ディバイン・レガシィー -箱庭の観測者-

月詠来夏

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最終章「夢見る偽神の存在証明」

238話 古記録:叛逆の観測者について(5)

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 庭を見て回っていたアスタとヴィータを呼び戻し、エフェメラたちは庭園のガゼボへと移動した。三人の子供たちが席につき、ローゼマリーがティーセットで紅茶を淹れ始める。温かな空気に、薔薇の甘い香りが漂った。

「お姉様。お話とはなんですか?」
「これからのことについて話しておかなきゃならんと思ってな。ヴィーは心配ないと思うけど、アスもちゃんと聞いとけよー?」
「わかってるよ、エフェ。あっロミー、ボクチーズケーキも食べたい!」
「ほんとにちゃんと聞く気あるんだろうな!?」
「ごめんなさいねぇ、今日は用意してないの。紅茶だけで我慢してね」

 朗らかに笑いつつティーカップを置くローゼマリー、唇を尖らせるアスタ。そんな二人を呆れた様子で見つめる、ヴィータとエフェメラ。
 四人は紅茶を口にしつつ、甘く優しい香りを静かに味わっていた。

「アスタちゃん、ヴィータちゃん。まだ戦いは終わりじゃないって話は、エフェメラちゃんから聞いているわね」

 穏やかな時間の中で、ローゼマリーが淡々と切り出した。

「底知れぬ虚無は必ず再来する。あなたたちには、私たちに協力してもらう義務があるの」

 紅茶で満たされたティーカップをテーブルに置いたローゼマリーは、兄妹へと真剣な眼差しを向けた。

「あまりこういう言い方はしたくないのだけど……あなたたちは悪魔の支配の影響を受けていたとはいえ、命をいくつも奪っている。エフェメラちゃんの力で支配から解放してあげられただけで、命を奪った罪は消せない。私たちへの協力が義務と言ったのは、その贖罪もあるからなの」

 観測者を味方に引き入れるということは、敵として背負っているリスクごと受け入れなくてはならないことを意味する。悪魔の目としての罪を無視することはできない。
 それに、原初神の中には観測者を味方に引き入れることを反対する者もいる。ライランやカトラスがそうだ。

「ただ、底知れぬ虚無から生命を守るのに、観測者の力は絶対的な切り札となるのは事実。約束さえ守ってくれれば、あなたたちの身の上は保証するわ」
「約束?」

 アスタが尋ね、ローゼマリーは静かに頷く。

「あなたたちはもう、悪魔とは手を切った。だから、これからは人間を守るために戦うの。決して、人間を傷つけないで」

 重くも温かな誓約を前に、アスタとヴィータは言葉を詰まらせる。しばらくの沈黙が、風に揺れる薔薇の葉擦れにかき消される。

「……お兄様は、どうなさるのですか?」

 ヴィータは、隣に座るアスタへ答えを求めた。クローバーを宿した赤い瞳には、ほんの少しの迷いが見える。
 妹とは反対に、アスタは力強い目をしていた。

「それがロミーの願いなら、ボクは従うよ。人間は守るって約束したから」
「ふふ、そうねぇ。アスタちゃんはすでにあのお方と約束してたんだものね」
「……あのお方? どのお方です?」
「ヴィーには秘密ー。ねー、ロミー?」

 ちょっと甘えたような話しぶりに、ローゼマリーは小さく笑うだけ。最後までどこか締まりのない雰囲気だったのもあり、ヴィータはため息をついた。

「ヴィーはどう? 何か考えてることとかある?」

 そんな彼女たちのやり取りを満足そうに眺めていたエフェメラは、ヴィータに声をかけた。

「お姉様は……わたしとお兄様の力を必要としているのですか? わたし、お姉様のお役に立てるかどうか……」
「確かに力は必要だよ。でも、そんな気負ったりしなくていい。ヴィーは頭の回転早いんだから、知識を蓄えたりすれば応用も利くようになるよ。ヴィー、本読むの好きだったろ?」
「……言われてみると、そうだった気がします」
「本は知識の宝庫だからな。あーしみたいに色々蒐集して、資料やら書記やら何らかの形で残したりするといいぞ」
「お姉様みたいに器用な真似をするのは難しいと思いますが……やれるだけやってみます」

 ヴィータは、自信に溢れたエフェメラの言葉に小さく微笑み返す。多少は迷いを晴らせたかもしれない、と微笑まれた本人は思う。
 彼女らは、互いの決意を確かめるかのように目を合わせた。やがて、エフェメラはダイヤを宿した紫の瞳を仲間たちに向ける。

「戦うと決めた以上、あーしは必ずヴァニタスをぶっ飛ばす。だから誓ってほしい。虚無に飲まれるな。生きることを諦めるな。どれだけ過酷な戦いになろうと、最後まで足掻き続けろ。それが、あーしとローゼと、アスとヴィーの約束だ」

 アスタもヴィータも、ローゼマリーも黙って頷いた。大いなる存在と相対する覚悟が、この時決まったのだ。
 覚悟は呪いのような約束として、後の時代まで守られ続けることになる。



 誓いのお茶会を終えた後、ローゼマリーはアスタとヴィータを連れて自分の城に戻った。エフェメラは一人花園に残っていたが、城の方向には歩かず領域から離れようとしていた。

「話は終わったようじゃのう」

 ローゼマリーの庭園の出入り口に初老の男が佇んでいた。筋肉質の褐色の肌が植木の隙間から見えた時点で、エフェメラはその存在を察知していたものの。

「今後はああいう方針でやっていく。わざわざ盗み聞きしなくたって、あとで伝えるつもりだったんだけど」

 男──カトラスは、味方に引き入れた観測者を未だに警戒していた。それゆえに、エフェメラもカトラスに対し心を許しきれていなかった。

「すまんな。これでもわしは用心深い方なのでな」
「あっそ。で? あーしが一人になるタイミングでここに来たってことは、言いたいことでもあるんだろ」

 カトラスはエフェメラに向き直り、一息をついてから口を開く。

「あの兄妹をローゼたちの城に置いておくつもりか? それは不公平というものだろう」
「確かにヴィータを先に見つけたのはそっちだけど。不公平も何もないだろ」
「味方に引き入れるのは勝手じゃが、この国だけに住まわせるとなれば話は別じゃ。リスクを考えておるのかえ?」

 子供に向けるものとは思えぬほど真剣で、厳しい顔つきだった。エフェメラは腕組みをしてカトラスを見上げたものの、仏頂面で口を固く閉じている。

「人間たちにとって、観測者は畏怖の象徴じゃ。わしら原初神よりも遥かに恐れられているのだぞ。そんなものをこの国だけで管理するとなっては、原初神で『連合王国』の体裁をとった意味を成さない」
「あーしの友達をそんな風に言うな」
「お主にも言えることだぞ、エフェメラ。お主に至っては裏切った観測者の第一人者だろう。お主を救世主と崇める者もいる反面、いつ悪魔側に寝返るか恐れる者もいることくらい把握しているはずじゃ」

 エフェメラは口を噤んだまま、カトラスの鋭い指摘に対しすぐには反論できなかった。
 自分は「叛逆の観測者」。それが一部では英雄として讃えられる一方で、危険因子として見られていることは百も承知だった。戦う術を持たない人間たちであれば当然の心理だと割り切るしかなかった。
 あの戦争の前では、すべての生命が手を取り合って生きるなど、理想論に過ぎなかったのだから。

「リスクは分散させるに限る。ヴィータをこちらの国に預けてはくれぬか。そうすれば、連合を組んだ二つの国は対等だと民に示すことができる」
「それはライランが黙っちゃいないだろ。誰よりも観測者を排除したがっているのに」
「あやつはローゼもユリウスも信用しきっておらんからのう。アスタルテ様のこともあって味方と思っておるが、ローゼたちが優勢になるような状況を望んでいるわけではない。民衆が考えていることも同様じゃ。人間たちはこちらの事情など知らぬのだからな」

 考えとして理解できないわけではない。むしろ、民衆に対して観測者の存在を隠すことはできないとなれば、民衆の王である原初神の口から存在を示すのが効果的だろう。

「確かに二人とも、王たる力は十分有している。それでも、ローゼは昔からどこか現実を甘く見ておるようだからな。本当にお主らの身の上を考えるのなら、この方が確実だと思うのだが」
「……あーしらは都合よく生きちゃ悪いのかよ」
「都合よく生きたいのなら、体裁だけでもどうにかしろと言っておるのじゃ」

 エフェメラは無言のまま、カトラスから視線を逸らした。庭園の外れ、木立の間から差し込む陽光が彼女の頬を照らす。
 静かだった。草葉が風に揺れる音だけが響いている。平和な日々のあるべき姿がここにある。少しでも長く平穏が続くと思えば、兄妹も納得してくれるかもしれない。
 深くため息をついた彼女は拗ねていると一目でわかる。それでもカトラスは表情を変えない。

「一応話はしとく。でも、カトラスからもちゃんと言いなよ。怒らせても責任とらんからね」
「筋は通すわい。それに引き離す形にはなるが、好きに会っても文句は言わん。自由を奪いたいわけではないからのう」
「奪う気だったら速攻で拒否するところだったぞ」
「なんなら、わしがお主に『フラフラするな』と言いたいところじゃがな。わしらの言うことなど聞かないじゃろう」

 余計なお世話だよと言い返すエフェメラに対し、カトラスの態度は意外にも柔らかかった。
 彼なりに観測者の存在を割り切ろうとしているのだろう。人間だったからこそ複雑な思いを抱いているだけだということも、ちゃんとわかっている。

「のう、エフェメラ。お主はなぜ一つの場所に留まろうとしないのじゃ?」
「えらく息苦しい生活をさせられていたからね。これからは自由に生きていたいんだよ。退屈だけど、色々怯えて生きるよりはマシなんだ」

 視界の隅に重苦しい光景がよぎる。大きく抉られた大地、煙で灰色になった空、無数の悲鳴や涙で彩られた悲劇。
 今は仮初の平和を得ているだけ。本当の平和を噛みしめる日が来るかさえわからない。ならば、平和を得るために足掻くのみだ。
 エフェメラは不敵な笑みを浮かべ、カトラスを見上げていた。

「王が国に不在なのはよろしくないだろ? どこにも属さぬあーしは、フラフラしながら本当の平和を掴み取る方法を探す。この世のすべてを集めて、組み合わせて、いずれは厄災も悪魔も殺してやるんだ」

 究極の自由人でありながら、誰よりも不条理を憎み一途に平和を求める。それが彼女の選んだ生き方であった。
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