ディバイン・レガシィー -箱庭の観測者-

月詠来夏

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最終章「夢見る偽神の存在証明」

254話 Yukia(3)

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 *

 背中から伝わってきた熱が、冷え切っていたはずの胸の奥にじんわりと染み込んでいく。
 私はゆっくりと息を呑み、固く閉ざしていた瞼を静かに開けた。

「────あなたも、たくさん後悔してきたんだね」

 私たちと同じだったのね。
 絶対的な虚無の中ですら、手を伸ばすことには意味があった。死してなお、その魂は誰かの未来を照らす力となるのだと、その存在をもって証明してくれた。

「私、ずっとあなたのようになりたくて生きてきた。カイザーみたいに強くて立派な神になりたかったんだ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけどよ。本当の俺は今のお前となんら変わりない。お前なら、俺のことだって超えられるさ」
「それは買いかぶりすぎ。でも……あなたにそう言ってもらえるなら、嬉しいや」

 ならばなおのこと、私がここで手を伸ばさない理由などない。生きることを諦めさえしなければ、希望はすぐそこにあるのだと。あなたがそう言ってくれるのなら。

「お前なら大丈夫だ。悪魔の声なんて簡単に振り払えるさ。俺はお前を信じてるから」
「……うん」
「ユキア、お前も俺を信じてくれ。この魂が在る限り、何度でもお前を助けてやる。だから戦え。二度と光を見失ったりするな」
「わかった。信じるよ、カイザー」
「次に力を使った時、俺は本当に消えるだろう。でも……俺は絶対に後悔しない。だからお前も、自分が後悔しない道を選べ」

 静かに誓い合ってすぐに、背中の温もりがふっと消えた。けれど寂しくはなかった。私の中には淡い希望が息づいているとわかっているから。
 やがて。黒い水面の向こうにあった光が再びその輪郭を取り戻し、忌々しい悪魔の声が、再び耳に届き始めた。

「驚いたよ。私の術を以てしても、君を堕としきれないなんて。永世翔華神は随分と君に肩入れしているようだな」

 奴は私がすべてを遮断していたことも気にかけず、そんなことを言う。私が完全に堕ちたと思い込んでいたのなら、誤算も甚だしい。

「私を堕とす、ですって? あんな誘い文句で? 随分と安く見られたものね」

 悪魔の端正な顔が、少し歪んだ。よほど生意気な女に見えるらしい。
 ああそうよ、私は本来目上の神に生真面目バカと軽口叩けるくらいには生意気なのよ。

「あんたが言ったのよ、ニール。気高さは最後まで持ち続けろってね。でないと、面白くないんでしょ?」

 今更、何を恐れる必要があった? 怖かったのは何だった?
 アスタに拒絶されたこと? 違う。拒絶されるなんて、今になって始まったわけじゃないでしょ。
 私の知らない間に犠牲が増えていたこと? 過去の私は犠牲が出ても、歩みを止めなかったじゃないか。
 大好きなひとが罪人だったこと? ……そうかもしれない。だから何だ? そんなことで、今更狼狽えるのか?

「私を誰だと思っているの? 忘れたなら教えてやるわ」
  
 この世界は初めから、私に優しくなどなかった。生みの親や周りに夢を否定され、壊されそうになった。相対するものが私を殺そうとしてきたこともあった。
 当たり前だ。世界は何一つ平等じゃない。

「私は最高神の失敗作で、掟破り。世間から見たらろくでもない女神なの」

 夢を諦めることに理由はいらないなら、夢を諦めないことにも理由はいらない。
 私はここにいるから。この世界で生きているから────それだけでいい!

「私は、ユキア・アルシェリア! 神と人間、この世界すべての生命が共存する世界を叶える女神だ!!」

 天に突き上げた人差し指が、目を焼くほどの煌めきを放った。
 私の希望はまだ尽きていない。どれだけ奪われても消えない。私を信じたひとたちを、私に力を託した神たちを思い出せ!

「くふふ……そうか。それが君の答えだというなら、誘惑はここまでにしよう。また絶望して死にたくなったって、知らないよ?」

 悪魔の歪な笑みが闇に沈んで消えていく。戯言に耳を傾けるな。私の大切なものを、今度こそ守り抜け。
 願いを叶えるのは、その後でも遅くないでしょう?

「生きていなきゃ何もできない。夢を叶えることも、好きだって気持ちを貫くことも」

 どれだけ死にそうな思いをしようとも、死を望まれようと。私は生きるよ。



 闇から解放されたと思ったら、凄まじい焦熱が私の身体を焼こうとした。
 はっと我に返った時、私は誰かに黄金の双剣を突き立てていた。相手を建物の壁際まで追い詰め、その両腕に片方ずつ剣を突き刺すことで、動きを完全に封じていたのだ。

「はぁ、はぁ……く、そっ……!!」

 点滅する赤と、緑のオッドアイが私を睨みつけている。肩を上下させて、荒くて乾いた呼吸を繰り返している。身体は血まみれだけど、どういうわけか怪我はあまりしていないみたい。
 本気で殺し合っている最中のような、殺伐とした雰囲気が辺りを支配していた。

「……クリム?」

 本気で状況がわからなくて、とりあえず名前を呼んでみた。睨みつけていた目がはっと見開かれ、向けられていた殺意が急速に萎んでいった。

「え……ユキア? 元に戻ったの?」
「なんか、そうみたい。ていうかこれ、どういう状況? なんで磔になってるわけ?」
「君がやったんでしょ!? はぁぁ、もう死ぬかと思った! こっちは本気で死を覚悟したんだよ!?」

 大げさなほどにため息をついて、安堵したせいか大声を上げた。クリム、人間化の一件があってから妙に感情が表に出るようになったよね。
 色々言いたそうにしているみたいだけど、私は私で必死だったしなー。

「んー、とりあえず……剣抜いていい?」
「いいよ、っていうか早くして! こっちの星幽術の効果が切れるから!」
「はいはい」

 クリムの両腕に刺した双剣を掴み、力を入れて引き抜いた。当然、血が噴き出して痛みに喘ぐわけだが、すぐに驚くべき事象が起きる。
 剣を引き抜くとともに出血が止まり、傷口があっという間に塞がっていった。観測者のような異常な再生力を披露されて、驚かないわけがない。

「わっ、なにそれ。いつの間に覚えたのよ」
「僕は僕で戦ってるってだけさ。君と同じようにね」
「……そっか」

 血まみれなのに妙に怪我が少ないと思ったら、そういうことか。
 クリムがまばたきをしたその瞬間、赤く変色していた右目が金色に戻っていた。彼が言う星幽術のタイムリミットだったらしい。
 さて、私も「戦女神化」を解除して元の姿に戻ることにした。変身を維持できていたとはいえ、いつカイザーが本当に消えてしまうかわかったものじゃないし。

「ふう……これでなんとかなったはずだよ」
「す、すげぇ……! アリアさん、ありがとうございます!!」

 会話していた横で、別の声が聞こえて振り向く。オルフさんがルマンさんを立たせた状態で、アリアに何度も頭を下げていた。

『おい、ユキア』
「はひっ!?」

 地の底から響くようなドスの効いた声で呼ばれ、思わず変な声が出た。
 車体の照明部分にあたる赤い宝石が、怒りを表すかのように明滅しているのを見て、ルマンさんが相当怒っているのだと悟る。

「あ、あのー……なんでしょうか」
『とぼけるな。ボクを壊したことを忘れたとでも言うつもりか?』
「こ、壊したって、ええ!?」
「待て待てルマン! ユキアは敵の魔法か何かで惑わされてたんだよ、なっ?」

 慌ててオルフさんが止めに入ってくれたものの、私の胸中はザワザワして止まらなくなる。
 もしかしなくとも、ニールの術が解けていなかったときの話だ。

「ご、ごめんなさい!! 私……!!」
『そんなに頭を下げるな。別にボクは平気だ。アリアが直してくれたから、もう気にしてない』

 仲間を殺しかけたに等しいことをしたというのに、彼は許してくれるなんて。無骨な見た目に反して案外優しいその言葉に、少しだけ笑みがこぼれた。

「ありがとう、アリア。ルマンさんを助けてくれて」
「ううん、私は当然のことをしたまでだよ」

 なんでもないように笑うけれど、誰かを救うことは当然のことではないと思う。今まで色々あったようだけど、私から見ればアリアの根本はあまり変わっていない気がする。
 私に笑いかけた彼女は、今度はクリムの方へ向き直った。

「クリムもよく頑張ったね。無事にユキアを正気に戻しちゃうなんて、やっぱり優秀だよ」
「ぼ、僕はただ必死だっただけだよ。それに、ユキアが元通りになったのはユキアの努力の結果だよ」

 まるで子供を褒めるみたいに、クリムの頭を優しく撫でていた。
 ……撫でられている本人がちょっと頬を赤く染めているのはなんなの? クリムのくせにデレデレしちゃってない?

「あのさ、クリム。今は一体どうなってるわけ?」
「え? あ、えっと……アリア、ちょっとオルフ君とルマンさんを宮殿の方に送ってくれない?」
「あ、そういうことならオレらは宮殿行ってますよー! なんか街中ヤバいことになってますし!」
『この状況をルナステラたちに伝えた方がいいだろうからな』

 こちらが何か言った時点で察してくれたのか、オルフ君はルマンさんを押しながらこの場を去っていった。アリアも同様のようで、ちょっとだけ距離をとって街の様子を見回し始めた。結果的に、クリムと二人きりになれた。
 ……で。

「クリム。あんたに聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「『原罪の記録書』持ってんでしょ。あれ貸して」
「は? いきなり何?」
「いいから! レーニエ君に渡されてるはずでしょ!」

 時間がないのはあんたもわかってんでしょうが!
 私が急かすと、クリムは渋々と懐から本を出した。表紙を開いてぱらぱらとめくってから、私にちらちらと視線を送ってくる。まるで何か言いたげだ。

「言っておくけど、この本は今のところ僕以外に開けられないし読めないからね」
「いつの間にそこまで判明してんの? ていうか、中身が読めるなら確かめてほしいことがあるんだけど!」
「何を見るっていうんだい。ここにはエフェメラさんが遺した古代の歴史しか────」
「そこにヴァニタスを殺す方法が載ってるはずなの! カイザーが前に言ってたんだってば!!」

 もうじれったくなって、クリムの横からぐいっと頭を突っ込んで中身を覗き込んでみる。だが、記録書のページはびっしりとよくわからない文章で埋め尽くされていて、私にはさっぱり理解できない。

「なんて書いてあるのこれ!? 読んで!」
「ええ!? えーと……これは多分ちが────」
「避けてクリム!!」

 名前を呼ばれたクリムが、弾かれるように呼ばれた方向を振り向いた。叫んだのはアリアだったようで、何か異変が起きたのだと気づいた。
 しかし気づくのが遅かった。何かが私たちの前で炸裂し、爆風で吹き飛ばされた。爆風の余波で巻き上がった砂煙が視界を覆う。魔力による爆発だったのはわかるが、何も見えない。

「まったく……ほとほとつまらないね。もっと面白い悲劇を見せてくれたまえよ」

 砂煙の向こうで響いたその声は、まるで舞台の幕引きを嘲笑う観客のようだった。そこに込められた侮蔑は、誰の耳にもはっきりと届いた。
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