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【箱庭探訪編】第1章「星の輝く箱庭」

18話 遠い地で幸せに

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 無我夢中で走っていたら、森の外に出ていた。高い崖の見える場所に辿り着いたところで、私たち四人は足を止めて一休みする。
 この頃には、崩壊の音は止んでいた。砂煙が空高く舞い上がり、慌てふためく鳥が何羽も飛び立っていた。
 早く隠れ家に向かっておかないと……。

「……私たち、うまくやれたのかな」

 歩いている途中、無意識にそう呟いてしまった。
 本当は、ちゃんとシュレイドにティルたちを元に戻してもらって、ヴァーサーとサクを私たちの手で倒すつもりだった。そもそも、こんな計画自体が無意味だったのではないか。シュレイドがまともな思考ができる人間だと思っていた時点で間違いだった。
 人間は思ったよりも醜く、欲望にまみれていた。それこそ、神と同じくらいに。

『あら、まだここにいたの~?』
「えっ」

 聞き覚えのない声なのに、口調が親しげだった。しかも声に若干エコーがかかっていたような。
 誰よりも先に、シオンが何気なく振り返ると────。

「ぎゃああぁぁぁぁ!! お化けええぇぇぇ!!」
「……シオン?」

 裏返った絶叫を上げながらソルの背中にしがみついた。ソル、めちゃくちゃ鬱陶しそう……。

『はぁ? 何よ、失礼ね! 急に人をお化け呼ばわりするんじゃないわよ!』
『いやサク姉、仕方ねぇだろ。まさか透けるなんて思わなかったし……』

 私たちの後ろで、見知らぬ青年と少女が喋っていた。確かにそこにいるはずなのに、向こうの景色が薄っすら見える。
 背丈は頭の半分ほど違い、少女の方が背が小さい。けれど、赤黒い髪と瞳はどちらも同じ特徴だった。着ている服も、質素な上に古そうな血痕が残っている。

「サク姉って……まさかあんたたち、兄妹の中にいた……!」
『ハ~イ、そうよ。思念だけ飛ばせたの。本体は隣国にいるわ』

 え、隣国!? あの短時間でそんな遠くまで行けたのか……いや、ヴァーサーの能力なら可能かもしれない。

「シュレイドはどうしたの?」
『あ~、あいつなら隣国の街中に放り出してきたわよ。有名で優秀な科学者を繕ってたわけだけど、今回の出来事でぜ~んぶ明るみに出るんじゃないかしら?』

 つまり社会的制裁を加えた、と。
 ティルとアンナちゃんはどうなるんだろう? 元々あまり良い状態で暮らせてなかったけど……。

『ティルくんとアンナちゃんなら、隣国で引き取ってくれる人を見つけたわ。なんでも母方の親戚で、ハルモニアとやらと仲がよかったそうよ』
「そう、なんだ……」
『しっかし、あいつ何だったんだろうな。小さいガキにしか見えなかったのに、妙に手際よかったよな』
『細かいことはいいじゃない! 何者であれ、引き取り先を見つけてくれたことには感謝しなきゃ』

 誰について話しているんだろう……。
 ハルモニアさんの日記も、恐らく研究所の崩落に巻き込まれて行方知れずになってしまっただろう。
 でも、ある意味それでよかったのかもしれない。知らない方が幸せなことも、世の中にはたくさんあるのだ。

「ティルとアンナちゃん、少しの時間でも幸せに生きられるといいね」
『ええ。だからアタシたち、この子たちを生き長らえさせることにしたの』
「へー……って、えぇ!?」

 あまりにも何気なく言われたものだから、言葉の意味を咀嚼するのに時間がかかった。

「それってつまり、命をあの二人に与えるってことになるよね。そんなことが可能なの?」
『本来なら無理ね。でも、アタシたちは自身の形状を自由に変えられる化け物。自分自身を生命エネルギーに変換させることだってできちゃうの』
「それをあの二人に与えたら、確かに寿命は伸びるだろうが……お前たちは……」

 メアの言葉に、小さくうなずくサク。ヴァーサーも黙り込んでいた。
 私たちは当初、彼らを消滅させようとしていた。けれど、なぜか胸に何かがつっかえているような気がしてならなかった。

『破壊することしか知らない化け物……魔物が意志を持ったこと自体、偶然だった。オレたちはずっと、その偶然を疎ましく思っていた』
『でもね、気づいたのよ。この偶然があったからこそ……アタシたちは、破壊する以外のことを成し遂げられたって』

 人殺しである彼らを、最初は憎んでいた。でも、今となっては憎悪がほとんど消えてしまった。
 あのまま憎悪が残っていれば、少しはつらい思いをせずに済んだだろうに……。

『父親から解放されたんだ。だからいずれ、オレたちからも解放される。これは自然なことだったんだよ』
「ヴァーサー……」
『あいつらは、これから自由になれる。だから、これは喜ぶべきことなんだよ』

 二人はお互いに顔を見合わせて、晴れやかな笑顔を浮かべる。
 そして、私たちにその笑顔を向けた。その頃には、ヴァーサーはほとんど消えているようなものだった。

『さようなら。あの子たちを助けてくれて、ありがとう────』

 消えかけた手を差し出され、握ろうとした。しかし、掴もうとした頃には呆気なくすり抜けて、誰もいなくなっていた。
 私は……彼らをきちんと助けられたのだろうか。

「……ティルたち、隣国のどこにいるんだろう」
「さあ……でも、会って何を話すんだ?」

 メアの言葉通りだった。彼らに言うべき言葉が思いつかない。
 私たちは神。彼らは人間。そもそも、住んでいる世界が違う。本当は会うはずのない人たちだった。
 けれど、ささやかな幸せを掴み取れることを願わずにはいられない。

「……もう私たちにできることはないと思う。でも、あの二人には幸せになってほしいよ」
「そうだな」
「うん」

 私たちは隣国のある方角の空を見上げた。晴れやかな水色がどこまでも広がっている。
 これでよかったのかな。……よかった、んだよね。

「おっ、見っけ見っけ。魔物ちゃっかり倒したんだな」
「っ!? あんた────」

 しんみりしていた私たちの前に、あの仮面の男が姿を現した。私が一番前に出ていたが、とっさにメアが私の前に立ち塞がる。
 シオンとソルも、私の横に立って険しい顔つきになる。

「おいおい、喧嘩売る気かぁ?」
「ユキアの命を狙っていると聞いた。手を出すようなら容赦はしない」

 メアの言葉に、男は小さく笑ったような気がした。
 命を狙っているといっても、男の手にはあの黒い鎌がない。見た目だけなら丸腰だった。

「実はなー、ちょいと事情が変わった」
「は?」
「テメェらを殺そうにも殺せなくなった。どんなタイミングで殺ろうと思っても必ず邪魔が入るもんでな」
「邪魔……?」

 そういえば、アスタにも言われていた。「一人になっちゃいけない」って。意識していなかったわけじゃないけど、誰かといた時間の方が確かに多かったかも。
 それが彼の言う邪魔……なのだろう。

「まあ、それは置いといて。魔物を倒したのは褒めてやる。だが残念だな。オマエらはキャッセリアには戻れない」
「はぁ!?」
「掟を知ってるなら、その理由を知らないわけじゃないだろ?」

 ────神が、人間の箱庭に立ち入ってはいけない。私が忌み嫌う掟が作られた理由。
 キャッセリアには、箱庭に転移するためのゲートはある。でも、あれはあくまで不可逆的なもの。
 人間の住む箱庭には、他の箱庭に転移するためのゲートなるものは存在しない。
 一度箱庭に行ってしまえば元の場所に戻ることはできない────だから、人間の箱庭に行くことはあらかじめ禁じられている。

「……私たちが神の世界に帰ることはできない、そう言いたいの?」
「そういうこった。でもユキア、オマエは何だかんだ嬉しいんじゃないのか? 人間の世界が憧れだったんだろ?」
「っ、あんたには関係ないでしょ!!」
「ユキア、落ち着け!」

 メアに抑えられるも、怒りが収まらない。
 奴が何を考えているのかさっぱりわからない。そもそも、どうしてこいつは私たちを人間の箱庭に運ぶことができたの?
 キャッセリアにあるゲートを経由してきた、という可能性しか考えられない。しかし、こんなに怪しさ満点な男が、私たち四人を抱えてゲートを通れるだろうか?
 ゲートは、神の世界の最高神アイリスの住む宮殿の中庭にある。神の世界でも特に厳重な警備網を突破できたということになる。
 そうだとしたら……こいつは私たちが思う以上に危険な奴ではないのか。

「言ったろ。オマエらじゃオレは倒せない。それに、オマエらがキャッセリアに戻るのは困るんだよ。口封じで殺さないだけ、ありがたいって思え」
「……僕らを殺さないってことは、まだ何かやらせるつもり?」
「おっ、勘がいいな。そうだ。オマエらには次の箱庭に行ってもらう。そこでもう一回、オレに会う前に魔物を倒してみろ」

 今回と同じようなことを、次の箱庭でもさせるつもりらしい。
 私たちを魔物に殺させたいのか、それともこちらの力を試しているのか、何が目的なのか見当もつかない。
 しかし、私は思う。今回、ティルやアンナちゃんのように、魔物の存在によって苦しめられている人間がいた。それはこの箱庭に限った話ではないだろう。
 そんな人たちを、助けられる可能性があるのなら。
 私は────

「……連れて行って」
「ユキア!? 正気かよ!?」
「これ以上、魔物で苦しむ人間を増やしたくない。魔物を倒すことで助けられるなら……私は戦う」

 仮面の男の目は見えづらかった。しかし、私の意志の強さを感じ取ったのか、にんまりと笑った。

「ふっ……人間に肩入れするとは愚かな奴だ。オマエらはどうだ?」
「無論、私もだ。何より、ユキアを守るのは私の役目だ」
「オ、オレだってやるぞ!? ったりめーだろーが!!」
「僕も。それに、色々と知りたいことができたしね」

 私たちの心は一つだった。ここから揺れ動くことなどない。
 ああそうかよ、と答えながら、仮面の男は背中を向ける。私たちを次の箱庭に連れて行くつもりなのだろう。

「ああ、そうだ。これから長い付き合いになりそうだし、名乗ってやる」

 彼は一度だけ、こちらを振り返った。

「クレー、だ。覚えとけ」

 仮面の男──クレーは、しばらく持ち上げた口の端を戻そうとしなかった。
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