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【神間陰謀編】第4章「懐かしき故郷と黒い影」

85話 影を塗られた親友(1)

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 屋敷の中には、一片の光もない。鏡の破片とガラクタばかりが散乱している部屋に、大きな姿見が置かれていた。
 黒い姿見の中で、金髪の少女が指を組み合わせるような形で眠っていた。その顔は苦しくも、悲しくもなく、ただ安らかに見えた。
 メアは、そんな少女が眠る姿を一人見上げている。安らかに眠る少女とは裏腹に、物悲しげな目をしていた。

「────うまく乗っ取れたようで、何より」

 明かりのない屋敷に、小さな人影がやってくる。暗がりの中で、金色の左目が妖しく輝いている特徴的な子供だった。
 メアは玄関の方を振り向き、虚ろな笑みを浮かべる。

『助かったよ。あのまま放置されていたら、私も消え失せていただろう』
「あんたには消えられたら困るって話だから。で、身体の使い心地はどう?」
『……最初はかなり抵抗されたが、だんだん馴染んできたよ。周りはこいつが歪みに歪みきったと勘違いしていたよ。あながち間違いではないだろうがな』

 マゼンタの瞳の中心は闇に染まり、黒ずみを広げていく。黒を大半が占めてしまった鋭い瞳。
 今、彼女の中にいるのは異物だった。その証拠に、口元を歪ませてにんまりと微笑んでいる。

『もう少しすれば、魂も何もかも乗っ取れる』
「いい調子だね。……そうだ、できればあいつらも始末しておいて」
『……兄妹か?』
「成功したら、その身体好きにしていいから」

 その言葉を最後に、屋敷を出ていく。また、メアは独りになり、少女を映し出した鏡を持とうとする。
 その瞬間、複数の足音が近づいてくるのに気づく。どんどん大きくなる足音たちが、扉を勢いよく開け放った。

「メア!! ここで何をしている!?」

 白銀の翼に、金と緑のオッドアイの少年が現れた。その背後には、忌々しい世話神の女、二人の同い年の少年たち、そして星の模様を宿す子供がいた。
 誰も彼も、今の彼女にとっては鬱陶しい邪魔者でしかなかった。

『っ、あはははは!! ここで全員葬ってくれるわ、神共が!!!』

 魔銃を召喚し、五人の来訪者へと向ける。背後にある鏡の牢を守り抜くために、鬼の形相で立ち向かっていく。

 *

 メアが魔銃を構えたことで、殺意は本物なのだと悟る。それにしても、本当に様子がおかしい。まるで別人になってしまったかのようだ。

「……何かがメアにとり憑いてる。みんな、気をつけて」

 アスタの言葉で、僕はようやく違和感の正体に気づいた。雰囲気どころか、放たれる言葉すら歪なものに変わっている。
 彼女の背後には大きな鏡がかけられていた。その中に、眠っているユキアの姿が見える。この空間ではなく、何かの魔法で鏡の中に閉じ込められているらしい。

「ユキア……! ミラージュ、あれは何だい?」
「わたくしが作った鏡型の収納ケースですわ。くれぐれも破壊しないでくださいまし、中のものが取り出せなくなります」
「とりあえず、メアを落ち着けないことにはどうにもならねぇ。行くぞ!」

 あらかじめ戦斧を構えていたシオンが先陣を切り、メアに向かって刃を振り下ろす。あえて急所は狙っていないようだが、相手もそれをわかっているのか、なかなか彼女に傷を与えられない。背後の鏡を割らないように神経をすり減らしているのか、鏡に近づくにつれて動きが鈍くなっていく。

『ふん、他愛もない。邪魔をするな、虫けら!』
「くっ……好き勝手言いやがって……!!」
「ああもう、あたしの屋敷で暴れ回らないでちょうだい! 〈ノクス・チェインバインド〉!」

 ミラージュの武器であるらしい、彼女と同じくらいの背丈の鏡を召喚し、中から闇の鎖を生み出し放つ。雁字搦めにするどころか、鎖を掻い潜りミラージュの背後に回り込んだ。

『邪魔だ』
「がはっ────!?」

 至近距離で引き金を引いたことで、ミラージュが倒れ込む。血は流れていないが、起き上がる気配がない。
 僕もガラスの剣を構えていたのでメアに斬りかかろうとするが、寸でのところで回避される。

『また会えたな、白翼の神。私と戯れようではないか』
「何……っ!? まさか、あの時の!?」

 おかしい、あいつはヴィータと一緒に倒したはずだ……復活したのか?

「クリム、ぼうっとしてる暇ないよ」

 はっと息を飲んだとき、無言で銃口が迫ってきたことに気づく。避けるには一足遅かった。しかし、ソルが目の前に飛んできて緑のバリアを展開したことで、放たれた光線は霧散する。
 考えている場合じゃない……今は目の前の危険を排除しなくては。

『私は変幻の力を生まれ持つ異形だが、この身があればさらなる高みへと近づける! 邪魔はしないでもらおう!』
「っ、メアを返せ! その身体はお前のものじゃない!」

 魔法で風を剣にまとわせてから、風の刃を複数放つ。今度は〈ノクス・ガードサークル〉で自分と鏡に闇の防壁を張ることで攻撃を防いだ。
 すぐに僕を睨みつけてくるも、ソルによる風の魔弾の牽制が入り注意を逸らされた。その隙に、金色の短剣を構えたアスタが、屋敷の天井近くまで飛び上がった。

「ユキを返して!!」
『観測者……興味はないが、やるしかあるまい。〈AstroArtsアストロアーツ〉!』

 メアが何かを唱えたようだが、すぐに変化は見られないように見えた。
 振り下ろされた刃はメアを貫くことなく、向けられた手のひらで止められてしまう。一滴の血すら出ていないのが不気味で仕方がなかった。

「うっ……!?」
『お前の妹には随分世話になったからな。お返しだ!』

 底知れぬほどの闇を放たれ、メアの周囲が黒く染め上げられる。メアから距離を置いたアスタが前方に手を突き出す。

「防いで、『〈Polophylaxポロフィラックス〉』!」
「みんな、僕の後ろに!」

 シオンとソルを背後に移動させ、前方に魔法陣の障壁を展開した。アスタは自身の幻影を生み出すことで闇を受け止めた。
 闇が洪水のように迫ってくる。得も言われぬおぞましい気配が空間全体を支配していく。その場の誰もがただの魔法ではないと察したのか、表情に混乱が見える。

「……やっぱり。一体どこで『星幽術』を覚えたの?」

 冷静に問うアスタが唯一、状況を一番把握しているように見えた。どこ吹く風といった様子で、奴は首を傾げる。

『これはこの身体の力ではない。乗っ取った張本人である私の力だ』
「……どういうこと? 魔物がそれを使えるなんて……」
『戯れ言はここまでだ。終わらせてやる』

 言葉が終わってすぐに、黒い力の奔流がメアを包み込む。それを見たアスタははっと息を飲み、メアの方へ駆け出そうとする。

「させないっ! 『〈Argoアルゴ──あだっ!?」
「アスタ!?」

 床に散らばった瓦礫でつまずいて派手にずっころんだ。元々戦いづらい環境ではあったが、この場面で転ぶのはちょっと……。

「いったぁーい! 散らかさないでよもー!」
「何やってんだバカー!!」

 阻止する魔法が発動せず、メアの詠唱は続いていく。闇よりもどす黒い、奈落への穴が開いたような漆黒がメアを染め上げようとする。

「黄泉に誘いし黒よ、宵闇の憂いとなり融け出でよ。『《Deadly Shadowデッドリー・シャドウ》』」

 月食のごとく、彼女の身体が完全に黒に染まった。同時に周囲の闇が密度を増し、メアと同じような影があと二体現れた。襲撃してくる三つの影を迎え撃つべく、各々の武器を構え直した。
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