ディバイン・レガシィー -箱庭の観測者-

月詠来夏

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最終章「夢見る偽神の存在証明」

261話 Asta(2)

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 *

 闇の中へ飲み込まれたとき、私の中に知らない記憶が流れ込んできた。
 あれは、今目の前にうずくまっているアスタの記憶だった。アスタがずっと一人で抱えてきた痛みが、濁流となって私の心を侵食していった。気づけば、気が狂いそうなほど強い痛みが私の胸に刻まれていた。

「今更、何をしに来たの。ユキ、ここはキミがいるべき場所じゃない」

 目の前にいる彼は、子供っぽく笑っていた彼とはまるで別人だった。虚無に染まり、小さな身体は透けてしまいそうなほど儚げで、夜空色の瞳には光一つ宿っていない。

「嘘を吐く必要なんてないんだよ。こんな化け物のことなんて、早く拒絶してしまってよ」

 吐き捨てるように呟かれた言葉が、刃となって私の胸に突き刺さる。彼には、私が偽善者のように見えるのだろうか。

「……拒絶なんてするはずない」

 確かに、彼の背負ってきた時間の重さも、心の傷の深さも、本当の意味では理解できていないのかもしれないけれど。

「人間であるあなたを、見捨てるわけない」

 それでも、あなたを想う気持ちは揺らいでなんかいないんだよ。
 ただ、彼はひどく傷ついていた。傷ついた心では、希望をまっすぐに見つめることができない。

「違うよ。ボクは化け物だ。すでになくなった温もりを求めるだけの、醜い怪物だよ」
「それでもいいよ。私はあなたがいてくれるならそれで」
「偽善はもうやめろ!! キミは悔しくならないの!? ボクはキミを死んだひとに重ねていた!! キミと正面から向き合えたことなんて一度もないんだよ!? そんなの、誰が喜ぶっていうのさ!? もう放っておいてよ!!」

 堰を切ったように叫ぶアスタは、本当に苦しそうだった。
 枯れ果てた声で必死に私を拒絶する。それでいて誰かの温もりを欲しがってしまうから、自分から嫌われようとする。

「……あんたは、私の気持ちを偽善だと言い張りたいみたいだけど。それはあんたから見た私であって、私は自分の気持ちを偽善だなんて思っていない」

 あんたが私の想いを偽善と言うのなら、かつてあんたが私に見せていた姿だって偽善の塊じゃないのか?

「そんなこと言い出したらキリがない。ボクはもう死にたいんだ」
「嘘だ。死にたいなんて微塵も思ってない。あんたにとっての命はそんなに軽いものだったの?」
「観測者の命なんて、軽い以外の何物でもないよ。ユキに何がわかるの? どうにかして死を選ぶくらいしなきゃ、この苦しみに終わりが見えないんだよ!!」

 ああ────これはひどく不毛な言い争いだ。
 不老不死にとって、自分の命はそう見えてしまうものなのか。終わらせたくなるほどの苦しみとは、どんなものなのかな。
 生きている限り不変ではいられない。不変を求めるなら、死ぬしかないのかもしれない。そういう形の愛だってあるかもしれない。

「────これ以上、逃げないでよ」

 でも、私は生きていたい。どれだけ苦しい思いをしてでも生きている証が欲しいんだ。

「私は……あなたが好きなんだよ」
「嘘だ」
「今更あんたを嫌いになるわけないじゃない。だから教えてよ。あんたの正直な気持ち」

 闇の中にうずくまるアスタのそばに近寄ってしゃがみこみ、言葉を待った。
 私は最初から知っているんだ。あなたが本当に私を拒絶していたなら、ここに来ることさえ叶わなかったということを。

「────……愛してた」

 やがて耳に入ったのは、あまりにも短く儚い愛の言葉だった。

「ロミーのこと、愛してたんだ。あの日のように、ボクだけを見てほしかった。でも、それを口にしてしまったら……あの優しい世界が壊れてしまうから、言えなかった」

 何も言わずに受け入れ続ける。
 きっとそれで正解だったんだよ。身勝手な想いを抱くのは悪いことじゃない。胸の内にしまっておくことで大切な場所を守れたのなら、それでいいんじゃないかな。

「ボクは……空っぽになってしまった心を埋めたくて。身のほどを弁えずに、愛されたいなんて願ってしまった」

 愛されたいと思うのは、そんなに悪いことかな? 認めてもらいたいと願うことはいけないことかな?
 それこそが、人間から生まれた私たちの本質じゃないか。それを見て見ぬふりしていられるほど、私たちは偉くない。

「ユキは、こんなボクでも認めてくれるの?」

 ────本当、わかりやすいわね。聞くまでもなかった、と拍子抜けしそうになる。
 それでも言葉にしないと伝わらないから。私は力をなくした小さな身体を起こし、強く抱きしめた。

「私は、アスタが好き。あなたと一緒にいたい」

 いつからか芽生えていた大切な想いを囁いた。か細い息遣いが驚きの色を宿す。
 本当は、もっと早く伝えなければいけなかった。底知れぬ虚無に奪われる前に伝えてしまわねばならなかった。そうでなければ、もっと晴れやかな気持ちでいられたはずだから。

「あなたと一緒に生きたいんだよ。いつか理想を叶えられたとしても……あなたがいないと意味がない」
「……ボクは」

 だんだん、凍りついた冷たい壁が溶けてきた。ほんの少しの勇気さえあれば、互いを隔てる壁はいずれ溶けて消えてしまうはず。

「ボクは、キミよりずっとバカな子供なんだよ」
「知ってる」
「ユキのこと、たくさん困らせちゃうよ」
「そんなの今更でしょ」
「このまま手を伸ばしたら、離したくなくなっちゃう」
「いいよ。また目の前からいなくなるより、ずっといい」

 さらに強く抱きしめてみせた。
 もう二度と大切なものを失いたくない。それはあなただって同じ気持ちのはずでしょう? 
 だったら答えてよ。私の気持ちに対する返事が欲しいよ。

「アスタのこと、大好きだから。自分を化け物だなんて卑下しないで」

 受け入れてくれるまで何度でも告げてやる。
 一度伸ばした手は引っ込みがつかない。この手で掴まなければ気持ちは収まらない。私が掲げ続けた理想とおんなじだ。私はいつの間にか、それほどにまで一番星に恋い焦がれてしまっていた。

「ああ……なんで、なんで……っ。どうしてユキは、こんなボクのことを好きになっちゃったんだよ……!」

 ボクはキミを困らせてばかりなのに。つらい目に遭わせてばかりなのに。キミの気持ちを裏切るような真似をしたのに。
 弱々しい文句を吐き捨てながら、私の胸の中で泣いている。力強さはどこにもなく、見た目通りの小さな子供が泣きじゃくっている。
 私の腕の中で泣く少年は、驚くほどに小さな存在に見えた。

「ボクが化け物であることは変えようもない事実なのに……ここで無理にでも拒絶していれば、キミだってボクを諦められたかもしれないのに……!」
「────え」

 声が漏れ出た私の唇が、知らない感触で優しく塞がれた。それは、今まで生きてきた中で一度も味わったことのない温もり。人の温度と瑞々しさを直に刻みつけられ、頭が真っ白になる。
 そして、顔が離れたと思えば。

「ボクだって、ボクだって────ユキのこと、大好きなんだよ……!!」

 打って変わって純然たる告白が、私の胸を一瞬のうちに貫いてしまう。戸惑う中、私たちの目は自然と互いを見つめていた。

「ユキはとてもまっすぐで優しくて、誰かを想うことも、いつも自分の気持ちに正直でいることも忘れなかった。そんなキミにみんなが救われていくのを見て、惹かれずにはいられなかった! 本当はボクのことも救ってほしいって、ずっと思ってたんだよ……!!」

 自分を抱きしめる私を強く抱きしめ返す。私よりも遥かに強く、強く。
 涙が溢れ続ける瞳の中に、水面に映る夜空を見た気がした。

「愛するひとを奪われるのが怖い。ユキを奪おうとする悪魔が憎い。この手で殺してやりたい。ユキのためなら誰かを殺せるし、それをユキが許さないなら殺されたっていい────本当のボクは、平然とそう言えてしまうんだ」

 漫然としていた渇望が明確なものになった途端、彼は狂ったように謳い続ける。

「たとえキミに軽蔑されたとしても、キミがありのままで生きられるならそれでいい。キミにどう思われたって────ボクはユキのことを心から愛しているんだから……!!」

 情けないことに、受け止めることしかできなくなっていた。身体が信じられないくらいに熱を帯びていて、それどころじゃない。
 これが、私の知らなかった彼の本音。触れれば呪いのように絡みつき離れない、際限なく飢えた果ての愛情。
 伝えずに諦めようとして、心が乾いていって……渇きから生まれた苦痛が隙となって、虚無に囚われてしまったのだろう。

「……最初からそう伝えてくれればよかったのよ。バカ」

 何も言えないままでいるのは嫌だったから、やっとの思いでそう答えた。
 ああ、もし私が本当の神だったなら、こんな場面で涙を流すことなんてなかっただろうな。

「ユキ? なんで泣いてるの?」
「し……知らない……っ」

 涙が止まらないのはなぜ? 安心感? 歓喜? 何かはわからない、感情の決壊?
 なんでもいい。これが何であるなんてどうだっていい。ただ一つ、わかっていることは。

「嘘じゃないってわかったから、泣いてるんだ」
「……そっか。えへへ」

 ようやく、彼は笑顔を浮かべてくれた。いつもよりも少しだけ大人びた、幼い笑顔。
 本当は泣き腫らしてやりたかったけれど、そんな暇はない。何もかもを覆い隠すべく、涙を必死で拭う。そうしてようやく、いつも通りの私に戻れる。

「そろそろ離れなさいよ。まだやらなきゃいけないことあるんだけど」
「うん、もうちょっとだけー」
「時間がないの! 早く!」

 無理やり身体を離して、二人で一緒に立ち上がる。粘りつくような苦しい空気はどこかへ消えていて、周囲の闇が晴れようとしていた。

「ユキがいれば、もう虚しくなったりしないね。だって、胸が熱くて止まらないもん」
「当たり前よ。満足してくれないと困る」

 星が雲に隠れて、たとえ見えなくなったとしても────月明かりは何度だって夜空を照らす。
 私は一番星を照らす月でいたい。もう二度と、星明かりを見失いはしないよ。

「あとは……ボクの中に取り憑いたアイツをどうにかしないとね」
「そうよ。そのためにここに来たんだから」

 もうすぐ闇が晴れて、その根源が剥き出しにされる頃だろう。
 ────さあ。心に絡みついた黒を、剥がしに行こうじゃないか。
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