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最終章「夢見る偽神の存在証明」
234話 古記録:叛逆の観測者について(1)
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*
それは、この世界の歴史にも曖昧にしか刻まれていないほど昔のこと。高い山々や森で囲まれている、閉鎖的な村が存在していた。村の周囲には、幅の広い川があり、その向こう岸には険しい崖が城壁のようにそびえ立っている。
その村は人の出入りがとても少ない上、村人の年齢層がとても偏っていた。大人の数に対し、子供が異常に多かった。
不思議なことに、その村の子供たちの全員が────大人たちに捨てられたであろう、孤児だった。
ユカリは、その当時の村で最年長の少女だった。村には十数名ほどの子供が暮らしていたが、ユカリはその輪の中にあまり馴染めなかった。
彼女にとって、村の少年少女のほとんどは、自分とは波長の合わない人間たちだった。かといって、どこか放任主義に近い大人たちのことも、心の底では信用していなかった。
それゆえ、彼女は村から出ずとも一人で歩き回ったり、一人で本を読むことが多い子供だった。
「ユカリ!」
そんなユカリにも、声をかけてくれる子供はいた。川岸にある岩に座り、読書をしていたユカリの名を呼んだのは、銀髪と青目の男の子だ。その後を、銀髪赤目の女の子がついてきている。
年子の兄妹である彼らが来たことに気づき、ユカリは微笑みを浮かべた。
「ソラ、メイ。今日もあーしと遊ぶの?」
ユカリの問いに、男の子──ソラが大きく頷いた。女の子──メイはソラの後ろに隠れつつ、小さく頷いた。
「いっつも思うけど、あんたらも物好きだよね。こんな独りで好き勝手してるあーしよりも、同い年の子たちと鬼ごっこでもすりゃいいのに」
「お兄様やお姉様と一緒にいる方が有意義ですから。大人たちは勉強しなくていいといいますけど、わたしはもっと色々なことを学びたいですし」
「ボクはそもそも避けられちゃってるしね。まあ、仕方ないよね! ボクはユカリやメイと一緒にいる方が楽しいよ!」
「……あんたらねぇ」
ソラとメイは家族だが、ユカリはまったくの他人だった。性格も得意不得意なども当然異なっていたが、ユカリはその兄妹とだけは不思議と気が合っていたため、頻繁に付き合っていた。
「あーしの読んでる本、読みたいんだろ。ここ座りなー」
「はーい」
ソラとメイはユカリの両隣に座り、三人で本を読み談笑し合う。それが、三人にとって一番の娯楽だった。
ユカリは、村の中では一番文字をスムーズに読める子供だった。この村では大人によって勉強を強いられることがほとんどないが、ユカリは自ら色々なことを学ぶ意欲的な天才児と言っても過言ではなかった。
「今日はどんな本ですか?」
「んーとだな。いわゆる神話って奴。まあまあ面白いよ」
「ユカリが面白いって言うなら期待できそうだね、メイ」
「お姉様の選ぶ本はいつだって面白いですよ、お兄様」
本を読むとき、ユカリは何が何でも素早く内容を理解するタイプだった。ソラやメイがどんな質問をしてきても対応できるように、と考えてのことだった。
二人もそれを察していたのか、内容に関して気になったことがあれば、すぐに質問を投げかけた。
そのすべてに丁寧で、かつ理解しやすい答えを返せるほどの頭の回転の速さを、ユカリは齢十二にして持ち合わせていたのだ。
「あー、面白かった! ユカリ、ボクたちはそろそろ帰ってるね」
「あとで本を貸してくれると嬉しいです、お姉様」
「……うん、わかったよ」
夕暮れが近づき始めると、ソラとメイは一足先に「家」に帰る。この村で言う孤児院のことだ。両親のいないこの村の子供たちはみんな、同じ家に住んでいる。
ユカリは、自分も住まうその家が嫌いだった。それでも、夜になれば食事や睡眠をとるべく戻らねばならないが、ユカリはできる限り外にいることを望んだ。
「さーて、続き続きっと」
独りになったユカリは、再び本を読もうと目を落とした。文章に意識を集中させようとしたとき、草音が聞こえたことに気づく。
「やあ。ちょっと尋ねてもいいかな」
「……誰、あんた?」
聞き馴染みのない声に、ユカリは顔を上げて声の聞こえた方向を見た。いつの間にか、ユカリの前に知らない少女が立っていた。腰よりも長い薄橙色の髪が夕方の冷え始めた風に吹かれ、大きくなびいている。踊り子のような橙色の装束は、村では滅多に見られないほどきらびやかだった。
ユカリは本を閉じ、見知らぬ少女をさらに問い詰めようとする。そのとき、彼女とは別の気配が近づいてくるのも感じた。
「ごきげんよう。宿屋を探してるのだけど、どこにあるか聞いてもいいかしら?」
踊り子のような少女の後に続いて、ふんわりとした雰囲気の女性といかつい屈強な初老の男がやってきた。どちらも白いローブをまとっており、ユカリには彼らが旅人の類であることがわかった。
だが、村には彼らを受け入れられるような場所がないことも知っていた。
「宿屋ぁ? この村にそんなのないよ」
「だから言ったであろう。小規模で閉鎖的な村にはよそ者が泊まる場所などないと」
「カトラスさんの言う通りだったわぁ。どうしましょう」
屈強な男はユカリの答えにため息をつき、ふんわりとした女性は頬に手を当てながら悩み始めた。
そんな中、踊り子風の少女は唯一微笑みを絶やさずに言った。
「んー、仕方ないね。ここは野宿といこうか」
その場の誰しもが耳を疑う言葉だった。出会ったばかりのユカリも、思わず「はぁ!?」と声を上げてしまう。
「バカなのあんた? ここらは夜冷えるよ!?」
「大丈夫さ、ボクは寒さ程度じゃ死なないよ」
「そんな寒々しい格好で言うことか!? そう言う奴に限って死ぬんだよ、やめときな!」
自分の忠告をまるで聞く気がない踊り子風の少女に対し、ユカリは必死に彼女を止めようとした。彼女のやろうとしていることが、人間の言っていることとは思えないほど無鉄砲すぎたからだ。
踊り子風の少女はユカリの叫びに近い制止を聞いて、自分の後ろに立つ二人の大人に振り返った。
「だってさ。子供に怒られてしまったよ、驚いた」
「当然の反応です。今のは浮世離れにもほどがありますぞ」
「でもこの子、なんだかとっても賢そうねぇ。気が合うんじゃないかしら」
ふんわりとした女性の言葉を聞き、ユカリは自分がさっきまで読んでいた本に目を落とす。それから、踊り子風の少女へと目を移した。
「……浮世離れってのはわかるかも。色々目立つし」
「んー。ボクはあんまり目立ちたくないんだけどなー。キミ、なんて名前?」
「あーし? あーしは……ユカリ」
ユカリが名乗ると、踊り子風の少女は目を細めながら笑う。その笑みに、ユカリはなんだか気恥ずかしくなってしまう。
彼女の笑顔は────自分が知るありふれた笑顔とは違う気がした。
「なるほどね、覚えたよ。じゃ、ボクたちは野宿するからこの辺で」
「結局すんの!? ちょっ、止めろよ付き添い!」
「いや……あのお方が決定なされた以上、わしらにはどうしようもない」
「心配いらないわよ~。ユカリちゃん、夜は危ないから早めにお家に帰るのよ?」
ユカリの制止も空しく、少女たちは野宿する場所を探しに行ってしまった。初老の男と女性はやれやれとしつつも、少女の背後をついていく。ユカリはそんな彼らを見送りつつ、川岸から離れて家路についた。
(あの子の名前、聞いてなかったな)
この村は、人の出入りがとても少ない。物の出入りも必要最低限しかない中、本以外に外の世界に触れる機会が訪れたのは随分と久しぶりの話だった。
ユカリは家に帰り、ソラやメイを始めとした孤児たちと一緒に夕食をとる。この村にいる大人は十人もいないが、代わる代わる孤児たちの様子を家まで見に来るため、一応は大人の庇護下で日常を過ごすことができていた。
真夜中になる頃には、子供たちはほとんど寝静まっている状態だった。ユカリは、ソラやメイと数人の子供と一緒に眠る部屋の中で目を覚まし、一人で部屋を抜け出した。
普段はぐっすりと眠ることができているユカリだったが、この日はなぜかうまく眠ることができなかった。誰もいない窓の外を眺め、夕方まで滞在していた川岸の方を注視していた。
「こんな夜更けに外を見てるなんて、悪い子だねぇ?」
「っ!」
寝静まった夜中の廊下で声をかけられ、肩を震わせながら振り返る。ユカリの背後にいたのは、村に住む大人の一人だった。後ろにまとめた黒髪と銀目と黒のきらびやかな装束が特徴的なその大人は、村の人々から「占星術師」と呼ばれていた。
子供たちが住まう家まで訪れることは滅多にないはずだったが、その日はなぜかユカリの前に姿を現したのだ。
「おや、そんな驚くことはないだろう? 随分と警戒心が強いな」
「……別に」
ユカリは大人たちの中でも特に、占星術師だけには絶対心を開かないと決めていた。胡散臭い雰囲気を醸し出しているのに、この大人を信用する村の人たちが理解できなかった。占星術師から目を離し、再び川岸の方に目を向ける。
夕方に出会った彼らは今、どこで野宿をしているのだろう────そんなことを考えながら、無意識のうちに彼らの影を夜の闇から見出そうとしていた。
占星術師は無音で歩み寄り、少女の耳元で囁く。
「まさかとは思うけど、逃げようなんて思っていないだろうね?」
突然の言葉に、ユカリは心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥る。心臓がバクバクと音を立て始め、背中に嫌な汗が滲んだ。
動揺を悟られてはならない、その一心で平常を装いながら、ユカリは窓越しに占星術師へと強気な笑みを見せた。
「あーしが逃げる? なんでそう思った?」
「君は他の子供たちよりも賢いと評判だよ。それこそ、神の子とでも比喩できるほどにはね。逃避行の計画を立てることくらい、楽勝かもしれないじゃないか」
ユカリの問いに対し、占星術師は気味が悪いほど落ち着いた声で返答する。だが、その言葉とは裏腹に、奴の目にはユカリを脅かそうとする意志が宿っているように見えた。
「安心したまえ。儀式は明後日に迫っている。君たちはもうすぐ『自由』になれる」
奴の意図など、ユカリにはわからない。ただ、震える身体を制御しようと試みながら、自分の心を何とか奮い立たせたユカリは、再び口を開く。
「────何が自由だ。白々しい」
ユカリの口は笑っていたが、恨めしい目で占星術師を見遣っている。子供に睨まれているにもかかわらず、占星術師は状況にそぐわぬような微笑みを浮かべる。
「ここにはまともな大人がいない。子供に勉強しろとか言わないし、最低限の衣食住しか用意していない。親が迎えに来たり面会に来る気配もないし、そもそもこの村の大人と子供の数は偏りすぎてる。あーしにはそれが不気味でならない」
「そんなことを言うのはこの村で君だけだよ。君は飛び抜けた天才児みたいだね。だから、普通の子供たちとは気が合わない」
「友達は数多けりゃいいわけじゃないし。あーしには大切なものが少しあればいいよ」
「……まあ所詮、無力な子供に過ぎない。その大切なものを奪えば、すぐにでもこちらの思惑通りになるよ」
そう言うと、占星術師はユカリに背を向けて去っていく。
奴の姿が完全に見えなくなったとき、ユカリの緊張が一気に解けた。その場にへたり込み、震える身体を冷たい壁に預ける。自分の無力さを嫌と言うほど感じながら、壁に拳を押し付ける。
「それが大人のやることかよ。だから信用できないんだ」
*
同じく、真夜中。明かりが消えた建物たちを眺める者が、一人佇んでいた。腰よりも長い薄橙色の髪をなびかせ、踊り子のような輝かしい橙色の装束のまま、夜風に吹かれている。
「こんなところにいては風邪を召されますよ、アスタルテ様」
そんな少女の元に、二人の白いローブの男女が近づいた。声をかけたのは女性の方だった。
踊り子風の少女──アスタルテは、二人を振り返る。彼女は硬く微笑みを浮かべていた。
「ふふっ、まるで人間に対する気遣いだねぇ。ボクは年中、無病息災だよ?」
「もちろん、わかっておりますが。くれぐれもご無理はなさいませぬよう。あまり目立つ行動をとると、我々の存在が露見する恐れがありますぞ」
アスタルテは初老の男の言葉に「そうだねぇ」と軽く笑い、夜空を仰いだ。
満月が金色に輝き、静かな村の屋根を優しく染め上げている。川の水面もまた、月の光を受けて揺らめいていた。
「二人とも。今夜の満月はとても綺麗に輝いているよ。星明かりもよく映える」
「左様でございますな。しかし、見下ろしているのは月と星ばかりではありますまい」
初老の男──カトラスは低く言いながら、村の方を見つめた。その視線はただの旅人のものではない。どこか探るような、あるいは見極めるような色を宿している。
「この村には悪魔が潜んでおりまする。今回も同様、あなた様の宿敵でしょう」
「ボクもそう見ているよ。ここの慣習はちょっとどころでなく歪だしね」
「やはり……ここでも悲劇が繰り返されているみたいです」
ローブの女──ローゼマリーの呟きに、アスタルテは黙って頷く。
「子供の数が異様に多く、大人が少ない。自由奔放に、されど閉鎖された村で暮らす子供たち。そして、明後日に行われる『儀式』……間違いないね。ここでも『悪魔の目』が生み出されようとしている」
彼女は目を細め、昼間出会った少女の顔を思い浮かべる。
賢く、疑り深く……けれども力強さを秘めた紫の瞳。あの目は、この村の他の子供たちとは違う気がしたのだ。
「ユカリっていったかな。彼女は生きた年数に対して随分と大人びていたね」
「賢すぎるのも時に不幸を招くものですぞ。特に、人間社会においては」
「もしかしたら、この村で行われていることに、気づいているのかもしれませんね」
「……そうだとしたら、なおさら放ってはおけないね?」
微笑みは崩していないものの、その夜空色の目はどこか寂しげな雰囲気を宿していた。カトラスもローゼマリーも、そんな機微に気づいてはいたものの、何も言いだせない。
「さて。夜明けが来たら、ユカリに会いに行こう。叶うことなら、彼女と契約を交わしたいところだ」
「お供致しましょうか?」
「いや、ボクだけで行く。キミたちには悪魔の監視をしてもらわなきゃいけないからね」
ローゼマリーとカトラスは顔を見合わせていた。アスタルテが何を考えているのか、完全に理解することはできない。
彼らにアスタルテを理解することなど────不可能なのだ。
それは、この世界の歴史にも曖昧にしか刻まれていないほど昔のこと。高い山々や森で囲まれている、閉鎖的な村が存在していた。村の周囲には、幅の広い川があり、その向こう岸には険しい崖が城壁のようにそびえ立っている。
その村は人の出入りがとても少ない上、村人の年齢層がとても偏っていた。大人の数に対し、子供が異常に多かった。
不思議なことに、その村の子供たちの全員が────大人たちに捨てられたであろう、孤児だった。
ユカリは、その当時の村で最年長の少女だった。村には十数名ほどの子供が暮らしていたが、ユカリはその輪の中にあまり馴染めなかった。
彼女にとって、村の少年少女のほとんどは、自分とは波長の合わない人間たちだった。かといって、どこか放任主義に近い大人たちのことも、心の底では信用していなかった。
それゆえ、彼女は村から出ずとも一人で歩き回ったり、一人で本を読むことが多い子供だった。
「ユカリ!」
そんなユカリにも、声をかけてくれる子供はいた。川岸にある岩に座り、読書をしていたユカリの名を呼んだのは、銀髪と青目の男の子だ。その後を、銀髪赤目の女の子がついてきている。
年子の兄妹である彼らが来たことに気づき、ユカリは微笑みを浮かべた。
「ソラ、メイ。今日もあーしと遊ぶの?」
ユカリの問いに、男の子──ソラが大きく頷いた。女の子──メイはソラの後ろに隠れつつ、小さく頷いた。
「いっつも思うけど、あんたらも物好きだよね。こんな独りで好き勝手してるあーしよりも、同い年の子たちと鬼ごっこでもすりゃいいのに」
「お兄様やお姉様と一緒にいる方が有意義ですから。大人たちは勉強しなくていいといいますけど、わたしはもっと色々なことを学びたいですし」
「ボクはそもそも避けられちゃってるしね。まあ、仕方ないよね! ボクはユカリやメイと一緒にいる方が楽しいよ!」
「……あんたらねぇ」
ソラとメイは家族だが、ユカリはまったくの他人だった。性格も得意不得意なども当然異なっていたが、ユカリはその兄妹とだけは不思議と気が合っていたため、頻繁に付き合っていた。
「あーしの読んでる本、読みたいんだろ。ここ座りなー」
「はーい」
ソラとメイはユカリの両隣に座り、三人で本を読み談笑し合う。それが、三人にとって一番の娯楽だった。
ユカリは、村の中では一番文字をスムーズに読める子供だった。この村では大人によって勉強を強いられることがほとんどないが、ユカリは自ら色々なことを学ぶ意欲的な天才児と言っても過言ではなかった。
「今日はどんな本ですか?」
「んーとだな。いわゆる神話って奴。まあまあ面白いよ」
「ユカリが面白いって言うなら期待できそうだね、メイ」
「お姉様の選ぶ本はいつだって面白いですよ、お兄様」
本を読むとき、ユカリは何が何でも素早く内容を理解するタイプだった。ソラやメイがどんな質問をしてきても対応できるように、と考えてのことだった。
二人もそれを察していたのか、内容に関して気になったことがあれば、すぐに質問を投げかけた。
そのすべてに丁寧で、かつ理解しやすい答えを返せるほどの頭の回転の速さを、ユカリは齢十二にして持ち合わせていたのだ。
「あー、面白かった! ユカリ、ボクたちはそろそろ帰ってるね」
「あとで本を貸してくれると嬉しいです、お姉様」
「……うん、わかったよ」
夕暮れが近づき始めると、ソラとメイは一足先に「家」に帰る。この村で言う孤児院のことだ。両親のいないこの村の子供たちはみんな、同じ家に住んでいる。
ユカリは、自分も住まうその家が嫌いだった。それでも、夜になれば食事や睡眠をとるべく戻らねばならないが、ユカリはできる限り外にいることを望んだ。
「さーて、続き続きっと」
独りになったユカリは、再び本を読もうと目を落とした。文章に意識を集中させようとしたとき、草音が聞こえたことに気づく。
「やあ。ちょっと尋ねてもいいかな」
「……誰、あんた?」
聞き馴染みのない声に、ユカリは顔を上げて声の聞こえた方向を見た。いつの間にか、ユカリの前に知らない少女が立っていた。腰よりも長い薄橙色の髪が夕方の冷え始めた風に吹かれ、大きくなびいている。踊り子のような橙色の装束は、村では滅多に見られないほどきらびやかだった。
ユカリは本を閉じ、見知らぬ少女をさらに問い詰めようとする。そのとき、彼女とは別の気配が近づいてくるのも感じた。
「ごきげんよう。宿屋を探してるのだけど、どこにあるか聞いてもいいかしら?」
踊り子のような少女の後に続いて、ふんわりとした雰囲気の女性といかつい屈強な初老の男がやってきた。どちらも白いローブをまとっており、ユカリには彼らが旅人の類であることがわかった。
だが、村には彼らを受け入れられるような場所がないことも知っていた。
「宿屋ぁ? この村にそんなのないよ」
「だから言ったであろう。小規模で閉鎖的な村にはよそ者が泊まる場所などないと」
「カトラスさんの言う通りだったわぁ。どうしましょう」
屈強な男はユカリの答えにため息をつき、ふんわりとした女性は頬に手を当てながら悩み始めた。
そんな中、踊り子風の少女は唯一微笑みを絶やさずに言った。
「んー、仕方ないね。ここは野宿といこうか」
その場の誰しもが耳を疑う言葉だった。出会ったばかりのユカリも、思わず「はぁ!?」と声を上げてしまう。
「バカなのあんた? ここらは夜冷えるよ!?」
「大丈夫さ、ボクは寒さ程度じゃ死なないよ」
「そんな寒々しい格好で言うことか!? そう言う奴に限って死ぬんだよ、やめときな!」
自分の忠告をまるで聞く気がない踊り子風の少女に対し、ユカリは必死に彼女を止めようとした。彼女のやろうとしていることが、人間の言っていることとは思えないほど無鉄砲すぎたからだ。
踊り子風の少女はユカリの叫びに近い制止を聞いて、自分の後ろに立つ二人の大人に振り返った。
「だってさ。子供に怒られてしまったよ、驚いた」
「当然の反応です。今のは浮世離れにもほどがありますぞ」
「でもこの子、なんだかとっても賢そうねぇ。気が合うんじゃないかしら」
ふんわりとした女性の言葉を聞き、ユカリは自分がさっきまで読んでいた本に目を落とす。それから、踊り子風の少女へと目を移した。
「……浮世離れってのはわかるかも。色々目立つし」
「んー。ボクはあんまり目立ちたくないんだけどなー。キミ、なんて名前?」
「あーし? あーしは……ユカリ」
ユカリが名乗ると、踊り子風の少女は目を細めながら笑う。その笑みに、ユカリはなんだか気恥ずかしくなってしまう。
彼女の笑顔は────自分が知るありふれた笑顔とは違う気がした。
「なるほどね、覚えたよ。じゃ、ボクたちは野宿するからこの辺で」
「結局すんの!? ちょっ、止めろよ付き添い!」
「いや……あのお方が決定なされた以上、わしらにはどうしようもない」
「心配いらないわよ~。ユカリちゃん、夜は危ないから早めにお家に帰るのよ?」
ユカリの制止も空しく、少女たちは野宿する場所を探しに行ってしまった。初老の男と女性はやれやれとしつつも、少女の背後をついていく。ユカリはそんな彼らを見送りつつ、川岸から離れて家路についた。
(あの子の名前、聞いてなかったな)
この村は、人の出入りがとても少ない。物の出入りも必要最低限しかない中、本以外に外の世界に触れる機会が訪れたのは随分と久しぶりの話だった。
ユカリは家に帰り、ソラやメイを始めとした孤児たちと一緒に夕食をとる。この村にいる大人は十人もいないが、代わる代わる孤児たちの様子を家まで見に来るため、一応は大人の庇護下で日常を過ごすことができていた。
真夜中になる頃には、子供たちはほとんど寝静まっている状態だった。ユカリは、ソラやメイと数人の子供と一緒に眠る部屋の中で目を覚まし、一人で部屋を抜け出した。
普段はぐっすりと眠ることができているユカリだったが、この日はなぜかうまく眠ることができなかった。誰もいない窓の外を眺め、夕方まで滞在していた川岸の方を注視していた。
「こんな夜更けに外を見てるなんて、悪い子だねぇ?」
「っ!」
寝静まった夜中の廊下で声をかけられ、肩を震わせながら振り返る。ユカリの背後にいたのは、村に住む大人の一人だった。後ろにまとめた黒髪と銀目と黒のきらびやかな装束が特徴的なその大人は、村の人々から「占星術師」と呼ばれていた。
子供たちが住まう家まで訪れることは滅多にないはずだったが、その日はなぜかユカリの前に姿を現したのだ。
「おや、そんな驚くことはないだろう? 随分と警戒心が強いな」
「……別に」
ユカリは大人たちの中でも特に、占星術師だけには絶対心を開かないと決めていた。胡散臭い雰囲気を醸し出しているのに、この大人を信用する村の人たちが理解できなかった。占星術師から目を離し、再び川岸の方に目を向ける。
夕方に出会った彼らは今、どこで野宿をしているのだろう────そんなことを考えながら、無意識のうちに彼らの影を夜の闇から見出そうとしていた。
占星術師は無音で歩み寄り、少女の耳元で囁く。
「まさかとは思うけど、逃げようなんて思っていないだろうね?」
突然の言葉に、ユカリは心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥る。心臓がバクバクと音を立て始め、背中に嫌な汗が滲んだ。
動揺を悟られてはならない、その一心で平常を装いながら、ユカリは窓越しに占星術師へと強気な笑みを見せた。
「あーしが逃げる? なんでそう思った?」
「君は他の子供たちよりも賢いと評判だよ。それこそ、神の子とでも比喩できるほどにはね。逃避行の計画を立てることくらい、楽勝かもしれないじゃないか」
ユカリの問いに対し、占星術師は気味が悪いほど落ち着いた声で返答する。だが、その言葉とは裏腹に、奴の目にはユカリを脅かそうとする意志が宿っているように見えた。
「安心したまえ。儀式は明後日に迫っている。君たちはもうすぐ『自由』になれる」
奴の意図など、ユカリにはわからない。ただ、震える身体を制御しようと試みながら、自分の心を何とか奮い立たせたユカリは、再び口を開く。
「────何が自由だ。白々しい」
ユカリの口は笑っていたが、恨めしい目で占星術師を見遣っている。子供に睨まれているにもかかわらず、占星術師は状況にそぐわぬような微笑みを浮かべる。
「ここにはまともな大人がいない。子供に勉強しろとか言わないし、最低限の衣食住しか用意していない。親が迎えに来たり面会に来る気配もないし、そもそもこの村の大人と子供の数は偏りすぎてる。あーしにはそれが不気味でならない」
「そんなことを言うのはこの村で君だけだよ。君は飛び抜けた天才児みたいだね。だから、普通の子供たちとは気が合わない」
「友達は数多けりゃいいわけじゃないし。あーしには大切なものが少しあればいいよ」
「……まあ所詮、無力な子供に過ぎない。その大切なものを奪えば、すぐにでもこちらの思惑通りになるよ」
そう言うと、占星術師はユカリに背を向けて去っていく。
奴の姿が完全に見えなくなったとき、ユカリの緊張が一気に解けた。その場にへたり込み、震える身体を冷たい壁に預ける。自分の無力さを嫌と言うほど感じながら、壁に拳を押し付ける。
「それが大人のやることかよ。だから信用できないんだ」
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同じく、真夜中。明かりが消えた建物たちを眺める者が、一人佇んでいた。腰よりも長い薄橙色の髪をなびかせ、踊り子のような輝かしい橙色の装束のまま、夜風に吹かれている。
「こんなところにいては風邪を召されますよ、アスタルテ様」
そんな少女の元に、二人の白いローブの男女が近づいた。声をかけたのは女性の方だった。
踊り子風の少女──アスタルテは、二人を振り返る。彼女は硬く微笑みを浮かべていた。
「ふふっ、まるで人間に対する気遣いだねぇ。ボクは年中、無病息災だよ?」
「もちろん、わかっておりますが。くれぐれもご無理はなさいませぬよう。あまり目立つ行動をとると、我々の存在が露見する恐れがありますぞ」
アスタルテは初老の男の言葉に「そうだねぇ」と軽く笑い、夜空を仰いだ。
満月が金色に輝き、静かな村の屋根を優しく染め上げている。川の水面もまた、月の光を受けて揺らめいていた。
「二人とも。今夜の満月はとても綺麗に輝いているよ。星明かりもよく映える」
「左様でございますな。しかし、見下ろしているのは月と星ばかりではありますまい」
初老の男──カトラスは低く言いながら、村の方を見つめた。その視線はただの旅人のものではない。どこか探るような、あるいは見極めるような色を宿している。
「この村には悪魔が潜んでおりまする。今回も同様、あなた様の宿敵でしょう」
「ボクもそう見ているよ。ここの慣習はちょっとどころでなく歪だしね」
「やはり……ここでも悲劇が繰り返されているみたいです」
ローブの女──ローゼマリーの呟きに、アスタルテは黙って頷く。
「子供の数が異様に多く、大人が少ない。自由奔放に、されど閉鎖された村で暮らす子供たち。そして、明後日に行われる『儀式』……間違いないね。ここでも『悪魔の目』が生み出されようとしている」
彼女は目を細め、昼間出会った少女の顔を思い浮かべる。
賢く、疑り深く……けれども力強さを秘めた紫の瞳。あの目は、この村の他の子供たちとは違う気がしたのだ。
「ユカリっていったかな。彼女は生きた年数に対して随分と大人びていたね」
「賢すぎるのも時に不幸を招くものですぞ。特に、人間社会においては」
「もしかしたら、この村で行われていることに、気づいているのかもしれませんね」
「……そうだとしたら、なおさら放ってはおけないね?」
微笑みは崩していないものの、その夜空色の目はどこか寂しげな雰囲気を宿していた。カトラスもローゼマリーも、そんな機微に気づいてはいたものの、何も言いだせない。
「さて。夜明けが来たら、ユカリに会いに行こう。叶うことなら、彼女と契約を交わしたいところだ」
「お供致しましょうか?」
「いや、ボクだけで行く。キミたちには悪魔の監視をしてもらわなきゃいけないからね」
ローゼマリーとカトラスは顔を見合わせていた。アスタルテが何を考えているのか、完全に理解することはできない。
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1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
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【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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またぺったんこですか?・・・
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