ディバイン・レガシィー -箱庭の観測者-

月詠来夏

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【箱庭探訪編】第1章「星の輝く箱庭」

19話 旅立ち

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 アルフィア王国から東に進んだ位置にある隣国────アルシェダント王国。
 夕刊が街の家に届き始める頃には、日が傾いて空が橙色に染まり始めた。夕飯の時間帯が近いからか、様々な良い香りが街中に漂っている。
 ティルとアンナは、ごく普通のある一軒家で夕飯を食べていた。外装は焦げ茶の柱や屋根に、白に近い色合いの壁。周囲に馴染んだ色合いの平屋だ。
 内装も整っており、掃除がよく行き届いている。香ばしいシチューの匂いがリビングに漂っていた。

「ごめんねぇ、こんなものしか作れなくて。身体が思うように動かなくてねぇ」

 西日の射しこむ窓のそばで、ロッキングチェアに腰かけた年老いた女性が申し訳なさそうに言う。
 白髪が混じっているが、彼女のまとめあげられた髪は金色だった。薄く開かれた瞳は海のような青色をだった。
 しかし、ティルとアンナは揃って首を横に振った。

「いいえ。アリスティアさんのシチュー、とても美味しいです」
「うん。こんなに温かくて美味しい料理……初めて食べた……」

 眼帯のない左目から涙をこぼすアンナ。あらあら、と老女──アリスティアは慌ててしまう。

「泣かなくていいのよ、アンナちゃん。それにティルくん、敬語はよして。これからは、私があなたたちのお母さんなんだから」
「はいっ……じゃ、ない。ああ……」

 ぎこちないのは、仕方のないことだった。長い間、母親の愛を忘れていたティルと、そもそも母親の愛を知らないアンナ。
 彼らがこの優しさに慣れるのは、きっともっとずっと先の話。

「ただいまー、アリスー!」

 知らない声が玄関から聞こえ、ティルとアンナの身体が固まってしまう。アリスティアは「大丈夫よ」、と笑いかけ、玄関から走ってくる子供に顔を向ける。
 リビングに走り入ってきたのは、薄橙色の髪と夜空色の目の子供だった。背丈を見れば、アンナと年が近いように見える。

「おかえり、アスタ。今日も外で遊んでいたの?」
「まあね。……あ、初めまして、かな?」

 ティルたちがぎこちなく礼をすると、子供──アスタはにっこりと笑いかける。

「よかった。君たちのこと、ちょっと心配だったんだ。でも、助けてもらえたようだから安心したよ」
「……何言ってんだ、お前?」
「あ~、ごめん。こっちの話。あとね、君たちに伝言を伝えに来たんだ」

 またもや首を傾げるティルとアンナ。アスタは彼らに近づき、優しく彼らを見つめた。

「『幸せになってほしい』、って。ユキがそう言ってたよ」
「……ユキって、まさか」

 微笑みで応える幼い顔を見て、ティルは信じられないといった顔をした。見開いた赤い瞳からは、静かに涙が溢れ出す。
 その横に座るアンナも、溢れ出す感情と涙を抑えようと嗚咽を漏らし始める。

「アリス、もっと何か作ろうか? 野菜残ってるみたいだしサラダ作るよ?」
「じゃあ、お願いするわ。いつもごめんね」
「このくらい朝飯前だよ! ボクに任せて☆」

 アスタは準備を整えてすぐに料理に取り掛かった。
 新たな家族を迎え入れた家は、以前よりも切なく、されど賑やかな夜を迎えようとしていた。



 夜も更け始め、月が空に浮かび始める。
 ランタンを一つだけ灯しただけの頼りない明かりしか、リビングにはなかった。その中で、アリスティアとアスタは分厚いアルバムを開いている。
 ティルとアンナは、既に眠ってしまった。夜には二人だけが佇んでいた。

「それにしても、アスタ。急に『昔の写真が見たい』って言ってきたけど、どうしたの?」

 アリスティアは、ふかふかした空色のブランケットを膝に掛けた上でアルバムを開いている。それをアスタが隣から見ているといった形で、アルバムの中に収められた写真を眺めていた。

「え。変かな?」
「いいえ。ただ、珍しい気がしてね。あなたが昔のことを振り返るなんて、滅多になかったでしょう?」

 アルバムをめくるアリスティアの手が、あるページで止まる。一枚の写真をそこから剥がし、見つめて、微笑みを浮かべた。
 そこには、一人の少女と子供が映っていた。
 草原を背景に、一人の少女が子供を背中から抱き寄せている。少女は長い金髪と青い瞳を、子供は薄橙色の髪と夜空色の目を持っている。
 写真の中の色褪せた二人は、幸せそうに笑っていた。

「本当、あなたは昔と全然変わらない。私が少女であった頃から、少しも……」
「…………」

 アルバムを閉じる音が、静かな夜の空間に響き渡る。ランタンに灯った炎が、アルバムが机に置かれるのと同時に揺らめいた。

「アスタ。何か話したいことがあるんでしょう?」
「……アリス」

 静かに微笑むアリスティアの横で、アスタは拳を握りしめる。
 やがて、改まったかのようにアリスティアの前に立った。ロッキングチェアに座るアリスティアとは、目線の高さが同じだった。

「……アリス。ボク、新しい友達ができたんだ」
「うん」
「その子は、昔のアリスにとってもよく似てるんだ。ボク、その子を守りたいの。だから、遠くに……この世界にたくさんある、普通の人じゃ簡単には辿り着けないところに行かなきゃいけないの」
「そう……そうなのね」

 しわしわの手が、指ぬきグローブに包まれた幼い手を握る。夜の冷たさの中、その手だけは昼間のように暖かかった。

「それなら、お行きなさい。あなたの願いを叶えるために」
「アリス……」
「私に気を遣わなくていいのよ。私はもう、独りじゃないんだから」

 優しい言葉に、大きく丸い瞳が潤む。アリスティアは手を引き、小さな身体を抱きしめる。
 幼いすすり泣きとともに、古びたロッキングチェアが小さく軋む。



「荷物、本当にそれだけでいいの?」
「うん。できるだけ身軽でいたいんだ」

 アリスティアは膝にかけていたブランケットで身体を包みながらも、玄関でアスタを見送ろうとしていた。
 端から見れば、アスタは荷物などほとんど持っていないように見える。しかし、彼自身はこれでいいと言い張る。

「アリスこそ、ティルとアンナのこと、頼んだよ?」
「もちろん。大事な孫娘の遺した子たちだもの」
「特にティルには、アンナに寂しい思いをさせちゃだめだって、伝えておいてほしいな」
「わかったわ。……心配なのね」
「うん」

 アスタはドアを開け、まだ夜明けも訪れていない外へ歩き出す。
 名残惜しそうに一瞥するが、変わらず笑っていた。

「……じゃあ、アリス。いってきます」
「いってらっしゃい、アスタ。気をつけて」

 小さく手を振るアリスティアを残し、ドアは静かに閉じられた。
 アスタは一人、夜の街を歩く。人通りは昼間に比べて少ない。歩いているのも大人ばかりで、無意識に感じてしまう肩身の狭さに俯いてしまう。
 ふと、街頭に照らされた道で立ち止まり、星の輝く空を見上げた。

「もうすぐ会えるかな……ヴィー……」

 そう呟くと、冷たい風が吹き抜け、星の宿る瞳を閉じた。
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