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第一章 禁じられた森で
第七話 ひょっとこ
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由香に案内された森は、太陽がぎらぎらと輝いている中でも、妙に薄暗かった。
森の中って、いつもこんなに暗いのかな。
東京では、昼でも夜でも明るい場所が多かった。森に入れば真っ暗だろうけれど、そもそも、東京では森自体をあまり見掛けない。せいぜい、神社に行った時に背の高い樹木が迎えてくれるだけ。それ以外に、明日花は東京の森を知らない。
「静かだね」
時折吹く風に、揺れた葉が擦れる音。頭上から聞こえてくるリズミカルな鳥と耳に馴染みのある蝉の鳴き声。それから、靴で雑草を踏み締める音。音はたくさん聞こえるけれど、〝静か〟だと感じた。
「結構、うるさいんだけどね。不思議なんだけど、森の中って静かな感じがする」
由香が肯定してくれるから、明日花は気分が良くなった。感覚が似ている友達と一緒にいると、心が踊る。
「どうして、近付いちゃ駄目なんだろう? 今のところ、危なそうな場所もないし。周りに人がいないから、何かあってもすぐに助けに来られないとは思うけど……それくらい?」
森は家々が並ぶ場所(といっても、家と家の距離は空いているのだけど)とは離れたところにあった。けれど、特筆すべきはそれだけで、崖があるとか、大きな川が流れているとか、子供が怪我をしそうな場所はなかった。
「もしかして」
由香が立ち止まり、明日花に身体を向けた。次の言葉を待っていると、由香は意地の悪い笑顔を浮かべる。
「幽霊が出るとか?」
「ええっ!」
ぎょっとして肩を飛び上がらせると、由香はおかしそうに笑った。揶揄われたのだとわかって、明日花はむっとする。
「幽霊なんていないよ。テレビでよくやってる心霊番組は、ぜーんぶ嘘っぱちだって、お父さんも友達も皆言ってたもん」
「皆が言ってたら、信じるの?」
「皆が言っているってことは、本当なんでしょ」
「ふうん」
由香は笑みを引っ込めた。
「ちょっと意外。明日花って、周りの影響を受けやすい子なんだ」
馬鹿にされた気がして、胸の辺りが熱くなった。皆が言っていることを信じて、何が悪いのだろう。たった一人の主張と、大多数の主張なら、誰もが後者を信じるのではないか。
皆と違う内容を主張したら、仲間外れにされるだけだ。仲間外れにされて、最悪の場合は、いじめられるかもしれない。だったら、他の人と違う自分の意見なんて、必要ない。
――〝自分の意見なんて、必要ない〟?
あれ、と疑問に思った。両親には、わたしの気持ちも聞いてほしいと思っているのに、わたしの意見は必要ないと考えている時もあるなんて、何だか、変だ。
「ごめん、怒った?」
謝る声に我に返ると、由香が眉をハの字にして、明日花の様子を窺っていた。明日花は慌てて首を振る。
「違うよ、怒ってなんか……いや、ちょっと、イラっとした」
「やっぱり。ごめんね。あたし、思ったことをすぐに口に出しちゃうんだよね」
「その言い方もどうかとは思うけど、でも、わたしも『あれ?』ってなったというか」
しどろもどろに話すと、由香は難しそうな顔をした。
「何が悪いのかわからない……」
「由香の良いところでもあるし、悪いところでもあるよね」
「難し過ぎる」
ふふ、と声を出して笑い合った。頭を過った疑問はどこかへいなくなって、楽しい気持ちだけがふわふわと胸の内に浮かんでいる。目的地も定まらないまま、気持ちの向くままに歩き出すと、森に着いたばかりの時よりも、軽快に足が進んだ。
だからだろうか。
「あれ、由香?」
いつの間にか、明日花は一人になっていた。辺りを見回しても、由香の気配はなかった。
木々の騒めきや、鳥と蝉の鳴き声が、急に耳元まで迫ってくるように感じる。先ほどまで静かで落ち着いた雰囲気だった森が、妙に薄気味悪い。夏日で暑いはずなのに、腕の辺りがざわざわとした。
「由香、どこー?」
随分と奥まで来てしまったのかもしれない。前後左右、身体を向けて確認しても、どちらに行けば森を出られるのか、自信がなかった。元来た道を辿れば、とも考えたけれど、〝元来た道〟がどちらなのかさえ、よくわからなくなっている。
「うう……由香ったらどこに行ったの」
――幽霊が出るとか?
由香の声が、頭の奥で木霊する。背筋がぞくりとした。
幽霊なんか信じないと由香には話したけれど、本当に信じていなければ、怖くはならないはず。結局、周りの人たちが「幽霊はいない」と話して、明日花がそれに同調したとしても、心のどこかでは幽霊の存在を否定し切れていないのだ。ああ、もう。情けない。
「由香あ……」
情けない心が、情けない声になって外に吐き出される。
おそらく元来た道であろう方向に歩く。このまま、森の外に出られなかったらどうしよう。
不安に駆られながらふらふらと歩いていると、不意に、背後でがさっと草が揺れる音がした。心臓が跳ねる。勢い良く振り向くと、視界に白くぼんやりとした影が映った。
「きゃあああ!?」
喉の奥から甲高い声が飛び出す。直後、
「うわあ!?」
明日花と同じくらい大きな声が返ってきた。女の子よりは少し低めの声だった気がする。明日花は忙しなく動く鼓動を感じながら、聞き慣れない声のほうを見つめた。
「誰か、いるの……?」
先ほど見えたはずの白い影が消えている。もしかして、影の正体は、声の持ち主だったのだろうか。明日花の悲鳴に驚いて、大きな木の幹の後ろに隠れたのかもしれない。
身を縮めながら、声の持ち主が隠れていそうな木に、一歩ずつ慎重に近付いた。
ひょこっ。
軽快な効果音(実際には効果音なんてなかったけれど、明日花には確かに聞こえた)と共に、木の幹から白い顔が出てきた。
あ、よく見たら白くなかった。明日花は薄く口を開けて、木の幹から覗いた顔をまじまじと見た。
頭から顎下にかけて白いタオルを巻き、口をすぼめて曲げた男性――のお面を付けた、誰か。
「ひょっとこ?」
そうだ、このお面は〝ひょっとこ〟だ。どうして、こんな森でひょっとこを被っているのだろう。
森の中って、いつもこんなに暗いのかな。
東京では、昼でも夜でも明るい場所が多かった。森に入れば真っ暗だろうけれど、そもそも、東京では森自体をあまり見掛けない。せいぜい、神社に行った時に背の高い樹木が迎えてくれるだけ。それ以外に、明日花は東京の森を知らない。
「静かだね」
時折吹く風に、揺れた葉が擦れる音。頭上から聞こえてくるリズミカルな鳥と耳に馴染みのある蝉の鳴き声。それから、靴で雑草を踏み締める音。音はたくさん聞こえるけれど、〝静か〟だと感じた。
「結構、うるさいんだけどね。不思議なんだけど、森の中って静かな感じがする」
由香が肯定してくれるから、明日花は気分が良くなった。感覚が似ている友達と一緒にいると、心が踊る。
「どうして、近付いちゃ駄目なんだろう? 今のところ、危なそうな場所もないし。周りに人がいないから、何かあってもすぐに助けに来られないとは思うけど……それくらい?」
森は家々が並ぶ場所(といっても、家と家の距離は空いているのだけど)とは離れたところにあった。けれど、特筆すべきはそれだけで、崖があるとか、大きな川が流れているとか、子供が怪我をしそうな場所はなかった。
「もしかして」
由香が立ち止まり、明日花に身体を向けた。次の言葉を待っていると、由香は意地の悪い笑顔を浮かべる。
「幽霊が出るとか?」
「ええっ!」
ぎょっとして肩を飛び上がらせると、由香はおかしそうに笑った。揶揄われたのだとわかって、明日花はむっとする。
「幽霊なんていないよ。テレビでよくやってる心霊番組は、ぜーんぶ嘘っぱちだって、お父さんも友達も皆言ってたもん」
「皆が言ってたら、信じるの?」
「皆が言っているってことは、本当なんでしょ」
「ふうん」
由香は笑みを引っ込めた。
「ちょっと意外。明日花って、周りの影響を受けやすい子なんだ」
馬鹿にされた気がして、胸の辺りが熱くなった。皆が言っていることを信じて、何が悪いのだろう。たった一人の主張と、大多数の主張なら、誰もが後者を信じるのではないか。
皆と違う内容を主張したら、仲間外れにされるだけだ。仲間外れにされて、最悪の場合は、いじめられるかもしれない。だったら、他の人と違う自分の意見なんて、必要ない。
――〝自分の意見なんて、必要ない〟?
あれ、と疑問に思った。両親には、わたしの気持ちも聞いてほしいと思っているのに、わたしの意見は必要ないと考えている時もあるなんて、何だか、変だ。
「ごめん、怒った?」
謝る声に我に返ると、由香が眉をハの字にして、明日花の様子を窺っていた。明日花は慌てて首を振る。
「違うよ、怒ってなんか……いや、ちょっと、イラっとした」
「やっぱり。ごめんね。あたし、思ったことをすぐに口に出しちゃうんだよね」
「その言い方もどうかとは思うけど、でも、わたしも『あれ?』ってなったというか」
しどろもどろに話すと、由香は難しそうな顔をした。
「何が悪いのかわからない……」
「由香の良いところでもあるし、悪いところでもあるよね」
「難し過ぎる」
ふふ、と声を出して笑い合った。頭を過った疑問はどこかへいなくなって、楽しい気持ちだけがふわふわと胸の内に浮かんでいる。目的地も定まらないまま、気持ちの向くままに歩き出すと、森に着いたばかりの時よりも、軽快に足が進んだ。
だからだろうか。
「あれ、由香?」
いつの間にか、明日花は一人になっていた。辺りを見回しても、由香の気配はなかった。
木々の騒めきや、鳥と蝉の鳴き声が、急に耳元まで迫ってくるように感じる。先ほどまで静かで落ち着いた雰囲気だった森が、妙に薄気味悪い。夏日で暑いはずなのに、腕の辺りがざわざわとした。
「由香、どこー?」
随分と奥まで来てしまったのかもしれない。前後左右、身体を向けて確認しても、どちらに行けば森を出られるのか、自信がなかった。元来た道を辿れば、とも考えたけれど、〝元来た道〟がどちらなのかさえ、よくわからなくなっている。
「うう……由香ったらどこに行ったの」
――幽霊が出るとか?
由香の声が、頭の奥で木霊する。背筋がぞくりとした。
幽霊なんか信じないと由香には話したけれど、本当に信じていなければ、怖くはならないはず。結局、周りの人たちが「幽霊はいない」と話して、明日花がそれに同調したとしても、心のどこかでは幽霊の存在を否定し切れていないのだ。ああ、もう。情けない。
「由香あ……」
情けない心が、情けない声になって外に吐き出される。
おそらく元来た道であろう方向に歩く。このまま、森の外に出られなかったらどうしよう。
不安に駆られながらふらふらと歩いていると、不意に、背後でがさっと草が揺れる音がした。心臓が跳ねる。勢い良く振り向くと、視界に白くぼんやりとした影が映った。
「きゃあああ!?」
喉の奥から甲高い声が飛び出す。直後、
「うわあ!?」
明日花と同じくらい大きな声が返ってきた。女の子よりは少し低めの声だった気がする。明日花は忙しなく動く鼓動を感じながら、聞き慣れない声のほうを見つめた。
「誰か、いるの……?」
先ほど見えたはずの白い影が消えている。もしかして、影の正体は、声の持ち主だったのだろうか。明日花の悲鳴に驚いて、大きな木の幹の後ろに隠れたのかもしれない。
身を縮めながら、声の持ち主が隠れていそうな木に、一歩ずつ慎重に近付いた。
ひょこっ。
軽快な効果音(実際には効果音なんてなかったけれど、明日花には確かに聞こえた)と共に、木の幹から白い顔が出てきた。
あ、よく見たら白くなかった。明日花は薄く口を開けて、木の幹から覗いた顔をまじまじと見た。
頭から顎下にかけて白いタオルを巻き、口をすぼめて曲げた男性――のお面を付けた、誰か。
「ひょっとこ?」
そうだ、このお面は〝ひょっとこ〟だ。どうして、こんな森でひょっとこを被っているのだろう。
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