βなんか好きにならない

切羽未依

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息継ぎ

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 練習をめさせたのは、希更きさらの声だった。
「はいは~い、おやつにしましょ~。休憩~」
 パチパチ、手を叩いた。


 笙悧しょうりは、はっとした。
 時間が飛んだ感覚。
 鍵盤に置いた手を引っ込めた。
「ごめんなさいっ」

 くてっと、隣の椅子に座る宇宙そらは、うなだれた。
「疲れた…」
「ごめんなさい」
 頭を下げて笙悧は、膝の上、ぎゅっと両手を握り締めた。



 練習しても練習しても練習しても練習しても先に進めなくて、はっとした瞬間には、時間が飛んでいる。

 無駄な時間に、宇宙さんを巻き込んでしまった。


 宇宙は、ジャージのファスナーを胸元まで下げる。
「何か、すごい、息、苦しいな…」
 喉をさする。

「ごめんなさい。やっぱり、ぼく、」
「笙悧くん、息、してる?」
 宇宙に聞かれても、笙悧は顔を上げられなかった。

「ゼンゼン、息継ぎ、してなくない?」
「ピアノに…息継ぎは、必要ない、です…」
 当たり前のことを、笙悧は答えた。
「そうだけど。」
 そう答えられてしまうと、宇宙は苦笑するしかない。

 うつむいたままの笙悧の青白い横顔に、宇宙は言った。
「ピアノを弾くのに、息継ぎは必要なくても、弾く人には、息継ぎ、必要でしょ。笙悧くん、息して。俺まで、苦しくなっちゃう」


 「息苦しい演奏」と非難されているとしか、笙悧には感じられなかった。


「こっち、おいで~」
 トレイを持った希更は、イートインスペースのテーブルに置いて、笙悧と宇宙に呼びかけた。
 窓も開ける。

 宇宙は、椅子を立った。
「うへえ。汗、かいた」
 汗で、太ももの後ろに張り付くジャージのズボンをつまんで、はがし、ぱたぱたしながら、笙悧の腕を掴んだ。

 笙悧が、びくっと体を震わせて、怯えた表情で見上げる。
 ぱっと、宇宙は、手を離した。
「っあ、ごめん。つい。」

 笙悧の怯えた表情に、宇宙は下手くそな作り笑顔で、言う。
「休憩しよ。」
「ぼくは…」
 うつむいて、首を横に振った。

 うつむいた笙悧の視線の先、宇宙の履き古したスニーカーが離れて行った。



 やっぱり、ぼくの演奏は、ダメなんだ。



 甘い、いい匂いがして、うつむいている笙悧の視線の前に、赤鼻のトナカイが出現した。
「ぅぷっ」
 思わず笙悧は、笑ってしまった。


 ベリージャムの、ぴかぴか光る赤鼻。
 チョコレートの、つぶらな瞳。
 ココアパウダーの毛並み。
 クッキーのトナカイのツノ


 宇宙が『赤鼻のトナカイ』を歌い出す。
 笙悧が顔を上げると、宇宙が右手に持った皿の上には、サンタのケーキがあって、歌のリズムに合わせて、ふりふりしてる。
 サンタさんに褒められて、左手に持った皿の上の赤鼻のトナカイまで、ふりふり、喜び出す。


「最後まで、歌わされると思わなかった…」
 最後まで歌い切って宇宙は、わざとらしく肩で、はあはあ、息をする。

「どこまでやるか、背中を見守ってた」
 希更が手を叩いて、イートインスペースでウケる。

「食べたかったら、こっちにおいで~」
 宇宙は、ふんふん、『赤鼻のトナカイ』を鼻歌で歌って、まるでソリを引いているように、赤鼻のトナカイを先に、その後に、サンタを付いて行かせながら、イートインスペースのテーブルまで行く。

「やりきるねえ、宇宙くん。さすが学童補助員」
 希更は手を叩く。

「こんなことやらなくたって、子どもは、お菓子に集まるって。」
 宇宙は、テーブルに、トナカイとサンタの皿を置きながら、言う。


――こんなことまで宇宙にやらせて、笙悧は行かないわけにもいかなかった。


 笙悧がイートインスペースに来ると、希更は立ち上がった。
「コーヒー?紅茶?」
 ポットがあるテーブルに置いてるフィルターコーヒーの袋を右手に、ティーパックの袋を左手に持って、笙悧に聞く。

 宇宙の隣の椅子に座りながら、笙悧は答えた。
「コーヒーでお願いします」
「俺も。」
 宇宙も言う。
「はいはいはい」
 希更は言いながら、3つのカップを置き、フィルターコーヒーをセットして、ポットのお湯を注ぐ。


 コーヒーのいい香りが満ちる。

 窓からは、変拍子の、電車が線路を走る音が聴こえて来る。


 テーブルの上のトレーには、赤鼻のトナカイが3つ、サンタが4つ、ある。
 ケーキ皿には、希更の前に、トナカイ、宇宙と笙悧の前に、トナカイとサンタ。


 コーヒーを持って来た希更に、笙悧は聞いた。
「あの…買わせてもらっていいですか?妹が、こちらのケーキ、とても気に入ってて、喜ぶと思うので。」
「ん~。ちょっと待って。味見する」
 希更は座ると、ためらいもなくフォークで、トナカイの赤鼻の下の顔半分をえぐり取って、食べた。

 笙悧は、お兄ちゃんなら、そう表現するだろうなと思って、笑いをこらえる。

 希更は、唇にシワを寄せて、とがらせる。そして、ため息をつく。
「う~ん。やっぱ、今日、ココアパウダー、かけ過ぎたなあ。お持ち帰りは無しで、お願いします」
「そうですか…」
「毛並みを追求すると、かけ過ぎて、粉っぽくなっちゃうんだよね…」
 もう一度、ため息をついて、食べる。

 宇宙は、左手でフォークを取ると、赤鼻のトナカイを、一口、食べる。もぐもぐした後、言った。
「――そうだね。大福だいふくっぽい」
「言いたい意味は、わかるけどさぁ~」
 希更は、ふくれっつらで言い返す。

 いつもにこにこしている希更さんでも、ケーキ作りに失敗すると、機嫌が悪くなるんだなあ…

 笙悧は手を合わせて、言った。
「いただきます」
 フォークを取り上げ、サンタの生クリームのひげを、たっぷりとすくって、口に入れる。


 ふわふわで、しっかりと牛乳の味がする、濃厚な生クリームが、舌の上でろける。

「美味しいです」
「サンタの方はね…」
 笙悧が言うと、希更は、トナカイの顔をフォークで、ぶすぶす、突き刺しながら、いじけてみせる。
「そういう意味じゃなくてっ」

 ケーキを食べて、青白かった笙悧の顔色に赤みが戻り、唇には笑みがあるのを見て、希更も、宇宙も、安心した。

「あ。サンタで、よかった?」
「トナカイも、いただいていいですよね?」
 宇宙に聞かれて、笙悧は、希更に確認する。
「もちろん。」
 希更は、笑顔で答える。
「どっちも食べるつもりだったか~」
 宇宙が笑う。

 笙悧は、サンタを食べ終わると、コーヒーを飲んで、口の中をリセットする。

 母親が、紅茶にこだわっているせいで、外で紅茶を飲んでも、笙悧は美味しいと思ったことがない。だから、外ではコーヒーを頼むことにしている。

 笙悧は、赤鼻のトナカイを、自分のケーキ皿に取って、食べる。
 言っているほど、ココアパウダーは、粉っぽくも、大福っぽくもなかった。
「こっちも、美味しいです」

「店長、ビーチボール、あったよね?」
 いきなり宇宙が、希更に聞いた。
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