に向かって言った。
「先日も、ありがとうございます」
希更は、その言い方で、笙悧が暖に話したことを悟って、小さく頭を横に振った。
暖は黒い革靴の爪先を返して、笙悧の後を歩き、自動ドアの右側にいる宇宙にも言う。
「先日は、ありがとうございます」
宇宙も、頭を横に振った。
自分の前を歩いて行く笙悧と、暖を、真っすぐに見ていた。
自動ドアが開き、笙悧は店を出た。
もう、ここには来ない。
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