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第1話 黒くて黒くて何もかもが真っ黒なヤツ
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広い草原。
まるで外国にでも迷い込んだのではと思うほどに、辺りには何もない。
空は暗く、ポツポツとゴマ粒のような星々が輝いていた。
私は草原に尻もちをつき、目の前に迫る岩壁が徐々にこちらに近づいてくるのをただただ見つめていた。
いや、違う。それは岩壁ではなかった。
私の目の前にいるのは……化け狐だ。
耳をつんざくような機械音が鳴り響いていた。
「ん、んあ~?」
自分の間抜けな声で、そこが部屋のベッドの上であることを認識した。
なんだか懐かしい夢を見たような気がするけれど、既に夢の内容は覚えていない。
「あやめー!」
お母さんの怒号にも似た声が部屋にまで届く。
一瞬意識が飛んでいたような気がする。
「んん……ぁぃ」
「あやめー! 遅刻するわよー!」
ちゃんと返事をしているのに、お母さんには全く届いてはいなかった。
「あやめー!」
「ああもぅ」
目覚まし時計はいつも午前7時にセットしているのだからまだ全然遅刻ではないというのに……と、時計を見ると午前7時40分。
「なんで!? ヤバッ!!!」
急いでベッドから飛び起きた。
目覚まし時計を切った後、どうやら寝落ちしてしまったようだ。一瞬どころか40分も意識が飛んでいたらしい。
「あやめやっと起きてきた。早くご飯お食べ」
「……ん」
顔を洗って多少すっきりしたが、声はまだ掠れていた。
朝食を急いで食べながらも、リビングの薄型テレビに耳を傾ける。普段は何となくニュースを聞いていただけだったけれど、その時に流れたニュースの内容には少しばかり緊張が走った。
『昨夜未明、高崎町の一軒家で眼球を抜き取られた男性の遺体が発見されました。鍵はかかっておらず、警察は殺人事件の可能性があるとみて調べを進めています』
「やだ、すぐ近くじゃない」
高崎町は、ここ『三崎町』の隣町だ。ここから自転車で10分もかからない為、この付近で起きた事件と言っても過言ではなかった。
近所で起きた殺人事件。『眼球を抜き取られた』という点で私は既視感を覚えていた。
「前にもこんな事件があったわよね」
お母さんも覚えていたみたいだ。それもそのはず、2、3年前に同じような事件が多発していた時期があり、当時は毎日のようにニュースで報道されていたのだ。中学生だった私もさすがに忘れるはずはなかった。
「あやめ、寄り道せずに帰るのよ」
お母さんは、洗い物をしながらもこちらを心配そうに見つめてくる。
まったく、お母さんは未だに私を子供扱いしてる。と思ったら、机を挟んだ向こうに立っているお父さんも頷きながら、
「そうだぞ。ちゃんと友達と一緒に帰るんだぞ」
と言う。お父さんも私を子供扱い。
「分かってるって」
話を適当に聞き流し、学校の準備を済ませて私は家を後にした。
空は晴天、賑やかな車のエンジン音、耳に刷り込まれそうな歩行者信号の音、そして時々見かける死んだ人達。
いつも通りの退屈な毎日が今日も始まる。
「あーやめっ。おはーっ」
後ろからの陽気な声。
「みか、おはよ」
烏丸みか。前髪ぱっつんツインテールの私の親友。JKといえばと聞かれれば、私はきっと烏丸みかのような人と答えるだろう。目玉焼きにかける調味料を一緒に食べる人の好みによって変えるような、そんな彼女もいつも通りの時間に私と合流する。隣にはいつも通り血まみれのおばあさんがみかを凝視しながら一緒に歩いていた。
「むふふ」
突然みかが笑い出し、私は顔を顰めた。
「何急に、気持ち悪い」
「ちょっと! マジ引きしないでよ! もしかしてあやめ、今日のこと覚えてないの?」
はて、今日何かあっただろうか。軽く見上げて考えてみるけど、特にこれといった行事はなかったはずだ。テストもなかったはずだし、体育? ううん、みかは運動が苦手だから楽しみにしている風に笑うのはおかしいし、そもそも今日は体育はない。道徳の授業もなかったはず。
「何? 今日なんかあるっけ?」
「はあぁ~~~~~~~~」
あからさまにがっかりしたため息を洩らす。
みかはきっと吹奏楽部に向いているのではなかろうか。肺活量が半端ない。
「あんたねぇ、今日はアレしようって言ってたじゃん」
「アレ?」
はて、アレとはなんだろうか。そう再び考えてみると、ひとつ心当たりがあったのを思い出す。
「もしかして、アレのこと?」
「そうだよ!」
みかは私の頭めがけて軽いチョップをお見舞いした。
やれやれ顔で私を見つめてくるけど、まさか本当にやるとは誰が思うだろうか。
「本当にやるの? こっくりさん」
「当たり前じゃん。今日は夜に学校に忍び込んでこっくりさんをする日だよ」
どんな日だよ。
確かにみかは先週くらいにそんなことを言っていた。退屈な毎日に嫌気がさしたから夜の学校に忍び込んでこっくりさんをやろう、と。まったく、夜の学校に忍び込んでこっくりさんをするなんて、本当みかはJKだよ。
隣のおばあさんもやめとけと言わんばかりに首を横に振り続けているではないか。血がびしゃびしゃ飛び散っている。
こっくりさんとは、五十音や数字などの書かれた紙の上に硬貨を置き、その上に指を乗せて霊を呼ぶいわゆる降霊術のひとつだ。遊び半分で行なってはいけないとよく聞く。降霊術といえば『ひとりかくれんぼ』なんかもそうだったかな。
降霊術というものに詳しくはないけれど、今までに死んだ人に危害を加われたことは一度だってないのだから、何が降霊されようが私達には影響はないだろう。だから降霊術自体は大した事はない。私はただ、夜にまで学校に行くのが面倒なだけなのだ。けれど、みかの頼みは断りづらい。泣きそうな目でこっちを見てくるのだから。
「はあ、仕方ないな。分かったよ。私も付き合ったげる」
そう言うと、みかはぱあっと明るい笑顔になり私に抱きついてきた。
「さっすがうちの嫁だよー」
「誰が嫁だ」
降霊術をしたことは一度もないから、実際のことは正直よく分からない。けれど、きっとなんてことはない。こっくりさんなんて皆やっている。SNSでもそんな動画を投稿している人をよく見かける。だから、何事もなく終わる。たとえ、私達の高校が死んだ人だらけだったとしても。
6月ももう少しで終わり、そろそろ夏の時期ではあるものの夜はまだまだ肌寒かった。
時刻は0時を過ぎたあたり。こんな夜中に外に出るのは初めてだった。お母さんは寝るのが早いから、家をこっそり抜け出すのはそう難しくはなかった。上下グレーのスウェットで合わせた、近所のコンビニに行くような服装で私は夜の高校へ向かった。途中、高校近くのコンビニで合流したみかに「ヒッキーみたい」と笑われた。ヒッキーって誰だよ。
「それで、なんで裏門からなの? 真夜中だから正門からでも大丈夫でしょ」
「ちっちっち、ダメなんだよ。いいかい? 正門には監視カメラがあるんだよ。昔、野良犬が学校に入ってきてたらしくて、用務員さんがたまたまその犬を見かけてそれ以降監視カメラを設置するようになったんだってさ」
「へぇ」
私が思っていた以上にみかは下調べをちゃんとしていたみたいで、正直感心した。けれど、赤のパーカーに黒のショートパンツのラフな格好の彼女だが、パーカーが蛍光色の赤な為にめちゃめちゃ目立つのが少し不安だ。
裏門は私達よりも背の低い小さな柵があっただけで、監視カメラも特にはなかった。柵を乗り越えて高校の中へと入る。
「どこでするの?」
「うーん。やっぱりうちらの教室かなあ」
私達は2階の2年3組の教室へと向かった。
「どうしたの? あやめ、なんかめちゃくちゃきょろきょろしてる。ひょっとして怖いの?」
ケタケタと笑うみか。
別に怖いわけじゃない。けど、妙に死んだ人が多くて困惑しているのだ。昼間よりも明らかに数が多い。
廊下でしゃがんでいるおじいさんはいつもいる。トイレの洗面台の鏡に顔を打ち付けている女の人もいつもいる。1階の教室の黒板に張り付いていたおじさんは初めて見る人だったし、私達が歩いている少し先の廊下の天井に異様に長い手が垂れ下がっているのも初めてだった。
夜の学校は初めてだったけど、まさか増えているなんて思いもしなかった。
短くため息を吐いて、私は視えないふりをした。そこらじゅうにいるから視続けると目が回って気持ちが悪くなるのだ。それに、みかを怯えさせたくない。
「別に怖くないよ」
ふふふ、と含み笑いを見せるみかは「ここだけの話だけど」と前置きして語る。
「去年、2年の担任の先生がひとり辞めたの覚えてる?」
「あー、そういえばなんか急に辞めたらしいね」
「あれね、実はいじめられてたんだって」
「いじめ?」
「そう。当時の生徒達からいじめを受けてたって。詳しくは知らないけど、ひどいこと色々されてたみたいで、それで鬱になって辞めちゃったって」
生徒だけじゃなく教師までもがいじめられる時代が来ているなんて、ほんと……最低。
みかは続ける。
「その先生、噂じゃ辞めた1週間後に家で首を吊って自殺したんだって」
「死んだの……?」
「うん。2年3組、去年その先生が担当していた教室らしいよ」
「そう、だったんだ」
これからこっくりさんをする予定の教室の元担任の先生がいじめを苦にして自殺をした。怖がらせる為にみかは話したんだと思う。けれど、みかの表情はあまりにも辛そうだった。そう、みかは目玉焼きにかける調味料を一緒に食べる人の好みによって変えるような子。自分よりも他人に共感してしまう子なのだ。
2年3組に着くと早速みかはお手製の五十音の書かれた紙を机に置いた。辺りを見るが、どうやらこの教室には誰もいないようだ。
「さてと! それで、どうするのかな~」
みかはスマホを取り出してこっくりさんの手順を検索し始めた。学校の下調べはちゃんとしていたくせに肝心のこっくりさんに対しての下調べは皆無だった。
「ふんふん、なるほどなるほど」
スマホ画面の明かりが反射して、みかのパーカーが神々しく輝いていた。んん、まぶしいな。
「えーっと、まずは……鳥居の上に硬貨を置いて……、あやめ硬貨プリーズ!」
「……あんたねぇ」
こいつ、財布すらも持ってきてないな絶対。まったく……。
ポケットから財布を取り出し、中から10円玉を1枚みかに手渡す。
「さんきゅ! えーっと、鳥居の上に硬貨を……、鳥居鳥居……。あやめ、これどうすんの?」
五十音しか書かれていない紙の上で鳥居を探すみかの頭をコツンとしばいた。
「あだっ!」
「ちゃんと調べてからしろっての!」
頬を膨らますみかを横目に私は黒板のチョークを持ってきて、紙にあと必要なものを書き加える。五十音の上の空いたスペースに鳥居のマークとその両横に『はい』と『いいえ』を、五十音の下の空いたスペースに1~9までの数字と0を書く。そして、みかの手から10円玉を奪い取って鳥居の上にセット。
「はい、オーケー」
「……あ、あざっすあやめパイセン」
睨みつけるとみかは猫のように縮こまり、再びスマホに目を落とす。
「次は~、硬貨の上に人差し指を乗せて『こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。もしおいでになられましたら[はい]へお進みください』って言うんだって」
始める前から既にため息が洩れてしまう。本当にみかの適当さにはやれやれだ。
ふと、どこかから気配のようなものを感じて教室内を見回してみるけど、誰もいない。気のせいかな。
紙を見つめるみかに視線を戻すと、その視線に気づいたみかも私に目を向けた。
「じゃあ、始めるよ」
「うん」
10円玉の上にお互い人差し指を乗せる。そして、
「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでくださ……、あやめ? ちょっとどうしたの!?」
……なんだあれ。
「あやめ!? ねえ、どうしたの? 大丈夫?」
みかの声は聞こえていた。けれど、私はそれに返事をすることができなかった。
みかの後ろ、教室の隅から滲み出てきた何かに呆気にとられていたからだ。
黒くて、どろどろした何かが……。
「あれは、何……」
「あれって? ……何が? ねえあやめ! 何もないって! いったい何を見てるの!」
後ろを振り返るみかはすぐに私に向き直る。この子には視えていないみたいだ。
……あれ? そうだ。なんで今頃気づいたんだろう。この教室には誰もいなかった。入ってきてから死んだ人は誰も視ていない。……みかの隣にいたおばあさんは? どこに消えた?
ああ、なんかやばい。ここは危険だ。
私の中の何かがそう告げた。
「みか……逃げるよ!」
「え!? ちょ、あやめ!? い、痛いって!」
みかの腕を引っ張り、私は急いで2年3組から逃げ出した。その瞬間、黒い何かが勢いよく飛び出したのを視界に捉えた。
階段を降り、1階の廊下の突き当たりで一度立ち止まる。ここまでが走る限界だった。深呼吸して、息を整える。みかも膝に手を置いて、絶え絶えの息を吐き続けていた。
「あ、あやめぇ……、ほんとに、どう…したのよ。はぁ、はぁ、きゅ、急に顔色悪くなって……かと思えばいきなり走るんだもん。……どういうことか説明してよ」
「ごめん。けど、あそこは──」
気づけば、あの黒いヤツが廊下を走ってきていた。
ああもう! 説明している暇さえ与えてくれない。
「なんなんだよあれは!」
「……あやめ」
急に叫んだせいでみかは怯えていた。みかの手をぎゅっと握る。
「ごめんみか。あとで説明するから、今は私の言う通りにして」
「……わかった」
みかはまだ納得はしていない様子だったけど、手を握り返してくれた。
心の中で「ありがと」と呟き、黒いヤツに目を向ける。
真っ直ぐに私達の方に来ている。あれが何なのか、じっと目を凝らしてみるもとにかく真っ黒で全くわからない。ただ、走ってきているのはなんとなくわかる。
「みか、走るよ」
「うん」
再び、みかを連れて走り出す。出口に向かって走る。
こんなに全力で走るのはいつぶりだろか。外の街灯と月明かりだけを頼りに、出口を目指す。
途中、何度か死んだ人を見かけたけどその皆が黒いヤツに怯えて縮こまっていた。いったいあれは……。
「あっ」
「あやめ! きゃあっ」
走っている最中、豪快にこけてしまった。全力で走っていたせいで転んだ勢いは凄まじく、手を繋いでいたみかまで巻き込んでしまった。
身体がズキズキと痛む。暗くてわからないけれど、きっと血が出ている。膝と手のひらに鋭い痛みが走った。
「あやめ! 大丈夫!?」
みかはすぐに起き上がって私に駆け寄った。
「大丈夫。みかは?」
「うちは平気。それより今、あやめ誰かに引っ張られたように見えたんだけど」
みかの言う通り、今私はあいつに引っ張られた。天井から伸びた異様に長い手、2階にいたはずのあの手に足首を掴まれた。
暗くてはっきりとは見えないけど、今も天井から伸びている。ひらひらと手を振っている。まるで馬鹿にしているみたいだ。
みかは自身の身体を抱きしめ、怪訝な表情を浮かべている。
きっとみかは気づいている。私が何から逃げているのか。私を引っ張ったのが何なのか。
ふっと、みかの背景が真っ黒に染まった。
「みか……走って!」
「え?」
「いいから走って!」
「いや! あやめを置いては行かないから!」
みかは首を左右に振った。そして私の目を真っ直ぐに見つめる。唇を噛み締めて、じっと見つめる。
……どうしよう。もう間に合わない。真っ黒なあいつに呑み込まれる。どうなるかはわからない。だけど、無事じゃ済まないのははっきりとわかる。
「みか、私の後ろに来て」
「いや! 隣にいるから」
「頑固なやつ」
「あやめもでしょ」
こんな状況でも、なぜかフッと笑みが溢れてしまう。
と、突然右目に焼けるような痛みが走った。
「いっ、あ゛あ゛ああっ」
なんだこれ、右目が熱い。
「あやめ!!」
何が起きた? 熱くて痛くてたまらない。
荒い呼吸が遠くから聞こえてくる。みか? ううん、違う。私の呼吸だ。まるで他人のように聞こえてくる。
思考が追いつかない。考えがまとまらない。痛みがおさまらない。みかが何かを叫んでいるけど、私の耳には届いてこない。
……ああ、だんだんと痛みがおさまってきた。
力も抜けて……、身体がぽかぽかと暖かくなってきた。
意識が……遠のいていく。
目を開くと、見知らぬ天井があった。
どうやら、どこか部屋のベッドの上らしい。
「あやめ!? ああ、よかった。目が覚めたぁ」
視界を覆うように、みかの顔が現れた。私の頬に冷たい水滴がこぼれた。
……ああ、みか無事だったんだ。よかった。
「……ここは?」
「大丈夫、病院だよ」
ん、何か違和感がある。
自分の顔に手を当ててみる。すると、ザラザラした感触があった。すぐにそれが包帯なのだとわかった。そして、その包帯が何を覆っているのかも理解できた。
「私の右目は……」
みかは顔を伏せて、言葉を詰まらせていた。
「右目だけで済んでよかったね」
みかじゃない別の人の声が、みかの代わりに答えてくれた。
みかの後ろに誰かいる。
私達と同い年くらいの女の子。黒のライダースジャケットにだぼっとした青ジーンズを穿いた赤毛のボブヘアーの女の子。
「あなたは……?」
「ちっ」
今明らかに舌打ちされた。私を目の敵にするような目で睨みつけてきたその女の子は、一歩前へ出ると鼻を鳴らした。
「あたしは赤川凛子。探偵だよ」
まるで外国にでも迷い込んだのではと思うほどに、辺りには何もない。
空は暗く、ポツポツとゴマ粒のような星々が輝いていた。
私は草原に尻もちをつき、目の前に迫る岩壁が徐々にこちらに近づいてくるのをただただ見つめていた。
いや、違う。それは岩壁ではなかった。
私の目の前にいるのは……化け狐だ。
耳をつんざくような機械音が鳴り響いていた。
「ん、んあ~?」
自分の間抜けな声で、そこが部屋のベッドの上であることを認識した。
なんだか懐かしい夢を見たような気がするけれど、既に夢の内容は覚えていない。
「あやめー!」
お母さんの怒号にも似た声が部屋にまで届く。
一瞬意識が飛んでいたような気がする。
「んん……ぁぃ」
「あやめー! 遅刻するわよー!」
ちゃんと返事をしているのに、お母さんには全く届いてはいなかった。
「あやめー!」
「ああもぅ」
目覚まし時計はいつも午前7時にセットしているのだからまだ全然遅刻ではないというのに……と、時計を見ると午前7時40分。
「なんで!? ヤバッ!!!」
急いでベッドから飛び起きた。
目覚まし時計を切った後、どうやら寝落ちしてしまったようだ。一瞬どころか40分も意識が飛んでいたらしい。
「あやめやっと起きてきた。早くご飯お食べ」
「……ん」
顔を洗って多少すっきりしたが、声はまだ掠れていた。
朝食を急いで食べながらも、リビングの薄型テレビに耳を傾ける。普段は何となくニュースを聞いていただけだったけれど、その時に流れたニュースの内容には少しばかり緊張が走った。
『昨夜未明、高崎町の一軒家で眼球を抜き取られた男性の遺体が発見されました。鍵はかかっておらず、警察は殺人事件の可能性があるとみて調べを進めています』
「やだ、すぐ近くじゃない」
高崎町は、ここ『三崎町』の隣町だ。ここから自転車で10分もかからない為、この付近で起きた事件と言っても過言ではなかった。
近所で起きた殺人事件。『眼球を抜き取られた』という点で私は既視感を覚えていた。
「前にもこんな事件があったわよね」
お母さんも覚えていたみたいだ。それもそのはず、2、3年前に同じような事件が多発していた時期があり、当時は毎日のようにニュースで報道されていたのだ。中学生だった私もさすがに忘れるはずはなかった。
「あやめ、寄り道せずに帰るのよ」
お母さんは、洗い物をしながらもこちらを心配そうに見つめてくる。
まったく、お母さんは未だに私を子供扱いしてる。と思ったら、机を挟んだ向こうに立っているお父さんも頷きながら、
「そうだぞ。ちゃんと友達と一緒に帰るんだぞ」
と言う。お父さんも私を子供扱い。
「分かってるって」
話を適当に聞き流し、学校の準備を済ませて私は家を後にした。
空は晴天、賑やかな車のエンジン音、耳に刷り込まれそうな歩行者信号の音、そして時々見かける死んだ人達。
いつも通りの退屈な毎日が今日も始まる。
「あーやめっ。おはーっ」
後ろからの陽気な声。
「みか、おはよ」
烏丸みか。前髪ぱっつんツインテールの私の親友。JKといえばと聞かれれば、私はきっと烏丸みかのような人と答えるだろう。目玉焼きにかける調味料を一緒に食べる人の好みによって変えるような、そんな彼女もいつも通りの時間に私と合流する。隣にはいつも通り血まみれのおばあさんがみかを凝視しながら一緒に歩いていた。
「むふふ」
突然みかが笑い出し、私は顔を顰めた。
「何急に、気持ち悪い」
「ちょっと! マジ引きしないでよ! もしかしてあやめ、今日のこと覚えてないの?」
はて、今日何かあっただろうか。軽く見上げて考えてみるけど、特にこれといった行事はなかったはずだ。テストもなかったはずだし、体育? ううん、みかは運動が苦手だから楽しみにしている風に笑うのはおかしいし、そもそも今日は体育はない。道徳の授業もなかったはず。
「何? 今日なんかあるっけ?」
「はあぁ~~~~~~~~」
あからさまにがっかりしたため息を洩らす。
みかはきっと吹奏楽部に向いているのではなかろうか。肺活量が半端ない。
「あんたねぇ、今日はアレしようって言ってたじゃん」
「アレ?」
はて、アレとはなんだろうか。そう再び考えてみると、ひとつ心当たりがあったのを思い出す。
「もしかして、アレのこと?」
「そうだよ!」
みかは私の頭めがけて軽いチョップをお見舞いした。
やれやれ顔で私を見つめてくるけど、まさか本当にやるとは誰が思うだろうか。
「本当にやるの? こっくりさん」
「当たり前じゃん。今日は夜に学校に忍び込んでこっくりさんをする日だよ」
どんな日だよ。
確かにみかは先週くらいにそんなことを言っていた。退屈な毎日に嫌気がさしたから夜の学校に忍び込んでこっくりさんをやろう、と。まったく、夜の学校に忍び込んでこっくりさんをするなんて、本当みかはJKだよ。
隣のおばあさんもやめとけと言わんばかりに首を横に振り続けているではないか。血がびしゃびしゃ飛び散っている。
こっくりさんとは、五十音や数字などの書かれた紙の上に硬貨を置き、その上に指を乗せて霊を呼ぶいわゆる降霊術のひとつだ。遊び半分で行なってはいけないとよく聞く。降霊術といえば『ひとりかくれんぼ』なんかもそうだったかな。
降霊術というものに詳しくはないけれど、今までに死んだ人に危害を加われたことは一度だってないのだから、何が降霊されようが私達には影響はないだろう。だから降霊術自体は大した事はない。私はただ、夜にまで学校に行くのが面倒なだけなのだ。けれど、みかの頼みは断りづらい。泣きそうな目でこっちを見てくるのだから。
「はあ、仕方ないな。分かったよ。私も付き合ったげる」
そう言うと、みかはぱあっと明るい笑顔になり私に抱きついてきた。
「さっすがうちの嫁だよー」
「誰が嫁だ」
降霊術をしたことは一度もないから、実際のことは正直よく分からない。けれど、きっとなんてことはない。こっくりさんなんて皆やっている。SNSでもそんな動画を投稿している人をよく見かける。だから、何事もなく終わる。たとえ、私達の高校が死んだ人だらけだったとしても。
6月ももう少しで終わり、そろそろ夏の時期ではあるものの夜はまだまだ肌寒かった。
時刻は0時を過ぎたあたり。こんな夜中に外に出るのは初めてだった。お母さんは寝るのが早いから、家をこっそり抜け出すのはそう難しくはなかった。上下グレーのスウェットで合わせた、近所のコンビニに行くような服装で私は夜の高校へ向かった。途中、高校近くのコンビニで合流したみかに「ヒッキーみたい」と笑われた。ヒッキーって誰だよ。
「それで、なんで裏門からなの? 真夜中だから正門からでも大丈夫でしょ」
「ちっちっち、ダメなんだよ。いいかい? 正門には監視カメラがあるんだよ。昔、野良犬が学校に入ってきてたらしくて、用務員さんがたまたまその犬を見かけてそれ以降監視カメラを設置するようになったんだってさ」
「へぇ」
私が思っていた以上にみかは下調べをちゃんとしていたみたいで、正直感心した。けれど、赤のパーカーに黒のショートパンツのラフな格好の彼女だが、パーカーが蛍光色の赤な為にめちゃめちゃ目立つのが少し不安だ。
裏門は私達よりも背の低い小さな柵があっただけで、監視カメラも特にはなかった。柵を乗り越えて高校の中へと入る。
「どこでするの?」
「うーん。やっぱりうちらの教室かなあ」
私達は2階の2年3組の教室へと向かった。
「どうしたの? あやめ、なんかめちゃくちゃきょろきょろしてる。ひょっとして怖いの?」
ケタケタと笑うみか。
別に怖いわけじゃない。けど、妙に死んだ人が多くて困惑しているのだ。昼間よりも明らかに数が多い。
廊下でしゃがんでいるおじいさんはいつもいる。トイレの洗面台の鏡に顔を打ち付けている女の人もいつもいる。1階の教室の黒板に張り付いていたおじさんは初めて見る人だったし、私達が歩いている少し先の廊下の天井に異様に長い手が垂れ下がっているのも初めてだった。
夜の学校は初めてだったけど、まさか増えているなんて思いもしなかった。
短くため息を吐いて、私は視えないふりをした。そこらじゅうにいるから視続けると目が回って気持ちが悪くなるのだ。それに、みかを怯えさせたくない。
「別に怖くないよ」
ふふふ、と含み笑いを見せるみかは「ここだけの話だけど」と前置きして語る。
「去年、2年の担任の先生がひとり辞めたの覚えてる?」
「あー、そういえばなんか急に辞めたらしいね」
「あれね、実はいじめられてたんだって」
「いじめ?」
「そう。当時の生徒達からいじめを受けてたって。詳しくは知らないけど、ひどいこと色々されてたみたいで、それで鬱になって辞めちゃったって」
生徒だけじゃなく教師までもがいじめられる時代が来ているなんて、ほんと……最低。
みかは続ける。
「その先生、噂じゃ辞めた1週間後に家で首を吊って自殺したんだって」
「死んだの……?」
「うん。2年3組、去年その先生が担当していた教室らしいよ」
「そう、だったんだ」
これからこっくりさんをする予定の教室の元担任の先生がいじめを苦にして自殺をした。怖がらせる為にみかは話したんだと思う。けれど、みかの表情はあまりにも辛そうだった。そう、みかは目玉焼きにかける調味料を一緒に食べる人の好みによって変えるような子。自分よりも他人に共感してしまう子なのだ。
2年3組に着くと早速みかはお手製の五十音の書かれた紙を机に置いた。辺りを見るが、どうやらこの教室には誰もいないようだ。
「さてと! それで、どうするのかな~」
みかはスマホを取り出してこっくりさんの手順を検索し始めた。学校の下調べはちゃんとしていたくせに肝心のこっくりさんに対しての下調べは皆無だった。
「ふんふん、なるほどなるほど」
スマホ画面の明かりが反射して、みかのパーカーが神々しく輝いていた。んん、まぶしいな。
「えーっと、まずは……鳥居の上に硬貨を置いて……、あやめ硬貨プリーズ!」
「……あんたねぇ」
こいつ、財布すらも持ってきてないな絶対。まったく……。
ポケットから財布を取り出し、中から10円玉を1枚みかに手渡す。
「さんきゅ! えーっと、鳥居の上に硬貨を……、鳥居鳥居……。あやめ、これどうすんの?」
五十音しか書かれていない紙の上で鳥居を探すみかの頭をコツンとしばいた。
「あだっ!」
「ちゃんと調べてからしろっての!」
頬を膨らますみかを横目に私は黒板のチョークを持ってきて、紙にあと必要なものを書き加える。五十音の上の空いたスペースに鳥居のマークとその両横に『はい』と『いいえ』を、五十音の下の空いたスペースに1~9までの数字と0を書く。そして、みかの手から10円玉を奪い取って鳥居の上にセット。
「はい、オーケー」
「……あ、あざっすあやめパイセン」
睨みつけるとみかは猫のように縮こまり、再びスマホに目を落とす。
「次は~、硬貨の上に人差し指を乗せて『こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。もしおいでになられましたら[はい]へお進みください』って言うんだって」
始める前から既にため息が洩れてしまう。本当にみかの適当さにはやれやれだ。
ふと、どこかから気配のようなものを感じて教室内を見回してみるけど、誰もいない。気のせいかな。
紙を見つめるみかに視線を戻すと、その視線に気づいたみかも私に目を向けた。
「じゃあ、始めるよ」
「うん」
10円玉の上にお互い人差し指を乗せる。そして、
「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでくださ……、あやめ? ちょっとどうしたの!?」
……なんだあれ。
「あやめ!? ねえ、どうしたの? 大丈夫?」
みかの声は聞こえていた。けれど、私はそれに返事をすることができなかった。
みかの後ろ、教室の隅から滲み出てきた何かに呆気にとられていたからだ。
黒くて、どろどろした何かが……。
「あれは、何……」
「あれって? ……何が? ねえあやめ! 何もないって! いったい何を見てるの!」
後ろを振り返るみかはすぐに私に向き直る。この子には視えていないみたいだ。
……あれ? そうだ。なんで今頃気づいたんだろう。この教室には誰もいなかった。入ってきてから死んだ人は誰も視ていない。……みかの隣にいたおばあさんは? どこに消えた?
ああ、なんかやばい。ここは危険だ。
私の中の何かがそう告げた。
「みか……逃げるよ!」
「え!? ちょ、あやめ!? い、痛いって!」
みかの腕を引っ張り、私は急いで2年3組から逃げ出した。その瞬間、黒い何かが勢いよく飛び出したのを視界に捉えた。
階段を降り、1階の廊下の突き当たりで一度立ち止まる。ここまでが走る限界だった。深呼吸して、息を整える。みかも膝に手を置いて、絶え絶えの息を吐き続けていた。
「あ、あやめぇ……、ほんとに、どう…したのよ。はぁ、はぁ、きゅ、急に顔色悪くなって……かと思えばいきなり走るんだもん。……どういうことか説明してよ」
「ごめん。けど、あそこは──」
気づけば、あの黒いヤツが廊下を走ってきていた。
ああもう! 説明している暇さえ与えてくれない。
「なんなんだよあれは!」
「……あやめ」
急に叫んだせいでみかは怯えていた。みかの手をぎゅっと握る。
「ごめんみか。あとで説明するから、今は私の言う通りにして」
「……わかった」
みかはまだ納得はしていない様子だったけど、手を握り返してくれた。
心の中で「ありがと」と呟き、黒いヤツに目を向ける。
真っ直ぐに私達の方に来ている。あれが何なのか、じっと目を凝らしてみるもとにかく真っ黒で全くわからない。ただ、走ってきているのはなんとなくわかる。
「みか、走るよ」
「うん」
再び、みかを連れて走り出す。出口に向かって走る。
こんなに全力で走るのはいつぶりだろか。外の街灯と月明かりだけを頼りに、出口を目指す。
途中、何度か死んだ人を見かけたけどその皆が黒いヤツに怯えて縮こまっていた。いったいあれは……。
「あっ」
「あやめ! きゃあっ」
走っている最中、豪快にこけてしまった。全力で走っていたせいで転んだ勢いは凄まじく、手を繋いでいたみかまで巻き込んでしまった。
身体がズキズキと痛む。暗くてわからないけれど、きっと血が出ている。膝と手のひらに鋭い痛みが走った。
「あやめ! 大丈夫!?」
みかはすぐに起き上がって私に駆け寄った。
「大丈夫。みかは?」
「うちは平気。それより今、あやめ誰かに引っ張られたように見えたんだけど」
みかの言う通り、今私はあいつに引っ張られた。天井から伸びた異様に長い手、2階にいたはずのあの手に足首を掴まれた。
暗くてはっきりとは見えないけど、今も天井から伸びている。ひらひらと手を振っている。まるで馬鹿にしているみたいだ。
みかは自身の身体を抱きしめ、怪訝な表情を浮かべている。
きっとみかは気づいている。私が何から逃げているのか。私を引っ張ったのが何なのか。
ふっと、みかの背景が真っ黒に染まった。
「みか……走って!」
「え?」
「いいから走って!」
「いや! あやめを置いては行かないから!」
みかは首を左右に振った。そして私の目を真っ直ぐに見つめる。唇を噛み締めて、じっと見つめる。
……どうしよう。もう間に合わない。真っ黒なあいつに呑み込まれる。どうなるかはわからない。だけど、無事じゃ済まないのははっきりとわかる。
「みか、私の後ろに来て」
「いや! 隣にいるから」
「頑固なやつ」
「あやめもでしょ」
こんな状況でも、なぜかフッと笑みが溢れてしまう。
と、突然右目に焼けるような痛みが走った。
「いっ、あ゛あ゛ああっ」
なんだこれ、右目が熱い。
「あやめ!!」
何が起きた? 熱くて痛くてたまらない。
荒い呼吸が遠くから聞こえてくる。みか? ううん、違う。私の呼吸だ。まるで他人のように聞こえてくる。
思考が追いつかない。考えがまとまらない。痛みがおさまらない。みかが何かを叫んでいるけど、私の耳には届いてこない。
……ああ、だんだんと痛みがおさまってきた。
力も抜けて……、身体がぽかぽかと暖かくなってきた。
意識が……遠のいていく。
目を開くと、見知らぬ天井があった。
どうやら、どこか部屋のベッドの上らしい。
「あやめ!? ああ、よかった。目が覚めたぁ」
視界を覆うように、みかの顔が現れた。私の頬に冷たい水滴がこぼれた。
……ああ、みか無事だったんだ。よかった。
「……ここは?」
「大丈夫、病院だよ」
ん、何か違和感がある。
自分の顔に手を当ててみる。すると、ザラザラした感触があった。すぐにそれが包帯なのだとわかった。そして、その包帯が何を覆っているのかも理解できた。
「私の右目は……」
みかは顔を伏せて、言葉を詰まらせていた。
「右目だけで済んでよかったね」
みかじゃない別の人の声が、みかの代わりに答えてくれた。
みかの後ろに誰かいる。
私達と同い年くらいの女の子。黒のライダースジャケットにだぼっとした青ジーンズを穿いた赤毛のボブヘアーの女の子。
「あなたは……?」
「ちっ」
今明らかに舌打ちされた。私を目の敵にするような目で睨みつけてきたその女の子は、一歩前へ出ると鼻を鳴らした。
「あたしは赤川凛子。探偵だよ」
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