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最終章「夢見る偽神の存在証明」
236話 古記録:叛逆の観測者について(3)
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*
デウスガルテンの創造主、アスタルテは死んだ。
創造主の死とともに、世界は大きく不安定になった。あらゆる地で「観測者」を生み出しつつ暗躍していた悪魔によって、厄災の種が完全に目覚めた。厄災の種──人はそれを「ヴァニタス」と呼んだ。ヴァニタスと、ヴァニタスに付き従う悪魔によって大地は破壊の限りを尽くされ、人類は鏖殺の恐怖に震えることとなる。悪魔の目とも呼ばれる不滅の子供たちもまた、人類の脅威となり叛逆の機会を奪わせた。
世界が滅びるのも時間の問題になろうとしていたときだった。ローゼマリー、カトラス、ユリウス、ライランの四人は、それぞれ国を治める「王」たる人物であり、当時では最高峰の勢力同士であった。
それが人の身を捨て神となった「原初神」だった。
「エフェメラ。アスタルテ様が亡くなられたという話は、本当なのじゃな?」
神となった者たちの間では最年長であったカトラスが、自分たちの前で世界を傍観する少女に問う。高い崖の上から、煙と焼け焦げた不快な匂いを味わっていた彼女は、名を呼ばれて振り返った。薄緑色の短い髪が焼け焦げた風に揺れ、ダイヤの模様を宿した紫の瞳が彼らを捉える。
エフェメラ────彼女は自分のことをそう名乗っている。大人である彼らよりもひ弱な見た目をしているのに、少しも動揺したり疲れた様子も見せず、落ち着いている。
「ああ。アスタルテが死んだ瞬間、あのひとの記憶が全部あーしの中に流れ込んできた。正直死にそうだったわ、全部理解しようとすると脳が破裂しそうだったもん」
「それよりワタシ、気になってることがあるんだけど。なんでアナタがアスタルテ様の記憶なんて持ってるの」
カトラスの隣に歩み寄って来たのは、黒髪と青い瞳、黒く露出度の高い魔女のような装束の女性──ライランだった。問い詰める眼差しは厳しいものの、エフェメラは微塵も狼狽えない。
「あのイカれた儀式の直前にアスタルテと話す機会があってさ。約束してたんだよ、あーしが観測者にされることがわかってたから。アスタルテの持つ二つの『神性』のうち片方をもらっておくことで、奴らの支配から逃れられるようにってね」
「……そんなまさか。『神性』を渡したのは片方だけだとしたら、それだけで死ぬなんてありえないわ」
「でも、あのひとは結果として『神性』をすべて失い、自分の存在を保てなくなって死んだ。別の原因があるんだよ。それをあのひとの配下である『原初神』に教えるかどうかはまた別として」
「あんたもワタシたちと同じだったくせに、随分とドライなのね。助けられたくせに恩もないのかしら? 冷血な女だこと」
横でカトラスに「やめんか!」と諫められつつ、ライランはエフェメラの言葉に不満げに眉をひそめていた。まるでそれが既定路線であったかのように語る少女の態度が、彼女には癪に障ったのだ。
「アスタルテ様の意向に背く気か、ライラン。見苦しいぞ」
ミルクティーアッシュの髪と紅玉の瞳を持つ、王の風格の若い男──ユリウスが苦言を呈する。ライランがキッと目を鋭くさせ、男を睨みつけた。
「黙らっしゃい! 観測者はワタシたちの敵なのよ? 味方に引き入れたところで裏切られるに決まっているわ! ユリウス、アンタ責任とれるの!?」
「それは原初神全員で負うものではないのか。大体、我々だけでは悪魔に太刀打ちできないことは今までの戦いで証明されているだろうが」
「だったら何のためにアスタルテ様の祝福を受け入れたわけ!? あんな奴ら、ワタシたちだけで倒せなくてどうするの!?」
魔女と王が言い争う光景が繰り広げられる。悪魔に作られた存在を味方に引き入れることが、そんなに気に食わないのか。
(まあ、最初から都合よく受け入れてもらえるとは思ってなかったけどさ)
エフェメラは肩をすくめ、変わらず飄々とした様子で空を仰ぐ。灰色に濁った空には黒煙が渦巻き、炎に焼かれた世界の終焉を静かに物語っていた。
「この世界が平和になるのなら────悪魔の目を利用したって構わないわ」
ライランとユリウスの言い争いを止めたのは、金色の杖を地面に突き立てて佇むストロベリーブロンドと金色の瞳の女王だった。ユリウスは口を閉ざすも、ライランは彼女に対しても辛辣な言葉を浴びせる。
「ローゼマリー! あなたもあの裏切り者を信用するつもり!? アスタルテ様はこいつのせいで死んでしまったのよ!?」
「気持ちはわかるわ、ライランちゃん。でも、私たちには時間がない。アスタルテ様のことを想うのなら、このまま何もせずに終わるよりずっといいはずよ」
観測者がより数を増やす前に、悲劇の根を叩かなくてはならない。
腕を組みながら頷いたカトラスの横で、ライランは反発したい欲求を押し殺すかのように長いため息をついた。
「それで? エフェメラ、ワタシたちはこれからどうすればいいのかしら」
「ライランとカトラスは魔物たちを相手取れ。ヴァニタスとあの悪魔には無理して対応しなくていい。とにかく、魔物から人間たちを守ってくれ」
「それが記憶を受け継いだお主の命令だというなら、従わない理由はあるまい。どの道、お主の記憶と知恵がなければわしらの道しるべは皆無に等しいからのう」
「ふん。本当に生意気な娘ね」
カトラスとライランが崖から離れていく中、エフェメラは満足げな微笑みをこぼしていた。
「あー、よかった。第一関門はクリアってところかな」
「エフェメラ。俺とローゼは何をしたらいい?」
「なんでも言ってちょうだいね。できる限り力になるわ」
ユリウス、そして彼の隣に立つローゼマリーが問いかける。エフェメラは彼らに向き直るべく、崖の上に立ち上がって彼らへ近づいた。
「救いたい奴がいるんだ。今なら、観測者に対抗しうる力もある。どうか、あーしの同族を救うのを手伝ってほしいんだ」
「同族? エフェメラちゃんと同じ、観測者ということかしら?」
女王──ローゼマリーが優しく問いかける。エフェメラは少し物悲しげな顔で頷き、空を遠い目で仰いだ。
「……あーしがまだ人間だった頃、よく一緒に遊んでた兄妹がいたんだ。でも、あいつらもあーしと同じように観測者にされた。あいつらを、ヴァニタスから解放してやりたいんだ」
エフェメラの脳裏をよぎる兄妹。本来であれば、二人を助けるのはアスタルテの役目だった。しかし、彼女は約束を果たす前に消えてしまった。自分を神だと豪語しておいてふざけた奴だと思わんでもないが、今の姿にしてくれた恩がある。
ローゼマリーはあらかじめ、人間だった頃の彼女には大事な友人がいることを聞かされていた。その存在を知らなかったユリウスでさえ、その兄妹は重要な存在なのだと読み取れた。
「知っての通り、観測者はヴァニタスの支配を受けた『奴隷』だ。人間世界を観察するためだけに存在し、子供の姿で永遠の時を生きていることを課せられてる。すべてはあの真っ黒な果実と、悪魔の持つ支配の星幽術のせいだ」
「ああ。通常の観測者にこちらの行動を見られてはまずいのだったな。観測者たちの視界はいわば、悪魔とヴァニタスの視界に等しい」
「そうだ。最近、他の観測者の活動がやけにおとなしいんだ。原因はアスタルテの死だと思うんだけど……この戦争が始まったのには、何か別の要因がある気がしてな」
「私もそう思っていたところなのよ、エフェメラちゃん」
穏やかな声で相槌を打ったのは、ローゼマリーだった。エフェメラは空を仰ぐのをやめ、ローゼマリーに目を合わせる。
「つい先日、ある観測者が殺されたという話を聞いたの。そのときはただの噂だと思っていたのだけど、もしかしたらこの戦争とも何か関係があるんじゃないかしらって」
「それならあーしも聞いたな。『観測者殺し』だっけ?」
ローゼマリーの言葉に頷きながら、一度目を逸らす。エフェメラの内にも、不吉な予感が膨れ上がりつつあったのだ。
不滅の存在を殺すことができる「観測者殺し」は当然、並大抵の存在ではない。それゆえに────そんな行為が可能となる者も、ごくごく限られてくる。
「ユーリは兄妹を探してくれ。あーしの予想が正しければ、多分……探している兄妹のどちらかが『観測者殺し』だ」
「それは構わないが。何か焦っていないか」
「そりゃ焦るよ。『観測者殺し』のこともあるけれど、何よりも最優先すべきなのがいるだろ」
ローゼマリーとユリウスは互いに顔を見合わせ、言葉の重みを噛みしめるように沈黙した。
対する叛逆の観測者は、灰色の空を睨みつけていた。
「ここから先の戦いは、苛烈になっていくだけなんだから」
やがて、戦争の終焉が訪れる。
アスタルテの神性を受け継いだ神々と一人の観測者が、ヴァニタスと大規模な戦闘を繰り広げた。最終局面になると、外から侵略してきた悪魔や魔物はほとんど原初神側に狩り尽くされていた。
終局に至る頃には、原初神の中で前線に赴いていたのはローゼマリーだけだった。他の三人は自分たちの国や民衆を敵から守るべく、力を注いでいた。
最後は空での戦いだった。エフェメラはローゼマリーとともに「最凶最悪の存在」──ヴァニタスを叩き潰そうとしていた。ヴァニタスの背後には、占星術師を名乗っていた「悪魔」が控えていた。
「くふふ、これ以上の抵抗は無意味だよ?」
「『《Iratus Falchion》』!!」
悪魔の言葉を一刀両断するかのようだった。エフェメラは、焦げた空を浮遊する白い子供へ身に余るほど巨大な剣を振り下ろした。黒々とした炎をまとった刃は、無機質な表情を浮かべたヴァニタスの身体を大きく傷つけた。
「────」
声のない悲鳴が響き渡る。
当時のヴァニタスの言語能力は著しく低いものだった。返事も返せず人間らしさの欠片もない存在を退治することに、誰も厭うことなどなかった。
「もうすぐ邪魔者はいなくなる。さあ、ヴァニタス様。すべて飲み込んでしまってください」
しかし、ヴァニタスもいくら傷を負っても再生を繰り返し、目に映るすべてを黒い闇へと飲み込もうとする。悪魔の言葉に応じるように、ヴァニタスが腕を伸ばした。
「『《Profundum Atrum》』」
指先から光も何もかも吸い込まんとする闇が生まれ、エフェメラとローゼマリーを捕らえようとする。二人が回避した先にあった地面を闇が飲み込んだ。
言語能力がなくとも、詠唱し魔法を扱う機能だけは備わっていたようで、何もかもを虚無に飲み込まんとエネルギーを浪費していく。
「ちっ! どうやったらこいつを殺せるんだ? なぁ、ローゼ────」
「もう、終わりにしましょう」
金色の杖を両手で構えた女王が冷ややかに告げた。彼らの下に広がる大地は、深く切り裂かれたような跡を多く残している。力尽きた動物や人間たちの骸が無残に転がり、無に帰すのを待つのみとなっていた。
「あのお方が愛した世界を滅ぼす災いなど、あってはならない。もっと早くこうするべきだったようね」
彼女はそんな滅びの光景に耐えられなかった。今すぐに虚無を、誰も手の届かぬ場所へと封じ込めてしまいたかった。
そんな女王の言葉に、悪魔は歪な笑みを向ける。
「ふふ……君もそんな冷たい目ができるんだねぇ? 主を殺されたことがそんなに腹立たしいのかい?」
「お黙りなさい。あなたもこの世界で日の目を見る資格なんてないのよ」
彼女もまた戦いに疲れ果てていたのだと、何より不条理を許せなくなっていたのだと思い知る。
ローゼマリーは顔を上げて目を細め、杖を高く掲げる。
「原初の壱、慈愛の名に於いて啓示せん」
「────させるか!」
「邪魔すんなっ!!」
星幽術の詠唱を妨害しようとする悪魔。エフェメラはアストラルを以て悪魔を牽制する。
金色の光が円環を描き、詠唱が響き渡る。戦火に見舞われてもなお世界を守り抜かんと、杖の宝石に光が満ちる。
「散り注ぐ甘雨の恵みを授けん────『《AbschiedsBlume》』」
円環から白い光が溢れて爆発する。無数の光の欠片が、遠い彼方へと飛び散っていく。白い花びらと見紛うであろう光の雨が世界中へ降り注いだ。
その光は、傷ついた大地を静かに癒す。失われた生命は戻らずとも、土へと還り次の生命を育てる養分になっていく。
「あ、ああ」
「ヴァニタス様……!?」
生きようとする命に力を与える花の雨は、この世を滅ぼさんとする悪魔たちに降り注げば毒になる。ヴァニタスの身体が光に侵食され、力を失っていく。大地を満たし輝く水たまりへと落ちる頃には、ヴァニタスの身体は光となり霧散していた。
「巨悪を鎮めて殺す星幽術か……くふふ、恐れ入った。しかし、その力は元人間が扱うにはいささか身に余るようだよ」
悪魔もまた、輝く花の雨に打たれていた。力を失いかけてもなお浮遊し続けていたが、苦しんでいることは明白だった。
「いくらアスタルテの祝福があれど、君たちでは扱えるアストラルの量に限度がある。その程度では虚無を殺すことなど不可能だ。私もまだ死ぬわけにはいかないのでね────」
捨て台詞を吐き捨てながら、アストラルを行使した。一瞬で姿が見えなくなり、気配がかき消されてしまう。
エフェメラは転移した悪魔の気配を追いきれず、ローゼマリーは星幽術を行使している最中で動けなかった。結果的に逃がしてしまったものの、最大の厄災を殺すことに安堵した。
「……すげーよ、ローゼ。ヴァニタスを殺しちまったのか」
呆気にとられる他なかった。エフェメラの頭の中はヴァニタスらを殺すことばかりで、他の方法を考慮する余裕などなかった。
悪意をかき消す雨が止み始める。雨の勢いが弱くなるにつれて、ローゼマリーの顔に疲労の色が現れ始める。
「はぁ……はぁ……ごめんなさい、エフェメラちゃん」
「え? って、ちょっとローゼ!?」
杖を手放した女王が目を閉じて、大地へと落下していく。彼女が地面に叩きつけられる前に、エフェメラがローゼマリーを受け止めた。大規模な星幽術を行使した彼女に、もはや力は残されていなかった。
デウスガルテンの創造主、アスタルテは死んだ。
創造主の死とともに、世界は大きく不安定になった。あらゆる地で「観測者」を生み出しつつ暗躍していた悪魔によって、厄災の種が完全に目覚めた。厄災の種──人はそれを「ヴァニタス」と呼んだ。ヴァニタスと、ヴァニタスに付き従う悪魔によって大地は破壊の限りを尽くされ、人類は鏖殺の恐怖に震えることとなる。悪魔の目とも呼ばれる不滅の子供たちもまた、人類の脅威となり叛逆の機会を奪わせた。
世界が滅びるのも時間の問題になろうとしていたときだった。ローゼマリー、カトラス、ユリウス、ライランの四人は、それぞれ国を治める「王」たる人物であり、当時では最高峰の勢力同士であった。
それが人の身を捨て神となった「原初神」だった。
「エフェメラ。アスタルテ様が亡くなられたという話は、本当なのじゃな?」
神となった者たちの間では最年長であったカトラスが、自分たちの前で世界を傍観する少女に問う。高い崖の上から、煙と焼け焦げた不快な匂いを味わっていた彼女は、名を呼ばれて振り返った。薄緑色の短い髪が焼け焦げた風に揺れ、ダイヤの模様を宿した紫の瞳が彼らを捉える。
エフェメラ────彼女は自分のことをそう名乗っている。大人である彼らよりもひ弱な見た目をしているのに、少しも動揺したり疲れた様子も見せず、落ち着いている。
「ああ。アスタルテが死んだ瞬間、あのひとの記憶が全部あーしの中に流れ込んできた。正直死にそうだったわ、全部理解しようとすると脳が破裂しそうだったもん」
「それよりワタシ、気になってることがあるんだけど。なんでアナタがアスタルテ様の記憶なんて持ってるの」
カトラスの隣に歩み寄って来たのは、黒髪と青い瞳、黒く露出度の高い魔女のような装束の女性──ライランだった。問い詰める眼差しは厳しいものの、エフェメラは微塵も狼狽えない。
「あのイカれた儀式の直前にアスタルテと話す機会があってさ。約束してたんだよ、あーしが観測者にされることがわかってたから。アスタルテの持つ二つの『神性』のうち片方をもらっておくことで、奴らの支配から逃れられるようにってね」
「……そんなまさか。『神性』を渡したのは片方だけだとしたら、それだけで死ぬなんてありえないわ」
「でも、あのひとは結果として『神性』をすべて失い、自分の存在を保てなくなって死んだ。別の原因があるんだよ。それをあのひとの配下である『原初神』に教えるかどうかはまた別として」
「あんたもワタシたちと同じだったくせに、随分とドライなのね。助けられたくせに恩もないのかしら? 冷血な女だこと」
横でカトラスに「やめんか!」と諫められつつ、ライランはエフェメラの言葉に不満げに眉をひそめていた。まるでそれが既定路線であったかのように語る少女の態度が、彼女には癪に障ったのだ。
「アスタルテ様の意向に背く気か、ライラン。見苦しいぞ」
ミルクティーアッシュの髪と紅玉の瞳を持つ、王の風格の若い男──ユリウスが苦言を呈する。ライランがキッと目を鋭くさせ、男を睨みつけた。
「黙らっしゃい! 観測者はワタシたちの敵なのよ? 味方に引き入れたところで裏切られるに決まっているわ! ユリウス、アンタ責任とれるの!?」
「それは原初神全員で負うものではないのか。大体、我々だけでは悪魔に太刀打ちできないことは今までの戦いで証明されているだろうが」
「だったら何のためにアスタルテ様の祝福を受け入れたわけ!? あんな奴ら、ワタシたちだけで倒せなくてどうするの!?」
魔女と王が言い争う光景が繰り広げられる。悪魔に作られた存在を味方に引き入れることが、そんなに気に食わないのか。
(まあ、最初から都合よく受け入れてもらえるとは思ってなかったけどさ)
エフェメラは肩をすくめ、変わらず飄々とした様子で空を仰ぐ。灰色に濁った空には黒煙が渦巻き、炎に焼かれた世界の終焉を静かに物語っていた。
「この世界が平和になるのなら────悪魔の目を利用したって構わないわ」
ライランとユリウスの言い争いを止めたのは、金色の杖を地面に突き立てて佇むストロベリーブロンドと金色の瞳の女王だった。ユリウスは口を閉ざすも、ライランは彼女に対しても辛辣な言葉を浴びせる。
「ローゼマリー! あなたもあの裏切り者を信用するつもり!? アスタルテ様はこいつのせいで死んでしまったのよ!?」
「気持ちはわかるわ、ライランちゃん。でも、私たちには時間がない。アスタルテ様のことを想うのなら、このまま何もせずに終わるよりずっといいはずよ」
観測者がより数を増やす前に、悲劇の根を叩かなくてはならない。
腕を組みながら頷いたカトラスの横で、ライランは反発したい欲求を押し殺すかのように長いため息をついた。
「それで? エフェメラ、ワタシたちはこれからどうすればいいのかしら」
「ライランとカトラスは魔物たちを相手取れ。ヴァニタスとあの悪魔には無理して対応しなくていい。とにかく、魔物から人間たちを守ってくれ」
「それが記憶を受け継いだお主の命令だというなら、従わない理由はあるまい。どの道、お主の記憶と知恵がなければわしらの道しるべは皆無に等しいからのう」
「ふん。本当に生意気な娘ね」
カトラスとライランが崖から離れていく中、エフェメラは満足げな微笑みをこぼしていた。
「あー、よかった。第一関門はクリアってところかな」
「エフェメラ。俺とローゼは何をしたらいい?」
「なんでも言ってちょうだいね。できる限り力になるわ」
ユリウス、そして彼の隣に立つローゼマリーが問いかける。エフェメラは彼らに向き直るべく、崖の上に立ち上がって彼らへ近づいた。
「救いたい奴がいるんだ。今なら、観測者に対抗しうる力もある。どうか、あーしの同族を救うのを手伝ってほしいんだ」
「同族? エフェメラちゃんと同じ、観測者ということかしら?」
女王──ローゼマリーが優しく問いかける。エフェメラは少し物悲しげな顔で頷き、空を遠い目で仰いだ。
「……あーしがまだ人間だった頃、よく一緒に遊んでた兄妹がいたんだ。でも、あいつらもあーしと同じように観測者にされた。あいつらを、ヴァニタスから解放してやりたいんだ」
エフェメラの脳裏をよぎる兄妹。本来であれば、二人を助けるのはアスタルテの役目だった。しかし、彼女は約束を果たす前に消えてしまった。自分を神だと豪語しておいてふざけた奴だと思わんでもないが、今の姿にしてくれた恩がある。
ローゼマリーはあらかじめ、人間だった頃の彼女には大事な友人がいることを聞かされていた。その存在を知らなかったユリウスでさえ、その兄妹は重要な存在なのだと読み取れた。
「知っての通り、観測者はヴァニタスの支配を受けた『奴隷』だ。人間世界を観察するためだけに存在し、子供の姿で永遠の時を生きていることを課せられてる。すべてはあの真っ黒な果実と、悪魔の持つ支配の星幽術のせいだ」
「ああ。通常の観測者にこちらの行動を見られてはまずいのだったな。観測者たちの視界はいわば、悪魔とヴァニタスの視界に等しい」
「そうだ。最近、他の観測者の活動がやけにおとなしいんだ。原因はアスタルテの死だと思うんだけど……この戦争が始まったのには、何か別の要因がある気がしてな」
「私もそう思っていたところなのよ、エフェメラちゃん」
穏やかな声で相槌を打ったのは、ローゼマリーだった。エフェメラは空を仰ぐのをやめ、ローゼマリーに目を合わせる。
「つい先日、ある観測者が殺されたという話を聞いたの。そのときはただの噂だと思っていたのだけど、もしかしたらこの戦争とも何か関係があるんじゃないかしらって」
「それならあーしも聞いたな。『観測者殺し』だっけ?」
ローゼマリーの言葉に頷きながら、一度目を逸らす。エフェメラの内にも、不吉な予感が膨れ上がりつつあったのだ。
不滅の存在を殺すことができる「観測者殺し」は当然、並大抵の存在ではない。それゆえに────そんな行為が可能となる者も、ごくごく限られてくる。
「ユーリは兄妹を探してくれ。あーしの予想が正しければ、多分……探している兄妹のどちらかが『観測者殺し』だ」
「それは構わないが。何か焦っていないか」
「そりゃ焦るよ。『観測者殺し』のこともあるけれど、何よりも最優先すべきなのがいるだろ」
ローゼマリーとユリウスは互いに顔を見合わせ、言葉の重みを噛みしめるように沈黙した。
対する叛逆の観測者は、灰色の空を睨みつけていた。
「ここから先の戦いは、苛烈になっていくだけなんだから」
やがて、戦争の終焉が訪れる。
アスタルテの神性を受け継いだ神々と一人の観測者が、ヴァニタスと大規模な戦闘を繰り広げた。最終局面になると、外から侵略してきた悪魔や魔物はほとんど原初神側に狩り尽くされていた。
終局に至る頃には、原初神の中で前線に赴いていたのはローゼマリーだけだった。他の三人は自分たちの国や民衆を敵から守るべく、力を注いでいた。
最後は空での戦いだった。エフェメラはローゼマリーとともに「最凶最悪の存在」──ヴァニタスを叩き潰そうとしていた。ヴァニタスの背後には、占星術師を名乗っていた「悪魔」が控えていた。
「くふふ、これ以上の抵抗は無意味だよ?」
「『《Iratus Falchion》』!!」
悪魔の言葉を一刀両断するかのようだった。エフェメラは、焦げた空を浮遊する白い子供へ身に余るほど巨大な剣を振り下ろした。黒々とした炎をまとった刃は、無機質な表情を浮かべたヴァニタスの身体を大きく傷つけた。
「────」
声のない悲鳴が響き渡る。
当時のヴァニタスの言語能力は著しく低いものだった。返事も返せず人間らしさの欠片もない存在を退治することに、誰も厭うことなどなかった。
「もうすぐ邪魔者はいなくなる。さあ、ヴァニタス様。すべて飲み込んでしまってください」
しかし、ヴァニタスもいくら傷を負っても再生を繰り返し、目に映るすべてを黒い闇へと飲み込もうとする。悪魔の言葉に応じるように、ヴァニタスが腕を伸ばした。
「『《Profundum Atrum》』」
指先から光も何もかも吸い込まんとする闇が生まれ、エフェメラとローゼマリーを捕らえようとする。二人が回避した先にあった地面を闇が飲み込んだ。
言語能力がなくとも、詠唱し魔法を扱う機能だけは備わっていたようで、何もかもを虚無に飲み込まんとエネルギーを浪費していく。
「ちっ! どうやったらこいつを殺せるんだ? なぁ、ローゼ────」
「もう、終わりにしましょう」
金色の杖を両手で構えた女王が冷ややかに告げた。彼らの下に広がる大地は、深く切り裂かれたような跡を多く残している。力尽きた動物や人間たちの骸が無残に転がり、無に帰すのを待つのみとなっていた。
「あのお方が愛した世界を滅ぼす災いなど、あってはならない。もっと早くこうするべきだったようね」
彼女はそんな滅びの光景に耐えられなかった。今すぐに虚無を、誰も手の届かぬ場所へと封じ込めてしまいたかった。
そんな女王の言葉に、悪魔は歪な笑みを向ける。
「ふふ……君もそんな冷たい目ができるんだねぇ? 主を殺されたことがそんなに腹立たしいのかい?」
「お黙りなさい。あなたもこの世界で日の目を見る資格なんてないのよ」
彼女もまた戦いに疲れ果てていたのだと、何より不条理を許せなくなっていたのだと思い知る。
ローゼマリーは顔を上げて目を細め、杖を高く掲げる。
「原初の壱、慈愛の名に於いて啓示せん」
「────させるか!」
「邪魔すんなっ!!」
星幽術の詠唱を妨害しようとする悪魔。エフェメラはアストラルを以て悪魔を牽制する。
金色の光が円環を描き、詠唱が響き渡る。戦火に見舞われてもなお世界を守り抜かんと、杖の宝石に光が満ちる。
「散り注ぐ甘雨の恵みを授けん────『《AbschiedsBlume》』」
円環から白い光が溢れて爆発する。無数の光の欠片が、遠い彼方へと飛び散っていく。白い花びらと見紛うであろう光の雨が世界中へ降り注いだ。
その光は、傷ついた大地を静かに癒す。失われた生命は戻らずとも、土へと還り次の生命を育てる養分になっていく。
「あ、ああ」
「ヴァニタス様……!?」
生きようとする命に力を与える花の雨は、この世を滅ぼさんとする悪魔たちに降り注げば毒になる。ヴァニタスの身体が光に侵食され、力を失っていく。大地を満たし輝く水たまりへと落ちる頃には、ヴァニタスの身体は光となり霧散していた。
「巨悪を鎮めて殺す星幽術か……くふふ、恐れ入った。しかし、その力は元人間が扱うにはいささか身に余るようだよ」
悪魔もまた、輝く花の雨に打たれていた。力を失いかけてもなお浮遊し続けていたが、苦しんでいることは明白だった。
「いくらアスタルテの祝福があれど、君たちでは扱えるアストラルの量に限度がある。その程度では虚無を殺すことなど不可能だ。私もまだ死ぬわけにはいかないのでね────」
捨て台詞を吐き捨てながら、アストラルを行使した。一瞬で姿が見えなくなり、気配がかき消されてしまう。
エフェメラは転移した悪魔の気配を追いきれず、ローゼマリーは星幽術を行使している最中で動けなかった。結果的に逃がしてしまったものの、最大の厄災を殺すことに安堵した。
「……すげーよ、ローゼ。ヴァニタスを殺しちまったのか」
呆気にとられる他なかった。エフェメラの頭の中はヴァニタスらを殺すことばかりで、他の方法を考慮する余裕などなかった。
悪意をかき消す雨が止み始める。雨の勢いが弱くなるにつれて、ローゼマリーの顔に疲労の色が現れ始める。
「はぁ……はぁ……ごめんなさい、エフェメラちゃん」
「え? って、ちょっとローゼ!?」
杖を手放した女王が目を閉じて、大地へと落下していく。彼女が地面に叩きつけられる前に、エフェメラがローゼマリーを受け止めた。大規模な星幽術を行使した彼女に、もはや力は残されていなかった。
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エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~
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エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。
主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。
追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。
さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。
疫病? これ飲めば治りますよ?
これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
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転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
少し冷めた村人少年の冒険記
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辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
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