ディバイン・レガシィー -箱庭の観測者-

月詠来夏

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最終章「夢見る偽神の存在証明」

250話 悲劇の紡ぎ手(2)

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 *

 目を開けたとき、世界が燃えている光景が見えた。花が散るように生命の炎が消えていく。儚い輝きが残っても、あまりにも小さく弱い光は闇に溶けてしまう。

「……お、にい、さま……」

 いつの間にかわたしの声はか細くなり、風に消え入りそうだった。焼け爛れるような空気の中で、わたしは倒れ伏したまま動けない。
 わたしは、何をしていたのでしょうか。ああ……少しずつ思い出してきた。お兄様とユキアを探していたら、見つかってしまったのでした。

「お兄様……どうして……」

 残酷な現実は、いつもこうしてわたしを嘲笑う。無力さと愚かさを突きつけられるたびに、心が絶望に沈んでいく。
 朝が訪れたばかりの空を見上げたまま倒れた視界に、お兄様の顔が映り込む。いつもの馬鹿みたいに明るい笑顔はない。その美しい夜空色の瞳は忌まわしい黒に塗りつぶされ、わたし自身のボロボロで情けない姿が映っていた。

「もう、いない。アスタは、ヴァニタスのもの。おまえは、いらない」

 お兄様の口で、お兄様の声で喋っているのは、まったくの別物。それはわたしが身を以て封印していた、底知れぬ虚無の塊。憎しみに似た感情が胸の奥で渦巻く。
 しかし、わたしにはまだ抗う力がある。たとえ一時的に動けなくなっても、異端な身体はすべての機能を再生する。

「だま、りなさいっ……お兄様を、返してッ!!」

 怒りと焦りがわたしの身体を突き動かす。身体を起こすとともに、アストラルの剣をヴァニタスへと突き刺した。どす黒く染められた夜空色の右目に切っ先が刺さり、舞った血がわたしの頬に降りかかる。

「お兄様!! わたしの声が聞こえますか!! 正気に戻ってください、お兄様!!」

 ヴァニタスもこの肉体を乗っ取っている以上、痛みを感じているはずだ。しかし、奴はお兄様の顔で、不気味に口の端を歪めるだけだった。

「おまえのこえはとどかない。『《Trancitory Bladeトランシトリー・ブレイド》』」
「がああぁ────ッ!!?」

 ヴァニタスがわたしに向かって人差し指を横にかざしたとき、身体が引き裂かれるような痛みが走る。空間ごと斬り裂かれて逃れられないまま、身体中に大量の切り傷を刻まれた。
 この星幽術は、よく知っている。

「くっ……お姉様の星幽術は未だ健在ですか……やっぱりあなたは最低最悪の泥棒ですね……!!」

 空間が斬られても、それは一瞬のこと。お兄様の星幽術ほどの威力は持たず、垣間見えた奈落はすぐに消え、空間は元に戻る。わたしの身体も、たちまち再生を始めた。

「……もうすぐ、このからだはヴァニタスのものになる。すべては、むだなこと」
「戯言もいい加減にしなさい! お兄様があなたなんかに屈するとお思いですか!!」

 自らを奮い立たせるように叫んだ。その叫びすら、ヴァニタスに押さえつけられたお兄様には届かないのだろう。
 ヴァニタスはムッとして浮遊し始める。お兄様と違って浮遊能力を持たないわたしでは、追いつけない。

「……しぶとい。こい、クロウリー」
「クロ……えっ」

 その言葉に、違和感を覚えた。同時に背後から殺気を感じ、右腕が断ち切られる。赤いラインの入った黒い刃が、わたしの血で汚れていた。
 斬り落とされた右腕は、すぐに誰かの手によって回収された。自分の一部だった腕が、貪り食われる光景をこの目で見てしまう。

「はぁ……手間取らせやがって……」

 男の声は低く、乾いていた。目の前の惨劇に何の感情も抱いていないかのように、淡々と響く。

「クロウリー……なぜです!?」
「あ? なぜ? んなの今更聞くことか?」

 再生を待つ間も、尋ねずにはいられなかった。クロウリーはわたしを嘲笑うかのように見遣ってくる。

「オレがオマエらの味方だなんて、いつそんなこと言った? オレは最初から誰の味方でもねぇよ。こうなることくらい予想できてただろうが」
「で……でも、裏切るにしては急すぎる心変わりです! 昨日のあなたの行動を見ていたらなおさら理解できません!」

 自分でも驚くくらい、この現状が不可解だった。クロウリーは嗤うのをやめて、黒の鎌を構え直した。

「テメェにオレの何がわかるってんだよ。テメェはクリム以上に、オレのことなんて知らねぇだろうがッ!!」

 黒の刃が迫り、大地を裂かんとする勢いで振り下ろされる。随分と乱暴な太刀筋だった。

「〈闇よ、我が敵を切り裂け〉!!」

 闇の波動が放たれた。わたしは咄嗟に飛び退き、かろうじて直撃を避ける。しかし、肩口がざっくりと裂かれ、血とともに髪の一部が宙を舞った。

「……ぎこちない動き」
「あ?」
「『《Gladiolus Fortiaグラジオラス・フォルティア》』」

 再生したばかりの右腕で、銀の長剣を生み出し振るった。わたしの武器は刃が細く、鎌の軌道を逸らすことしかできなかったが、それだけで十分だった。
 そこで鎌がすぐに振るわれ、剣を弾き飛ばされた。剣を目で追いかけるうちに、胸元を深く切り刻まれる。
 いくらなんでもおかしい……人間的な反応速度ではない。

「……っ、その動き……まさか操られて」
「どう取るかはオマエ次第だよ。なぁ、真なる神サマ?」

 クロウリーが呼びかけたとき、お兄様の身体を奪ったままのヴァニタスがふわりと大地に降り立った。

「おに……、ヴァニタス! あなたの差し金ですか? ふざけた真似はやめなさい!」
「む。ヴァニタスじゃない。ニールがやった。こいつには、あくまのいちぶがはいってるからって」

 ……悪魔の一部? そんな話、初耳だった。
 しかし、これでわたしの中ですべての謎が解けた。なぜ死んだはずのクロウリーが蘇って、クリムの元に帰ってきたのか。そして、なぜ時折謎の飢餓状態に襲われることがあったのか。
 前者は彼自身の「権能」が主な要因だろう。観測者ほどではないにしろ、肉体の再生能力が早いのは悪魔の一部とやらによるものだ。

「……文字通り、悪魔に魂を売ったわけですか」

 もどかしくて、もどかしくてたまらない。どうしようもない憤りがこみ上げてくる。わたしはヴァニタスとクロウリーに、手のひらを向けた。

「わたしたちをこんな身体にして、お姉様や皆さんを殺して……お兄様まで奪って……すべてを無に帰せねば足りないとでもいうのですか」

 目の前が、赤く輝いた。魔力の光じゃない。わたしの中で血液と同様に流れていたアストラルが、侵食する炎となってわたしを包みこんだのだ。

「お姉様を失ってしまった今……お兄様さえいれば、何もいらなかったのに! もし、お兄様も失ってしまったら……わたしは……!!」

 わたしの胸の中で燻る感情は、憤りだけではなかった。後悔、焦燥……きっとそれだけじゃない。今まで周りに隠し続けてきた感情が、アストラルの炎となって爆発した。

「これ以上、わたしたちの世界を荒らさないで!! 『《Clava Ardorクラーワ・アルドル》』!!」

 わたしのアストラルは、燃え盛るクローバーとなって敵に絡みついていった。毛細血管のように細く数の多い蔓でさえ、触れれば火傷は免れないほどに燃えている。ヴァニタスはともかく、人間が素体の神が触れれば焼け死ぬだろう。
 炎の中で、クロウリーが一瞬戸惑ったような表情を見せた。だが、ヴァニタスは虚ろな表情を崩さず、わたしの方を指さした。

「やっちゃえ」
「く、そ────っ」

 命令されたクロウリーの腕が、不可視の力に抵抗するかのように固まった。だが、すぐに鎌を構えられるよう動き出す。

「〈AstroArtsアストロアーツ〉……!」

 黒い鎌に、さらに歪で黒い光が宿った。光をまとった鎌が振るわれ、炎のクローバーが切り裂かれていく。切り裂いて生まれた隙間を縫うように、彼はわたしの元へ突っ込んできた。

「あなたこそ、勘違いしないでくださいね。わたしは、冷血な女ですから」

 だが、とめどなく溢れるわたしのアストラルは止まる気配はない。

「たとえ操られていようがいまいが、奴らに加担するなら許しません」

 わたしの言葉に呼応するように、クローバーの燃える勢いが増した。突っ込んできたクロウリーは、必然的にその炎に巻き込まれた。

「ああああぁぁぁっ!!」

 断末魔のような叫び声が響き渡る。そんなものを聞いてもわたしの怒りは収まらない。
 クローバーに燃やされた厳つい身体が、その場に崩れ落ちた。炭のように黒くなりかけているが、微かにうめき声が聞こえている。
 わたしはアストラルを込めた指をクロウリーへ伸ばす。彼をあの星幽術で、百合の花の中に閉じ込めてしまえば、それで終わり。

「……オレなんかを相手にしてる暇なんか、あんのかよ……?」

 術を行使しようとしたわたしに対し、クロウリーが掠れた声で問いかけた。やはり、まだ火力が足りなかったか。

「もうあなたの声など聞きたくありません。黙って焼かれなさい」
「…………本当に? オレを殺しても大丈夫か? お優しい断罪神サマの、大事な大事な相棒サン?」
「っ、黙れと言っているのです!!」

 わたしは手を引っ込めて、炭になりかけた身体を蹴り飛ばした。屈強な身体が力なく地面を転がっていく。

「クリムを何度も裏切ったあなたに、それを口にする資格などありません!! どれだけ彼を傷つければ気が済むのですか!? あなたのような悪魔こそ、ここで殺されればいいんです!!」

 もう一度手を伸ばし、アストラルを指先へ込めようとした。早くやらなきゃいけない。手加減などしなくていい。
 わかっているのに……白銀の翼が脳裏をちらついて、集中できない。

「……罪悪感」

 性懲りもなく、黒い翼の男は呟いた。わたしの心を見透かすように。

「ヴィータ……オマエがまだ人でいられるのは、罪悪感があるからだ。それさえ失って、オレを殺せば……オマエは兄と同じ、化け物になるぞ」
「お兄様を化け物呼ばわりしないでください!! わたしは────」

 言いかけて気づいた。いつの間にか、自分の視野がひどく狭まっていることに。
 殺すことに罪悪感を覚えなくなったら、それはもう善良とは言えない。堕ちきった悪魔だ。
 最凶最悪の存在に乗っ取られた今のお兄様は────周りからは、化け物にしか見えないんだ。

「まあ……生かすか殺すかはそっちの勝手だ。やりたいならやればいいが、その罪悪感だけは忘れるなよ」
「……誰があなたの思い通りになるものですか。わたしはあなたを殺しても、罪悪感なんて抱かない」
「ふっ。本当に罪悪感がないんだとしたら終わりだな。ティアルを死なせておいて、何も思わなかったってことだしな」
「────っ!!!」

 嘲笑われて、冷静さを欠いていく。なぜ、そんなに他人の心を揺さぶれるんだ。
 わたしが、この男に対して何を抱くという? 罪悪感? そんなものを抱く価値など、この男にはない。
 けれど……ティアルの名前が出た瞬間、自分の罪深さを思い出してしまった。
 どれだけ周囲が「仕方がなかった」「あれが彼女の選択だった」と慰めたとて意味がない。わたしの術に巻き込まれる形で、ティアルは死んだ。その事実はどう足掻いても覆せないからだ。
 
「オレだって、一応はデウスガルテンとやらに生まれた命なわけよ。悪魔らはともかく、オレを殺すことに罪悪感も抱けないというのなら、オマエはヴァニタスやニールと同じだ。この世界を侵略する、人間以下の化け物に成り下がる。そうなったオマエに、クリムの相棒でいる資格はあるのか? そもそも、クリムがそんなオマエの存在を許すと思うか?」
「っ……そんな戯言で、わたしを惑わせないでください……!!」
「オマエもそうやって自分に嘘を吐くってか。いずれ居場所も全部失うってのに……まあ、『冷血な女』にはそれがお似合いなのかもしれねぇがな?」

 堕天使は嘲笑うことすらやめて、真顔でわたしの心を容易く抉っていく。それで言葉を失ってしまうほどに、わたしの罪悪感は大きく膨れ上がっていたのだ。
 冷たく毅然と振る舞っていたわたしは、わたしが作った仮面。わたしは脆い仮面を被り続けてきた。お兄様とお姉様以外を近づけない、冷血な女を演じ続けたつもりだったのに。
 被っていた仮面は……いつから、壊れてしまっていたのでしょうか。
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